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第99回 これが実に私のからだである

第99回 2018年6月





HOC EST ENIM CORPUS MEUM
これが実に私のからだである





鈴木創士


カール・クラウス『黒魔術による世界の没落』(エートル叢書18)
アンドレ・ベルノルド『ベケットの友情』(エートル叢書22)

「癌にかかった言語のみが新しい教養形成に向かいつつあるのだ」
――カール・クラウス

 イエスが自分の肉体を弟子たちと民衆に示したとき、ゴルゴタの丘には腕組みをした悪魔がひとり岩にもたれて立っていた。イエスは死んだ。空は急にかき曇り、稲妻が走り、ユダヤの神殿はまっ二つに裂け、崩れ落ちた。人もまばらになった嵐のその丘で、悪魔は皮肉な笑いを浮かべていた。その笑いが何なのかはわからない。歴史はそれに答えない。かくして最初の事件は終わった。以下同様。
 死せる肉体、ということは生きていたはずである肉体、その肉体の儀式の形を装うミサの言葉はこんな風に終わる、「ITE, MISSA EST. 行け、ミサは終わった」! 世界にふさわしくない死体がそこで示されたのであれば、そしてグノーシス主義者が言うように、知るということにおいて死体、すなわち元あった同じ肉体と世界が等価なものになったのであれば、なおさら私も君たちも追い出されたのであるし、お払い箱になったのである。栄光の身体はどこへ行ったのか。どのあたりを彷徨っているのか。さようなら。いや、訣別の言葉などありはしない。だが肉体は用済みになったのだろうか。

 文章はひとつの思考ではない。言葉はどこから来るのだろうか。私の記憶は私の主体にとってどういうものなのか。
 それ自体じつに驚くべきことなのだが、病人となったフラソワ・マトゥロンはベッドに横たわりながらソシュールのこんな文章を思い出していた。「心理学的には、われわれの思考は、言葉によるその表現を捨象してしまえば、かたちのない不分明なかたまりにすぎない。哲学者と言語学者はたえず一致して、こう承認してきた。記号の助けがなければ、われわれは二つの観念を明晰かつ恒常的に区別することができないだろう。それ自体として把握された思考は、必然的に境界づけるものがなにもない星雲のようなものである。あらかじめ確立された観念は存在せず、言語の登場よりも前にはなにも判明ではない」。
 フランソワ・マトゥロンは、脳卒中を起こす前に、ソシュールがそうとう間違ったことを言っていると考えていたが、卒中後にその確信はほぼ彼の肉体的現実となる。思考は星雲のようなものではない。心理学は何の役にも立たない。少なくとも彼にとって(このことは普遍性を要求してあまりある)、それ自体として把握された(それ自体として以外の仕方でいったい何が把握されるのか)思考は星雲のようなものではなかった
 まずファーストネームが失われた。妻の名前も忘れそうになった。「ものの名前を思考に定着させられない」。多くの単語が頭のなかに現れては瞬時に消えてゆく。記号は、逆に思考によってそれが発せられたのでない限り何の助けにもならない。記号の助けがあろうとも、必然的に境界のない星雲のなかにあったはずの二つの観念を、肉体的に明晰かつ恒常的にいかにして区別するのか。精神と肉体はすでに明晰かつ恒常的に分離されたのか。まず思考は名前をもっているなどと誰が言ったのか。俺は野菜になりたくない。俺はアレではない。俺は君ではない?……
 病院に到着した翌朝には、マトゥロンはほとんどしゃべれなくなっていた。何とか口にできた単語は「ひげそり」。なぜそれを言ったのか、それがなにを意味するのかはマトゥロンの子供たちにもわからない。神さえそれを知ることはない。マトゥロンは神ではないし、神は神でしかない。
 すぐに強烈な一夜が訪れる。キャロルという妻の名前を覚えておかなくては、キャロルという名前を覚えておかなくては、覚えておかなくては……。キャロルは再び星雲のなかに消えてしまうのか。だがキャロルは星雲のなかから出てきたのではない。この内的体験は肉体の延長の経験でもある。スピノザが言うように、身体が身体の延長でしかないならば、肉体は彼の外に出てしまっていたのだろうか。馬鹿のひとつ覚えのようで恐縮だが、たしかに肉体は肉体から抜け出すのである。かつてアルトーは言っていた、「神よ、俺の肉体をどうしちまったんだ!」、と。
 だがそのときから「思考の地平が安定しはじめる」。マトゥロンは思考の地平と言ったのであって、それは言葉の地平ではない。何が起きたのか。これはある意味でものすごい経験だと思われるが、時間が流れはじめるのである。以前と以後。時間のゼロ地点。つまりそこに、その経験に、「無」が、アルチュセールの言葉を借りるなら「無からの始まり」があったのである。
 「まず時間のゼロ地点ができる。するとゼロ以前の時間もでき、そこでは卒中はすでに起きている。一種の時間以前の時間である。そしてはじまりが来る。無からのはじまり。そのときまで読書を通じて垣間見ていただけの思想を、ぼくは自分の肉体で経験した」。
 こんなことを言えば、いまだに数々の肉体的不都合、肉体的大惨事を抱えるマトゥロンには不本意かもしれないが、ここには新しい肉体がたしかに出現しているのである。私は不埒にも肉体の自由という観念すら思い浮かべてしまう。そして生の、生(なま)の苦しみがいつも事後的に語られることを回避できる言葉の事実性はそこから出てくるのかもしれない。これは私のからだである。そう言うことができるのだ。これは私のからだではない。そう言うことはできるのか。だからスピノザ主義者である哲学者マトゥロンは、「誰が身体を、その力能を、その無力を知っているのか」とたえずわれわれに問いかけるのである。

