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聖徳太子の正体 第五巻

七世紀〈一〉・隋から唐へ

聖徳太子の正体

突厥の大可汗達頭は巨大帝国随との戦いに敗れ列島に逃れ倭王タリシヒコとなった。後に聖徳太子として信仰の対象になった人である。

著者 小林惠子
ジャンル 日本古典・歴史
シリーズ 日本古代史シリーズ
出版年月日 2012/03/15
ISBN 9784329004758
判型・ページ数 4-6・225ページ
定価 本体1,800円+税
在庫 在庫あり
 

目次

まえがき
第一章 聖徳太子の謎
  聖徳太子は倭王だった 
  十七条憲法の真実 
  浮かび上がる専制君主の姿 
  太子の前世「達磨」説はなぜ、すり替えられたのか 

第二章 アジアの雄、突厥達頭可汗
  西突厥とサーサーン朝ペルシアが共闘してエフタルを破る 
  隋に追われ中国史上より消えた達頭可汗 
  達頭はキリスト生誕六〇〇年に倭国に上陸した 
  達頭は倭王タリシヒコとなり、後年、聖徳太子と称された 
  夢殿はパオである 

第三章 倭国を遠隔操作する達頭
  エフタル系欽明朝対突厥系敏達朝の攻防 
  敏達・用明・崇峻・聖徳太子四代の后、推古天皇 
  達頭可汗以後の東西突厥 

第四章 倭王タリシヒコの外交
  タリシヒコの倭国、六〇八年に隋と講和する 
  隋への救援を蘇我馬子に阻止される 
  聖徳太子、死の周辺 
  山背王朝の悲劇 
  結語――敗者は祀られる 
あとがき
新装版にあたって
関係年表

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内容説明

 東ローマにもその名を知られた突厥大可汗の達頭は勃興する大帝国の隋に追われ、六〇〇年に共闘する高句麗から百済を経て倭国に亡命した。そこで倭国の実力者蘇我氏の協力を得て倭王タリシヒコになった。
六〇七年にタリシヒコは小野妹子を隋に派遣して隋との講和に成功した。隋は対高句麗戦を計画していたのでタリシヒコとの講和に応じたのである。隋の煬帝は六一二年より高句麗征伐を実行するが、はかばかしい戦績を挙げる事なく撤退した。タリシヒコは隋を救援したかったが、蘇我氏が倭国からの派兵に慎重だったので実行されなかった。隋が弱体になると次なる勢力の唐が六一八年に隋を滅ぼした。隋が滅亡するとタリシヒコ政権に暗雲が漂いはじめる。

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