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  第168回 阿片の森 - 2024.03.04

第168回 2024年3月





阿片の森





鈴木創士


モーリス・ブランショ『文学空間』
鈴木創士『サブ・ローザ 書物不良談義

 ……そう、天使は巨大な書物のページの端をめくっていたが、すでに指が消えてしまっている。世界と同じくらい巨大な書物の端はあちら側にしかないからである。天使は移行そのものを表すのであるから、こちら側に出てくるとき、つねに体の半分、特に足のほうは消えている。人間の目にとってはそのようにしか表象できない。天使の姿はさっきまで見えていたが、今はどこにいるのであろう。メタセコイアの大きな木がぽつんとスクリーンに映っているだけであった……

Incipit vita nova.
新しい生が始まる。
——ダンテ

 木を男が見上げている。樹木は動かない。動けない。空はぬけるように青く、動かぬ太陽の光が斜めに射し込んできた。男の腕の表面が木の枝の皮になったように見える。鱗(うろこ)のような男の腕の表皮。また今朝早く雨が降ったのだろうか、葉はまだ雫(しずく)で少し濡れていたのに、刺青のような表皮がばらばらと剥がれ落ちるのが見えた。太陽はまったく動いていない。大きな栗の木のようにも思えたメタセコイアから離れると、紫色の灌木の一帯があって、その向こうは暗い森になっている。罌粟(けし)の花が咲いている。視界の奥に見える下草は真っ黒だ。
 

世界は終わった。まだ血管の中がざわざわしている。そこは一三〇〇年四月八日金曜日の夕刻にダンテが生きたまま訪れた地獄の森のように鬱蒼としていた。だがこの森はダンテが人生の半ばに通らねばならなかったあの地獄の入り口ではないように思う。私は地獄がどこにあるのか知らないが、森だというのにいちだんと低いところにあるらしい。周囲の土地は蟻地獄のように逆さまになっている。羽が泥だらけの百舌鳥(もず)が休らうように丸太に止まっている。いつまでたっても百舌鳥は鳴かない。ここに天使はいないようだが、ちゃんと撮影しているのだろうか。いや、それはまったくの杞憂(きゆう)だ。今ここで起きていること自体が撮影されたものなのだから、あえて映画内映画を望むことはないだろう。
 

もうメタセコイアはここから見ることができない。さっきの明るい大木が昔の映像のように思える。子供の頃はよく木に登ったものだった。お前は猿の生まれ変わりだ、と母によく言われものだ。ここの杉はみな枯れかかっている。倒れて腐ったものもある。樹齢は千年以上だろう。手つかずの豊かな森では、杉の倒木があれば、その上にまた杉の種子が落ちる。木が倒れたために隙間ができて、光が射し込む。そこに新しい杉が芽生えるだろう。こうして森は豊穣になる。だがこの森には季節の巡りも生命の循環もない。新しい芽が吹くこともないだろう。
 

太陽の円盤は動かないままなのに、それに世界は終わったはずなのに、しだいに陽が翳ってくる。最後の光。そんな言葉が脳裡をかすめる。それを私は見ているのだろうか。「私が見ている」とはどういうことなのか。いつなのだ、今は? 朦朧とした脳のスクリーンが少しだけ明るくなる。今頃、故郷の海はどうなっているだろう。あの雪原は? あの小高い丘は? ずいぶん大きく育ったはずのあのシャクナゲの木は? 小型の携帯ナイフで木の幹に傷をつける。傷口から流れ出す樹液は赤みを帯びていて、罌粟の実からしたたる阿片の乳白色の汁とは違う。
 

昔、外国にいた頃、阿片をつくったことがあった。若い男が、誰もいないので家に来ないかと誘ってきた。彼とは晩夏のひと気のないカフェで知り合ったばかりだった。ヴァカンスの時期だったが、金がないのでどこにも行けず、セーヌ通り近くの小さなカフェでぼんやりしていたら声をかけられた。男は蓮っ葉な女のような口のききかたをしたが、見るからに気が弱そうだった。立ち去ろうとすると、彼は腕をつかんで引きとめた。二人は白昼のパリの裏通りをうろついた。セーヌ川の岸辺や近くの路地を歩き回った。休憩中のサンジェルマン・デ・プレのレストランの店中を通り抜けて、籠からパンをパクった。ずいぶん歩いてプラタナスの通りに出ると、知り合いのパンクの女に出会ったが、その日、売春の仕事はお休みだった。二人でコンサートにも行った。すごいライブだったなあ。なんていう曲だったろう、あの曲には感動した。
 

ある日、だしぬけに男が言った。ちょっと手伝ってくれないか? こんな異国にいて、人の役に立つならそうしたかったし、二人で作業することになった。何をするのかは知らなかった。男は黙ったまま広い居間に新聞紙を敷きつめた。新聞紙の上に幾つかの段ボール箱からいきなりぶちまけられた罌粟坊主の実をはじめて目にして、呆然(ぼうぜん)となった。ものすごい量の罌粟坊主だった。世の中にこんな光景があるのかと思った。居間の壁は本で埋まっていたが、彼の父親の家だったし、インテリおやじの蔵書だった。父親は旅行中らしい。おやじは有名な評論家モーリス・ブランショの友人なんだ、と言って男は笑った。私はモーリス・ブランショが誰なのか知らなかった。
 

罌粟坊主の実に傷をつけると、乳が流れ出る。その乳をヘラでうやうやしく容器に集める。鍋に入れてそれを煮る。乳白色は茶褐色になった。二人は口を閉ざしたまま黙々と作業を続け、昼下がりの部屋は黄色っぽい陽を浴びて静まり返っていた。水とアルコールも使ったのだろうか、男はいろいろ苦心していたようだが、最後にどろどろの茶褐色が鍋のなかに残り、それが冷えるのを待った。阿片が出来上がっていた。乾燥しかかっている生阿片もあった。鍋は魔女キルケーが使ったような、いつまでもぐつぐつ煮え立つ鉄の鼎(かなえ)ではない。ただの安物のアルミの鍋だった。作業が終わってから、二人で阿片を吸った。
 

その後、私は帰国した。男とは手紙のやりとりをするようになった。何度かやり取りするうちに、この阿片男がユーモアあふれる好人物で、そうとう頭のいい男だということがわかった。思い出すかぎり、見かけはそうでもなかったのに、手紙の文章のはしばしからそれはうかがえた。彼の手紙は、異国人の私の語学力からしても、とても潤いがあり、フランス語としてとても文章が上手いことがわかる。彼には不意打ちのような新鮮な機知があった。この才知は、いつだったか、川の向こう岸で手を振っていた男の合図を思わせた。私は彼の姿をもう一度脳裡に描いた。しばらくして、父親が死んだので、自分は本を読まないからいらないかと手紙にあった。全部外国語の本だったが、かなりの数の珍しい本を送ってもらった。段ボール箱が送られてきたが、罌粟の実は入っていなかった。何度かやり取りするうちに手紙は途絶えた。それからずいぶん経ってから、風の便りに(実際には、ある人からの電話だった)、彼は崖から身を投げたのに死体が見つからなかったという話を聞いた。
 

もう乳も蜜も流れない。森のなかに白骨化した動物の死骸がいくつも転がっている。何の動物だろう。あちこちに鳥の羽、それから空から落ちてきた白い小石のようなものが散らばっているのが見える。空は暗くなるばかりだ。空を覆う雲にぽっかり穴があいている。そこから夜明けの欲望が泡のように消えていく。壊れたミトコンドリア。傷だらけの染色体。裸の人間? 虚しいじゃないか、先祖伝来の魔除けなど! 見たこともない寄生植物の蔓だけが四方に伸びて、複雑な神経組織のように地表を覆っていた。恐ろしい光景だった。ここには祈禱師の姿はなく、昨日の迷信だけがあった。
 

あたりは節くれだった異形の樹木ばかりで、木の傷口から流れ出すのは赤い樹液だと思っていたが、もう一度よく見てみると、幹と枝に血のようなものが滲んでいる。やはり木が血を流しているのだ。頭上には女の顔をした鳥アルピエがときおり飛び交い、いつの間にか霧雨が顔をしとど濡らしている。ごーという冷たい風が向こうから吹いてきたが、人の声のような音声が混じっているのが聞こえる。アルピエが人間の言葉を喋っている。からだじゅうの関節がおかしくなっているのがわかる。私は自分の腕や足の関節をさすってみる。空気が薄く、さっきより呼吸が苦しい。子供の頃に木の箱に閉じ込められたからなのか、ずっと前から窒息にひどく恐怖を覚える。長年の私のトラウマですらある。花が枯れて、腐り始めている。あたりに腐った植物の何ともいえない悪臭が漂っている。パレスチナを旅したときに見た、大量の蠅がたかった死体の臭いを思い出す。鼻を二度かんだ。遥か向こうに動かない太陽の円盤がまだ見えているのに、ここはさらにどんどん暗くなる。暗く翳る一方の森を見回した。小川のそばに密生する罌粟の花がぼんやり見えるだけで、先がよく見えない。今からこの恐ろしい森で木になってしまった友人を探さねばならない。

 

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第167回 2024年2月





老人はすぐに死ぬだろう





鈴木創士


フィリップ・ソレルス『セリーヌ』(エートル叢書21)
鈴木創士『サブ・ローザ 書物不良談義

……そう、天使が振り向いたとたん、天使には別のシーンが見え。別のシーンにはまた別のシーンが重なっている。それが幾重にも重なってひとつのスクリーンの流れに、そして表面になる。それが映画であり、映画の技術に関わるものであったが、そんなことなど天使は承知の上であったし、どうでもよかったのである。瞬間と瞬間の間で判断を下すのは天使自身であり、のちの評価というものはないからである…… 

「臨終のために何かを取っておかなければならない。あらかじめ自分を貧しくしてはならないのです」

「未来について語る者はごろつきだ。後世の者を引き合いにするなんて、蛆虫に演説することさ」

「未来は我々に関係ない! 未来は若者たちのものだ!… 私はそれを彼らに願う!…」

(ルイ=フェルディナン・セリーヌ)

 

どこかで誰かがカーテン越しに窓の外を眺めている。窓の前には粗末な椅子が置かれている。そこに座って外を眺めるくらいしか思いつかない。窓の外の風景は動こうとしない。向こうの丘の傾斜の上に老木が一本だけ立っていて、そばに錆ついた自転車が転がっている。いつもの景色だった。庭のブーゲンビリアが赤い花をつけ、すごい勢いで繁っている。太陽は動かず、空は灰色から薔薇色に移ろうところだった。カーテンを閉める。カーテンが青いので、部屋はブルーに染まる。少しずつ緑色に近づくような深く悲しいインディゴ・ブルー。カーテンは閉まっているのに、冥王星の衛星カロンのような巨大な真昼の月が近くに見える。空の気配が変だ。削り取られたように殺伐とした月の表面。何も起こらない。すべてが終わった。部屋のなかのカビ臭い大量の本はそのままになっていて、ブルーの静寂のうちにひっそり沈んでいる。何もかもが静まり返っている。てっきり時が止まったのだと思った。でも時計の秒針が動くのが見える。まだ外に出る気は起こらない。声を出してみる。私に声はない。私の声を聞く者がいないからだ。誰かの声? 人の声なのか? ああ、そうだった。床の間の高麗青磁の壺も見納めだ。この壺のなかには死霊も生霊も入っていないし、不気味なところはない。

保守的で地味な文学研究者だった長い道のりを思い浮かべた。私はいったい何をしていたのだろう。誰も読みたくなどない文献に囲まれるだけの毎日で、妻も子供もいなかった。苦衷(くちゅう)を人に見せることもなかった。教育への情熱は失せてしまったし、大学には居づらくなって、職を辞したばかりである。研究など何の役にも立たなかった。本を一冊手に取り、表紙を見て、また書棚へ戻す。銘肌鏤骨(めいきるこつ)の理(ことわり)などとっくに雲散霧消していた。そんなものは人が書いた本の影響にすぎない。読まれなかった本、それに読んだ本も全部糞のように見える。犬の糞。犬の遠吠えが聞こえる。私は老人である。

かつて教師として私が出会ったなかでもっとも強い印象を受けたのは、学部のある学生だった。彼の容貌はとらえどころがなく、何の印象もないところが逆に印象的だった。現実に対してはすかいに存在しているような彼は、自費出版の小説本を一冊だけ出したが、それを黙って私にそっと差し出した。ページはいい紙を使っていたが、製本は自分でやったと言っていた。私は文学教授として彼の作品が並外れたものだと思った。だがそれを口にすることはなかった。何かを言いかけて、私は口ごもった。もぐもぐと言葉がねばついたのは私の嫉妬だったのだろうか。ボードレールは、老人を殴り倒そうと言っていたが、こんな場合でも、若者は老人を殴り倒すわけにはいかないようだ。

居酒屋で一度酒を酌み交わしたとき、彼は言った。僕は政治的なテロリストになれなかったんです。人を殺すことができそうになかったからです。人間の命が最も尊いものであるという思想をもたなかったのに、僕には人が殺せない、と学生はうつむいて言った。彼はそのあと実家に戻って自殺した。学生はプラハで幼少期を過ごした。ドイツ語、チェコ語、イディッシュ語に堪能で、卒業したら語学を活かせる仕事にでもついたらどうかと薦めたが、僕は庭師になるつもりですと言ってとりあわなかった。私は彼と自分の距離を測ってみた。私は自分をずっと欺いてきたし、それはそれで気楽なものであった。たまに地獄はどこにあるのだろうと考えた。天国のことも思ったが、私にはうまく想像できなかった。しかし地獄にも天国にもそれ自体原因となるものがある。煉獄には原因となる確固たるものがないかもしれない。煉獄は自分に合っているように思うが、地獄に落ちるかもしれない。結局、彼のいた季節ははたしてこれに同じであろうか。ふとそんなことを思った。冬であればなおのこと。露も、霜も、霙も、霰も、雪も彼に降り注ぐ。学生はそんな世界にいた。私は自分が自殺するところを何度も思い描いたが、その勇気がなかった。 

ある日、子供用のチュチュを着て、網タイツをはき、口紅とファンデーションを塗りたくった赤銅色の中年男と道ですれ違ったことがある。通りかかった人誰もがこのチュチュ男をじっと凝視し、それから目をそむけた。この男は堂々と歩いていたし、狂っているとは思えなかったが、チュチュとタイツは破け、尻と口紅ははみ出て、ファンデーションは剥げていた。学生はどことなくこの男に似ているように思う。私にとってチュチュ男も学生も映画の登場人物のようであったし、こんな人間が世の中にはいるものだ。私はこの学生の得体の知れない超然とした聡明さに恐怖心すら抱いていたかもしれない。
 

もう一度カーテンを開ける。窓の外を軽トラックが一台がたごと走り去るのが見える。運転席に運転手の姿はない。すべての外のイメージが白く発光し、それから消えてゆく。光は充満しているが、向かいの家の軒ではいつものように夏の風鈴も鳴らない。どの車も霊柩車に見えてしまうが、霊柩車が通り過ぎた後、通りに舞い上がるいつもの土埃がここから見えることもない。私は自分の狭い周囲を見回した。部屋のなかに透けて拡散しているようなブルーの光がまた目に入る。そんな光にはもううんざりだった。外に出てみよう。ほかにすることがない。家からの出がけ、姿見に映った自分が目にはいった。灰色のくたびれたスーツ姿。自分の顔を見つめた。ひどい嫌悪感を覚えた。家を出る前、玄関に置いてある鉢植えのトリカブトの葉を二、三枚引きちぎって食べた。抹香臭いにおいがする。このくらいでアコニチン中毒になることはない。少しだけなら不安が消えて、心地よく軽い眩暈がするくらいだ。あたりの空気が膨れてまた縮んだ。大気は病気の肺臓だった。嫌な臭いがする。
 

トリカブトの葉っぱをしがみながら道を歩いていたら、バスが来たので乗った。目的なんかないし、もちろんもう行くあてはない。通りからは生ゴミの腐ったような臭いがしていたが、このあたりはまだ被害が少ないようだ。緑の公園が見えたが、やはり白く発光している。いつもはそこの円形広場で大量の鳩が餌をついばんでいるが、今日は一羽もいない。バスがひどく揺れる。客は後部座席に女が一人いた。「あんた、行くとこはあるのか」「旦那さんのご実家です」「それを言うなら、旦那の実家だろ、最後くらいまともに日本語を喋れよ」。そう自分で言っておいて、私は自分がこの期に及んでこんなくだらないことしか言えないことに愕然とした。ふと見やると女の姿がない。何かがおかしい。降りたのかはじめから誰もいなかったのか思い出せない。薄い人だったのかもしれない。自分の髪の毛と同じように全部が薄くなっていく。ひと月ほど前からそんな感じがしていた。広い通りはがらんとしたままだった。古新聞が一枚風に舞っていた。バスはのろのろ進んだ。対向車がすれ違うこともなかったし、通りには車一台走っていない。バスのアナウンスもなかったが、それを訝(いぶか)しく思うこともなかった。運転手と私だけだった。しんとした気まずい雰囲気だったので、次の停留所で降りることにした。停留所の前で、震えているのがわかった。左手の震えがあまりにひどく止まらなかったので、右手で押さえつけようとしたが無駄だった。ズボンのポケットにベッコウ飴があったので、それをすぐさま口に放り込んだ。
 

「あそこまで行くことができれば……」

「テーブルの上に鍵を置いておくよ……」

「これでほんとうにお別れだな……」

「またどこかで会えるさ……」

「そんな、思ってもいないことをよくぺらぺら喋るな……」

「お前がパニくっていたのはずっと前のことじゃないか……」

「お互い納得して、長い浜辺を歩いたよな……」

「ハマナスの花が咲いていた……」

「どうやるんだ?……」

「何を?……」 

いったい誰と喋っているのか。人っ子ひとりいない。バスは走り去った。モンポウのピアノ曲が聞こえたように思った。私は古い蓄音機で毎日レコードを聞く。あのピアニストもコルトーもファシストだ。カザルスとは反対の道を行った。白茶けた道が続いている。向こうまで行けば、砂だらけの果てがあるのだろうか。音楽は聞こえないし、それにここはスペインではない。天使が悲しげな目で見ていた。二度とおんぼろバスを見ることもないだろう。
 

昼に買い物から帰る前、通りのどまん中で人を焼き尽くす閃光を浴びたのだと思ったら、一面がガラスで覆われた高層ビルに動かない太陽の光が反射しているのが一瞬見えて、その光を浴びただけだった。熱線のシャワーを浴びて眩しさのあまりその場で死ぬのだと思った私は顔を両手で覆ったが、なんのことはない、ただの小さな気象現象にすぎなかった。ここまで来て、目の前にあるさっきと同じようなビルを見上げた。私はこの近代建築のビルをあらためて醜いと思った。嫌悪感どころか憎悪すら感じる。ところがもう一度見上げると、ビル全体を覆うガラスに映った風景がおかしいことに気づいた。ぐにゃぐにゃになった反映が見えた。ガラスに映ったものすべてが歪んでぐにゃぐにゃなのだ。思わず私は振り返った。世界がぐにゃぐにゃになっているではないか。笑い出しそうになった。私は人のことなど考えない卑劣な男である。世界などどうなってもいい。私はずっとこのぐにゃぐにゃの世界にいたのだろうか。私もぐにゃぐにゃだ。
 

隣に億ションがあったので、中を覗いてみようと思った。いつもはホテルのフロント係のような制服姿の感じの悪い従業員がいて中に入れないので、いい機会だった。入ってすぐ、こんなものかと思った。思ったよりずっと安普請だった。大理石に覆われた階段があったが、一見しただけで薄い大理石だとわかった。重厚感がまったくない。ゼネコンが下請けのまた下請けに丸投げするので、こんなことになるのだろう。ゼネコンはヤクザよりひどい。現在の大手の建築会社の前身をつくったような建築家たちはおしなべて立派な芸術家だったが、近代主義の建築家とあくどいゼネコンのせいで、日本中の街角がひどくお粗末になった。この建物は北側の大きな窓が全部吹き飛んでいたし、建物全体がしんとしてひと気が感じられなかった。住民は全員死んだのだろう。階段を上りつめたあたりに血がべっとりついていて、死体が三体転がっているのがちらっと見えたが、それ以上、上には行かなかった。ああ、ここはもういい、そうだ、向こうの表通りに出てみよう。どこか近くでまた犬が吠えている。通りに人影は見えない。角まで来て、落ちている犬の糞をけとばした。私は目を閉ざす。世界がどうなっていようともう見たくなかった。ちょうど通りの角でしばらく目を閉じていると、プラタナスの下で老人が自分の手のひらをじっと見つめている光景が瞼(まぶた)に浮かんだ気がした。しばらくして目を開けると、そんな昔の映像が堂々と目の前にちらつき出す。
 

ヴェネツィアにいる老人は癌で死にかけているが、ステッキを腕にかけ、自分の手相を食い入るように見ている最中なのだ。そうかと思うと、老人は自分の手を太陽のほうへかざし、強い日差しに手を透かしている。これがほんとうの手鏡だ。老人は誰かを呪っているのだ。手が赤い。おお、血が流れている。ヴェネツィアの大量の水が光を反射し、髭面の老人の顔を照らしていた。彼の名はエズラ・パウンド。イタリアの陽はとてもまぶしい。皺だらけの痩せた老人は目を細める。彼は詩人だった。ファシストか共産主義者か、五里霧中のなかでどちらかを生身で選択しなければならない時代だった。いや、そんなことはただの言い訳にすぎない。学者ってやつはそんな風に考える。世界は終わったのに、私はどうしてこんな幻覚を見ているのか。私も人を呪い続けていたのかもしれない。それこそがほんとうの愚行だった。 

