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第41回 悪魔……

第41回 2013年8月


                                      
悪魔……

 

                                                                    鈴木創士


                                                                           
ヴィンフリート・メニングハウス『美の約束』(近刊)、『敷居学
マルキ・ド・サド/澁澤龍彦訳『悪徳の栄え』、『悲惨物語
アントナン・アルトー『神経の秤・冥府の臍
鈴木創士『アントナン・アルトーの帰還
ノヴァーリス『日記・花粉
                                                                          

 

 はたして「悪魔」は美学の範疇に属しているのだろうか。人も言うところの美学の範疇に? とんでもない! 大仰なことを言いたいのではない。美学が何によって生み出されることになったのかを考えてみるだけでいい。

 現代ドイツの哲学者メニングハウスの『美の約束』の翻訳のゲラ刷りを見せてもらったのでぱらぱらめくっていたら、個人的なことながらある決定的な事に気がついた。この本は「美しさ」についての、美学的というか、哲学的問題にまっ正面から切り込んだ野心的と言ってもいい本で、ダウィーンの性淘汰論を美学として考察するという何とも驚くべき章もある。つねに背後に控えているのはフロイトとカントである。
 かつて読んだことのある美術史家と呼ばれる人たち、エミール・マールやアンリ・フォションやエリー・フォール、バルトルシャイティスやアンドレ・シャステルやロベルト・ロンギの著作のなかには、私にとってとても好ましい、それどころか知的な意味でも文章という観点からしても非常に興奮させられるような頁が数多くあるのだけれど、このドイツ哲学者の本に触れて、あらためて私にはこの「美」の哲学というやつがまったく理解できないということを再認識させられるはめになったのである。
 残念ながら「美」を一般的に解釈しようとする能力がたぶん私にはどうしようもなく欠落している。要するにそもそも私はカントの哲学がまったくわからないのだ。いくらカントとサド侯爵が同じ穴の狢(むじな)だと誰もがもっともらしく訳知り顔で言おうとも、仮にそんな奴がいるとして、カントの敵というものにかつてどれほど憧れたことか! 若気の至りや尊敬の念がないということではない。そういうことではない。カント的世界。告白するなら、カントの熱心な読者だったことは一度もないのだが、むしろ私はその手の大問題を明後日の方に放り投げておいて、あらゆる面であれほど理知的だったカントが晩年にぼけてしまったということの方に興味を覚えるくらいである。19世紀イギリスの作家トマス・ド・クィンシーの短篇「エマニュエル・カントの最後の日々」はいまでも好きな小説のひとつである。

 とにかく美の問題は複雑にできているらしい…。カント的問題には、生々しいものであれ、古代ギリシアの唯物論風であれ、形而上学的であれ、はたまた神学的であれ、「イマージュ」についての考察がすっぽり抜け落ちているように思われる。そんなものは問題にすらならない。カントは物を見ていたのだろうか。「物自体」はイマージュとの光の照応を断っていたのだろうか。ともあれわれわれは何かを見ている最中なのだから、いくら「美」の哲学というものが複雑な代物であっても、美学が「感覚の論理」であるならば、ある曲線を、ある直線を、ある水の流れを、ある風景を、ある瞳を、ある動物を、稀にはある人の心の様を、ある横顔を、ある瞬間を、ある花や樹を、ある音楽を、ある静寂を、ある肢体を、ある朝と夜を、美しいと思うのは、まずはとても単純で揺るぎないことのように思えるのだけれど…。この点では私はいつも実在論と唯名論の中間を漂い続けざるを得ないということになる…。

 それなら、ガラっと視点を変えてみよう。はたして悪魔の美しさというものがあるのだろうか…。ウンベルト・エーコには「醜」をめぐる美術についての本があるが、私が言いたいのはそういうことでもない…。

 ルネッサンス後期の作曲家カルロ・ジェスアルドは妻とその情人をまさに不倫現場のベッドで惨殺したが、後にこの凄惨な事件の起こったナポリの館に住むことになったとんでもない人物がいる。18世紀の領主サンセヴェーロ公ライモンド・ディ・サングロである。惨劇はまったく別のかたちで受け継がれたようだ。悪魔の君主と呼ばれ、死因に諸説があるライモンドは、この血塗られた館の隣にある、不気味としか言いようのない(わかる人にはわかるだろう)礼拝堂を自分の先祖たちのために再建し完成させたのである。ライモンドは、事典の類いでは、他に言いようがないからだろうが、発明家、解剖学者、軍人、作家、イタリアのアカデミー会員とされているが、フリーメーソンであったとも言われている。
 このスパッカ・ナポリ地区にあるサンセヴェーロ礼拝堂の地下では、要するに錬金術師であったらしいライモンド公爵によって夜な夜な人体実験が行われ(ずっと後になって縦方向にまっぷたつに切断された頭蓋骨が館の井戸の中からほんとうに発見されている)、礼拝堂には夜ごと悪魔がじきじきに姿を見せていたという言い伝えさえある。事実、礼拝堂の地下には、血管だけでできた本物の人体がいまでもある。成人男性と、もうひとつは妊婦のものである。骨格を残して、そのまわりにからだじゅうの血管だけが、大静脈、心臓、動脈、足先や手先の毛細血管にいたるまで、網の目のように複雑に張り巡らされている。肉はまったくない。この人体は、植物的想像力がわれわれのひとつの限界領域を示しているという意味で、まるで奇妙な植物のようだ。どうやって血管だけを腐らずに残して実物の人体模型をつくることができたのかいまだに不明らしいが、一説では、血管に水銀か何かを流し込んだのではないかとまことしやかに囁かれている。血管の中に何かを注入したということは、つまりこの生贄がまさに生きている間にそれをやったということである。暗い血管の中で阿鼻叫喚の夜が溢れ出し、悪魔が咆哮していたのだ。
 明らかに実際に魔術を行っていたとおぼしいこの君主のことをはじめて知ったのは、たぶん澁澤龍彦の著作だったと思うが、いま近くに本が見当たらないので正確に参照することはできない。私の記憶が間違っていなければ、澁澤さんはこのサンセヴェーロ公というマッドサイエンチストとしての錬金術師=科学者の特徴を描き出すのに、まずは血管人間にいたく興味を抱いていたように思う。だが「悪魔の美しさ」という点では、私にとって、この血管人間よりももっと恐るべきものが、あたかも死体のように礼拝堂には「安置」されているのだ。後期バロックの彫刻家たち(ロココであるとも言われるが、イタリアにはロココは存在しなかったとする美術史家たちもいるのだし、私も明らかに彼らの作品にはバロックの特徴が見られると考えている)、アントーニオ・コッラディーニ、フランチェスコ・クエイローロ、ジュゼッペ・サンマルティーノの大理石像である。悪魔の弟子ライモンドはすでに老体だったヴェネツィアの彫刻家コッラディーニをローマから呼び寄せ、これらの驚くべき仕事を依頼したのだ。そしてサンマルティーノたちが、死去したコッラディーニに代わってその仕事を引き継ぐことになったのである。
 

