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『紅蓮の街』-思いと意思が「言葉」によって託される

「悲惨極まりない事実」というものが現にあり、それを死ぬまで記憶として持ち続けるしかない運命の人と、直接には知らず、人伝てに、または様々な文字形態(今なら映像)によって知ることになる者と、これはどう抗っても厳然と分れてしまう。そして一方は、どれほど言葉を尽してもこの体験(衝撃)は決して伝わらないと(なんとかして伝えたいのだがとも)、片や、どう想像力働かせても(特にこちらのようにそのことにさして努力を傾けない手合いには)その傷と痛みを分有するのは難しいと、ともに諦めが先立ちそうになる。とはいえ、これをぬけぬけと葬り去ろうとする流れが波状的に起こるのが人間社会の常で、同時に「決して忘れない」と本書のように全精力を注いで真相に迫ろうと企図とする個人(一団)も反作用のように(あるいはこっちが先で)現れる、そのことの心強さと、それを媒介に経験者の空恐ろしい思いと繰り返してはならないという意思が後の(国外にも)者に「言葉」によって託される、これはいい実例でしょう。

岩崎保則(61歳)

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