
目次
第一章 神武朝から崇神朝へ
第二章 慕容氏の半島進出と列島
第三章 劉氏の崇神朝かた慕容氏の垂仁朝へ
第二部 慕容儁は若き日のヤマトタケル
第一章 慕容氏の興亡
第二章 戦う大王ヤマトタケル
第三章 景行・仲哀朝の真相
第三部 列島に亡命した符洛こと、応神天皇
第一章 神功皇后と武内宿祢
第二章 応神朝の始まり
第三章 符洛と東アジア
内容説明
9月10日発売開始!
中国では弱体化した漢民族の南朝が晋から宋とほそぼそと命脈を保っていたが、実際は五胡十六国といわれる遊牧民系民族が熾烈な興亡をくりかえしていた。五胡のうち、匈奴の劉氏が『記紀』にいう崇神朝で、四世紀初めに倭国で勢力を持った。二三八年に公孫氏の帯方郡(百済地方)が魏に滅ぼされた後、四世紀中葉から鮮卑の慕容氏が帯方郡から倭国にかけて支配した。それがヤマトタケルの景行朝である。四世紀世紀末に氐の符氏が南海路で九州に現われ、応神朝として『記紀』に投影されている。
東川王の神武の系統は勢力を大和地方に限定され、倭国の祭祀権を持って、五世紀の雄略朝まで存続した。この大和地方に残存した勢力を一般に欠史八代の天皇という。