 こうして『もはや書けなかった男』(航思社刊)という本が書かれることになる。
 哲学者であり思想史家であるフランソワ・マトゥロンは、死後出版されたアルチュセールのかなりの著作を編纂・校訂した。盟友である市田良彦らとともにかつてアントニオ・ネグリを中心とする雑誌『マルチチュード』の編集委員であったし、ネグリの本『野生のアノマリー』と『構成的権力』の仏訳者である。市田良彦はこの日本語版『もはや書けなかった男』の翻訳者であるが、フランス語版原著のあとがきも書いていて、これにはいささか複雑な経緯がある。

 それは突然やってきた。二〇〇五年十一月、フランソワ・マトゥロンは脳卒中に見舞われる。すぐさま入院。言語に障害が現れる。堪能だった英語やイタリア語は読解もままならなくなる。不都合は歩行や排泄その他にも及び、断続的に鬱状態がそれにともなった。二〇〇六年九月、リハビリ訓練中に、何とかしゃべれた彼は録音をはじめる。ああ、何と、書くためである。最初はテープレコーダー、続いてコンピュータの音声入力装置を使った。多くの忘却に苦しんだが、記憶は空っぽではなかった。だが、もう一度言うが、主体にとって私の現在の記憶とは何なのか?
 彼は少しずつ書きはじめる。卒中から一年後、同名の短いテキスト「もはや書けなかった男」が書かれることになる。本書を通読したいまでも、率直に言って、それにしてもどうやってこれを書いたのだろうかという思いを私は拭い去ることができないでいる。この短いテキストは雑誌『マルチチュード』に掲載されるが、これが本書の元になっている。
 少しずつ書いたものをマトゥロンは市田を含む数人の友人たちにメールで送ったが、その冒頭には必ず次のような言葉が記されていた。「きみにこのテキストを送る。ぼくにはこのテキストが自分以外の人のためになるのか分からない。きみには?」
 この文章もそれに対する友人たちの返答も、おそらくそのままの形で本書に何度か登場するが、これを著者マトゥロンはテキストのなかに自分の思考を強調するかのように挿入したのだから、したがって「きみ」とは読者である私や君たちということにもなるだろう。証言はそもそも個人的なものだが、ここにはエクリチュール自体の非個人性があって、この非個人性は個人と等価である。
 だからこの本がまずマトゥロン自身のために書かれたのはうなずけることであるとはいえ、本書は単なる証言でもなければ(驚くべき証言であることに変わりはない)、単なる闘病記でもなく(驚くべき闘病記であることに変わりはない)、都合三回、フランス語草稿、最初の一部の日本語試訳、そして本書を読ませてもらったのに、私はまともにこの本を書評することができない……、などと言っても何の言い訳にもならないが、それでも私はいくつかの点でこの「哲学的」著作に深く魅了されてしまっているのである。正直に言って、こんな本を読んだのははじめてである。これは私の経験である。だが読むことはたやすい。どうやって書けばいいのか。
 病に翻弄され続ける生活上の大災厄、尿や大便をあちこちで不本意に漏らしてしまう強迫的情景(「性器から糞をたれた」)は、本書のなかで何度も繰り返される忘れがたいくだりだが、これら読者を呪縛せざるを得ない(少なくとも私の場合はそうだった)記述は、まるで「閃光」のように、繰り返される始まりの閃光のように(それがニーチェの言う運命愛の悲しさを伴っていないはずはない)、何か「幸いなる罪」あるいは日常の「変様」や「欠落」のように(それが生のおかしさを伴っていないはずはない)、スピノザやアルチュセールの思考、それだけでなく例えばアルトーの墓の反対側の叫びやセリーヌのおっさんじみた憤懣と接しているのを哲学的著述のなかに見ることができるのはとても稀なことである。それは予想どおり必然的であり、予想に反して奇跡的な力能にさえ思える。わざとやったのか。何ということだろう。言葉を失いかけた、もはや書けなかった男がこれを書いたのである。