だが目の前にちらつくこの老人の幻影、この映像はいったい何なのだろう。数年前に詩集を読んだだけで、エズラ・パウンドを研究していたわけでもない。昨日、競馬ですった帰り、町はずれの映画館で外国映画を見たからだろうか。つまらない映画だったので途中で眠ってしまった。ずっと別の夢を見ているようだった。時間のない、始まりのない夢だった。映画館を出て小さな洋食屋に入ったが、もう店じまいの最中だった。店のラジオが、明日世界は終わるかもしれないとがなり立てていた。レストランの主人はぎょろりとした目でこちらを睨んだだけで何も言わなかった。感じの悪い男だった。いま真昼の通りを歩く私は額の汗をぬぐう。パウンドのように手のひらを見つめたりしない。反ユダヤ主義者であったパウンドは私と同じように間違った、作家たちもまた間違いを犯した、反ユダヤ主義パンフレットを書いたセリーヌと同じように。そんなどうでもいいことを免罪符のように思い浮かべた。卑怯にもそれがただの文学にすぎなかったことを知っていたとしても、彼らの人生はおしゃかになった。彼らの場合はただの文学ではなかったからだ。世間から非難され断罪されてパウンドは言った、「私は冬眠する」、と。残されたのは「百数十体の壊れた塑像と数千冊の古書」……。
 でも私は違う。日本人である私は戦後に断罪されなかった。
 

私はかつて軍国少年であったことを人に対しても自らの記憶のなかでも封印してきたが、ファシストですらない私の人生もおしゃかになるだろう。民族主義者でもなく、排外主義者ではないのに、私は右翼だった。そんな思想などなかったのに、人にそう思わせておいた。左翼革命やとにかくヒューマニズムを主張する連中が嫌で、怖かっただけなのかもしれない。彼らが心底嫌いだった。その意味で私とは対照的であった老父のことを思い出す。あの確信的ファシスト! ぎょろっとした緑内障のあの目! 尊大で、頭の悪い男だった。私は父が嫌いだったし、恐れていた。だが父が母の墓前に佇んでいるのをたまたま見たことがあった。ただの哀れな男にすぎなかった。もしあの自殺した学生が父と対面したとすれば、顔を見ただけで学生は父の本性を見抜いて、傲然と侮蔑の眼差しを向けたであろう。しかしあらゆる物事を深く考えてこなかった私は自分をいま恥じている。私に思想はなく、本のなかに閉じこもるだけのただの臆病者にすぎなかった。日本などどうでもいいのに、国家の幻想にすがって生きてきた。思想や哲学や文学について語るチンケな大学教授、能天気なくせに陰気な卑怯者だった。このようなとき、時ここに至って、こんな憂鬱な気分になる自分がおかしい。笑うしかない。私は笑った。もう一度力なく笑った。死にかけている老人の幻がふいに消える。私はパウンドではない。私はただの老人である。どうせ死ぬのだ。老人を殴り倒せ! 一分はまだかろうじて過ぎ去らない。
 

血がしたたっていたはずなのに私はずっと歩いていた。これが人生でやった最良のことかもしれない。我にかえると、右足が吹き飛んでいた。ほとんど何も感じない。熱いと思っただけだった。私は破片のような右足を拾った。私はこれまで破片を拾ってばかりいた。破片は私の阿片であった。漆喰壁の埃がもうもうと舞っている。腹に10センチくらいの穴が開いている。大量の血をとめどなく吐いた。なまぐさい臭いがあたりに充満している。ひどい臭いだ。どこかでかいだことがある。私は死ぬだろう。もう何も思い出さなくていいだろう。だがたぶんそうはならないだろう。ちんけな言葉だけが残されるだろう。いや、私は繰り返し思い出すだろう。言葉なしに。私は目を閉じないだろう。すべてが消えることはないだろう。

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第166回 2024年1月





ある麻薬中毒者の記





鈴木創士


フィリップ・ソレルス『セリーヌ』(エートル叢書21)

「完全にってわけじゃない。」         
――ルイ=フェルディナン・セリーヌ

麻薬によって見出されるものなど何もないけどな、と風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者は口癖のように言った、しかも自分がラリっているときに。しかし元庭師はこうつけ加えるのを忘れなかった、麻薬以外のものよって見出されるものが何もないのと同じだけど……。当時、彼のほうはクスリのソムリエと呼ばれていた。

 すべてが数秒後に再開される。何も起こらなかったのだ。彼がずいぶん久しぶりに風采の上がらぬ元庭師にばったり会って話をしたとき、クスリはやめたよと答えただけで詳細を話さなかったのは、その必要がなかったからだ。風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者にとって他人の中毒症状の話などどうでもいいことはわかっていた。元庭師は昔からそんな感じだったし、二人の間でそんなやり取りは彼にとっても嫌だった。それに人の病気の痛みのことなど、場合によっては、他人にとってこれほど退屈な話はないのだし、あの状態のあれこれを風采の上がらぬ元庭師に対して蒸し返すのは彼にとってむしろ苦痛だった。彼は恥じていたのだろうか。いまからする話は、風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者ともう会わなくなってからのことである。時間は刻々と過ぎていった。

 どこかに捨ててきた記憶だ。そいつもまた襤褸(ボロ)から襤褸へと移りゆく。何の魂胆もなしに。つぎはぎの鶉衣(うずらごろも)のように。以前はボロにはボロなりのものがあって、それなりに色とりどりだったのに、いったん閉じた記憶をほじくり返したら鼠色一色になった。鼠色はだんだんまた白くなったりまた黒くなったり、色が微妙に変化していった。髪の毛の経年変化のようだが、染めたままほったらかしの剥げっちょろけの髪なんかじゃない。髪の毛に火がついたのでもない。いや、髪の毛の話なんかするつもりはない。だけど吹きすさぶ海風にあの海賊の金髪がなびくことはもうないだろう。

 あれは変転するお天気のようなものだった、と彼は云う。晴れもあれば、曇りもあった。そうじゃない。晴れと沼だった。間におが屑の塊のように曇りが挟まっていたが、やがてそれもなくなり、頭の上に沼沢がどんより広がるばかりであった。はじめからずっと自分のなかに変な窪みがあった、と彼は云う。泥棒をやめたときとかなりニュアンスは違うが、窪みは生々しかった。じょじょに体の外と中に灰色の空白は広がっていった。海にいるのか沼にいるのかあやふやになった。空白を俺は文字にすることができない、それをやみくもに埋めようとするだけだ、と彼は云う。カルゼール橋も見当たらない。太陽は歪んで黄色かった。以前は稲妻の走る絶嶺に雲がかかると、沼の気配が上から降りてくるのを待ち構えたりできたが、とうとう尾根すら見えなくなり、目の前にじょじょに広がり始めたどろどろの沼のなかに首まで浸かっているとどこにいるのかわからなくなった。あの窪みの嫌な感じを忘れることは決してないだろう。沼は海みたいに広くなった。どこの畔(ほとり)にも辿り着けない。意気さかんな海賊どころじゃない。やれることといえば晴れを求めるしかなかった。晴れと沼が交互に来た。だが不思議なことに、雨が降ったりすることはなかった。いつも沼天だった。

 クスリをきめると、すっかり晴れわたるので、へん、普段どおりのことじゃないかと思っていたが、いくら嘯(うそぶ)いたって、お天気のことばかり四六時中考え続けないでいるわけにいかなくなった。嘯くって誰に? 自分にだ。だが窪みはなくならない。皮肉なことに、ある意味、ものすごい集中力だった、と彼は云う。沼は頻繁になり、毎日になり、昼夜を問わず分刻みになり、朝起きるたびに来る日も来る日も見飽きた同一の風景となった。どうしようもなかった。それは文字を拒んだ。闇夜の海上にしだいに満ちてくる不吉な予感なんてやわなものじゃない。この永劫回帰に見舞われるとほんとうに何もかもお手上げだった。刻々と天気に振り回されて、そのことばかり考えるしかないなんて、いい加減うんざりするだけじゃないか。

 彼にはありとあらゆる麻薬の経験があった。摂取したことがないクスリは南米のアヤワスカくらいだったろう。最後はヘロインだった。彼のあらゆる経験の底にはその特殊な体験が横たわっていたことは間違いないが、単にそれだけのことだ。何の役にも立たない。だからとうとう彼はクスリをやめた。沼のせいでそうとう手こずった。ハードなクスリの二日酔いになると、澱というか泥の底にいた。沈むのである。自分だけではなく、まわりのものすべてが。だがもともとなぜか危機的状況への肉体的ともいえる嗜好のようなものがあったかもしれない、と彼は云う。自分のことなのに手に負えないし、ややこしい性癖だった。まったくはた迷惑な話だ。なぜ麻薬をやったのかということに関して、なるほど片一方にはその性癖があったのだろうが、あえて死の欲動や超自我の話をもち出されるとしらけてしまうし、そんなものはただの見当違いではないかとどうしても思ってしまう。たとえそうだとしても、どうなるものでもない。どうもすみませんでした、と言うしかない。ヤク中はたいてい井戸のなかの天邪鬼(あまのじゃく)だ。井戸のなかに泥があれば、それは如何ともしがたい。綺麗な水がほしい。ところで、クスリをやめた人間が危険な山登りの世界に首を突っ込むというのはうなずける。珍しいことじゃない。そんな連中を見てきた。脳にあいた穴から自分が抜け出すこともある。そこに人跡未踏の美しい雪原が広がっている。あの惚れぼれするような若き冒険家たちのように……などとはとうてい言えはしないが、怠惰なくせに感傷を退けなければならないことがわかっているという点で似ているかもしれない。もうクスリをやる必要がなくなっている、と彼の脳の片隅が主張して久しかった。しかもきれいにスパークしなくなって長い年月が経っていた。はじめの身震いがすっかり消えてしまった。夜の地上数センチ上を漂うあの浅くて甘い眠りも、はたまた自分がそこで息をひそめる凍てつくような世界の冷たい感触も薄れてしまった。だからといってやめるのは別問題だ。中毒なのだからかなり強い決心がいる。毎日、カファレルのチョコレートを食べていたわけじゃない。

 好きだったメルヴィルの小説『白鯨』をたまにぱらぱらめくっていたが、エイハブ船長が四六時中頭のなかから消えなくなった。クスリの影響下にあるときは、堂々とした金髪の海賊が甲板の先端に義足のまま立っているのが見えていたが、クスリがきれかかると白鯨の亡霊が波間に見え始めるような気がした。最初のうちは、船長はパイプをくわえていつもしかめっ面をしていた。禁断症状がはじまりかけると、白鯨の正体が何なのかつきとめようと躍起になった。はじめは沼沢を恐れるエイハブ船長であったし、海の上を漂っているつもりになっていたが、しだいに昼の海も沼の様相を呈し始め、しまいに白鯨が泥のなかにひそむ不穏な気配を消せなくなった。とうとう昼も夜もなくなった。腹心の部下たちは甲板から水の底へひきずり込まれたのか、どこにも姿がない。クィークエグもスターバックもイシュマエルも消えていた。エイハブというか彼のもう片方の足はまだもぎ取られていなかったが、泡立つ波しぶきを浴びていたはずのエイハブはやがて沼沢の泥水にまみれて息も絶え絶えになった。

 心臓が悲鳴を上げ、肺に水が溜まり、泥沼の水位が高潮のように上がっていた。もうすぐ虫の息になることは目に見えている。日常生活を取り戻すためだけにクスリをやるなんて最低の所業だ、と彼は云う。航海は厳しい。甲板の上でいろんなことをやりくりしなければならなかった。略奪した財宝なんかとっくに消えていた。それ以外は水の底のたまきび貝のなかに住んでいるのと変わらない。せいぜい船底まで螺旋階段を何度も駆け下りるだけの堂々巡りの徒労でしかないじゃないか。人ごとのようにそんな声が耳元で聞こえた。そいつは唸りを上げる海風が襲うように非難がましい。そんな空耳には辟易(へきえき))辟易したが、こんなものは序の口にすぎなかった。

 
だから徹底的にやめることにした。海賊の海ゆかばに別れを告げて閉じこもった。彼はやめることができた。まあ、ひどいことになった。禁断症状というのは医学や保健や衛生の問題ではない、と彼は云う。誰も知りたくないだろが、幸いなことに、知らないのは海の幸としか言いようがなかった。禁断症状は何度となく巡ってきたし、何度となくまたぞろクスリに手を出したが、今度こそこれを最後におさらばするつもりだった。大声で自分に喚きたかったのだ、どうもすみませんでした、と。潮風になびく海賊の黄金の髪が剥げて緑色になり、やがて白髪混じりになったのがいつだったのかもわからない。風呂にも入らず、べた凪を待った。そうはいってもいまにして思えば、結論から言って究極的にはどうってことはない、と彼は云う。不治の病に罹ったわけではない。前頭葉が溶けかけたか、ゼンマイが外れたか伸び切ってしまった脳の一部分が、あの経験を経験としてまだ覚えていることを別にすれば、彼の場合、肉体自体の禁断症状はたった一ヶ月程度か、さらにもう少しの我慢にすぎなかった。アッパー系のクスリなど肉体的禁断症状はほとんどないと言っていい。

 阿片アルカロイドつまりヘロイン系統の禁断症状は絶えずやって来たが、最後のやつは、これで最後なのだから、言うまでもなく一番ひどかった。こんな話は他人にも自分にも願い下げだけれど、とめどない汗も嘔吐も糞も発熱も鼻水も涙もくしゃみも、味噌も糞も一緒くたの感がする。海の水に浮かんでいたとしても、それは如何ともし難い。ちっぽけな個人的問題ではあるが、みじめなことこの上ない。これも美しい日本の私である。口から、あらゆる穴から、肉体が滲み出てくる。それでいてからからに強(こわ)ばったままあちこちが痛んだ。穿刺されているようだった。海ゆかばに浮かぶ肉体はひきつけを起こしたみたいに内側に折れ曲がり、滲み出た汗その他のものからみじめったらしい化学薬品の臭いがする。死人の臭いのする死の床でこんな愚痴をこぼしているのではないにしても、滑稽なまでに苦しげな喜劇だったと言うほかない。そいつは、つまり内側に折れ曲がった肉体は、自分のものではなくただの川流れの丸太のような肉体なのだが、この別の肉体という幻想を自分ではどうすることもできない。こうして痛みを覚え続ける肉体は、肉体としてその肉体が存(ながら)えることによって自身の肉体自体を辛抱できないのだ、と彼は云う。生きているのはお前でなく自分だけだと怒鳴り出す始末だし、生来、肉体というやつはわがままなのだ。

 本物のうんこは便器に座ってやった。便所までは行くことができた。クスリをやっている間はずっとひどい便秘だったが、クスリを切って数日すると、赤痢のような下痢が続く。もちろん、うんこを我慢することはできない。これだけは省略することができないし、かなり大変な事態だった。ケツを拭きすぎて血が滲んだ。肛門が切れた。ずっと水しか出なかった。笑ってしまうが、長い航海の果てに貴重なものに巡り会えたのでは決してない。便所へ行って、しばらくしてまた便所へ行く間に、とにかく死ぬほど眠りたいのにまったく眠ることができない。脈もひどく速くなっている。後生だから眠らせてくれと自分にわめいた。かなり熱が出ていた。熱を測る気力もない。かたく目を閉じても、目蓋の裏に白い薄墨が気味の悪い形を描いて押し寄せる。飲めないウィスキーを流し込んで、何とか切れ切れの悪夢のような一瞬の眠りに落ちるのが関の山だった。川を眺めていると、流木の上にたくさん虫がたかっているのが見えた。流木なんてどこにもなかった。骨の中がうずうずして軋む。骨髄のなかで重力崩壊が起きていた。あちこちの筋肉が金属のようになる。首や肩はがちがちでエイリアンの嫌うチタンの鎧をまとっていた。干上がった甲殻類みたいだった。

 へっ、目をつぶった。さようなら。自分に向かって手を振った。何度も吐きながら。胃は空っぽで、胃液以外に吐くものなどない。たまにヨーグルトを口にしても、すぐに全部吐いた。便器の底に自分の顔があった。知り合いに助けてくれとは絶対に言わなかったが、自分にはきつく言い聞かせた。ものを言うことはなかった。鸚鵡のように喋る気になどなれなかったし、言葉のほうが彼を峻拒した。どのみち相手はいないし、自分と問答するのは御免だった。いっとき自分のあらゆるものが曇天の下で鉛泥の重みによって停滞し、あまつさえ心臓発作を起こしたように完全に停止の憂き目にあおうと、凪を渇望したのだから、自分とのことさらのやり取りは遮断するしかなかった。これが麻薬をやめるこつだった。

 助け舟など来ない。来てもどうせ頼りにならない。そのなかには自分も混じっている。都会の村でつるむのが嫌だった。どんなに酷いことをやっていても、自分のことを棚に上げて言わせてもらうなら、もっと高尚でありたかった、と彼は云う。傷の舐め合いもごめんだった。当時、何年も友だちは消えていた。独りっきりだった。こっちから誰かと会う気など露ほども起こらない。クスリをやり続けていたときも犬とは喋ることができたが、街の看板を見ても嫌悪感しか覚えなかった。こんな毎日を送れば、やけくその神ですら逃げていく。何が悪いのか、どうしてそうなったのかを考えないようにしていたために一目瞭然の事態に陥ったのだから、木の葉のように荒波を漂う船の甲板に取り残されるほうがまだましだったろう。

 だがすぐに別の妄想が出始めた。昏睡状態というものにつねに憧れる小僧の神様が船の昇降口からいざり殿のように這い出てきた。小僧は這いつくばって甲板で四六時中吐いていたし、それなら小僧に任せて自分を忘れることができると思った。眠っていないのに目覚めがないまま繰り返されるくだんの底なし悪夢は続いていたし、小僧が海底で恐怖の叫びを上げるだけならまだ辛抱できただろうが、でもだめだった。そうはいっても小僧は半べそだった。禁断症状が下降線をたどり始めても、まだ眠られない。小僧が眠られないだけなのかどうか自分でも訳がわからなくなった。ベッドの上の海原は荒れすさんだまま、横になっても耳だけがあたりの物音をつぶさに拾っている。海鳴りのような音が脳のなかに家宅侵入して、そこにとどまって増幅し、内側から圧をかけて痛めつける。泥水のせいでむくんだ脳と筋肉が膨張したり縮んだり、それを繰り返しているようだった。つくづく自分の体を見た。見るものすべてが淀んで家の鴨居のように軋(きし)んでいた。腕や足、腰の筋肉や骨の中がおかしくなった。血管のなかの水位が上がりすぎてしまいに脳が破裂してしまうのではないか。

 もう何もかもが際限なく限界を通り越していた。果てが去っても、新たな果てが押し寄せ、繰り返しやって来る。エイハブよ、この暗い沼沢に果てはないのか。肉体がめくれ上がって、日干し魚のように干上がっていた。沼から山の尾根は見えなかったが、いくら向こうの谷底を流れる清水がかりに目の端に見えたとしても、今度こそ探しに行ってはならない。からだのひどい軋みはいかんともしがたく、水ほしさに心だけが飢えて、さらにかさかさになった。頼むから水をくれ。だめだ! 一日が異常に延びきっていた。君は苦しむことを受け入れた。とても長い一日だった、と彼は云う。毎日、昼が夜にへばりついて、朝になると出鱈目(でたらめ)な文句をぶつぶつ独りごち続けている。朝日が昇るのが見えた。ひとりでに呟かれる文句は何とか意味は理解できそうに思えたが、自分で口に出してみるとありえない文句だった。誰が喋っているんだ? それが何日も続く。朝なのか、昼なのか、夜なのか、どの時間が目の前を流れていくのか考えないようにした。考えたくなかった。そのうち何とかほんのそこまでなら歩いて行けるようになった。それでも時々、突然膝から力が抜けて、やっとのことで辿り着いた目と鼻の先の自動販売機の前でへなへなとくずおれた。タバコも買えないほど金がなかった。落ちているシケモクを拾ったし、どうしても甘いオレンジジュースが飲みたかった。最後の数日に食べたのは干からびたスイカ二切れだけだった。

 とうとう戦いは終わった。クスリを断ち切ってみれば人の体験を思い返しているようで、死んではいないし、発狂もしていないし、まあ、他の重篤な病気と比べても全然たいしたことではなかったのだろう。エイハブは消えていた。つまり一度も遭遇しなかったあの巨大鯨も。鯨はたぶん死の化身だったのだろうが、死神に出くわさなかったのは幸運だった。きっと船はばらばらになり、エイハブのように一巻の終わりだったろう。海上での真の戦いは思ったほど長い間ではなかったが、仇敵が友になることはない。彼の愛読書、ずっと読んできた『マルドロールの歌』は第六歌までで、第七の歌はない。第六の歌でおしまい。これで終わったと思った。ずいぶん久しぶりの晴れ間が見えた。戦いが終わっても、お天気のことなのだから、晴れと曇り、それに雨や暴風はしかるべくやって来るが、頭上の沼はきれいさっぱり消えていた。もう現れてほしくなかった。

 いろんな不都合も出来するし、ヤク中を続けていることにうんざりしたのは本当だ。それがやめた第一の理由だった。彼は麻薬を放棄した。いろんなものを放棄し捨ててきたのとまったく同じように。最良のやり方というものはあったのだろうか。麻薬を断つには医者もカウンセラーもいらないが、仲間が必要な場合もある。でも彼には仲間も必要なかった。わずらわしかった。それだけのことだ。性格も境遇も違うし、人それぞれだ。必要なのは仲間というより、むしろひとつの場所かもしれない。下界にひとつの場所があることが不可欠だ。彼の場合はひとりでいることができた。やめるのに長い時間がかかってしまったし、時間を無駄にしたといえば、そうだったともそうでなかったとも言える。彼は世界のへりから脱落しかけていたが、こんな風にやってもまだ自分から完全に脱落してはいなかったのだろう。それに読んでいたのはロートレアモンにすぎない。「言葉」にとって、こんなことはまだ序の口にすぎない。しかし実を言えば、今更こんなことを言っても全部きれいごとにすぎないじゃないか、と彼は云う。

