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第86回 生の終わりについて 私の知らない二、三の事柄

第86回 2017年5月

 

 

 

生の終わりについて
私の知らない二、三の事柄

 

 

 

鈴木創士


石井恭二『心のアラベスク』『正法眼蔵覚え書
ノヴァーリス『日記・花粉
バタイユ『無頭人

 肉体は肉体ではない。
 肉体は肉体をつくりだし、病み、やがてそれを衰亡させる。肉体の滅却は肉体が望んだことであって、肉体のプログラムはそれ自体ただのプログラムではないし、恐らくプログラムとは死がつくりだしたものだと私は考えていたが、それは一刻一刻と、刹那に変貌を繰り返してきた。だが肉体は変幻するとはいえ、肉体それ自体は自在ではない。『心のアラベスク』という本のなかの石井恭二の言葉を借りれば、肉体はぐずぐずしていても、死の時に臨んでも、つねに直下の今を生きるほかはない。肉体は今を生きているからこそ、死に際に「早く、早く」と言う。「われわれは、愚図々々していても常に直下の今を生きている。先の念仏僧安楽は河原に斬られた。あの女性たちは山野に白骨を晒したかもしれないが、死生の狭間に連なる今を生きたのだろう」。肉体に涅槃はない。なぜならそれはこの狭間にあるからである。生から死へと何かが移行したように見えるのは、ただ肉体がそこにあるからであり、それが生み出す幻影なのかもしれない。生の終わりは、肉体の軽業なのか、それとも生命の苦痛に満ちた手品なのか。

 かつて肉体はあった。
 時間のなかに出現したかに見えた永遠は「かつてそれがあった」のなかでしか永久に消えない一瞬の光芒を放つことはできないし、いつまでも到来することのない未来の闇雲の行動を照らし出せないが、それも現在の肉体にとっては今この時の錯覚でしかないのかもしれない。肉体は肉体の衣を纏って玄武岩のように実在したのだが、もはやそんな肉体はどこを探そうともありはしない。肉体は自分で自分を証明できないし、ただ自噴し、自奮することもあるだけである。自噴したのちに、自滅するだけである。

 生はどこにあるのか。肉体を取り巻く生はどこにあったのか。
 恋人ゾフィーを失った後、ドイツロマン派の詩人ノヴァーリスは、その『断章』のなかに「生命の理想的分解から肉体と霊魂が生じる」と記しているが、まったく理想的とはいえない離接的綜合を絶え間なく繰り返してきたのはむしろ肉体のほうである。それは医学的事象を越えている。そうであれば、霊魂もまたそれを越えるという意味で医学的事象である。たしかに生の終わりに肉体と霊魂が分離したように思えるのは、ただ肉体が肉体であることをやめて、別の名前をもつようになるからにすぎないのか。そう思ったのも一昨日のただの早とちりでしかなかったのだろうか。ノヴァーリスが言うように、ほんとうに生命は分解したのか。では分解とは喜びなのか、生命の苦痛なのか。そうはいっても、霊魂が分解して生命と肉体が生まれたのではなかったのか。誕生はどこでどんな風になされたのか。生命は分解したりするのか。私は生きているではないか。私は自分の肉体をもてあましているし、自分の霊魂におずおずと問いかけることしかできない。そいつは私から離れたところで明後日のほうを向いたままだ。霊魂と生命は同じものではないのか。違うものなのか。
 私は頭(こうべ)を上げる。私は頭を垂れる。もう一度頭を垂れて、肉体を想う。消えない肉体を想う。そして消えた肉体を想う。