 この本には書かれたものとしての目覚しい特徴が他にもある。それが著者の意図であったにしろ、そうでなかったにしろ、どちらでも私にはたいしたことではない。ここで語られている、というか書きつつ流れ去った時間の見かけの上での混乱。発作以前の時間は取り戻すことができたのだろうか。時間は取り戻せない。では、それは現在の記憶なのか。一気にそこへ行こうとしても、記憶の層が雪崩を起こしているのか。それは肉体の仕業なのか。記憶の欠落は記憶を埋めるという持続する私の行為が生み出す錯覚なのか。いや、つねに記憶は、私が生きることによって、生きている時間によって欠落し続けている。時間の流れ自体が欠落している。仮象のように見えるものが、ここで否が応でも私を現前させ続けているのがわかる。私とは主体の妄想なのか。私は書けなかった。もはや書けなかった。発作のずっと前から持続する時間のなかでそんな風にどうやって書くのか。マトゥロンと比べればさしたる重大事態に陥っていない私にも、ほんの少しだけ覚えがあると言えば僭越に過ぎるだろうが、病人にとって過去はずっと続いている現在なのか。そんなことがあり得るのか。出来事はほんとうに起きたのか。
 それから人称の混淆と交差。君と私と彼と彼女は、もちろん入れ替え可能なのだ。誰が語っているのか。君なのか。マトゥロンなのか。それならば肉体は、言葉から出てきた肉体はどこにあるのか。それはなるほどフランソワ・マトゥロンの記憶であり、欠落した言語能力、欠落した記憶そのものが為したのかもしれない力能と無力である。テキストは時間のなかで不動ではない。身動きできないのは三面記事のなかの事件であり、病床のマトゥロンがテレビのニュースで見たイスラムゲリラによって首をかき切られた気の毒な神父のほうである。歴史は進行しているのだろうか。
 こうして人称もまたまったく不分明でしかないひとつの記憶の混乱、つまり記憶の特性のなかにあったということがわかる。唐突に、メキシコの作家ファン・ルルフォの『ペドロ・パラモ』という小説を私は思い出す。インディオの農民かメスティソの語り口、平易な語り口のこの小説は結局のところ極めて難解である。語っているのは生きている者なのか、死者なのか。生きていると思えば、そう、死んだ奴が顔を出す。語っているのは私ではなく、死者であり、彼はもうそこにはいないので語ることはできない。現在は過去であり、過去はここにあって、現在は過去を、過去の出来事とその意味を、事実の向こうに、メキシコの現実の向こうに抹消し、未来はそのまま過去と地続きである現在である。
 
