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史上から消された聖徳太子・山背王朝 第六巻

七世紀〈二〉・初唐時代

史上から消された聖徳太子・山背王朝

大化改新は「王政復古」でも「社会改革」でもない。蘇我氏が牛耳る倭国の兵力を対唐戦に投入するためだった。

著者 小林惠子
ジャンル 日本古典・歴史
シリーズ 日本古代史シリーズ
出版年月日 2012/05/15
ISBN 9784329004765
判型・ページ数 4-6・268ページ
定価 本体2,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

まえがき

第一章 “大化改新”の真相
  明治百年、つくられた“大化改新”
  “改新の詔”は存在したか
  山上億艮「貧窮問答歌」の社会

第二章 蘇我一族の内紛と唐の介入
  百済の政治家、蘇我一族の登場
  大王位をめぐる蘇我一族の死闘
  唐・三国の攻防と馬子暗殺

第三章 山背王朝の滅亡と“乙巳の変”
  孝徳はどこから来たか
  ゆらぐ山背王朝
  山背王朝滅亡・影の主役たち
  “乙巳の変”"の真相

第四章 太宗の高句麗征伐を決断させた山背王朝の滅亡
  高向玄理と藍蘇文
  唐・太宗の高句麗親征と“乙巳の変”
  つかの間の古人大王・皇極朝

第五章 対唐戦に備える孝徳朝
  百済義慈王の倭国進出
  蘇我一族の経済力とその興亡
  蘇我石川麻呂の遭難
  消されたもうひとりの女帝
  右大臣大伴馬養と左大臣巨勢徳陀
  義慈王の太子・孝の自雉朝

あとがき
新装版にあたって

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内容説明

タリシヒコが六二二年に没すると、六三二年になって、ようやく倭国は唐使の入朝を受け、唐は山背王朝を認めた。しかし最後まで唐に反抗的だった高句麗は六四五年一月より、唐太宗の高句麗征伐を誘発する。その前年に高句麗将の蓋蘇文(大海人皇子)と百済の亡命王子(中大兄皇子)は蘇我氏を巻き込んで聖徳太子・山背王朝を滅ぼし、ひきつづき蘇我氏を滅亡させた。それから倭国の兵員を対唐戦に投入した。
しかし対唐戦に完敗した両者は倭国に逼塞せざるを得なかった。そして六六〇年に百済が、六六八年には高句麗が唐によって滅ぼされた。

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