 生はいつも死を前にしているのだろうか。
 バタイユは『死を前にした歓喜の実践』をこんな言葉ではじめている。「世界が破壊や苦痛をもたらすことなく幸福に自分のうちに反映されているような状況に置かれているときに――例えば、あるうららかな春の朝――、人間は、その結果である陶酔や素朴な喜びに思わず身を任すかもしれない。それと同時に、彼はまたこの至福の意味する空虚な平安の重々しさと無駄な心配にも気づくかもしれない。そのとき残酷にも彼のうちに沸き起こるものは、一見穏やかで澄んだ青空のなかで自分よりも小さな鳥を噛み殺してしまう猛禽に比肩し得るものだ。彼は仮借のない運動に身をゆだねずには生を完遂できないことに気づくのだが、その暴力が、彼自身の最も閉ざされたところに、彼をたじろがせる厳しさをもって行使されるのを感じる」。
 私はバタイユではない。生の終わりには何かしら厳格で荘厳なところがあることは承知しているつもりだが、生の暴力が私をたじろがせることはない。生の終わりが美しいのは、それが残酷であり、どんな形で終わるのであれ、同時にある穏やかさを帯びているからである。この穏やかさは至福ではなく、悲しみである。そしてそれが美しく思えるのは、この生の終わりが肉体の、肉体という観念と実体の終焉でもあるからだ。バタイユの神秘主義のなかには厳として肉体と肉体の苦痛が居座っているが、このキリスト教的身体から私は容易に身をかわすことができる。生は不埒である。不遜で不易で不毛で不浄で不潔で不快である。あの鬱陶しい生! 私はそれが完遂されないことを知りながら、寝転んだままそれに挑戦してみたい。そんな風に思うことがある。

 人は死ぬためにこの世に入ったのか。ここから出て行くために。
 しかし道元は『正法眼蔵』の「行仏威儀」の巻で言う。「だが、知るべきである。人はそれぞれの尽界に出、彼の尽界とともに死に入る。人の出生は出と云いうる。生死はその始めから終わりまで、珠を転がすような自ずからの在りようである。行仏によって得る悟りを有たらしめているのは、それが乾坤大地を覆っているからである。人の生死去来はその人の尽界である。それは微小な場でありながら、蓮華のような広がりである。人界であり仏土である、この微小な場、蓮華のような場が、人にとってのそれぞれの尽界なのだ」(石井恭二による現代語訳、以下同様)。
 行仏威儀。いい言葉だ。少なくともバタイユよりはいい。意味など問わない。行け、行け! 生のみを、死のみを伝えることはできない。行くだけが取り柄だ。喋っているよりはましだ。シャトーブリアンは、時間がアル中の手の震えのように震えるのであれば、飛び去るのは魂なのだと言っていた。
 再び、道元。「全機」の巻。「生は来るのではない、生は去るのではない。そのままの即時的な生を成というのではない。そうであるが、生は六根全身の活らきの現れである。知るべきである。自己は無限の現象を内在しており、そのなかに生があり、死があるのだ」。
 生は去来しない。死は来ない。ただそこにあったのである。この死は存在しないも同然である。釈迦が言うように、この世が幻影であれば、死もまた幻影である。道元は、涅槃を生から死に移ることだと考えるのは誤りだ、とも言っていた。生から死への移行はそんな風に見えるだけで、存在しないかもしれない。われわれの限られた世界が蓮の葉っぱのような広がりをもっているのであれば、死は誕生と同時にわれわれとともにあり、遥か昔から泥のなかでわれわれと同棲していたことがわかる。死は蓮の葉っぱを転がる水滴である。肉体は衰弱し、その水滴をとり集めて、肉体を変化させてきた。肉体の業を離れた水滴のへんげは自在でもなくまた自在でもあったのだ。肉体は滅却し、水滴は蒸発したのである。

 ここでは今年は寒い日が続いて、桜の咲くのが遅かった。私の母の容態が重篤になったとき、山麓の病院へと向かう並木道は桜が満開だった。やがて桜の花もすっかり雨で散ってしまい、並木道の青葉の新緑が目にしみたまさに最初の日の夜に、母は亡くなった。

 願わくは花の下にて春死なんその如月の望月のころ

 西行法師は自分の詠んだこの歌のとおりに桜の咲く頃に逝ったのだから、高野の山奥で人骨を集め、反魂の術を使ってそれを蘇らせたあと怖くなって逃げ出したとはいえ、死が喜ばしいものであることを証明したのである。

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