 脳卒中から五年後の二〇一〇年、フランソワ・マトゥロンと市田良彦はアルチュセールの哲学をめぐるコロキウムに二人一緒に出席し、コンビで発表を行う。フランソワはまだ歩行と発話が困難な状態にあったし、介護も必要だったはずである。詳細については戦いの同伴者である市田による「あとがき」を読んでいただきたいが、この二人三脚の不思議な思考実験ならぬ思考実験、この思考の稀有な営みは、さらにアルチュセールやスピノザについてのコロキウムの発表という形で続くことになる。本書には、その際の口頭による文章が引用符も何もなしで恐らくそのまま新しい思考実験のように挿入されている。これらの混淆的記述は望ましいもの、目覚しいものであるとさえ私には思えたし、この本にひとつの動かしがたい魅力と奥行きを与えている。
 そんなことこんなことを行うために市田良彦はマトゥロンを見舞い、話し合い、彼の文章を読み、困惑し、助言し、同情し、同情を退け、Skypeし、メールを幾度となく送り、彼の妻と話し合い、互いが互いを照らすように自分なりに考えたことだろう。かつて議論があった。転倒と逆転があった。関係も、そして同じことだが、特殊な非関係もあった。雑誌の編集委員会では諍いもあった。他の連中。国際的な人脈と言っていい。雑誌は分解した。マトゥロンが倒れたので、市田は一人でヴェネツィアに、その後二人でポツダムにも行った。市田はマトゥロンの家にも立ち寄った。飯も食った。パリではまた二人で講演をやった。スピノザをめぐって「空虚」について考えた。フランソワ・マトゥロン。大学人や研究者のいつもの凡庸な常套手段なんかまったく関係ない。あいつは何も忘れていない。完全に覚えている。あいつは書けなくても、書くことを忘れていない。
 二人はペーソス満載のセピア映画のなかのユーモラスな登場人物のように、コロキウムやシンポジウムでは当然のように周囲から「浮いていた」し、しらければしらけるほど理論からも同じく自由でなければならなかった。この障碍者と一応の健常者である前代未聞のコンビは、二人の師であるアルチュセールの教えに倣ったのだろうか。ある意味ではそうであるし、ある意味ではそうではない。あるときマトゥロンから市田にメールが来る。「サンタンヌにいるんだ」。つまり「気違い病院にいるよ」。市田の返事は「アルチュセールになったか」。妻を殺害した後のアルチュセールには、私の想像だが、悲しいかな、夢のなか以外にこんなやり取りはなかったはずである。
 アルチュセール、スピノザ、脳卒中。
 奇妙な二人。奇妙な書物。奇妙な友情だ。感動的ですらある。感動的という言葉はふとどきかもしれない、読者である私が勝手に感動しただけなのだから。だがあえて友情をそのまま書くつもりもなく友情をめぐる本というものがある。最近読んだのでは、タハール・ベン・ジェルーンの『嘘つきジュネ』。それからアンドレ・ベルノルドの『ベケットの友情』というのもあった。同じナイーヴさなどではない。同じ虚栄などではない。そんなものはない。同じ矜持でも同じ断絶でもない。市田が言うように、理論的なものと個人的なもの、経験的なものはまったく区別できない。書くことも区別できない。書くとはそういうことでもあるのだ。偶然性唯物論がある。青空の下、暗闇のなかを(どちらでも同じことだ)ズレていくものは美しい。原子には斜めに傾いた跛行性もある。これらの二冊の本ともども、本書もまた未曾有の記録であり、他の二冊の本と同じく、あるいはそれ以上に前代未聞のとんでもないエクリチュールであって、マトゥロンと市田がともに引用するアルチュセールの次の言葉にある別の豊かな光を、ある新たな意味を付与しているように思われる。「ぼくは自分と直接かかわりのないことを、理論においてなにも理解できない」。
 そうだ、だからこそわれわれにはそれが理解できるのである。

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