目次
「色相と肌触り 長崎」―東松照明論
アイデンティティ、典型、そしてエロス―吉永マサユキの『若き日本人の肖像』
コラージュと固有色―柴田敏雄の新作カラー写真によせて
永遠の仮構と復元―杉本博司論
コラージュとプレゼントネス―スティーヴン・ショアとマイケル・フリード
Moving Photographs―松江泰治のデジタル写真
「写真原点」の形成―中平卓馬のマガジンワークによせて
Naked Photography―中平卓馬Documentaryとキリカエ
開かれたメモワール―古屋誠一の『メモワール』完結
音楽
セリー、フォルメル、メディア―シュトックハウゼンの『ヘリコプター弦楽四重奏曲』
パリのシュトックハウゼン1952. 1. 16 - 1953. 3 .27
アート
事後性を現像する―木村友紀のファウンド・フォト・インスタレーション
記憶の現在形―木村友紀「一九四〇年は月曜日から始まる閏年」展評
凍らない音楽―幻の「はっぱとはらっぱ」展のために
陶芸
陶芸の「勢い」について―鯉江良二論
北宋汝窯青磁考古発掘成果展―大阪市立東洋陶磁美術館
「色」の変容―汝窯のその後―東洋陶磁美術館「幻の名窯 南宋修内司官窯」展展評
「眼」の力とは何か―浅川伯教・巧兄弟の心と眼「朝鮮時代の美」
見立ての虚実―「古道具坂田」展によせて
内容説明
デジタル写真はアナログ写真のふりをしながら発展してきたが、近年、アナログを追い越し、擬態を止めて本質を露わにしつつある。デジタル技術が写真を否応なく変えていく。光は暗い室を出て、写真は一枚の四角い紙片であることを止めたのだ。短音が無数の倍音に分かれるように、単独の存在はさらに分割されて、一枚の画像はそれ自身でありながら多数の画像への出口となる。デジタルにとって文字も音も映像も区別がないように、単数=複数性(Pluramonity)が音楽と写真、アートと陶芸を横断する。