 クスリをやめて何年も経ってからだが、ほぼ一年毎に巡ってくる内視鏡検査のときに病院で点滴注射を打たれるのはそれでもぞくぞくしないこともない、と彼は云う。自分のことのように君たちは笑うだろう。さっきも待合室の窓から紅葉をむかえた山並みが見えたが、木々に遮られて海は見えなかった。彼には季節の巡りは恵みのように思える。あの不吉な海に季節はなかった。長いあいだ季節が消えていた。ひとつの季節が終わり、またひとつの季節がやって来る。もうなんてことはない。少し緊張しながらも、顔をそむけず、明るい治療室で静脈に注射針が入るのを彼はわざと人ごとのように見ていた。あえて人ごとのように見るのは自分との密約だった。鎮静剤も点滴に注入してもらった。

 一度、肩を骨折して外科手術をやった後、術後のあまりの痛みに我慢できなくなり、何度もモルヒネ注射を要求して看護婦に激怒されたことがあった。焼鏝(やきごて)を押しつけられているようだったし、痛いというより熱かった。だが彼は自分をひきとめたのではなかった。当然、人より麻酔が効かなくなっていた。もちろん彼女は打ってくれない。夜になってそれでもあまりに痛みがひどいので、阿片系合成剤であるオキシコンチンを要求してみたがそれも拒否された。だけど内視鏡手術の際の鎮静剤なら看護師にも怒られたりしない。よく効く人ならすぐに眠ってしまう量の鎮静剤も、彼は耐性ができているのであまり効き目はないが、それでも必ず打ってもらうことにした。病院の窓の外で小鳥が囀っている。儀式みたいなものだ。たまにやる、ほんの少しの余興。一時間くらいほんの少し気持ちがいいだけ。たったそれだけだ。異物摂取への耐性というものがある。鎮静剤であってもそれが効き目の深さと時間を左右する。自分でクスリを摂取しているヤク中の場合、彼が若かったとしても、すぐに耐性ができてしまい、クスリが効かなくなる。脳へのキックがなくなってくるので量がどんどん増えていき、しまいに致死量に達してしまう。若いヤク中のオーバードーズ死はこのケースが多いはすだ。

 あちこちガタがきていたので、気分を変えようと海沿いの隣町までよく出かけた。万葉集にも出てくる町だった。この辺りの空はいつも晴れている。バイクを坂の下に停めて、水琴窟のある月照寺と柿本人麿を祀る人丸神社までいつもふうふう坂を登る。体力が極端に落ちているので、こんな石段でも四苦八苦だった。登る前に坂の下にある亀の水で水を汲んで飲む。こっちの水は甘い。丘に立つといま来た迷い坂の下のほうを何となく振り返った。神社のすぐそばに稲垣足穂が「星を売る店」という作品を書いた茶室跡があったはずだ。近くに老舗の茶店があったが、彼はその茶店で甘酒を飲むのが決まりだった。うどんも食った。いつも茶店はがらんとしていた。多幸感に浸った。子午線標識があり、南側には海を望む天文台があり、そのあたりに足穂のいた茶室跡があったらしい。そこでプラネタリウムをやっていたけれど、一度も行く気がしなかった。本物の星空のほうがいいに決まっている。でも夜空を見上げても、星の軌道はずれたままだった、と彼は云う。心のなかに望遠鏡を持っていなかったので、遠くの惑星は見えなかったし、目に見える本物の天体はどれも痛ましかったが、苦しみの対象を映し出すものではない。はっきり言って、星のせいなんかじゃない。俺はグノーシス主義者じゃない、と彼は云う。過ちは星々ではなくわれわれのなかにある、というカエサルの言葉を思い出した。星空の下で賽はすでに投げられたのだった。

 クスリの後遺症なのか、またしても心臓が拡張し悲鳴を発していた。自分が好んでやったことなのだから、誰にも、電信柱に対してさえ文句は言えない。どうしてそうなったのかと問い詰められても、はかばかしくは答えられない。どうもすみませんでした、と言うしかない。肺も溺れそうになっていた。医者にはいい加減に答えることができても、あるいは心得ない風を装ってまた自分を騙してクスリを再開しても、この状態で肉体は存(ながら)えているのだから、そいつはさらに一段下へと下がり、またぞろそこにすべてが落ち込むことになるのは火を見るよりも明らかだった。

 だが彼はしばらくからだを治すことに強い関心を持てなかった。歩行困難にもなったりしたが、たいしたことはなかった。みじめだと思わなかった。痩せ我慢かどうかは自分でもわからなかったが、彼はむしろ病んだからだがそのまま嫌いではないと感じる。天罰を、言ってみれば、味わった。この感情は彼の生活のなかに解決不能のディレンマのように巣食っていたが、何か深いところにある負の様相の反作用であり、そして希望であり、あの星からの悪い知らせを宛先のないまま投函する行為をあらかじめ自分のなかで体現し、それからその行為自体を放棄したということなのだろうか。そうかもしれない。だがこの程度なら……。それに自業自得だ。人が思うよりまだずっと痛みを感じる自分の体だったが、それを他人の体のように感じることができないこともない。自分の外側から自分の肉体を意識し続ける舞踏家ならそれをわかってくれるはずだ、と彼は云う。

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第165回 2023年12月





ロートレアモン





鈴木創士


ロートレアモン『マルドロールの歌』
鈴木創士『サブ・ローザ


 ロートレアモン伯爵。本名イジドール・リュシアン・デュカスは、一八七〇年に死んだ。二十四歳だった。伯爵は嘘で、貴族ではなかった。

 フランスは動乱の季節を迎えていた。一八四八年、二月革命が起こり、その後ナポレオンの甥ルイ・ナポレオンがクーデタを起こし、ナポレオン三世となる。この第二帝政への激しい苛立ちと怒りをパリの労働者たちは募らせた。一八六〇年代に入ると、状況は一変する。フランス革命のサン・キュロットやジャコバンの気風が残っていたが、プルードン主義もあった。マルクスの影響下、第一インターナショナルが旗を揚げた。いかにプロイセンに抵抗するか、いかにティエール政府を叩き潰すか。革命的ジャコバン派やプルードン派の他に、ブランキ派が台頭してくる。首領はルイ・オーギュスト・ブランキであったが、彼はずっと捕らえられたままであった。外国との戦争、普仏戦争が勃発した。この危機のさなか、ブランキ派は「帝政打倒、武器をとれ!」と蜂起を扇動したが、失敗に帰す。ブランキ派となった女性アナキスト、ルイーズ・ミシェルもいた。彼女ははじめて黒旗を掲げた女性革命家である。フランスは内憂外患の板挟みになっていた。国軍の負け戦だった。第二帝政はあっけなく崩壊し、ナポレオン三世は捕虜となり、共和制の樹立が宣言される。ヴィクトル・ユゴーはパリへと帰還し、うんざりしっぱなしの少年詩人ランボーは故郷の町なんか外国に占領されてしまえと思っていた。

 パリではひどい食糧難が続いた。肉、パン、野菜、米が配給された。それも見る見るうちに乏しくなった。犬、猫、鼠も食べられるはめになった。パリ二十区共和主義中央委員会が発足する。コミューン政府の選挙が行われ、画家ギュスターヴ・クールベも議員に選出される。クールベはヴァンドーム広場にあるナポレオンの円柱の破壊を先導した。革命の機運が高まっていった。あちこちで蜂起が起こった。バクーニンも市庁舎を占拠したが、逮捕され、その後亡命する。九万人の市民がコミューン派の隊列に加わった。ロートレアモン=デュカスが死んだ数日後、プロイセン軍の包囲はますます厳しいものになっていた。デュカスの死の三ヶ月後には、プロレタリア独裁が宣言される。コミューン万歳! コミューン政府の樹立だ! 

 そしてデュカスが死んだ半年後、ヴェルサイユ軍による虐殺が始まった。ティエール率いる敵による虐殺は激化し、「血の週間」が始まり、バリケードは陥落し、凄惨な市街戦が方々で勃発する。あちこちで処刑が行われ、血みどろの戦闘が続き、おびただしい数の市民が犠牲になった。酷い死体だらけだった。家出少年ランボーはパリをうろつき、そんなパリを自分の目で見た。おまけに天然痘や腸チフスも猖獗(しょうけつ)をきわめた。

  一八七〇年十一月二十四日、ロートレアモンことイジドール・デュカスはフォブール・モンマルトル七番地の木賃宿の部屋でひと知れず死んでいるところを発見される。部屋にはピアノがあり、トランクが一個残されていた。彼がどんな日々を送っていたのかはわかっていない。死因については諸説ある。熱病による病死、ベラドンナの過剰摂取による中毒死、政治的暗殺、栄養失調による餓死、自殺などいろいろだが、真相は突きとめられていない。暗殺、中毒死、自殺のうちのどれかであろうと思われるが、いずれにせよこのコミューンの時節のなかでその寿命は尽きたのである。ロートレアモンは二冊の本と数葉の手紙を書き残した。時の経過は修復不能であった。

 庭師のバイトをさぼって彼の部屋にいたときに、右のようなロートレアモン伝をひとくさり風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者に話してみたのだが、彼はあの愛想のいい笑みを浮かべただけだった。一度だけ、元庭師が言ったことが耳に残っている、「ロートレアモンはほんとうに実在したのか?」

 これまでも彼は、ずっと若い頃から病院以外のいろんなところで『マルドロールの歌』を読んでいた。意思がそうさせたのではなく、むしろ偶然によるものだった。いまならそう断言できる、と彼は云う。そうはいっても、何年たとうが彼には『マルドロールの歌』をすっかり理解しているとはとてもじゃないが言えなかった。クスリの記憶はいつも過去の阿呆船から見上げる曇天のほうを向くばかりであったし、本はつねに明後日の気象図か海洋図のそばに置かれていたのだけれど、羅針盤の風の薔薇は擦り切れてすでに何の模様かわからなくなっていた。針も錆びついて狂ってしまっていた。東のエウロスも、西のゼピュロスも消えていた。それにしてもかつては何と正確な航海だったことか! もともと風には名前があったのに、いくつもの名前はごちゃ混ぜになった。羅針盤はもう役に立たない。ルネサンスの発明もかたなしだ。正確な航海にあれほど憧れたのに、今日の航海、この羅針盤、この瞬間、この風向きで、マルドロールについては、それに自分については何もわかっちゃいなかった。舟の揺れを別にしても、この本自体が彼の眼前で物体として落ち着きを失ってしまっているかのようなのだ。

 郊外の駅のベンチ、あたりは薄暗く、白銀の電灯がぼんやり照らすベンチに座って読んだ。昔ながらの静かな喫茶店、ジャズ喫茶、客もまばらな蕎麦屋、留守番を仰せつかった友だちの部屋、ダムのそばに駐車した車の中、林のなかを通る小道に車を停めた。一面緑の川岸、橋の下、誰もいない冬の浜辺、公園、自分の部屋、寺の縁側、池の畔、昼間の墓場の鐘撞き堂、山登りの老人たちが早朝に集う山の尾根の茶店、区役所の外のベンチ、バス停……。立ったまま山麓のでかい岩にもたれて読んだ。谷底から川のせせらぎが向こうに聞こえていた。もう水を求めたりしない、と彼は云う。ただせせらぎの音を聞いているだけだ。原っぱに寝そべって読んだ。どこを読んでいるのかわからなくなった。どちらかと言えば、昼間に読んだ。早朝か、それとも光があまねく充満した後、太陽が翳りはじめ、風景の輪郭が稀薄になり、もう光を意識しないでいられる午後の終わりとか。本から顔を上げて、空から少しずつ光が消えていくのを見た。

 ほぼ同時代を生きたアルチュール・ランボーのように、新しい言語で書くこともできただろうに、と彼は云う。ロートレアモンはそれをやらなかった。二十四歳で死んだので、ランボーより十九年先に早死にしたけれど、察するに、無名のままそれでも物を書くことを諦めきれなかったのは必然的なことだったとも思える。ランボーは二十歳そこそこで詩を書くのをやめたのだから、ロートレアモンが死んだのとランボーが沈黙したのは、ほぼ人生の同じ時期だったことになる。人の一生なんて誰にもわからない。ランボーのほうは一八九一年に足の痛みで歩けなくなり、アフリカのハラルで担架に乗せられ、フランスのマルセイユへ送還された後、右脚を切断された。それから半年後にランボーは死んだ。彼なりにずいぶん長生きしたものだ。三十七歳だった。

 普仏戦争とパリ・コミューンの時代。革命は敗北した。勿論ロートレアモンが反革命であったわけがないが、あくまで古典的文体で書いた。内容のほうはとてもじゃないが古典作家には書けなかったようなしろものである。その点では、ランボーと違って、形式と内容が一致していないようにも思える。理性と非理性の関係はそれ自体この際あまり意味がないが、彼があちこちで何度ロートレアモンを読み続けても、どのようなものであれ非理性には際限がないような気がずっとしていたし、そのつど息急き切ってこれで終わりだと思う時点で、理性的にはたいして理解できていなかったのはそのためだったかもしれない。メーテルリンクもレミ・ド・グールモンもレオン・ブロアもとても早い時期にロートレアモンを発見したが、理解できなかった。

 ロートレアモン自身もまた、同時代の本をたくさん読んでいたはずだ。結局ロートレアモンは本を書いたが、想像するに、それでも作品を書かないあれらの詩人たちの一員だったのかもしれない。彼らは社会のほとんど底辺にいるのと変わらなかったが、ロートレアモンには社会の仕組みを利用してやろうという気などさらさらなかった。彼の野心は彼の書いたもののなかにしか発見できない。陰気な男だったろうし、それなりに嫌な奴だったかもしれない。だがロートレアモンはいずれにしてもラモーの甥ではないし、道化ではなかった。道化でないなら、犬儒主義をいったん抽斗(ひきだし)にしまって、あらためて他人をじっと観察し、他人を読む以外他に方法がなかったのかもしれない。陰気な顔をしたロートレアモンが覗きでもやるようにパリの公園で道行く人々を観察する様が目に浮かぶ、と彼は云う。ロートレアモンは当時の科学書や三文小説を批評するかわりに剽窃(ひょうせつ)した。剽窃したというより、参考にしたと言えばいいのか。違う。普通に言われる参考や参照ではなく、剽窃だ。参考や参照より勇気があって大胆だし、わざとなのだから、文体からしても内容からしても実験としてより直接的効果があるように思う。それは、ロートレアモンがとても律儀な作家であり、生真面目で、慎重周到であり、気狂いではなく、作家として力量があり、目がきかない知識人や、自意識過剰で舌足らずなどこかの幼稚な奴でなく、知的で、とても現代的であったことの証明にすぎない。

 読んでいる彼にはそのつどつねに時間がない。読もうが本を閉じようが、カント読みの老小説家がヘーゲルの言葉を借りて言うように、瞬間は髪の毛一本先を逃げてしまうし、いつだって辿りつくべき着地点がない。視線を落としたまま、時間の経過が彼を苛んでいる。文学好きのどこか僻地の外交官のように、あるいは人並みに、優雅に無聊(ぶりょう)をかこっているのではない。少なくとも思考の速度、その歩みの早さをその場で捉えることが先決だ。耳が感知する音速を超えねばならない。あながち答えがないことを薄々感じてはいても、これでは強引すぎるというものだろうか。物心ついた頃からそいつは永遠の問題であった。

 彼は仕事に復帰している。細々と物を書いていて、それがどうにか仕事になっているかならないかである。ほっといてくれ! だがほんとうの意味(ほんとうの意味?)で立ち直っていないことは自分でわかっている。何から立ち直ればいいのか。快復? 何から回復するのか。回復して何かになるのか。偶数を2で割るようにはいかない。大問題だったにしては、クスリなどたいした問題ではなかった。性根が腐っているのだろうか。それとも白痴なのか。傲慢なのか。だが立ち直るには、自分を顧みるような時間の緩やかな経過を退けねばならないことがわかっていた。その誰も関知しない嘘くさい時の経過というやつは、ほとんどあからさまな妨害に近かった。しかもポケットは穴があいたままだ。歩くたびに何かを落っことした。

 時が経つにつれて外へと延びる系列は、本質をもたないルーティーンのように不当にも遠くまで続くだけの平行線であることがわかったし、彼にとってもはやあずかり知らない一昨日にしかない。過去と未来は連続することなく無限に分割されるのだから、未来はそれでも続いていくように見える。いったい誰の時間なのだろう、と彼は云う。彼だってそんな時間のなかにいればなすすべがなく、結局彼はいまも無能なままなのだ。セリーはもちろん無調であって、たまには怒りの双曲線を辿ることもある。しかしセリーはただただ下降しているだけのように見えることがある。もって瞑すべし、と言わねばならない。

 自分と同じようにロートレアモンには生活らしい生活がなかったのだと考えてみる。だが相変わらず彼は『マルドロールの歌』がすっきり理解できない。見上げると、真っ黒な森の上に申し合わせたように月が出ていた。アルテミス、ヘカテ、ポイペ……。それは雨もよいの空に霞む朧月だったのか。いや、そうではない。堂々たる赤い満月だ。
 『マルドロールの歌』には大天使が現れる箇所がある。ミカエルやガブリエルではなく、蟹の姿で。大天使は殺されて、役立たずになった。蟹の死骸が転がっていた。しかし、たとえマルドロールが悪の化身だったとしても、ロートレアモンは悪魔の大将に大っぴらには依存しなかった。悪の書なのだからわざととしか思えない、と彼は云う。故意の言い落としだったのだろうか。

 だがロートレアモンは大勢の堕天使たちがいることを知っていた。真っ逆さまに墜ちてゆく奴らの気配を背後に感じていた。天使の軍勢もいるが、堕天使の軍団もいる。アザゼル、古い奴だ。人間の女と交わったバラキエル。グリゴリという堕天使の軍団がある。シェムハザ、アルマロス、コカビエル、タミエル……。みんなもともと天使だった。これらの名前は風に吹かれて吹き飛んだ風の名前であり、そのまま海上を漂っていたのだし、とんでもなく古い空気の変異のままいまも宙を舞っているが、霧消することはない。

 彼は病院から出ると、歩きながら『マルドロールの歌』のなかで何を覚えているかいつも確認しようとした。病院の前には大きな欅(けやき)の木がある。そこまで来るとホルマリンや消毒液の幻臭が消える。我に帰ると、何度も読んだのに彼が覚えているのはそんなに多くはなかった。峻厳な幾何学のように群れをなして飛ぶ鶴、寒がりの鶴、鱶(ふか)、ニシキヘビ、蜘蛛、蟹、蟋蟀(こおろぎ)、菊、エジプトの守護神で糞(ふん)ころがしのスカラベ、石あるいは木、墓掘り人夫、ファルメールの金髪、葬列、チュイルリー公園、ミシン、蝙蝠傘、手術台、絞首台、ヴィヴィエンヌ街、黄色い花のようなリボン、パンテオンにぶら下がる骸骨……。最後の骸骨については、モンパルナス墓地の地下納骨堂の棺のなかに横たわる干からびた古い骸骨か、ヴァン・ゴッホが描く煙草をくわえた骸骨を思い出した。骸骨の幻影は骨がばらばらになろうと、ぎくしゃくそこら辺をいつまでもうろうろしていたはずだ。それから英国人マーヴィンを殺そうとする黄金の髪をした海賊……

 怪物(レヴァイアサン)たちだけじゃない。別の海がある。何といっても、「第一の歌」の絶唱、あの広大で深い海原があった。
 
「俺はお前を讃える、老いたる大海(わだつみ)よ!」
 なんて素晴らしい一節だろう。まるで「天使祝詞」、聖母マリアへの祈りみたいだ。「天使祝詞」の冒頭はフランス語で唱えるとこうなる。 Je vous salue, Marie. 「私はあなたを讃える、マリアよ」(こんにちは、マリア様)。ロートレアモンは海を渡ってウルグアイのモンテヴィデオからフランスへやって来た。大西洋を漂う船から見たとおりにロートレアモンは書いたのだ。Je te salue, vieil océan ! 「俺はお前を讃える、老いたる大海(わだつみ)よ!」、と。別の訳し方をすれば、「お前に敬礼するぜ、よぼよぼのわだつみよ!」
 
アヴェ・マリア・グラティア・プレナ。「天使祝詞」の同じ言葉でも、ラテン語だとロートレアモンから離れてしまう。「めでたし聖寵満ちみてるマリア」。だがヴェネツィアの海の気配が迫る墓のなかには音楽家モンテヴェルディが眠っている。その宗教曲はこんな風に始まる。アヴェ・マリス・ステラ……。「ごきげんよう海の星……」。この海の星でもう一度ロートレアモンへと戻るわけだ。老いたるわだつみの上に海の星が一個輝いているのが見える。海上の闇夜もまた茫漠として、しかも夜は老いている。大海にひろがる闇夜に響き渡る声はつねに重々しかったが、すでに落雷によって感電していた。海上ではいうまでもなく感電しやすい。俺は感電した。お前もだ。青々とした痣(あざ)よ、俺はお前に命令する!

