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万世一系皇国史観というカルトの呪縛から抜け出すに相応しい一書

小林惠子著『白村江の戦と壬申の乱』(現代思潮新社)を読んで

 朝鮮半島に百済の権益を奪還すべく、倭国九州王朝は唐・新羅の連合軍に戦いを挑んだが、壊滅的な敗北を被り実質的に崩壊した。その結果北部九州は一時期唐の軍隊に占領され大宰府に「都督府」がおかれた。残存勢力となる中大兄皇子(天智天皇)や大海人皇子(天武天皇)たちは、九州に新しい政権を樹立することは出来ず、近畿▶近江、大和に撤退し、ここを拠点に新たな政権・大和朝廷を立ち上げた。というのが本書の背後の大まかな歴史背景となる。
 その後、大和朝廷藤原政権独裁下において国家体制を内外に明らかに宜言すべく編纂されたのが『古事記』や『日本書紀』であるが、そこには日本列島に先行する王朝は消され、その事績は近畿天皇家の歴史として書き換えられ、古い時代の出雲王朝や九州王朝の事跡はほぼそのまま神話時代に押し込め、自らの祖先の物語としている。これが所謂近畿天皇家の正当性を主張するために作られた我が国の『正史』とされる『記・紀』の実像であろう。作業にあたった心ある人たちによってここには多くのダビンチコードがしくまれている。
 当時の上層部の人々は誰もがそれを知っていたが口には出せなかったその中でただ一人、《史書は嘘ばかり、真実は物語にしかない》と言ってのけたのは『源氏物語』を書いた紫式部だったといわれる。彼女がいう物語とは何を指すのかはわからないが、おそらくは『竹取物語』もその一つではないかと想像される。竹取りとは筑紫盗り。かぐや姫は九州王朝最後の血を引く姫君、三種の神器とともに輿入れしようとして結納の神器だけ奪われて血筋は絶える。倭国九州王朝はここで終焉し、新たに日本国近畿大和朝廷が「大宝」の年号をもってはじまる。これ以前の年号は全て《九州年号》。・・・と、大体こういったことあたりまでは在野の研究者によって明らかにされている。在野に限らず、聖徳太子は実在しない架空の入物であった事等は、今や研究者間ではほぼ常識となっているようである。ゆかりの法隆寺も、実は九州王朝大宰府の観世音寺にあった建造物その他を、そっくりそのまま斑鳩に移設しリホームした形跡が検証されている。

 さて、筆者小林惠子・在野にあって孤軍奮闘するその姿は、さしずめ「現代のかぐや姫ないしは紫式部」と私には映る。内外の多岐にわたる史料批判も徹底し緻密精力的で素晴らしい。『記・紀』だけを金科玉条とする「一元史観」つまり万世一系皇国史観というカルトの呪縛から抜け出すに相応しい一書だと思う。
 この「一元史観」に最初に疑問を持ち、徹底した史料批判をもとに、歴史を科学する「多元史観」に道を開いた先駆者は、やはり在野の研究者・古田武彦(古田史学の会主宰)だった。その彼さえ当時は記・紀に引きずられ、例えば「神武東征」を九州から近畿へと読み違えていた。今は、筑紫に降臨した天孫族が、同系列・先住する天神族・豊国(遠賀川流域圏)への侵攻であったことがほぼ明らかにされつつある。そのようなことで本著者自身も完全に記・紀から解脱しているとは言い切れない部分もあるように思う。しかし今の原子力村・歴史学会というマスコミも含めた巨大な利権集団を、崩壊へと導く強力な戦力になっていることに間違いはない。どうかその大事なお宝を、かぐや姫のように騙し取られることがないようにと祈るばかりである。
 そうはいっても教科書で洗脳されている一般国民は「一元皇国史観」の呪縛からまだ解き放たれてはいない。一日でも早くそこから脱け出して、「多元的な史観」に拠って我が国の歴史とその真実の姿を知り、そして、現憲法の理念をよりどころとして成り立つ現在の天皇制を、国民皆が素直に、かけがえのないものとして受け止めることができる日の来ることを期待したい。
 実は、このことを最も強く思い希求する第一人者、それは畏れ多くもわたしは今上天皇陛下ではないかと思っている。あえてマスコミは取り上げようとはしないが、陛下の言行の数々から、ご自身の後姿をもって国民にそのメッセージを発信されているように思える。私達はそれを見過ごし聞き過ごしにしてはならないように思う。
 書評を述べるつもりで、話がとんでもないところまで飛躍してしまって大変申し訳ないが、一介の読者に過ぎない私を触発して、以上のようなことまで書かせてしまうだけのインパクトとスピリッツを秘めていたのが本書の内容であった事だけは、最後にきちんと述べて、この感想文を閉じたい。
                                                      吉田耕一・熊本県

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