  ロートレアモンは人を殺したことがあったのだろうかという考えがふと頭をよぎる。フランスの作家で言えば、ヴィヨンもラスネールも強盗だけでなく意識的に人殺しをやっている。イタリアにもいろいろいる。画家カラヴァッジオは喧嘩で、彫刻家チェッリーニは喧嘩か決闘で、音楽家ジェジュアルドは妻とその愛人を惨殺した。ロートレアモンはさすがに殺人は犯していないだろうが、猫を殺したことがあるかもしれない。動物虐待などというあの種の犯罪は虫唾(むしず)が走るとはいえ、ロートレアモンを読んでいるとそんな気分に襲われる、と彼は云う。『マルドロールの歌』に没頭すると、マルドロールとロートレアモンの見分けがつかなくなることがある。つまり作者の観念が曖昧になり、誰が記述者なのか、ほんとうは誰が書いているのかどうでもよくなるのだが、そこには何となく犯罪の臭いがする。靄のなかに禍々しいものが見える。『マルドロールの歌』とはまったく異なる、自分の「悪癖」を認めながらも、人を完全に突き放し煙に巻いたようなもうひとつの作品『ポエジー』を読んだ後でもそれは変わらなかった。けちな猫殺しのロートレアモンのイメージを脳裡から払拭することができなかったが、たぶん間違った読み方なのだろう。風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者ならどう考えただろう。パリには猫がたくさんいる。選り取り見取りだ。墓地をうろうろしているやつはまるまると太っている。土葬なのだから、屍肉を食べているのだろう。サルバドール・ダリが描いた想像画とはまるで違って、発見されたロートレアモンの写真を見るととても暗い顔をしている。

  アルゼンチンの作家フリオ・コルタサルの短編小説に「もう一つの空」という秀逸なやつがある。コルタサルは、そうとは名指さずに、ロートレアモンを切り裂きジャックと並べて登場させている。その暗い顔をした寡黙な青年は紛れもなくロートレアモンである。コルタサルは作者も出典も記さないまま、『マルドロールの歌』の「第四の歌」と「第六の歌」から文章を二つエピグラフとして引用しているのだからなおさらである。「この目はお前のものじゃない……どこから取ってきたんだ?」、「ガス灯はどこへ行ってしまったのか? 春をひさぐ女たちはどうなってしまったのだろう?」
 結局ロートレアモンは殺人鬼切り裂きジャックではなかったが、ロートレアモンとおぼしき青年は、いつもパリ・ヴィヴィエンヌ街近くのパッサージュの酒場の片隅でひとりアブサンをちびちびやっている。クスリをやってひとり静かな喫茶店で沈殿していた頃のあれこれがなぜか思い出された、と彼は云う。酒もいける口だった風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者によると、アブサンはニガヨモギが原料で、黒い草(チェルノブイリ)の苦い酒だそうだ。「天から星が一個水のなかに落ちてきた、水がニガヨモギのように苦くなって人が大勢死んだ」と黙示録のヨハネは言っているらしい。つまり我々はいつも苦い酒を前にしている。不在の(アプサント)アプサント(アブサンはフランス語でアプサントと言う)もまた苦い。アブサンは不在の女(アプサント)、そこにはいない女なのだ。
 実を言えば、ロートレアモンが切り裂きジャックであってもなくても理屈としてはどうでもよかった。ともあれロートレアモンに悪事を活用する才能があったことは確かである。最近はもう病院でしか『マルドロールの歌』をめったに開かなくなった。悪い傾向だ。それだけじゃない。まだ鱶がいるかもしれない広々とした海はいつものように瞼の裏に見えるのだが、ロートレアモンは金髪ではないし海賊でもなかった。

  今日、彼はまたしても病院の待合室でロートレアモンを読んでいる。病院は嫌いではない。死と隣り合わせであるからだろうか、昼の病院は平和である。でも平穏な心のなかで、腐食していくものとしないものがある、と彼は云う。骨の中や外で軋むものとそうでないものがある。目の前に小さなものとそうでないものがある。むこうの垣根のさらに向こうに無辺のものとそうでないものがある。おまけに打ちひしがれたものとそうでないものがある。すべては経験であって、経験には意味がない。

  空気を入れ替えるためにさっき窓を開け放った。彼は目の前にある暗がりに立つ樫の大木を見上げる。さっきの月があやうく枝の間を動いている。万年筆を買った。明後日、また病院へ行かなくちゃならない。内視鏡手術がある。

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第164回 2023年11月





慙服は我にありや

四方田犬彦『大泉黒石 わが故郷は世界文学』書評




鈴木創士


四方田犬彦『日本映画は信頼できるか
四方田犬彦『俺は死ぬまで映画を観るぞ
四方田犬彦『蒐集行為としての芸術




 文壇を追放されかかっていた頃、「国際的の居候」である作家大泉黒石が世に問うた『人間廃業』の冒頭にはこうある。この本は評判を取った初期の作品『俺の自叙伝』を全編改題した『人間開業』と同年に刊行された。 

 「慙服(ざんぷく)」という文句がある。「北史李賢伝」の中にある。恐れ入って赤面することだそうだ。そこで今に偉くなってお目にかけますから見ておいでなさいと、親の前で見栄を切ったが、一向偉くならんので慙服して坊主になったのが聖オウガスチンだそうだ。今度の戦いには拙者、はなばなしく討死つかまつり、家門のほまれを後の世の語り草に致すでござろう、と親のまえでは立派な覚悟のほどを見せて置きながら、戦場へ出ると何時も生き長らえて退却するので、親に愛想をつかされて慙服のあまり、腹を切ったというのが山名氏清の悴だ。 

 大泉黒石は坊主にもならなかったし、切腹もしなかった。しかし忘れ去られた感のある作家大泉黒石の波乱万丈の生涯は、愚鈍な私小説や自然主義小説、あるいはその凡庸な作者たちと比べても小説以上の何たるかであったのだから、黒石の伝記的事実を本書の年表にしたがってぜひとも簡単に列挙しておきたいと思う。この際、作家の人生か、はたまた書かれたテクスト、どちらが重要か、どちらかを選択しなければならないなどとは言ってはおられないのである。私はその点で我々にはかつて馴染みであった近代文学批評の流儀を無視する。なぜなら当時の差別的な社会と拙劣な文学環境に身を置いたこの「異人風」の作家の生涯は、おのずと我々に多くの事柄を物語っているのであるし、歴史をかえりみない現在の我々の社会の根幹とさらに悪化の一途をたどる文学環境は、何ひとつ変わっていないからである。著者四方田犬彦は現在ではもう読むことができない忘れられた黒石の作品をほぼあらかた通読し、極めて克明にその足跡を掘り起こしているのだが、おおいに情熱をもって書かれたこの力作は、以上の意味でもまた、きわめて切迫して現代的なのである。

  驚愕すべき年表である。
 一八九三年(明治二十六年)、長崎に生まれる。父は、ロシア人外交官アレクサンドル・ステパノヴィチ・ワホーヴィチ、母は旧士族の下関税関長の娘であったが、母とは早くに死別。戸籍名は大泉清、ロシア名はアレクサンドル・ステパノヴィチ・キヨスキーと名乗る。清は母方の祖母に引き取られる。十歳のとき父の勤務するロシア領事のある漢口へ渡るが、父はまもなく死去。父方の叔母に連れられロシアへ向かい、小学校に入学。一九〇三年ごろ、父の故郷でトルストイと出会い、生涯にわたる影響を受ける。日露戦争後、フランスに移り、リセに在学。素行不良のためリセを退学処分。スイス、イタリアを経て帰国。長崎の中学を卒業後、社会主義に関心を抱く。二十二歳のとき、モスクワへ戻り、高校に通う。二月革命勃発、ペトログラードで虐殺と強奪を目撃し、身の危険を感じて帰国。旧制第三高等学校(現在の京都大学)の学生となり、在学中、幼馴染の福原美代と結婚(四男五女を得る)。学費が払えず、三高を退学。東京に移り、旧制第一高等学校(現在の東大)に在籍するも、父の遺産が尽き退学。ロシア文学を研究し『トルストイ研究』に寄稿。筆名は大泉黒石。シベリア出兵。帰国後、ロシア・ジャーナリストとして活躍。ロシア物、『私の自叙伝』、怪奇短編、長崎物、『俺の自叙伝』などを続々と発表。作家としての評判が高まるが、すでに文壇作家久米正雄らに警戒される。長編小説『老子』が伏字だらけのままたちまちベストセラーになる。同じく文壇作家村松梢風、田中貢太郎らが黒石の誹謗中傷を始め、黒石は嘘つきでロシア語ができないなどという虚偽の風評を立てられる。俳優志望で日活向島撮影所に入社するも、脚本顧問となる。怪奇推理小説「血と霊」がデビュー間もない溝口健二によって映画化。しかし関東大震災もあり、この表現主義的な前衛作は評判にもならず挫折。その後、短編小説などを盛んに書き継ぐが、頼みの綱であった『中央公論』への寄稿も次第に困難となり、国粋主義者や混血児排斥論者たちの風当たりが強くなる時節、ますます文壇から敬遠される。三十五歳ごろ、一般雑誌への寄稿がほとんどなくなり、生活は困窮する。今までの傾向から離れ、渓谷歩きや山の本をいくつか出版(このような本にも老子の思想が偲ばれる)。四十八歳のとき、長編『おらんださん』を刊行し、小説家として復帰。四十九歳、美代と離婚。菊池某なる女性と同棲。戦時中は阿片戦争物などを書くが、筆名は本名の大泉清。アナーキスト作家大泉黒石としては自作を恥じたのかもしれない。敗戦後、進駐軍通訳官の職を得る。仕事の余録としてコーヒー、ウィスキーなど多くの進駐軍物資を得て、それを横流ししたりする。ご時世柄、いわゆるオンリーのための英文の恋文代筆などもやり、糊口をしのぐ。しばらく元妻美代宅に居候。昭和三十二年、六十四歳で横須賀にて脳溢血により逝去。

 あまりにスケールのでかいコスモポリタンであった大泉黒石は文壇から嘘つき呼ばわりされた。何しろ後に日本文学報国会事務局長となる久米正雄や日本の侵略戦争を賛美する「支那通」の村松梢風たちである。これらの権力的文学者たちは言うまでもなく読むに値しないクズであると私は考えているが、その結果、最後には出版社という出版社から黒石は締め出されることになる。著者は夢野久作と黒石を比較しているが、夢野久作という名前にしてからが「ありえぬ綺想を平然と口にして周囲から馬鹿にされる痴れ者」という意味であるらしい。いや、彼らは単なる「嘘つき」ではなかった。黒石の文学者としての虚言への、あるいは言うところの虚言家への非難のほうこそが、ほとんど児戯に等しいそれこそ「虚言」すれすれのものだったと思われるが、それを本書の著者四方田は柳田國男とオスカー・ワイルドを挙げながら文学や説話における「嘘」について論破している。現在もこの陳腐な批判的傾向はSNS上などで毎日目にすることができるし、それ自体大きな「嘘」に基づいていて、しかもそれに紛れて一体となっているように思われるのだが、そもそも黒石を批判し、悪口を流布した私小説派が「真実」あるいは「真理」を表現していたなどといったい誰が考えるだろうか。「嘘」と「真実」が作家のエクリチュールにあって矛盾しないというか、同時に並列されることは当たり前の話である。「事実」しか書けなかったのであればただのヘボ作家のお仕事であるが、私小説家たちはそんなことさえ知らなかったのだろうか。彼らは文壇における多数派であったが、多数派はつねに間違っている。一方的な馬鹿げた讒言の余波が黒石の身に実際にまともに降りかかったのだが、このようなことが起きること自体、日本の文学環境はあまりにお粗末としか言いようがないし、恥ずべきことである。しかしここには一般的に言って「差別」というものの本質が隠れているのかもしれない。

 黒石の相貌はまさに外国人のそれであった。彼はそのことによって作家になる前からひどい差別と多くのいじめを受けてきた。著者はその点で市井のフランス文学者だった平野威馬雄を挙げているが、彼らはともに外見的に「あいのこ」である(麻薬中毒だった平野は後に立ち直り、旺盛な社会活動に邁進し活躍するが、対照的に社会に背を向けた黒石は晩年アルコールに耽溺し、尾羽うち枯らした)。しかもあのような早い時代に黒石はトルストイの知己を得ている。トルストイの名声はすでに世界に轟いていた。何と、どこかの外国の不良少年があのアナーキストの文豪と親しく現地でその謦咳に接したたことがあったのだ! 嘘かまことか、おまけにそのエピソードや真情まで披瀝して。日本人離れしているとはこのことだろう。黒石はロシア語、ドイツ語、フランス語、英語など数カ国の外国語を操ることのできるポリグロット(多言語使用者)であった。黒石は精力的に仕事をしたロシア文学者であり、ゴーリキーを愛し翻訳し、他とは一味も二味も違う「研究」をしたためているが、市井の混血外国文学者をアカデミックな日本のロシア「文学界」なるものが認めるはずがなかったことは明らかである。私はこの点も特筆しておきたい。しかし外国文学からの影響、とりわけトルストイと老子の影響は黒石の書くものに如実に現れている。アナーキストであるか、虚無思想家であるか、いずれにしても黒石の文章は自由自在である。黒石がどのようにも書くことができる、舌を巻くような「うまい」作家であったことに変わりはない。私小説家たちなど足元にも及ぶはずがないことは言うを俟たない。ロシアや世界文学の該博な知識、抱腹絶倒の自伝的逸脱、実験的饒舌、バロック的怪奇、老子的虚無思想、無為自然的脱線、下層民や被差別民への共感と同化、浮世を離れた自然の景観や草花への愛着、日本で生息する外国人やキリシタンの知られざる生活模様と心情、黒石は何でもござれだった。たいした作品も書けない、名ばかりのあれらの情けない文壇のお歴々たちに、自分の立場を脅かされるかもしれないという根拠を欠いたさもしい危機感や、幼稚であからさまな嫉妬があったであろうことは想像に難くない。

 大泉黒石の後半生は、評判の作家だった時期があるだけに寂しいものだったに違いない。激しやすく知的好奇心旺盛なだけでなくストイックなところもあったと思われる黒石は、ずいぶん前にこんなことをすでに書いていた、「俺がどんな芝居を打つか見物していりゃ沢山だ。俺は、俺が呻きながら血眼になって藻掻きながらやっている姿を、他人のように見物している」。一九四四年には畏友であった辻潤もシラミにまみれて餓死してしまう。敏腕編集者の誉れ高かった滝田樗陰の推挙によってかつて『中央公論』に自伝を発表し評判を得た黒石だったが、文壇内外の誹謗中傷によってこの雑誌への寄稿もままなくなり、滝田がいなくなり、最後には文筆家としての仕事も成り立たなくなる。すでに軍国主義時代は自由思想をいっさい認めない物騒なものになっていた。久々に長編『おらんださん』を上梓した黒石はさらに数冊の本を書いているが、そのなかで『草の味』と『ひな鷲わか鷲』は大泉黒石ではなく、本名の大泉清名義になっている。生活のために書かれたとおぼしいこの二冊のうち、生涯最後の書物となる『ひな鷲わか鷲』は文字どおり戦時の少年航空兵、予科練の少年たちを描いた本であった。このタイトルにしてからが、当時の国粋メディアが頻繁に使っていた常套語である。黒石は、四方田犬彦が言うように、『俺の自叙伝』、『老子』、『人間廃業』の著者大泉黒石として、これらの本を自分の作品に連ねたくなかったのであろうし、私もまたフランスの作家ルイ=フェルディナン・セリーヌの晩年を少しばかり思わずにはいられなかった。黒石はセリーヌのように財産を没収され売国奴の汚名を着せられ暴徒に襲われることはなかったが、久米正雄や村松梢風のように戦後に何の責任も取らなかった国粋文学者ではない。あらゆるナショナリズムを嫌悪し退けた黒石の名誉のためにここでそう言い添えておきたい。

 本書は最後のほうにこんな俳句を引用している。
 

嫌はれて花になりけり野芹哉

私はこの句を読んで、芭蕉の弟子だった八十村路通の句を思い出した。乞食でありビート詩人であった路通は芭蕉に気に入られたが、蕉門の弟子たちにうとまれ、いじめられ、排斥された。日本の文学界は昔からこんなことばかりやっているのである。

 私事になるが、子供の頃からコメディアン大泉滉が大好きだった。大泉滉は黒石の実子である。父黒石もまた映画に関わり、俳優になろうとした時期があったが、大泉滉は本当の人気俳優となった。父が何かをしてくれたわけではない。私はペーソス溢れる破天荒な演技、その佇まいや人柄、そして何よりも彼の「顔」が好きだった。父親の大泉黒石にそっくりだったのである。

(『河口から』Ⅸ)

 

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第163回 2023年10月





アントナン・アルトーと「音楽」





鈴木創士


アントナン・アルトー『神経の秤・冥府の臍
鈴木創士『アントナン・アルトーの帰還


エドガー・ヴァレーズとアントナン・アルトー

 今日はアントナン・アルトーと「音楽」または「音」に関して簡単にお話しできればと思っています。あるいは、あまりにも大まかにすぎるかもしれませんが、「残酷の演劇」と「音楽」についても触れたいと思います。私はミュージシャンでもあるので、当然のことながら、今日の談話は、物を書く人間というより、音楽の演奏者、あるいは音楽をつくる者としての話にならざるを得ません。「音楽」と「言語」の関係または非関係の問題、私にはいまだ正解がわからない永遠の問題はいまのところは脇に置いておきましょう。私はその問題にいまも頭を悩ませていますが、一方には、「音」の現場、その同時的空間的経験というものが直接的にあります。ということは、この経験は「疑わしい知覚」に属しているのでしょうが、正直なところ、私は自分の「疑わしい知覚」抜きにもはやものを考えることができなくなっています。私の嫌いなカント的な言い方をすれば、私の「統覚」は音と音楽の決定的介入や侵入を完全にこうむっています。しかるに、我は聞く故に存在する、です。

  いまアントナン・アルトーと「音楽」に関して簡単にお話しできればと言いましたが、実際、このテーマではほんの少しの簡単な注記くらいしか皆さんの前に示せないでしょう。「アルトーと音楽」などというテーマは、私の知る限りですが、見たことがありません。何しろ、アルトー自身、「音楽」をやったわけではないし、音楽についてまとまったことを書いていないからです。したがって文献的な裏づけは乏しいものになることをお断りしておきます。

  ところで、モジュラー・シンセ奏者の第一人者である森田潤と私はいま一緒に音楽を制作しています。このCDは『Vita Nova』というタイトルで1020日に発売予定です。どういうジャンルの音楽かといえば、自分たちでも形容のしようがないていのものです。かなりエグい内容だと思いますが、前衛的なロックでもフリージャズでもありません。多くのノイズとリズムに満ちた作品群ですが、いわゆるノイズ・ミュージックでもありません。しかしこの森田氏とのデュオには最初から「音のイメージ」というものがありました。森田潤と私は幾つかの即興ライブを行ってきましたが、今度の我々のCD作品は、さまざまな手法を用いて、騒音を含めた音の推敲を重ね、練り上げたものです。しかし元にあったイメージはずばりアルトーの「残酷の演劇」からの反響によるものでした。もちろん私は若い頃からミュージシャンとして「残酷の演劇」を意識していたわけではありませんし、知らず知らずのうちに自分の演奏する音楽のイメージが、あるときアルトーの「残酷の演劇」の考え方に重なっていることに気づいたと言ったほうがいいかもしれません。その意味では私はアルトーに影響を受けたはずです。

  「残酷の演劇」……。これを簡単に説明することは難しい。アルトーは、晩年に至っても、「演劇」の観念から離れていないことは明白です。ラジオ・ドラマ『神の裁きと訣別するため』が放送禁止になった後、ポール・テヴナンへの手紙にもそのようなことをアルトー自身が書いています。しかしそれは演劇を擁護するというようなことではありませんでした。むしろ演劇を自身の生のなかに溶解するようにして、日常の生とは別の表現、それでいて生の本質の延長として、アルトーは演劇について考えました。ところで、寺山修司も含めて、我々の誰ひとり、アルトーの芝居を見たものはいません。映像も残されていません。舞台の写真はありますが、それを見ても、バルテュスのつくった書割りが素晴らしいとか、衣装が凝っているとか、そのくらいのことしかわかりません。アルトーの演技といっても、アルトーが出演した数少ない映画のシーンから何となく想像することができるだけです。当時のサイレント映画は芝居の名役者の演技抜きには考えられませんので、映画においても役者の身振りそのものや存在感というものを無視できません。とはいえ、映画と演劇の根本的な違い、観客の側へのその効果を度外視すれば、当時は、身振りや仕草など、舞台上の演技と映画のなかの演技がかなり近いものだったのだろうと考えることができるだけです。アルトーの場合も同じです。他には、ラジオ・ドラマ『神の裁きと訣別するため』の録音が残されているだけです。この録音では、アルトーたち俳優の声以外にシロフォンや太鼓の音を聞くことができます。ちなみに、このラジオ録音からインスピレーションを受けた現代的なミュージシャンたちがいます。この録音のアルトーたちの声を加工して用いています。比較的最近の例を挙げれば、音響的ノイズ音楽『À Artaud』(EP-4 unit3)や、DJたちの合作『Pour en finir avec le jugement de Dieu : Artaud Limix』(Marc Chalosse)というCDが出ています。これは特筆すべきことでしょう。

  もちろん「音楽」あるいは「音」に関して、若干ですが、アルトーのテクストは残されています。とりわけ『演劇とその分身』のなかに「残酷の演劇」(第一宣言)(第二宣言)という文章があります。残酷の演劇とは何か、残酷とは何か、さっきも言いましたが、ひと言で言うことはできません。ただ「残酷」といってもアルトーにはかなり独特なイメージがあったようですし、アルトーがエリザベス朝演劇に影響を受けていたとはいえ、この演劇において、血が飛び散らねばならないということではありません。少なくともそれだけではないし、アルトーの言う「残酷」とはホラーではありません。アルトーが言いたいのは、そもそも生自体、実存自体が残酷であるということです。したがってそのように、残酷な生と地続きのまま演劇を演じなければならないということです。もっともありふれた哲学的決定論でさえ残酷のイメージである、とアルトーは述べています。

 それはさておき、「音楽」または「音」に関するアルトーの考えを「宣言」のなかからピックアップしてみましょう。

 しかし表現のまったく東洋的な意味をもってすれば、この客観的で具体的な演劇の言語は諸器官を追いつめ、締めつけるのに役立つ。それは感受性のなかを駆けめぐる。言葉の西洋的利用を捨てるなら、それは呪文の語をつくりだす。それは声を発する。それは声の振動と特性を利用する。それは狂ったようにリズムを足踏みさせる。それは音を砕く。

(「第一宣言」)

あるいは、 

 加えて音楽についての具体的観念があり、音は登場人物のように介入し、ハーモニーは二つに断ち切られ、語の正確な介入のなかに消える。

(「第一宣言」)

  あるいは、 

さらに器官によって感受性に直接深く働きかける必要から、音響的観点からすれば、絶対につねならぬ音の特性と振動を、現在の楽器がもっていない特性、しかも古いか忘れられた楽器の使用を復活させるように駆り立てる特性を探し求めるか、それとも新しい楽器を創りだすべきである。それらの特性はまた、音楽とは別に、金属の特殊な溶解や新しくなった合金に基づいて、オクターヴの新しい音叉に達することができ、耐え難い、神経にさわる音や騒音を生み出すことができる道具と装置を探し求めるように駆り立てる。

(「第一宣言」) 

 あるいは、 

もし、消化のためにある今日の演劇において、神経、要するにある種の生理学的感受性がわざと脇に置かれ、観客の個人的アナーキーに委ねられているとしても、残酷の演劇は感受性を獲得する確かで魔術的な古い手段に立ち戻るつもりである。これらの手段は、色彩、光、あるいは音の強度のうちに存していて、振動、小刻みな揺れ、音楽的リズムにせよ、語られた文章にせよ、反復を利用しており、照明の色調や伝達の包み込みを介入させるのだが、不協和音の使用によってしかそれらの十全な効果を得ることはできない。

(「第二宣言」) 

 このように「音楽」あるいは「音」についてのアルトーの言及はほんのわずかですが、これを読んだだけでもアルトーがきわめて現代的なことを述べているのがわかるでしょう。例えば、「狂ったようにリズムを足踏みさせる」、「音を砕く」、「ハーモニーは二つに断ち切られる」、「古いか忘れられた楽器の使用を復活させるように駆り立てる特性を探し求めるか、それとも新しい楽器を創りだすべき」、「オクターヴの新しい音叉」、「耐え難い、神経にさわる音や騒音を生み出すことができる道具と装置」、「音の強度」、「振動、小刻みな揺れ」、「反復」、「不協和音の使用によってしかそれらの十全な効果を得ることはできない」などという言葉ですが、これらについては説明するまでもないでしょう。「音」の基盤をなす有限性であり、その解体、凝縮、離散であるノイズは、音楽において非有機的な「生」をつくり出し、音楽についての思考においてさえそのひとつの要素となるのです。現代の「音楽」、我々の音楽もまたそのことを表現できるはずです。これらのアルトーの言葉は、驚くべきことに、すでに一九三〇年代に、我々の音楽、とりわけ森田潤と私の共同作業の特性や、新たな可能性をうまく言い当てているとしか言いようがありません。そう考える私としては、脱帽するしかないのです。アルトーは「音のイメージ」に関しても先駆者なのです。

  一九三二年頃、アルトーと作曲家エドガー・ヴァレーズはともにオペラをつくるという計画を抱いていました。レコードもなければ演奏会もめったにないのだから、その時点でアルトーはヴァレーズの音楽を聞いていないはずです。アルトーにオペラ台本を依頼したのはヴァレーズのほうです。でももともとアルトーには演劇家として総合芸術的な考えがあったし、あるいは演劇の延長としてこの仕事を引き受けたのだと思います。生前には刊行されなかったがアルトー自身がひとつの作品として構想した『手先と責苦』は、「残酷の演劇」の最後の達成、オペラ的総合のようにも受け取れるからです。しかも晩年のアルトーが多用するグロッソラリーだけではなく、この本の最後の章である「Interjections」(間投詞という意味ですが、邦訳では「言礫」と訳されています)はオペラ全体の旋律を内側から解体し、別の次元を加味するノイズ音楽のようなものです。

 それはそうと、ヴァレーズはこのオペラのテーマを「シリウスの異変」にしようと考えていたようですが、アルトーの台本のタイトルは「もう大空はない」というものです。ヴァレーズが中心に考えていた天体シリウスいうテーマはアルトーの台本では影が薄くなっています。ヴァレーズには宇宙に関して「ユング」的ともいえる考えがあったようで、数ページだけ送られたアルトーの台本をヴァレーズは気に入らなかったようです。いずれにせよ、この未来の音楽的事件は実現しませんでした(アルトー側の健康上の問題その他の事情が絡んでいたようだが、その後アルトーは精神病院に監禁されることになる)。結局、台本も未完に終わりました。オペラは大いなる幻となりました。とてもとても残念なことです。自分のことを言えば、人知れずこの幻が私に取り憑いてすでに久しい。私がこのオペラについて色々想像したのは本当ですが、存在しないオペラを明確に想像することはできません。そうであれば、ひとつにはこの個人的妄想によって騒音音楽をいまでも続けていると言えるのかもしれません。

  さて、エドガー・ヴァレーズ(一八八三〜一九六五年)はフランス出身の音楽家ですが、一九十五年にアメリカへ移住します。ヴァレーズが音楽史のなかでどのような位置を占めていたのかをわかっていただくために、十九世後半から二十世紀前半へと至る現代音楽史を少しだけ簡単に振り返っておきます。誤解のないように言っておきますが、私は音楽史を勉強したわけではありませんし、これを私の主観的解釈と受け取ってもらって構いません。

 後期ロマン派の音楽はワーグナーによって絶頂を迎えます。それまでの調性が崩れ始めるのです。後期ロマン派の半音階の奇妙な抒情性を思うと、これはたしかに狂気に近かった。ニーチェが、ワーグナーの音楽は人を病気にさせる、と言ったのもうなずけます。ワーグナーより二十歳ほど年下の作曲家アルノルト・シェーンベルクはブラームスやワーグナーやマーラーの音楽に親しんでいましたが、この十九世紀的なロマン派的崩壊の絶頂はシェーンベルクに受け継がれたと言っていいでしょう。シェーンベルクの弦楽六重奏『浄められた夜』などはその傾向が顕著です。その後、シェーンベルクは調性を捨て、無調音楽、いわゆる「十二音技法」を創始します。そしてシェーンベルクには二人の傑出した弟子がいました。アルバン・ベルクとアントン・ヴェーベルンです。この二人の弟子の音楽を比べてみると、ロマン派的崩壊の傾向はベルクに受け継がれたと言っていいでしょう。そのようにベルクには明らかに懐古的なところがあるように思えますし、ベルクの『ルル』を聞いてもその感じは拭えません。少なくとも私にはそう思えます。一方、ヴェーベルンにはその傾向が少なかった。ヴェーベルンには全く異なる「夜」があるのです。ナチスが彼らの音楽を「退廃音楽」として禁じたからではないですが、私にはヴェーベルンの音楽は第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけてのヨーロッパ戦線の塹壕で聴こえる音楽のように感じる時もありますし、不思議にも世界情勢の極度の不安が色濃く滲み通っているように思われます。それだけでなく、ベルクとの違いを考えると、ヴェーベルンの根底にはバッハの音楽があると思います。ヴェーベルンの音楽には対位法が成立しない対位法のようなものがあるのです。何かが逆転されていて、調性において破壊されあるいは崩壊したものが裏地のように表現の形式を浮かび上がらせるのです。私はヴェーベルンが好きですが、西洋音楽のひとつの極限であるとはいえ、やはりヨーロッパ的な音楽と言っていいでしょう。 

 エドガー・ヴァレーズについてもう少しだけ触れておきます。一八八三年生まれのヴェーベルンと同い年であるエドガー・ヴァレーズですが、アメリカ兵の誤射によって急逝したヴェーベルンより長生きしたとはいえ、ヨーロッパ的なヴェーベルンとヴァレーズの違いを考えると、ヴァレーズには明らかに「アメリカ」(南米を含む)というものがあるように思います。ヴァレーズがなぜアメリカへ移住したのか知りませんが、打楽器の多用、その全くクラシック的ではない介入的使用や、自然の音、楽器以外の音や騒音、サイレンやモールス信号のようなノイズなど、音楽に別の要素がはっきりともち込まれます。オンド・マルトノやテルミンなどの初期の電子楽器もいち早く取り入れていますし、フルートやヴァイオリンの演奏も従来のものとは全く異なる音色を表現しようとしています。いくら芸術全般が前衛的な段階に達していたとしても、これは、ヴァレーズより少し年下のアメリカの音楽家、ジョン・ケージやジョージ・ガーシュウィンの師匠であったヘンリー・カウエルなどを別にすれば、ヨーロッパ的な音楽の伝統からはかなり考えにくいことです。ちなみにシュトックハウゼンやヤニス・クセナキスはずっと後の世代です。ヴァレーズは「砂漠」という作品において電子音楽そのものの先駆者と言えますが、「ポエム・エレクトロニック」では400台のスピーカーを使って、空間的な彫刻音楽を実現したと言われています。これはほとんどロック的情景と言ってもいいでしょう。クセナキスはこの曲を一九五八年に演奏しています。ヴァレーズは、後のブラック・マウンテン・カレッジのような芸術家たちの先駆と言えないこともないと思いますが、グリニッッジ・ヴィレッジに住んでいたヴァレーズはまさにアメリカ的なのです。つまりヨーロッパとは異なる新しいアメリカ、ビートニックな要素と言ってもいいかもしれませんが、これはかなりの部分、音楽(例えばブルースやジャズ)とアメリカ文学から来ています。ケルアックやバロウズを思い浮かべていただければおわかりだと思います。ロックの世界について言えば、フランク・ザッパはヴァレーズに影響を受けたと公言しています。ザッパは一九六八年にヴァンクーバーのライブでヴァレーズの「Octandre」を演奏しています。素晴らしい演奏です。

現代フランスの音楽家でいえば、ピエール・ブーレーズがヴァレーズの作品を指揮していますが、ブーレーズはあまりにエリート的にフランス的ですから、彼が指揮したニューヨーク・フィルの演奏を聞くかぎり、「アメリカ」の野蛮が色濃くあるヴァレーズの特質、ヴァレーズのいわゆる「組織された音響」を本当に認めていたのかどうか私には疑問に思えるところがあります。そうです、エドガー・ヴァレーズには「野蛮」があるのです。ブーレーズがいくらマラルメやルネ・シャールを援用し、そうすればするほど、私はあまりにフランス的なブーレーズが好きになれません。例えば、サティやプーランクもフランス的ですが、サティはかなり孤立した音楽をつくっていましたし、プーランクはいち早く蓄音機に興味を示したりしていて、個人的には彼の宗教曲も嫌いではありません。一方、ブーレーズは嫌味なまでに知的なヨーロッパです。ブーレーズは、ヴァレーズのように、音を色彩と形になぞらえたりしません。ブーレーズが、自然のものであれ、電子的なものであれ、ノイズあるいはノイズ的音楽を認めなかったことは明らかです。それらに対する何らかの感受性が働いていたとしても、それは知性のなかでのことにすぎません。理論的な音楽家であるかどうかは、この際、どうでもいいことです。私の主観的感想ですが、ブーレーズの楽曲は結局のところどこかベルク的で、つまり慎重にロマン主義を取り除いた知的なベルクであり、いくらヴェーベルンの後継者であっても、ヴェーベルンには遥かに及ばないと思います。

したがって当時のアルトーがそんなヴァレーズと邂逅し、オペラをつくろうとしたことは、私にとってどうでもいいことではないのです。当時のフランス・モダニズムの現実を生きていたアルトーが、日常においてもフランス派の音楽家たちをよく見聞きしていたはずなのに、すでにあの時期にヴァレーズを認めていたことは驚愕すべきことなのです。アルトーには独自の「音のイメージ」がたしかにあったし、ブルトンのように音楽音痴ではなかったということなのです。

アルトーがヴァレーズのために書こうとした未完の台本「もう大空はない」の冒頭はこう始まります。 

 闇。この闇のなかの爆発音。ハーモニーがぷっつりと断ち切られる。生(なま)の音。音の響きの消去。
 音楽は、遠くの大異変の印象を与え、目もくらむ高さから落ちてきてホールを包み込むだろう。和音が空で始まり、そして崩れ、極端から極端へと移行する。音がまるで高い所からのように落ちて来て、急に止まり、ほとばしるようにひろがり、ドームやパラソルを幾つも形づくる。音の階層。
 (中略)
 音と照明は、壮麗化したモールス信号のぎくしゃくした動きをともなって不規則に砕け散るが、それは、モールス信号とはいえ、マスネの『月の光』とバッハが聞いた天界の音楽の違いと同じようなものになるだろう。 

 あるいは、 

 これらの台詞は叫び、騒音、すべてを覆う音の竜巻の通過によって断ち切られる。そして、耳につくばかでかい声が、意味のわからないことを告げる。 

 あるいは、 

 しかし、ほどなく、舞台で見出されるべきあるリズムに従って、声、騒音、叫びは、奇妙に響きがなくなり、照明も変質する、まるで竜巻に巻き上げられて、いっさいが空に吸い込まれ、騒音も、明かりも、声も、天井の目もくらむ高みにあるみたいに。 

 あるいは、 

 それから、奇妙な太鼓の音がすべてを覆う、ほとんど人間がたてる物音のようで、始めは鋭く最後は鈍いが、しかもつねに同じ音だ。すると巨大な腹をした女が一人入ってくるのが見え、その腹を、二人の男がかわるがわる太鼓のバチで叩いている。 

 あるいは、 

 歌声が溶け、言葉を運び去り、叫び声がいっせいに起こるが、そこには飢え、寒さ、激しい怒りが感じられ、情熱、満たされない感情、そして悔恨の観念が伝わり、すすり泣き、家畜の喘ぎ、動物の呼び声が起こると、この合唱のなかで群衆が動き出し、舞台を去り、そして舞台は少しずつ声と照明と楽器の夜へ戻る。 

 おわかりのように、これら未完のオペラ台本の言葉から、ヴァレーズの音楽に対してアルトーが何を望んでいたのかを想像することができるでしょう。このようにアルトーの「残酷の演劇」の構想はすでに音楽的であって、我々の言う音楽の要素を強い度合いでもっています。つまりアルトーの「残酷の演劇」は「音楽」あるいは「騒音」を含めた「音」なしには成立しなかったということなのです。そればかりでなく、この台本でのアルトーの発想と言葉は、聞いたことのなかったはずのヴァレーズの音楽それ自体さえをもすでに言葉でうまく表現していると言えるかもしれません。直接的反応によるじつに明晰な分析です。かなり不遇だった当時のヴァレーズの音楽をアルトーはすでに理解していたことになるのです。私にとっては感動的な話です。これは、繰り返しますが、当時のフランス人として驚くべきことです。

  ところで、いままで何の前置きも説明もなしに「音のイメージ」という言葉を使ってきましたが、この言葉は、この会の主宰者である宇野邦一さんの新著『非有機的生』から借用したものです。この本にはこうあります。 

 〈イメージ〉とは、単に知覚に与えられる画像ではない。知覚体験は複雑で、膨大なイメージ空間とともにある。そこには視覚に連結されたイメージだけでなく、聴覚、触覚に連結され、同時に多くの感覚に結合された横断的イメージがある。さまざまな知覚に分化し触覚に分化する前の、あの〈皮膚の知覚〉というミシェル・セールの発想を思い起こそう。そのような「共通感覚」の広がりにひしめく微細な知覚の重層や混沌を想起しよう。そしてあらゆる知覚が知覚のイメージとともにあり、イメージとして成立することを想起しよう。 
  聴力を失って、楽器も声も聞かずに作曲する音楽家は、ただ音のイメージを操作することができるのだ。逆に音のイメージがなければ音楽は成り立たない(音楽は、音の編成でも、音による表現でもなく、音のイメージであり、イメージ化された音なのだ。非有機化された音、とあえて言ってみよう)。そして言語もまた、音のイメージ、事物のイメージ、意味というイメージなしにはありえない。それらすべてが壮大な、多次元のイメージ空間を構成している。視覚、聴覚、触覚、等々の区分よりも、区分を超えて構成されるそのようなイメージ空間のほうが根本的である。 

 ここで言われている「音のイメージの操作」は森田潤と私の即興演奏の根幹にあると思います。そこには、さらに宇野さんの言葉を引用すれば、たしかに「非有機化された音」、「非有機化された音楽」があります。我々の音楽全体についてもそれが言えると思います。つまり我々の音楽はベルクソン的なものにも経験論的なものにもならないだろう、ということです。アルトーの「音のイメージ」は、ヴァレーズの音楽とともに、私の妄想のなかをいまだに漂い続けています。それはどこへ向かうのでしょう。このことはミュージシャンとして、喜ぶべきひとつの僥倖なのかもしれません。それを確かめるように私は演奏しているとも言えるからです。

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第162回 2023年9月





目玉が隠れる





鈴木創士


アントナン・アルトー『神経の秤・冥府の臍
鈴木創士『アントナン・アルトーの帰還

 

「私を働かせるのは阿片ではなく、それがないことであり、それを感じるには、時にはそこを通らねばならない。」

アントナン・アルトー

 

 昨日、昼間に居間のソファでうつらうつらしていると、白昼夢なのか幻覚なのか、風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者が前頭葉のあたりに現れた。飄然(ひょうぜん)とした風に見えなくもなかったが、からだの輪郭が漠としていた。彼はやはり死んだのだろうか。風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者は代赭色(たいしゃいろ)に見える小高い山の中腹にいる。そこは崖になっていて、あたりの風景から察したわけでもないのに、なぜかトルコのアンタルヤあたりだろうと思った。元庭師は思い侘(わ)びて故郷に戻った人のような顔をしている。庭師をやっていたときのように若く、日焼けしたままで、くたびれたGジャンを着ている。崖の遥か上方はちぎれ雲ひとつない恐ろしいくらい真っ蒼な青空である。風の音がここまでするみたいだった。わずかに見える灌木は見事に茶色に枯れ、かつて雨など降ったことがなかったように土地はからからに干上がっている。

 絶壁に洞窟のような廃墟があって、そこは古いキリスト教の教会のようであったが、古代の住居跡だったように見えなくもない。グノーシス派がそこに隠れていたのだろうか。自然の洞窟の外に人工らしき壁が設えられてあり、入ってすぐの岩壁に浅く十字架が彫ってある。このあたりの山の上や中腹には風雨に耐えた果てに打ち捨てられた、何の保全もされていないような古代ギリシア遺跡の残骸があるが、ここもそのようなところだろう。きっともっと古い遺跡もあるに違いない。何世紀ものあいだ大地を渡ってきた古い風がまたふいに吹くまで、風さえそこを知らない。
 いま風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者はその入り口らしきあたりをうろついている。きっと迫害された信者たちがかつて隠れ住んだ場所なのだろう。たぶん数百年くらい前から人の気配は感ぜられないのだろうが、だからといって人工的な造作がないわけではない。洞窟の内部はかなり複雑な造りになっているらしく、目をしばたたくと、風采の上がらぬ男は、今度は消えかかった壁画の前に砂漠の誘惑者のように突然移動している。
 まだ彩色がところどころ残っていた。入り口近くの廊下とおぼしい場所にはギリシア風の背の高い三人の天使たちが赤と白と群青色と黄色で描かれているが、少し体を折り曲げたような右端の天使は、胴体がほとんど消えかかっている。かつて天使がそこを通って立ち去った余韻がにわかにする。壁となっている土壁は白っぽいやわ肌を見せて崩れ、長きにわたる逆境に耐えたかのようにあちこち削り取られていているが、入り口や窓であったはずの開口部は元々全部柔らかい岩石を刳り抜いた造りになっている。奥の間は青黴が生えたのか、砒素の花緑青(パリグリーン)なのか、それともサファイアやラピスラズリーの彩色が残っているのか、全体の空気が青みがかって沈み、重たい。外から入り込んだ一筋の光が土壁に当たり、海の底にいるみたいだ。緑というか青というか、彼はその色を美しいと思った。影のなかに沈んだ感動的な消えゆく緑色であった。
 地面には穴がいくつか口を開けてむき出しの土が掘られたままになっているが、墓だったのかもしれない。風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者は大昔に自分が埋葬された墓をいまになって探しているのではないか。頭と光輪の半分が消えかかったキリストが小さな円いドームの高みに描かれていて、キリストは下を覗き込む恰好で、流れる光に焼けたように全体がオレンジがかって見える。キリストがどんな表情をしていたのかもはや判然としない。キリストのはにかみの渋面と嫌悪の表情はすでに区別できない。この美しい壁画は時を俟たずにことごとく消えてしまうであろう。

 あいつが言った。
 この洞窟教会に降り積もった分厚い埃の層を指でそっとなぞると、俺たちは時間の堆積を知らずに破壊することになるんだ、いいか、俺たちの経験した膨大な時間や万巻の書の複雑な実質はこのかき乱された埃の層にすこぶる似ていて、吹けば飛ぶようなものだが、それに実体がないわけではないし、実体というものは刻々と変化するのだから、南米の老作家が言っていたように、サハラ砂漠の砂をすくって手の指の間からこぼすと、永遠それ自体を変化させているのと同じことになる、つまり永遠が変化する様はまさにいまここで起きているのだが、しかしこの洞窟の向こうに広がる丘陵の向こう、これらの実体のさらに向こうには、タレスが言ったように太陽と影以外にもう何もないんだよ……

 そう言い終わると、風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者は勃然(ぼつぜん)と顔を曇らせた。元庭師の面立ちが次第に険しくなった。死人の横顔のように真っ青で、岩壁のそばにしゃがみ込んだ風采の上がらぬ元庭師の目玉はバセドー病を患っているみたいに飛び出ているように見える。ちんけな苦悩ゆえに小刻みに震えたりはしないだろうが、元庭師は震えていた。きっと何かが伝染したのだ。かつて彼に対していつもそうだったような愛想のいい面差しは消えていた。思い出したことがある。ずっと前、たった一度だけ風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者がひどくラリっているのを彼は見たことがある。はじめてのヘロインだったし、元庭師は吐いていた。別のやつを混ぜていたかもしれない。しばらくすると、量が多すぎたからなのか、元庭師の意識はぶっ飛んで、それまで彼がまったく目にしたことのない元庭師になった。人格がすっかりすげ替えられたようだった。いくら冗談めかして考えても、確かな幻影のなかには真の姿がことさら露われるものだ。別の人格になったとき、元庭師は葬式の儀式のようなことをやり始めた。お盆の上に丼鉢を置き、それに山ほどご飯を盛って、その上に箸を一本立てた。古来、地方で行われている葬式のやり方である。周りには数本の蠟燭を灯し、最後にご飯に水をかけてぐちゃぐちゃにした。クスリのフラッシュのなかであいつは自分で自分の葬儀をやっていたのだ。目の前に顕われたのは、長い眠りの後、予想に反して夢のなかの君の生身の本質であったかもしれない。彼は驚いて思わず身をすくめた。見ていて、気分が悪くなった。友人ながら、ぞっとした、と彼は云う。いま、風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者は左右に壁が迫る通路のような土の上を歩き回っているが、足音がない。その姿はかき消えるように通路の向こうに遠のいた。彼が病院にいるとき、空調の音なのか治療のための機械音なのか、いつも座っている待合室の後ろのほうでひっきりなしに何かをぎりぎり擦るような機械音がしていた。洞窟のなかでも乾いた空気を擦るように歯軋りのような音がしていた。

 夜になって、彼はあらためて風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者のことを思った。あいつはほんとうは何をしにギリシアへ行ったのだろう。何のために行ったのか、などとは言うまい。佯狂(ようきょう)は物狂いの真似をすることであるが、許されればそれだけ、そして同じことだが、許されなければそれだけ、愚者は愚者であり続ける。佯狂は猖狂(しょうきょう)と何ら変わるところはない。この愚者は狂うことによって自分と一緒に世界を引きずっている。自分というもののなかにはいつも見捨てられたものがある。悲しみの信憑性もある。単純な知性にとって価値のないものなど何もない、とロートレアモンは言うのだが、単純な知性によって友人であるこの風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者を理解できるのだろうか。ロートレアモンのほうはグノーシス主義者である必要はない、と彼は云う。マルドロールとは、ときには逆巻く海のように怒りに身を任せているが、太古の巨石のようにずっと前からそこにあるもっと単純な何かである。風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者のファイルを読みながらなおさらそんなとりとめのない感想を抱いた。

 風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者などはじめからいなかったのだとすることはやはり俺にはできない、と彼は云う。あいつはそれでも何かを信じていたのだろうか。たとえ泥棒であっても、他人の信心は体の麻痺と同じようにどんなものであれ尊重するが、それは彼自身の信仰の問題ではない。どこで釣り上げようと、鰯の頭は信心の対象になることはない。世界の何かを信ずるなどと言ってあたりを凝視すれば、俺自身が煙のように消えてしまうか、遠景のなかで反故(ほご)同然の一点になってしまうかもしれない。この遠景は現実だとは思えない。だがこれは間違っている。厳密すぎる遠近法は逆に非現実的効果をもたらすに決まっているが、それもまた数学的には現実であって、それだけのことなのだ。それでいて仮りながらの風景は風景のなかにしかないし、近景はそれ以上はこちらに近づいてはくれまい。盗みに入ったあの奇妙な廃病院で看護婦の幽霊を見たと思ったとき、あいつがすぐに言ったことが思い出された。お前が見たものがイメージではないのだとしたら、イメージにはならないものがこの世にあってそれが見えているのだ、と元庭師は言おうとしていたのだった。だが立ち止まれば、あるかなきかを装って、目が茫洋とした風景のなかに隠れてしまう。そうでなければ無数の目玉がひしめいてしまう……

 風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者と一緒に過ごしたあれらの日々。庭でのこと、廃病院、飯屋、元庭師の家、映画館……。彼は深い溜息をついた。だがこんなものは全部ずいぶん前のヴィジョンであって、いまは宇宙の彼方のどこかにその像が遠ざかりつつ残存しているとしても、時間が保存されないのであれば、もう地上のどこにもこれらのヴィジョンは存在しないかもしれない。あるのはモナドの内側に閉じ込められその壁に映し出された映像だけなのか。残存するものがあるとすれば、これなのだ。しかしこの瞬間、世界のヴィジョンはこのモナドのスクリーンの上で絶えず無限に増殖し続けている。しかも無数の目が見ているヴィジョンはそれぞれ異なるものだ。そしてそれはさらに天文学的に倍増される。宇宙が巨大な貯蔵庫であれば、それはどれほどの大きさなのかとも思ってしまうが、無論それには体積がないはずである。一方、どれほどの性能があろうと、コンピュータは機械なのだから、それ自体まだ体積があるではないか。

 この瞬間、世界のスクリーンでは何が起きているのだろう。思考の網膜にはけっして映らなかった、めまぐるしいスライド・ショーのような映像。実際には、これらは全部同時に起こっている。それなら自分の映るスクリーンはどこかにあるのだろうか。あるに決まっている。ただったらもう完全にお手上げだ。でもいったいどのスクリーンのどこの誰がお手上げなのか。それは君なのか。像の数が多すぎて、正確にそれを言うことはできない。剥げ落ちる壁を前にしているように君は何かを言うことなどできはしない。内側からお前を探しているのは出来事のほうである。そんな風に言ってのけたのはあのフランスの泥棒作家だった。

 それはとりもなおさず事物の深奥には容易に接近できない深い統一があるということを示しているのか。ある詩人はそれをアナーキーの秩序と呼んでいた。だがその深奥に達するためには、ばらばらに散在する無数の相をまずは通り抜けねばならなかった。通過があまりに速すぎると、それはどこまでもばらばらにしか偏在できない。だがある角度から見れば(それが鳥瞰なのか、虫瞰なのかはわからない)、それらの無数の相が一気に寄せ集められる地点というものがどこかになくてはならないはずだった。アナーキーな深い統一。言語矛盾だって? そう、そう、言葉の本筋に本来的な矛盾がなければ、逆にどこにも出口がないってことになる。風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者ならそう言っただろう。その統一は青みがかって見える。だから世界にとって、そいつはスクリーンの上で黎明に起き始めていることなのだ。

 すべてがまったく同時に繰り広げられていたとしても、それなら彼はそいつをどのあたりで見たのだろうか。何かが巨大な肉体のなかで同時に分泌される。場所の名前と記憶は厄介なものだ。映像が消滅することはないが、どこにも映像それ自体は残らない。それが突然色つきになったり、パートカラーになったり、白黒になったりしながら、ただ次から次へと瞬時に消えていく。でもほんとうは、色彩はそのようなものとしては存在しない。空間が見えたのであれば、幾何学的不和を誘うように色彩は空間と等価のものになっていたのだし、つまり結局両者は同じものにすぎない。つまりそれはただの幻想の隔たりのなかにあるのだから、空間は、世界は、映像の混沌の向こうで、もはやシナプスの間隙に色斑としてしか介在できないだろう。風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者ならそう考えただろう。青色だけを見ているときみたいに、網膜の中心自体は何も見ておらず、辺縁がそれをぼんやりとそこに漂う何かとして感知しているだけだ。物質は、それが在るという物質の本質とは無関係に、こんなにも青いのだということを彼は知った。この青色に包まれたように、すべては現れると同時に消え、消えると同時に現れるのだ。

 お前の子供時代。お前の背丈しかない風景があった。すぐさま忘れられる運命にある、もうどこにもありはしない風景。木が一本ぽつんと立っていた。お前は目を閉じてみるけれど、まだ目の奥に一本の木が立っているのが見えていた。向こうから鳥がやって来て、裸の枝にとまる。鳥はしばらくじっとしたままだった。他の誰の目がそれを見たのか。お前は目を閉じたまま木にしがみついたけれど、やったことといったらそれだけで、再び目を開けて飛び去る鳥をぼんやり見ながらどこへも行けやしなかった。

 エピファニーというのはカトリックの用語だが、風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者はもっと広く「顕現するもの」という意味で使っていた。ファイルのなかに見つけたその論文は「像と現実的無限」と題されていたが、彼には難解すぎてよく理解できなかった。あいつは、聖母マリアの公現も含めて、グノーシス派にとって、最後の日のエピファニーへの讃歌が頭のなかに聞こえるとその文章のなかに書いていた。イエスはいつも仮の姿であった。それはほんとうに現れたのか。葡萄の実が目の前にぶら下がっている。何かが顕れる。サロメの指差す先に洗礼者ヨハネの首が顕れる。地下鉄の入り口からでも、玄関からでも、空中からでも、藪の中からでも、どこからでもいい、何かが出現するのである。出現は消滅の予示であり、それをはじめから前提している。
 目のなかに顕現の仮の映像が一瞬だけ映る。仮の姿であっても、そしてたとえこの映像が映像でなく顕現そのものであったとしても、それはとても鮮やかだった、と風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者は『像と現実的無限』に続けて書いていた。われわれはエンドルフィン分子、シスター・モルフィン・ペプチドの小舟に乗っているのだ、と。だからついでに見に行こうじゃないか、セロトニンとドーパミンの河が泥の濁流となって交じり合う、死の蒼さをかろうじてとどめた空に輝く黒い太陽の河口を。だがそんなものは全部すべての出来事に潜む最初の動作のように、一瞬だけ見えた気がしただけじゃないか、と彼は云う。目が焼けたのか、それとも隠れたのかもしれなかった。

……………………………………………………………………………


 若い頃、ロートレアモンを知る前に彼はエドガー・アラン・ポーやボードレールを好んで読んでいた。久しぶりに書棚のなかからそれらの本を見つけて手に取ってみたが、一行も読むことなく、積み上げられうっすらと埃をかぶった本の上にそっと戻した。これらの傷んだ革装の本はむしろ絵を描いている彼女のアトリエに置かれているほうがいい。夜は更けゆく。もうわざわざ読んでみるには及ばない。暗い血管の青い血が全身に広がることもないだろう。廊下の奥の鏡の前で吐息が唇から洩れる。

 真夜中になって、昔、風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者と一緒によく聞いていた『悪の華』の朗読レコードを久しぶりに聞いた。もともと風采の上がらぬ元庭師のレコードだったが、借りっぱなしになっていた。たしか一緒に買いに行ったはずだが、東京日本橋の丸善だったか銀座のイエナだったか神戸元町の丸善だったか、どこでこのレコードを買ったのか覚えていない。

 彼はジャケットのボードレールの晩年の肖像写真を見つめた。ボードレールの頭はだいぶ薄くなっている。痴呆の翼の風が私の上を……パリからベルギーへ逃げて姿を消していた晩年のボードレールはそう言っていた。ボードレールは強烈だったが、優柔不断なところがあったし、不幸だった。写真のボードレールの額、その肌ざわり。その眼差し、口元。リボンタイ。素晴らしい朗読だったし、フランス語もできないのに、何と言えばいいのか、これこそがボードレールの詩であると彼は思った。
 往時の名優であったピエール・ブランシャールが朗読している。ルイ・ジューヴェも出演していた映画『舞踏会の手帖』、黒い眼帯の歯医者役だったブランシャールの演技を覚えている。このブランシャールの朗読は俺たちに語りかけているのではない、と風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者はいつも言っていた。詩が弾力をともなったままゆっくり奈落へ向かって下降線を辿るように、あのうるさい倦怠を追い払うかのように、あるときは訥々(とつとつ)と、あるときは流暢(りゅうちょう)に呟かれ、詩を彩っていたはずのまわりの景色が歪んで翳り始める。阿片チンキの雫(しずく)がしたたる音がするみたいだ。声は無限音階のようにいつまでも下方へ降りてゆき、びっくりして思い出したのか、しゃっくりのように突然上へそり返ると、上昇する紫色の自然のなかで光ったと思ったとたんにすべてが灰色になる。ブランシャールの声には深い諦念とくぐもった怒りが感ぜられる。俳優ブランシャールは自分を脅(おびや)かすように自分の体のなかで朗読している。声はしわがれ、翳り、言葉は噛みしめられ、少しずつ内側に向かって折れ曲がるように軋んでいく。
 夜は更けゆくばかりであった。険しい顔をした岩窟の元庭師のグノーシス主義者の顔がまた瞼に浮かんだ。レコードの針は飛ぶし、ひどいノイズだった。夜中にいきなり何かがどっと押し寄せたようだった、と彼は云う。

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  第161回 門前の小僧 - 2023.08.04

第161回 2023年8月





門前の小僧





鈴木創士


カール・クラウス『黒魔術による世界の没落』(エートル叢書18)

 

「他の者たちには聞こえない雑音が私には聞こえるし、それは天体のハーモニーをかき乱しているが、他の者たちにはそれもまた聞こえない」

カール・クラウス

 

 無傷のままにしろ、そうでないにしろ、この世界のはずれから出ていくことなどとうていできはしないし、そのはずれの門前にいる番人が、ずっと昔に消えていなくなったはずの先代門番の後釜なのかどうかは誰にもわからなかった。この先代にしてからが最も格下の門番だという噂であった。門番のことはいざ知らず、門自体はいまでも厳めしいままだが、どうしてこんなものがあるのか誰も知らない。門番が居眠りしていたり、姿がない時もあるので、門のなかに入ろうと思えば難なく入ることができるのだが、門をくぐる者を目にしたことはなかった。雨が降っていたりすると、よけいに恐ろしくて門のそばまではなかなか行く気が起こらなかったし、門は青銅でできていたが、いったい何の門であったのだろう。こちら側から見ていると、法や掟の門前という威厳をそれなりにかもしていたし、ここを過ぎゆく者はなべての希望を捨てねばならないと伝え聞いていたが、ほんとうだったのだろうか。門のそばまで海が迫っていたが、海面は無数の大蛇で埋め尽くされ、その無数の背中が波のようにうねっていた。

 でも梔子(くちなし)の白い花が咲く垣根越しにちょっと見回して、耳をすませば、世界のはずれはどこにでもあった。風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者の本だらけの部屋が思い出される。あの日は雨が降っていた。あの辺りもまた門前のようなものだったのだろうか。いまでなら、自分とはあまりにかけ離れていると感じていた風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者の心持ちが少しは理解できるような気がしないでもない。あいつもまた夜盗のように不眠症であったし、近づくともなく遠ざかるともなく、門前をいつもうろうろしていた。実際、盗みだって平然とやったのだから、こんなことは全部児戯に等しいと思っていたのに、すでに殺されて墓の下にいるかもしれない門の先代番人に自分たちがいずれ支払うことになった附け、あの六文銭を見くびっていたのだ。我々にはたしかに借りがあった。

 門前に続く道で立ち往生しない日でも、ほんとうの生活はこんな町にはないのだと思えば思うほど、つねにからだの皮膚のあちこちにこびりついて取ることのできない青痣のようなあの烙印をすっかり拭い去ってしまうのはとても骨の折れることだった。生活は領土だが、それを門が分かっていた。もうだいぶ前のことになるが、門番の姿がないときは、いつかこの番人と取っ組み合いをやらかすことになるのではないかという生々しくも不穏な想像は免れたものの、それでも門を見上げると必ずヤコブと天使の戦いを思った。そうであれば、彼と風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者が格闘すればよかったのか。嘘かまことか、何とヤコブは天使との格闘に勝ったのだった。ヤコブは「踵(かかと)」、ちなみにオイディプスは「(踝(くるぶし)を怪我して)腫れた足」を意味する。ご愛嬌のように、両者とも自分の足で歩き、自分の足でつまずくということが前提になっているのであろうか。天使と格闘してでも、門の向こうまでとにかく行けということなのか。それでも、たとえ空中に架けられたヤコブの梯子から思いあまって飛び降りなくとも、天使ではない人間の踵や踝にとって跳躍は憧れではある。できればエドガール・ドガの絵のなかの踊り子のようにすべてが軽やかに優雅に舞う様を見たいと思ったこともある。

 昨日、蕎麦を食いに行った。蕎麦屋もまた門へと続く道に軒を連ねている。改装したので、味気ない店の造りになった。毎日、できれば昼はもっと老舗のざる蕎麦と日本酒で通したいと思うことがあるが、それはいかにも昔の文人や職人風であるし、人の真似になるからやることはない。猥褻な写真を見るように、人生にあえて導入すべきことは何もない。門をめぐるつまらない噂話にもうんざりしていた。人生などといっても、いつもの夜はいともたやすく皮膚すれすれにまで降りてくるのに、それに触れ、それを掌につかむことはできない。だけどこの虚しさを受け入れねばならない。禁断症状はもうごめんだ、と彼は云う。しかし皮膚の上には、人間の指によって編まれた歳月を透かして、夜桜の花びらのようなものがはらはらと零れ落ちる。そんな夜の断片はあまりにも執拗で、罪の痕跡か刺青のようにもう取り去ることができなかった。

 門前で無数の言葉は消滅に向かい、やがて死語となる。日本語もまた死語となるに決まっている。門の前でいったい誰がぶつぶつ呟いているのだろう。そんな声がいつも聞こえる。喋っているのは君なのか。黙れ、黙れ、ぐだぐだとして、ふんぞり返った言葉。俺に相談などしないでくれ。質問もしないでくれ。ナイフのような切れ味の、人を殺す言葉だってある。筋肉を鍛え、精神を統御してからそいつを使ってみても、後味がすこぶる悪い。それは言葉を喋る者だけに取り憑いたあの悪霊の仕業だったりする。それは下等霊ではないが、なかなか厄介である。門前に押し寄せる幻影の襲来を恐れるあまり彼はそれらの言葉にあくまで幽(かそけ)き意味を求めたが、どれも同じ言葉ではなかった。彼は『マルドロールの歌』を行き当たりばったりに開いてみる。言葉という寄生体は一種の選別を行うだろう。宿主の選別。それにしても病気になるのは言葉のほうなのか、それとも古い古い肉体の宿痾(しゅくあ)があるのか。
 突然、目にも月にも暗雲がかかる。この刻限、門前の通りに人影はなかった。どこへ行けばいいのか。

 以下は真剣な顔で風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者が彼ひとりだけに話してくれたエピソードだ。元庭師がはじめてヨーロッパ旅行をしたときのことである。
 真冬の凍てつく夜更け、あの異国の小さな辻公園でのことだった。そこはとても古い地区にあり、テンプル騎士団が火炙りになった場所にほど近かった。その夜は珍しく野良猫一匹見かけなかった。とにかくひどい寒さで、凍りついたみたいに固まったまま真っ暗闇のなかでベンチに座って息をつめていた。闇は動かない。物音ひとつしない。風采の上がらぬ男は、暗く不気味な誰かの絵のなかにいて、それが誰の絵なのかを言い当てようとして闇のなかをさぐっていた。はっとした。目を凝らすと、こんな刻限なのに、暗がりの四つ角に中世の魔女と見まがうような老婆が立っているのが見える。目をこすった。この真冬の深夜に彼女は重ね着された黒いレースのぼろぼろの薄いドレスをまとっているだけだ。痩せた老婆の顔のあたりがさらにぼやけて、表情はよく読み取ることができない。やばいものに遭ってしまった。目を合わせるのが怖かった。この冷気なのに冷や汗が背中を伝う。汗からアンフェタミンの臭いがした。夢遊病者のようにひとりでにからだが動き出す。不気味な老婆は手招きしている。何か喋っている。何だろう。彼は近づく。「あそこに古い建物があるでしょ……もう少ししたら午前二時になるから……四階の××号室まで行ってみなさいよ……廊下の一番奥……面白いものが見られるから」。嗄れ声の老婆が何語でそう言ったのか覚えていない。言われた端から言葉は消えた。その建物は以前忍び込んだあの奇妙な日本の廃病院によく似ていた、と風采の上がらぬ元庭師は言っていた。すべてが終わり、朽ちかけているのに、建物全体がまだ息をしているようなのだ。生命の息ではない。喉とは別のところから吐き出される重い吐息。この種の建物はまるで場所の記憶に取り憑かれたようにたとえ建て替えて新築になったとしても同じ雰囲気のままだろう。老婆がそのまま立ち去ったのか、どこへ消えたのか、まったく記憶がない。午前二時きっかりに、裸電球の切れた暗い廊下を伝って奥の部屋の前までなんとか辿り着いた。だがドアをノックする勇気はどうしても出ない。呆然とドアの前に立ちすくんだままだった。助かった、と思った。
 後になって風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者は、その夜を迎える前、昼間に起きた出来事を思い出していた。その日の午後の終わりだった。カフェのテラスに座っていると、真っ黒な空に突如として亀裂が入り、ほんとうに空が罅(ひび)割れるのが見えたのだ。巨大な鳥の翼の影と鋭い鳴き声とともにそのときすでに……
 ブニュエルとダリの合作映画のワン・シーンのように、剃刀で目を裂けば、目玉が罅(ひび)割れた空から卵のようにどろりと零れ落ちる。なぜあの映画は『アンダルシアの犬』などというタイトルがついていたのか。暗闇のなかに立っていたあの幽霊じみた老婆のように、あの亀裂のように、この映画には内容がないし、形式や内容があったとすればもっとつまらない映画になったであろう。でも犬のような暮らしがあることが何となくわかる。門前で目を裂く前に、元庭師はしばらく目を見開いてもう一度罅割れたはずの空を見つめようと必死になった。何の甲斐もなかった。
 ああ、たしかにそうだった。何の甲斐もない。馬鹿げている。以前、例の飯屋で風采の上がらぬ元庭師がビールを飲んでいたとき話してくれた昔話がある。スペインのアンダルシア地方の廃駅で、あいつは野良犬と仲良しになったことがあった。よく晴れた日だった。犬がついてきたので、ぺんぺん草の生えた廃線を犬と並んで歩いた。スペインの日差しは強い。アンダルシアの犬は皮膚病にかかっていた。自分は人間が嫌いで犬が好きなのだとあらためて得心したよ、と元庭師は言っていた。犬を見て愛情で息苦しくなった。同情ではないが、ある種の憐憫のようなものを感じた。それはただ自分をそこに見ていただけだったかもしれない、とあいつは言う。息をはずませてもくすみきった夢のあとさきを彩るものなんてないのだ。映画『アンダルシアの犬』とおんなじだった。すべてがやけくそだったし、辻褄も合わず、デタラメのほうへ傾きかけて久しかった。

 彼の耳がまた変になった。耳鳴りはさっきの三倍くらいの音量になった。それは遠くの海鳴りに混じりつつあった。門のそばに打ち寄せる海が怒って、遠くから迫る怪獣のようにかすかに吼え始める。三角波が河口で湿った強風に煽られ、無数の旗のようにはためき暴れている。それは後から後から追いかけてきては、河の上流から流れる土色の濁流にぶつかり飛沫を上げている。この濁流の音が頭のなかで聞こえ始めると、ラジオでしか聞いたことがないのに、盲目の旅芸人が吹雪のなかで津軽三味線をかき鳴らしている情景を彼はいつも思い出す。吹雪が三味線をしとど濡らしている。それは日本画ではなく日本映画であった。それなのに、実際は、ほとんど暗闇の白黒映像だけのシーンであって、瞽女(ごぜ)の津軽三味線の音は遠すぎて聞こえてはおらず、ただ門前の映像全体が次第に不穏な重低音に満たされていくばかりであった。この打ち寄せる暗い海に溶けた、遠くの血管を駆け巡る重たいノイズは、頭蓋骨の天頂の芯を垂直に突き抜けながらつねに増幅され倍増されていった。我に返ると、有罪宣告を受けた被告人かアテナイの広場にまで引きずられてきた奴隷みたいに、愚かにも、彼は門前にぼんやり突っ立っている自分に気づいて狼狽するのだった。

 それでも以前はさっきの低い轟とこの通奏低音をまだ聞き分けていたに違いない。人は自分が思うほど不幸ではない。俺たちはずいぶん若かった、と彼は云う。門前には人を苛々させる色彩があったけれど、そんなことくらい我慢できた。だが低い轟は色つきの無数の雑音を聞きすぎて破れてしまったこの幻想の鼓膜と三半規管にさらに未来の難所へ向かって揺さぶりをかけるみたいに、突然高音にとって代わることがあった。そうなると鼓膜が破れたみたいになった。門の前で、音から形が現れて、次々とゲシュタルト崩壊を起こした。昨日の音の残骸が門前のそこ彼処にこびりついていた。時にはこの高音が女の歌声に聞こえることもあった。面白がって人をあざむきにかかるセイレーンの声に惑わされていたのだろうか。そうは言っても、この恐ろしい高音の潮騒に脳全体が満たされ始めるともうどうすることもできず、身じろぎひとつできない。大袈裟なことを言っていると思われるのはわかっている。だがこれにさっきの荒々しい海鳴りの轟きが雪崩の地響きのように混じるときは、禁断症状ではないが、吐き気をともなう強い眩暈を起こすほど凄まじいことになった。実際、彼は何度となく吐いた。耳がいいことは一種の災いであった。でも耳なし芳一やヴァン・ゴッホのように耳を切り落とす勇気は持ち合わせていない。琵琶を弾くことも、絵筆を握ることもできない。

 門のそばまで押し寄せる濁った水が激しい飛沫を上げて逆巻いている。死にたいとは思わない。四方八方に逃げていこうとする未知の騒音のなかで、門の向こうから延びてきた平行線は交わり、世界は少しずつ切れ切れに薄く剥離し、薄い皮膜は空中でゆっくり反転し、風に翻弄されてとんぼ返りを始める。紅(くれない)の雲と世界の残滓があった。世界の残滓は亀裂の下の大地を覆う暗がりのなかへ、やがてすさまじい叫びのようにぐるぐる回転する気違いじみた轟きの上に落ちてくるだろう。彼の経験はもはや彼の経験ではない。はじめのうちはかすかな騒音だった、と彼は云う。薄い皮膜であるほんの少しの紙吹雪が門前に舞っていた。紙吹雪にはうっすらと色がついている。そうであれば、雪かと見まがうこともなかったが、紅色の雲の下、吹雪が舞うなかで、日本映画の白黒の影のように薄気味悪い小さな奴が門前を行ったり来たりするのが目の端に見えるのだった。それは蜃気楼ではないし、決して自分の姿ではない。甲板にいたあの小僧の神様だ。どうしてこんな夜更けの門前に小僧がいるのか。それから巨大な水車が酔っぱらったようにゆっくり動き始め、その軋みのごとき別の音が決まって後ろでかすかに聞こえた。

 光ではない、雑音ではない、ほんの少しでいいからアレを……。いや、『マルドロールの歌』は「天よ、願わくば読者が……」という文章から始まっていたが、はっきり言って、そんな願いはこの「ほんの少しでいいから」と同じくらい間が抜けている。そいつに、この声にとっ捕まると、どんな時でも、どんな緊急事態でも、頭のなかでいままでわだかまっていた何かが突然破裂しかかる。
 アレはもうやらない。音楽はない。言葉ががなり立てる。あの爆音が聞こえた。彼は道端でひっくり返った。頭が切れて、かなり血が出ている。誰かにいきなり後ろから殴れたのだ。気分が悪くなって、倒れたまま大量に吐いた。天にまします我らが父よ! さすがにこんな科白は聞こえなかったが、門番に見つかるかもしれないし、警察とは関わり合いになりたくないのでパトカーは呼ばない。救急車も駄目だ。救急車のなかに吊られたまま車の振動にぶらぶらと揺られ続けるピノキオを思ってしまう。体がばらばらになりそうだった。一見すると、彼はピノキオに似ていた。門のそばでぎくしゃく歩いていた。ピノキオのように嘘ばかりついていたわけではないし、うまい話はなかったが、それにしてもこの門前の海辺ではまたしても誰も聞いたことのない音が聞こえる。ピノキオの耳がよかったかどうか知らないが、いずれにせよ自慢できるようなものでは決してない。この神経の末端をじかに磨り減らす磁化した広大なノイズの海、この永劫の闇から続いているようなぺらぺらの大地の正体不明の軋み、そのなかから、言ってみれば頼りなげな操り人形のように、いつも門前に突っ立って、嘘みたいな記憶の糸を手繰り寄せねばならなかった。だが轟音があたりにいかに響き渡ろうとも、はっと気がつくと、門が恐ろしい沈黙のなかに聳えているのが見えるだけだった。

 でもたしかにどこからともなく聞こえてくるあのささやかな歌を聴こうとするあまり、誰もが門前から焚き火の煙のように消えてしまった、と彼は云う。ほんの少しよそ見をしただけだったのに。
 あの炎天下の曲がり角で、風薫れどもあの耐え難い悪臭を放つ雑踏で、閉店間近の喫茶店で、ラリったのかそれともへとへとで身動きできなくなった歩道橋で、ひと気のないゴミだらけの冬の砂浜で、終点駅行き終電車の吹きさらしのプラットホームで、しょんべん臭い早朝の高架下の薄暗い通路で、勝手に入り込んで眠ってしまった知り合いのアパートで、落ち葉をすっかり落とした林を抜けるドライヴウェイで、女と一緒の安物のベッドのなかで、要するに門前の暗がりで、殴り合いをしながら、人知れずパニックを起こし、爆笑や憤怒の残響を後に残すことなく奴らは忽然と消え失せたのだろう。

 それともある者はオーバー・ドーズで心臓の鼓動が停止し、ある者は急性膵炎になり、ある者は病気になるより前に事故死し、神に祈り、またクスリをやり、神に悪態をつき、酒を飲み、階段から転げ落ち、ある者はまともなまま精神病院に監禁された後に発狂し、恋をし、それなりに一生懸命働き、正しいことをやり、金はなく、政治に憤り、一晩中吐き続け、一晩中机に向かい、誰を呪うともなく、あっという間に自殺する。そういうわけだ。作品はないし、援軍はない。門の前で糸が切れてばらばらになってしまった歪んだ真珠の首飾りは残らず拾えなかった。真珠は一粒でも残しては駄目だった。強迫神経症がそれを許さない。魂は見張られてはいなかったし、ヤコブの夢のなかで梯子は天使のためにあったのだし、彼らが格闘するために空の向こうまで延びていたというのだろうか。だったら急げ! 真珠なんかどうでもいい。天使よ、勝手に通れ! 知ったことか! この一本の道もあの一本の道もあの遠景を前にして、何かを口にする前に無のなかへと消えてしまう。ぬり壁のような空白の時間がただ門の前を通り過ぎる。さっさと通れ!

 雨がはっきりわかるくらいに降ってきた。風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者は、何のことはない、雨に濡れるのが大嫌いなのだ。彼のほうは雨が好きだったが、黙っていた。風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者は再びうつむいて、はねを上げている荒れた地面をじっと凝視し、もう一度空を仰いで、それから彼を睨みつけた。なんでそんな目で睨むんだ? 雨のせいなのか? 彼は元庭師の顔を見て怒りを覚えた。そのとき彼はこいつは死んだ親父に似ているなと思ったが、すぐさまその考えを打ち消した。どうでもよかった。門の前で世界はすでに重たい鉛の空と湾曲した凸凹地面に分かたれている。エル・グレコの絵のように天と地はすでに二つに分離していた。

 風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者に対して、ほんとうは苛立っていたかもしれないと思うことがあった、と彼は云う。盗みをやったときのあの平然とした態度を思い出す。いらいらした。風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者は何度も目の前に現れる半裸のディアーナのようなものであったのか。はたして思いがけず現れたディアーナの裸体に触れたことがあったのだろうか。夢のなかでやるように彼は元庭師にそれとなく触れたのか。それができないなら、水浴びする彼女の裸体を覗き見るより前に、不埒な恋や欲望などに思いわずらうことなく、自分の猟犬に食われてしまったほうがましだ。しかも風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者は女ではなかった。
 いや、それどころか目の前に古代ギリシアの森なんかないのだ。横道に雨が降っていた。水煙に霞む遠方でぼーという汽笛の音が聞こえたような気がした。いつもの空音に違いなかったし、それに遠くへ行ける煙突のついた汽車なんかどこにもない。門前町から出てゆくことはできない。ゆだねるべき肉体も愛犬に食われる肉体もない。ちぐはぐでデタラメだった。沼の泥水に潜ったのに、浮き上がってたしかに見たはずの水面はいまもってまったく見えない。相変わらずの雨、ぬるくてまずい飲み物、下手くそな詩、粗末な料理、一本の木があるだけだった。

 お前は迷宮の掃除夫のいでたちでバケツを手にして立っていた。今日の庭師のバイトが終われば、明日は休みだった。やっとこさ休むことができる。ずいぶん働いたような気がする。ダイダロスの友人を気取っていたわけではないが、ラリったまま迷宮へ掃除に行くと、古すぎて膨張し爆発寸前の錆びた缶詰が道しるべのようにいつも入り口近くに落ちていた。あのルネサンスの私生児みたいな老作家が門前町の乾物屋でかっぱらった鯨の缶詰に違いない。勝手にそう思い込んだ。老作家はフランスの元泥棒だったが、それに比べれば彼と風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者がやったことなどお子様ランチである。それはそうと、今日の掃除は終わっていた。まだ夜は明けていなかったし、雑役も終わったし、缶詰を拾って持ち帰ろうかと思ったがやめておいた。食い意地は張っていないし、別に鯨が食べたかったわけじゃない。おとなしくしていれば、数しれぬ僥倖と無償の奉仕がきっとあるだろう。お前はそれを知っているのだから、それに感謝しなければならないだろう。今日は仕事をさぼるつもりで岩蔭に隠れたりしなかった。
 仕事を始めようとしたとき、陽の暮れかかった迷宮の奥でミノタウロスを垣間見たと思ったが、どうだったのだろうか。ミノタウロスは怪物なんかではなかったのではないか。怪物かどうかはもう謎ですらないが、どのみちミノス王の迷宮の中心に達することなど金輪際できはしないだろう。そもそも庭中を探してもそれらしい中心がないのだ。奥のほうで物音がひっきりなしにしていたが、あそこまで掃除をするのはたいそう骨が折れる。やわなお前はきっとへたってしまうだろう。どちらかといえば、休憩だという口実をつけて陽だまりの石のベンチに座って煙草を吸っていたお前たちは、テセウスとは似ても似つかぬ者たちだったし、スカートをはいた猫みたいな深窓のアリアドネを門前のあたりでちらっと見かけることができればそれでよかった。バイトの誰もが、それどころか手練(てだ)れの職人たちでさえそう思っていたはずである。ほんとうは英雄なんかいなかった。庭のなかに年古(ふ)りた迷宮があるだけだった。それが門前だった。そいつはたしかに現存していたが、迷宮の構造を解き明かすはずのアリアドネの糸は魔法じみた糸などではなく、ただのありふれた一本の長い糸にすぎない。巻き取られるだけで、何の変哲もないたった一本の糸なのだ。

 記憶を何とか修正しなければならない。急いでぼろぼろの鶉衣(うずらごろも)を取り替えるのだ。また別のぼろに取り替えればいいだけだ。旅が終わったと思ったとたんにまた旅が始まってしまう。ギリシアから来たグノーシス主義者の手紙に、一度こっちに来ないか、エジプトにでも行こう、と書かれていたことがあった。あいつがせっかくエジプトのアレクサンドリア近くにいるのだし、小旅行を企ててギザのピラミッドを見上げる前に……、いや、いや、そんなこと以前に、彼がやっとのことで手紙から顔を上げてみると、すっかり雨に濡れてしまった風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者の顔が変な具合にへしゃげているのが見えたような気がした。噛みついて捕まえたゴキブリを口に含んで、ちょっとだけそいつを歯の間に挟んでみたものの、飲み込んでしまうことができないびしょ濡れの雌の子犬みたいだった。

 彼のほうはアレクサンドリアなんかどうでもよかった。アルチュール・ランボーが自分の名前を落書きしたピラミッドをできれば見てみたいとは思ったが、別にエジプトのグノーシス主義に関心があるわけでもない。旅行なんてめんどくさくて絶対に嫌だったし、エジプトまで行く金がないし、またしてもエジプトの海を想像するだけですました。いまとなっても彼にはグノーシス主義がわからない。あいつと同じようには生きられるはずもない。また変な声がしている。声のする迷宮のもっと奥へと行ってみるかわりに、その場にとどまり、下の下のどん底まで墜落しようとして門前で肉体をゆだねておく相手はいない。そうなのだ。風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者があの老婆と出会った午前二時だけがあるのではなかった。先のない喜びで狂喜することもない。十日があり、十ヶ月があり、十年があるが、十世紀は生きられるはずもない。風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者もまた何もやり遂げてはいなかった。門前の小僧よろしく門の前をうろうろするばかりだった。

 実を言えば、それから二人は門を離れ風采の上がらぬ元庭師のグノーシス主義者の家へ向かって大粒の雨のなかを全速力で駆け出したのだった。仕事をさぼった日もクスリを盗んだ後も、風采の上がらぬ男と一緒にいつも門前町の静かな喫茶店にしけ込んだ。でもどこまで走ろうと、そこは門前町だった。道端には割れた牛乳瓶のガラスが粉々になって散乱している。マリーゴールドかと思ったが、よく見るとミモザの花が踏みつけられて散らばっている。通りでまた変な声が聞こえた。あの小僧だ。下駄の音が聞こえ、変な声は雨のなかを下駄の音とともにわずかな距離を近づいてきたのであるが、たいそう気味が悪いし、こんなことばかりが続くと耳が膿んでしまいそうだが、しばらくすると足音は黒門のほうへと消えていった。

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第160回 2023年7月





エゴン・シーレ

石は何を叫ぶのか




鈴木創士


カール・クラウス『黒魔術による世界の没落』(エートル叢書18)



「ウィーンは現代の大都市としていま解体されつつある。(……)我々の文学はもう屋根をもたないだろうし、詩的生産の糸は残酷に断ち切られるだろう。」

カール・クラウス

  叫びは対象となった。フランシス・ベーコンのように「叫びを描く」ということがある。叫んでいる人物はもう一度、あるいは絶え間なく、あるいは叫びを芽吹くようにして口を開けているのだが、しかし聞こえたとたんに何を叫んでいるのかよくわからない。叫んでいるという「状態」さえも、次の瞬間には不問に付してしまう。それなら、ドゥルーズが言うように、このような絵画にあって、人は死に対して叫んでいるのだろうか。私は今それに即答することができないとはいえ、絵画は「叫び」を描くことができるらしい。叫びは目に見えることがあるのだ。これはきわめて二十世紀的な絵画芸術の発見である。

 絵画は叫びに襲われ、それから固定される。そして叫びそのものによって、叫びがはらんでいたかもしれないのっぴきならない意味や内容は抹消される。叫びが予感した「遠く」というものがあるのであれば、怒りも喜びも悲しみも瞬時に遠ざかり、叫びだけが残される。音は聞こえているかもしれない。でも音楽ではない。恐怖でもない。人が待ち望んでいる魂の叫びというものが私には何なのかよくわからないし、そもそも叫びには実体がない。絵画の叫びは感情ではなく、感情の向こう側にあるものだ。それが聞こえる。叫びは叫びの残響である。ここでもまだそれが耳のなかに残存している。

 だがエゴン・シーレの場合は「叫びを描く」ということではないらしい。若さとその奔放によって彼がいかに普通の青年のように苦しんで絵を描いたとしても、そして何かを叫びたかったのだとしても、私にはシーレの絵のなかですべての叫びは石化しているように思われる。それが感覚の暴力のひとつであるにしても、叫びの暴力性が石化するのだ。たしかに画家が目指した精神的な事柄はタブローの上で何かに行き着いたことがあったかもしれない。だが唯一のものに行き着いた画家であるからこそ、彼にはいつも別の時代がふさわしかった。しかし石はまるで偶然のようにどこからか落ちてきて、画家の身体を知らぬ間に硬直させた。石は沈黙と狂気が一瞬終わるときに顕れる純粋で枯渇したいわばエネルギーのようなものであり、そしてそのことによって絵画のなかに出現しかけたまだ目には見えない形態が石化する。もちろん何かしら鉱物の気配もする。だがロジェ・カイヨワが言うような「石のエクリチュール」ではない。「石が書く」のではなく、「石になる」のだ。

 この石化、岩石化はドイツ表現主義的なものなのか。形態の発生後を観察すれば、たしかにシーレの絵は岩のように「傾いて」いるし、ごつごつ、でこぼこしている。表現主義が行ったある種の幾何学的操作のように、一歩一歩上っていたはずの世界の階段自体がすでに歪んで傾いているからだ。それを敏感に感じとる必要があった。だがエゴン・シーレの絵画は同じウィーンの表現主義画家アルフレート・クービンのような絵画ともまったく違う。シーレにはクービンのような象徴主義が欠落しているし、ココシュカのような禍々しさや不気味さはない。若いシーレにとってウィーン分離派の動きはとても気になる重要なものだったであろうが、最初にクリムトの影響を受けたとはいえ、シーレはクリムトではない。クリムトのほうがずっと猥褻である。

 たしかに絵画には懐かしい主題がある。言うまでもなく、若いシーレには、純粋な絵画制作、女性、戦争、画家としてのキャリア、日々の生活、金銭、疫病(梅毒、スペイン風邪)、等々、誰もが経験するともいえる苦しみがあったが、それを見てきたような画家の歴史としてほじくり出してみても私にとって何も始まらない。それに私は通常の美術史的通史に興味を抱くことができない。絵を前にして私はひとりのアマチュアである。しかもシーレの場合もそうだったように(私にはそう思われる)、非凡な画家のまわりにくだらない連中が集まってくるのは、どこであれ、いつであれ、不文律である。青春は未来の黒い太陽のように輝くだろう。表現主義どころではない。チューリッヒとパリでダダイストたちによる破壊が始まるのは間もなくである。

 その前に、たしかにウィーンの「精神的危機」があった。そして戦争の世紀である二十世紀が幕を開けた。ウィーンは深い夜につつまれる。黒ずんだ空。大地をかすかに照らす明るみを画家の目は見つけたのだろうか。それとも腐敗臭漂う十九世紀がいたるところでまだ続いていたのだろうか。だが誰もがそこにいる。いまは動乱の後なのか。それとも大動乱は今から起ころうとしているのか。戦線の塹壕からとりわけ新しい絵画と音楽と文学が誕生した。危機は社会的背景(オーストリア帝国、労働経済問題、反ユダヤ主義……)をともなっていたし、芸術の共同体はそれを共有し、ぬきさしならぬ形で深化させ、伝染病のように人を介して広範囲に及んでいる。ウィーンの同時代人たちを列挙しておこう。画家クリムト、シーレ、ココシュカ、クービン。精神分析家フロイトと哲学者ヴィトゲンシュタイン。文学者シュニッツラー、クラウス、ホフマンスタール、ムージル。音楽家マーラー、シェーンベルク、ヴェーベルン、ベルクたちである。レーニンもウィーンのカフェに顔を見せていたし、ヒトラーは孤独のなかで薄ら笑いを浮かべていた。これらの野蛮人たち全員が同じ空気を吸っていたのだ。

 だが待ってほしい。なるほどすべての偉大な画家は神経症である。だからといって精神分析も、病跡学的アプローチも、政治思想や哲学や文学の変遷も、シーレの絵を解読する役に立つとは私には思えない。心理学的煙幕はすでに必要ない。表面ではいつも別のことが起きているからだ。どんな時代であれ、芸術の全般的傾向などそのつど致死的な生命力でしかないと言うほかないではないか。すべてのすぐれた画家の作品は突然変異のように現れるのだし、ここでもしかじかの社会思想のように一般化することはできない。でも音楽だけはたしかに聞こえている。だがそれはけっしてマーラーではなかった。シェーンベルク、ヴェーベルン、ベルク。しかしシェーンベルクもベルクもいまだ世紀末的でロマンチックすぎる。《魔笛》や《パルジファル》の余韻が続いていたのだとしても、ここにはモーツァルトも、ヴァーグナーも、ましてやゲーテもいなかった。私は何が言いたいのか。ヴェーベルンの音楽なしに、私は当時の危機的なウィーン、芸術全体を覆う塹壕の音響を想像することができないのだ。

 こんな風にして都市の四大元素がいつものように画家の身体をつくっている。変形された形や数がある。普遍記号があるのか。記号は落下するのか。記号は人の皮膚に刻印されるのか。たとえここで音楽が聞こえていなくて、画家に音楽を聞く習慣がなくても、大気は震え、空中に何かが漂い、すべての遮断と断絶が中空で凝結する。何かが決壊し、決裂があったことはわかっている。シーレにしかわからない日常の苦しみや悲しみも目に見えないまま漂っている。絵の背景と前景は十二音階のように一列に並び、音列が二通りであるなら奇妙な対位法をなし、暗いあらゆる色調とともに融合し、平面として石化する。石は豊かさではなく、むしろ貧しさ、乏しさを共有する。シーレにもまた何かしら無一物状態のようなものがあったのだ。しかしどの時代にあっても、芸術のあらゆる影響関係は表面的なものにすぎないのだし、画家の意識はこの際ほとんど関係ない。だからこそ若いシーレの絵の石化、岩石化は必然的だった。

 シーレは自分でポーズをとる。ポーズをとるとは石化することである。彼が十九世紀から受け継いだものがあるとすれば、それはナルシシズムだ。女性が男性から受け取るナルシシズム的印象ではない。シーレはわざと変わった指の形をつくってみせる。何のために? ポーズを固定し、さらに石化させるため。舞踏。不動の舞踏。動かない、動けない舞踏がある。だから演出は極端になされなければならない。鏡のなかの似姿はもう永久に動いてくれないからだ。このナルシシズムは、人によって、時とともにその形を変えようとも、いつも石や貝のように内側に閉じこもるだろう。瞬間的映像のようにその場に張りついてしまうだろう。とはいえナルシスが自分を映す水はたゆたっているし、固定できないのだから、たまさか、後には不吉な水面に像を宿したはずの自分自身を破壊するかもしれない。みなもの像は崩れるのが必定である。彼は自分を大理石のように思い描いていたかもしれないが、この石は水でできている。ナルシシズムがたいてい自分を破壊することになるのはそのためである。

 「芸術。それ故新しい芸術は存在しない。存在するのは新しい芸術家である」(エゴン・シーレ、以下同様)*
 新しい芸術家? つまり新しいナルシシズム?
 「ぼくたちを覆う外套はすべて、どのみち空無をも覆います。というのも、それらは、他の器官と絡み合いたいという欲望をいだくのではなく、ぼくたちを隠してしまうからです」
 これがシーレのナルシシックなエロティシズムの正体である。

 ウィーンの花壇。冬の花。花は枯れている。それが石化によって創造されたものだとしても、もともと枯れているようにしか見えない。私はシーレの描く樹木がとても好きだ。細い木。そして純粋なメランコリーが風景を石化させる。《吹き荒れる風のなかの秋の木(冬の木)》という作品がある。四季はなく、季節はいつも冬。一九一一年の《秋の木々》という絵もある。葉は紅葉して枯れている。木の背景といえば、まるで壁だし、壁のように動かない。壁は苦しみを生み、苦悩を忘れてしまえと立ちはだかる。それもまたヨーロッパの石の運命なのか。十字架はないし、罪の前に立たされているのではない。そして木は冬空の下でも生きている。鳥がとまりに来るのだろうか。裸の枝に。いや、ここに鳥はいない。思い起こせば、エニシダの小道が続くあの丘の上にも木が一本ぽつんと立っていた。やはり人はいなかったし、彼は独りっきりだったはずだ。何と鳥たちと泉は遠いことか、と詩人は書いていたではないか。裸体としての樹木。鳥たちは遠い。地獄にも煉獄にも木が生えている。

 「驚くべき花々、物言わぬ庭園、鳥たちに耳を傾け、香りを感じた。鳥たち?」
 だから庭園は沈黙し、それから風景は俯瞰される。飛んでいる鳥が下界を見下ろすようにだろうか。この俯瞰は奇妙だ。鳥がいないのだから。シーレは何を想像していたのだろう。それ自体が落下し始める瞬時の特徴。それを画布のなかに探す。石化。だが、木があるのに鳥は描かれないし、シーレの絵のなかに鳥はいない。落下するのは鳥ではなく、石である。

 「白い空の下! ぼくは今、常に同じ姿をとどめているこの黒い街に再会しました。(……)縁取られた部分は、《死せる街》の上部です」

 モルダウ河畔の街自体が黒い石と化している。ウィーンはさびれゆく。街は俯瞰によって下の方にあるのに、上昇しない。重力のせいだろうか。黒曜石のようにではなく、煤煙ですすけて、石炭のように黒くくすんでいる。《死せる街》をエル・グレコの《トレドの眺め》と比べてみたくなる。エゴン・シーレの描く家々に人は住んでいるのだろうか。きっと貧しい人々だろう。待ち人は来ないし、待っている人はいない。誰かが沈黙を強いられたのか。だから画家はこの世界に足を踏み入れたのだ。戦争画家。「つまり、彼らは皆戦争画家ではないが、たとえその気がなくても、彼らの絵をとにかく戦争と関連づけなければならない」、とシーレは言っていた。シーレのこの手紙の言葉はただの報告とも受け取れるが、思わぬ真実を言い当てていると思われる。戦争があった、今もあるし、これからもあるだろう。二十世紀はいったいどんな時代だったというのか。黙ったままで生きる希望を失っているのは君なのか。グレコの十六世紀の街トレドに戦争はなく、それでいて生きている人間が住んでいるようには思えなかったが、それでもシーレの二十世紀の《死せる街》には人の気配がするようだ。

 人の気配。そして人物。肖像。恋人と自分。別の絵の黒の背景から人が浮かび上がる。二人いれば、恋人であれ、妻であれ、誰であれ、一人は分身であるに違いない。ウィーンにも「プラーグの大学生」がいたるところにいるのだ。分身は自分を抱え込んでいる。しかし二重化するものと二重化したものは、非常に不可解な精神的「非関係」でつながっているとしても、オリジナルとコピーの関係にはない。私に「分身」という存在の一端を教えてくれた詩人アントナン・アルトーは、晩年に自画像や他人の肖像など多くの特徴あるデッサンを描いたが、私にはアルトーが自らの分身を含めた「肖像」の奥底を凝視していたように思えた。肖像画の本質とは何だろう。分身というものを強く意識し思考していたアルトーだが、この奥底との熾烈な戦いのせいで、彼が他人の肖像をえぐり擦過するように描くとき、すでに分身は消えているように思えた。その意味では、シーレの肖像にはまだ若い分身が描かれている。分身という形象の深みと場違いさは表面にしか表れないし、深さ自体が表層にしかないことがわかっているとしても、アルトーの肖像とシーレの肖像を比べてみても私は混乱するばかりである。

 「絵を描くことがたいしたことであると信じている人は間違っているのです。絵を描くことは一つの能力です。ぼくはもっとも強い暖色同士について考えています。それらは混ざり合い、溶け、ぼやかされ、盛り上がっていて、丘のように緑色や灰色が塗られたシエナ色、その横には青い寒色の星を、白く、青白く。僕には分かってきました。そして急いで数え、数字それぞれを観察し、察知するよう試みました。眺めることは画家でもできます。見ることはしかしながら、それ以上です」

 このくだりはヴァン・ゴッホの『手紙』のなかに散見される自作解説の素晴らしい文章を思い起こさせる。エゴン・シーレがいかにクリムトを称賛しようと、彼はほんとうにクリムトやココシュカの精神的な同志だったのか。クリムトよりもシーレは画家としてよく「見ている」し「数えていた」のではないか。私にはそういう印象がある。画家は自分を抹消するほど「見る」ことができたはずだ。彼はそのようにして対象を見て数えていたはずである。それとも世界のなかに落ちてきた自分を? 自分だけを? 創造の思考の背後に控えているものを追い求めても、わずかなことしか知ることはできない。問題は絵画における創造の思考の前、手前、前面にあるものである。神話的なものはないし、作り話はなしだ。同時代人なら、むしろ私はヴァン・ゴッホやユトリロやモジリアーニを思い浮かべてしまう。
 「ぼくが知っているのは、現代的な芸術が存在するのではなく、一つの芸術が存在し、——それが永続するということである」

 「一個のオレンジが唯一の光だった
  罰せられたのではなく、浄化されたと感じる
  芸術はモダンではありえない。芸術は根源的に永遠である」
 「この絵はそれ自体から光を発しなければなりません。肉体はそれ自身の光をもち、肉体は生においてその光を使い果たし、燃え尽き、灯は照らされていません」

 唯一の光。私はまたしても絵のなかに光源を探してしまう。光はどこからやって来るのだろう。光の情報だけが永遠なるものに接近し、あまつさえ光は破壊できない。闇を生み出し、それを注視するには、光を見つけ出さなければならない。画家にとっての光は、創造の手前にあって、なおかつそれを創造させるものだ。「肉体はそれ自身の光をもつ」ということ、そのからくりを一番わかっていたと思えるのは、エル・グレコだったかもしれない。シーレの絵のなかの光源はまだこちら側、画架を前にした画家の側にあるように見えることがあるが、グレコの光源はどこにもないように思えるからだ。しかし絵画の光が光源でないことはわかっている。もしかしたら光は絵画における最初の対象なのかもしれない。後から線や面が顕れる。カラヴァジョのように光は画家の欲望を浮かび上がらせることがあった。だからといって光は欲望ではない。光はそれ自体で発光しなければならないが、たとえ画布という舞台があっても、まだ描かれていないタブローに光のための書割りや舞台装置やセノグラフィーがあるわけではない。この点でもシーレはドイツ表現主義的ではなかった。私が言いたいのは良し悪しではない。

 「瞬間ごとに黒い川がぼくの力すべてをくびきにつないだ。
  ぼくには小さな川が大きく
  穏やかな岸辺は険しく高く見えた。
  旋回しながらぼくは格闘し
  ぼくの中に流れる水の音を聞いた
  その豊な美しい黒い水——」

 ウィーン川が流れている。水は黒く、岸辺はいつも険しい。幾人もの亡霊が橋の上を通り過ぎる。彼らはまだ生きているのかもしれないし、橋はまんなかで折れてしまっているのだから、亡霊たちは橋を渡りきれるだろうか。幽霊がやみくもに通り過ぎる地点にはきっと何かがある。それなら裏道を行くしかないだろう。ウィーンの旧市街。外套の襟を立てたエゴン・シーレが旧市街の古い通りを横切る。一瞬後にもう彼の姿はない。通りは茶色と灰色のままがらんとしている。さっきまで画家はアトリエで眠っていた。花壇の花が枯れている。たまには色彩のことを考えなければならない。死ぬまでにはまだ少し時間がある。

 午後のウィーンの曇った空から石が幾つも落ちてきたのかもしれなかった。描かれた絵のなかにも、まだ描かれていなかった絵のなかにも、新たに発見されたかのように石化したものがあった。シーレが夢見る青年だったとしても、彼の見る夢は、画布の奥行きであり、現実の要約であったに違いない。だが若い欲望は奥行きも要約も拒絶する。絵画の法則は現実の法則に反している。彼はひとつの人生を負い、画家としてそれでは十分でないので、自分の時間を描いた。日常はずっと続く。それがどれほど貴重だったことか。十五歳、十七歳、二十五歳、エゴン・シーレは二十八歳で死ぬだろう。クリムト、そしてシーレの愛妻が死んだのは同じ年の少し前だった。
 「死に向かって叫ぶ」? エゴン・シーレにとって、石化しながら描くこと、つまり生きることは、ヴェーベルンにならって言えば、やはり「ひとつの形を守る」ことだったのだ。
 ひとつの形、それはヨーロッパの空から落ちてきた石である。

 

*エゴン・シーレ自身の言葉の引用は、すべて『エゴン・シーレ 永遠の子供』、伊藤直子編訳、八坂書房による。

 

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  第159回 天使 - 2023.06.04

第159回 2023年6月





天使




鈴木創士


四方田犬彦『俺は死ぬまで映画を観るぞ
四方田犬彦『日本映画は信頼できるか

《太陽は動かなくなる。正午一分過ぎだ。》

——ブレーズ・サンドラール

  

 フランスの作家ブレーズ・サンドラールにならって映像に撮られた「世界の終わり」を構想することができる。撮っているのは下級の天使である。

 いま十二時一分過ぎだ。十二時きっかりに、最後の瞬間を下級の天使がうまく映画に撮ったかどうか私は知らない。私はその映画のほんの一部しか見ていないからである。映画? そう、天使の撮影行動は万人が見る世界の映像自体の成り立ちに関与するものであった。我々は世界の数々の像を見てきたが、その秘密を、それによって世界が部分あるいは全体としてどのようにできているか知ることはなかった。世界がどのように見えるかについて、世界の像とは何なのかについて、見えている世界のなかに我々がどのように存在しているかについて、ずっと我々は思い違いをしてきた。撮影は世界が終わるずっと前から続いている。天使には、世界がひとつの成り立ちを保持し得たのはこの撮影による、という自負があるのだ。そのことによって天使自身が自分を持ち堪えていたのである。

いま太陽の動きは停止したが、それがかつて動いていたことを私はほんとうにわかっていたのであろうか。それを知っていたのは、空間を自在に移動し、それによってこちら側の空間自体を自ずとつくり出す天使だけである。見上げると、空にはいつも太陽の神秘というものがあった。太陽はスクリーンのどこかにあって、それを映像の背後から照らし、映像が今度は燦然と輝いたが、光ったと思ったその瞬間のことはわからない。たとえ過去と現在をフィルムに反映することができたとしても、またそのように見えたとしても、そして映像が本来そのようなものであるとしても、この映画のなかで現在という瞬間はずっと私を拒絶しているからである。かくいう天使がこの拒絶の鍵を握っているらしい。

 ********************************

 映写室にて

……そう、天使が世界を撮影していたのだった。それはわかっているが、彼の苦労を誰も知らなかった。それは下級の天使の仕事であった。天空の上のほうにいる鎧をまとったお歴々はいまだ熾烈な戦いのさなかにある。大天使ミカエルやガブリエルである。昔、私の飼っていた犬の名前もガブリエルであった。堕天使の軍団が見える。何人かの元天使は火を吹きながら黒焦げになって空から落ちてきた。あたりに焦げくさい焼けたタンパク質の嫌な臭いがする……

 撮影担当の天使だって世界のはずれの田舎町で頑張っている。映画は完成したように思えたが、フィルムの編集にずいぶん手間取っているらしい。このショットを切り取っては捨て、あちらを貼りつけて追加しなければならない。それと、あれ……、それともあれか、いや、あれとこれも……。世界は組み合わされたり、ばらばらになったり、そのままであっても紛糾したままなのだから、下級の天使はいつだって忙しいに決まっている。この世界は終わった。だから時間はたっぷりあるし、時間の使い途など天使にはどうにでもすることができる。瞬間を変容させるだけなら朝飯前だ。一般に使われている時計の四分の三は止まっているだろうが、光子時計は動いているはずだ。時の流れの実質は別の物に、別の動かぬ静止情景にすらすり替えることができる。時間の始まり以来、天使にとってこんなことは全部教科書どおりのことだった。しかし時間の経過自体を変えることはできない。面倒が起きないうちに、人間たちの意識を変えてしまえばよかったが、自分の力では無理だった。そんな風に天使は思ったが、もう後の祭りである。人間たちは自分の目に見えているもの、自分の頭で考えたことしか信じない。だけど、いずれにしてももう終わったことだ……。そうはいっても、朝から晩までこんなに働いても何の益もないのはどうしたことか。儲けはない。

ところで、82724200523番のコマから109438215611478番のコマまで、つぎはぎだらけになってしまった。そうそう理屈どおりにはいかない。おまけにフィルムは時間の断面、文字どおりの瞬間の薄皮、つまり死人の髪の毛に残っているフケのようなものだ。これを見定めるために、フィルムをさらにもっと裁断しなければならない。よく切れるハサミが机の上にあったはずだ。ハサミが見当たらない。またしてもそれを探している自分が嫌になる。机の上はフィルムの切れ端だらけ。映画の編集室は誰も掃除しないのでいつも埃っぽく、咳がひっきりなしに出る。煙草をくわえたまま、天使は阿片チンキの小壜を握りしめている。とてもいい水薬で、咳止めによく効くのだ。天使は仕事に戻る。コンピュータも自在に使えるし、それどころかコンピュータの内部にまで入り込むことができるが、最新の映像エフェクトなんか決して使わない。人間の心の罅(ひび)割れや脳のシナプスの間隙から思わず漏れ出すフラッシュバック映像を利用するほうがまだいい。天使にとっては、黎明期の映画、サイレント時代のシネマドグラフの手法だけで十分だった。『吸血鬼ノスフェラトゥ』や『カリガリ博士』のようにやればいい。最新式エフェクトなんかいらない。

 映画がすでに撮られたということ、つまり世界が原寸大に撮られてしまったということ自体が、世界に対してある種の絶大な「効果」を及ぼす。それをもう一度巨大なスクリーンに映し出せばいいだけだ。このスクリーンは世界と同じ大きさだったりする。それだけで時間のなかをまっすぐ突き進んでいたはずの世界はすっかり混乱してしまう。そう考えて天使が微笑む。ソビエトの映画監督ジガ・ベルトフによれば、「映画の眼」は現実を再認することによってこそ生を記録するのだが、したがってその再認の機能は「芸術と現実」の関係にあるのではなく、「現実とその組織化」の関係にあるとされる。あの教授が黒板にロシア語を殴り書きしながらそう言っていたのを覚えている。この映画の眼は実のところ世界にとって存在してはならない眼であり、これは天使の仕事にかなり似ているのだ、と。この教授は変わった男で、大学をやめて、森の番人になってしまった。ところで、世界が終わっても天使の撮った映画はあらためて上映されるのだろうか。途中の編集に手間取っているだけで、映画は撮られつつ同時に上映されているのだから、再上映はおまけみたいなものである。それに明日になればそれを観る観客はひとりもいないかもしれない。いや、別に問題はない、少なくともいま天使自身が見ている最中なのだから……

 

 それに毎日が記念日だった。お祝いと弔い。生者たちのために、死者たちのために、あらゆる宗教に記念日がある。それだけの数の死者たちがすでに大勢スクリーンに映し出されているということなのだ。スクリーン上で生きていた者たちはそのまま全員死んでいる。彼らはね、ほら、そこを歩いている人たちだけどね、彼らはもうとっくに死んでいるんだよ……、隣の土方さんもよくそう言っていた。映画のなかの人物も、音はこちらまで聞こえないにしても、そんな科白をぱくぱく喋っている。時間のストックはそんな風に進行する。そのために夢遊病者のようになった人間たち。自分たちは現実を生きていると勘違いしている。その意味では、未来はちぐはぐな夢のなかでずっと続いているはずだった。まだ生きているつもりで世界の映画という悪夢のなかをこうして歩き回る人たち。役者には事欠かないし、役者が演技する必要もない。最後までぱくぱくやらせておけばいい。バックの音楽もなし。台本に書かれた科白は生身の声として発せられたのだとしても、サイレント映画なので声は誰にも聞こえない。すべてが文字のままだ。だが音だってこの文字だとも言える。本物の脚本家にかかればノイズだって文字に書き起こされるくらいなのだから。ジガ・ベルトフは録音される騒音の高低差にすらショットとショットの違いを見ていた。声文字、ひとがた文字、象形文字……。文字があちこち浮遊して飛び回っている。それは人間の姿をしていることがある。だけどそれだって映像だし、イメージにすぎない。

 

 気難しい天使が自分の仕事の出来ばえを見て、またほんの少しだけ微笑む。編集の仕事は間もなく終わるだろう。天使はもう一本煙草に火をつける。カラカラと回り続ける映写機から焦げ臭いにおいがしている。フィルムはとても燃えやすいので煙草の火には気をつけねばならない。

 

********************************

 

インテルメッツォ

 

 ……そう、たまに下級の天使はかつての仲間たちのことを思うのだった。複雑な気分であった。かつての仲間たちが復讐のために滅亡という言葉を口にする気持ちが手にとるようにわかる……

 

 彼らは地獄にいる。アザゼルは古参の天使だった。バラキエルは人間の女と交わった。堕天使の軍団もあって、グリゴリと呼ばれていた。シェムハザ、アルマロス、コカビエル、タミエル……。みんなどうしているだろう。まだ地獄で神と人間に対する憤怒の炎をめらめら燃やしているのか。奴らは悪臭放つ沼のそばを通り過ぎてきた。沼は悲嘆の町を囲んでいた。奴らは気分次第で最も低いところにあるこの氷の町の門を閉ざしたり開けたりする。青銅の門は氷のなかの炎のように聳えている。みんなずいぶん歳をとったはずだ。天で最初の戦いが起きたとき、何もしないでただ傍観しているだけの奴らも大勢いた。神に逆らうこともなく、従うこともなかった。唖然とするほど卑怯な軍団だった。だがこの下級の天使に大昔のことを述懐する暇はなかった。撮影を続行しなければならない。

 

********************************

 

 下級の天使は人間に近い存在だったのであろうか。しかし天使は両性を合わせもつアンドロギュヌスではない。両性具有的天使、これは人間が流布した世界中に散らばる馬鹿げた迷信である。天使に性はなく、むしろ両方の性を抜き取られた存在である。本来、天使の帯びるある種の否定性はここからも来ている。マイナスの、引き算的存在であり、男性、女性、そのどちらでもないはずである。少なくともそうではないはずであったし、そうでなければならなかった。しかしこの下級の天使には睾丸が一つだけあったのである。そのことで天使は傷ついたかもしれない。人間と自分はまったく異なる存在であるという誇りを足蹴(あしげ)にされたのである。なぜなら天使は時を見張っていて、世界を撮影し、それを編集し、人間を馬鹿だと思いながらも我慢し、そのこと自体によって下級の天使という境遇に何とか踏みとどまっていたからである。だが天使はこの世に呪いをかけたりはしない。彼の任務は撮影であり、実際には人間ごときに関心がないからである。ところで、撮影は無事終えられたのであろうか。

 

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