 

 

 

 

 

 何と言えばいいのだろう。真の恐怖がそこにある。これらのキリスト像などは、紛れもなく超絶技巧のなせる業であるが、その超絶さは悪魔の介在によるものとしか考えられないくらいである。ライモンドの母の墓のモニュメントであるコッラディーニの「ヴェールで覆われた謙遜」(キリスト教的、あるいは聖トマス的に言えば、「謙遜」はひとつの真実の形であり、ベルニーニの作品のタイトル「暴かれた真実」とは対照的である)。どう見ても両性具有のキリストか、実際には完全に神に見捨てられて絶望の果てに死んでしまったキリストにしか見えないサンマルティーノの「ヴェールに覆われたキリスト」。「エリ、エリ、ラーマ、サバクタニ」はこの大理石像のためにあるとでもいうように…。これらの異様なオーラは降霊魔術の産物なのか。それとも作品が完成しこの礼拝堂に設置されたあかつきに、ライモンドが何らかの魔術を施し、呪いをかけたとでもいうのか。とにかくこれらの作品(作品? 作品が名状し難い営みだという意味でなら…)とそれらが安置された礼拝堂は、いくら気持ちが悪いといっても言い足りないほどである。
 この奇怪な礼拝堂にある絵画やその他の作品が、普通、教会ではそのように事が運んでいると敬虔な信者なら誰もが信じているように、そして学者たちが最重要事項のように宣う、キリスト教の真理と徳をいかに聖トマス的に寓意として表していようとも、そんなあれこれのものはすでに悪魔の奸計のうちにあったとしか言いようがないのである。勿論、これらの彫刻が第一級の芸術作品であることに変わりはないが、そうであればあるほど、誰が見ても、とにかくこれらの作品が「尋常」あるとはとうてい言うことはできないだろう。
 バロック? だが、ミケランジェロやベルニーニはまさにこの対極にいるではないか。これらの彫刻の居心地の悪さはどうだろう。これらのキリストらがかつて生きていた者だったとはとても信じられない。あるいはバロックの極限を示すバロックの腐敗あるいは崩落なのか? だが、腐敗というにはあまりにも人智や人間性の感触を積極的に越えているし、よくよく考えてみれば、悪魔ルシフェルの語源がそもそも「光を纏う者、光を担う者」という意味だったように、これらの彫刻が放っている言いようのない何かは、さかしまな意味でどのみち「神的」なまでに「暗い」、光を奪われたものですらある。これらの彫刻は非情なまでに深刻である。悪魔からは猥褻な臭いがするとしても、ここには悪魔のもつ通常の滑稽さは存在しない。だが悪魔はたしかに存在するのである。

 私はデモノロジー(悪魔学)の話をしようとしているのではない。そういうことであれば、すでにずっと昔にわが国にも酒井潔の『降霊魔術』や『悪魔学大全』、日夏耿之介の『吸血妖魅考』などという立派な本があるのだから、そちらに当たってもらいたい。それにここでエリファス・レヴィやアレイスター・クロウリーらの魔術に関する言葉や呪文を書き写そうとも思わない。頁が穢れるからだ。アルトーは書かれたものはすべて豚のように穢らわしいと言ったが、少しばかり逆立ちして考えてみなくとも、魔術だって同じことである。
 おおっぴらには言いたくないが、それでも私は悪魔が嫌いである。心理学の話でも美学の話をしているのでもない。自分のことをじっくり考えてみろだって? ランボーが「私はすべての義務を免れている」と言ったのと同じように、われわれはすべての悪魔的慟哭と義務を免れている。青春時代のみならず私は楽園の果樹園にいたとはとても言えないのだから、サタンが恐かったのかもしれない。なんという言い草だろう。少なくともあれらの蠅や穢らわしい空気の精や地獄の沼地から隣の部屋の扉を通り抜けるようにして現れる悪霊と私は戦いたかったのである。おぞましさのあまり、怖いもの見たさで、戦ってみたかったのである。

 私の知る限り、20世紀において作家=思想家の中に悪魔に戦いを挑んだ人がひとりだけはいる。読者諸兄には口をあんぐりする人がいるかもしれないが、何を隠そうアントナン・アルトーである。彼は生きている間にたしかに幾度か地獄に堕ちたかもしれないが、あるいは少なくともギリシア的な辺獄(リンボ)か、チベットのラマ僧たちの言うバルドーの縁を彷徨ったかもしれないが、人がどのように望むと望むまいと、悪魔の世界、この世のオカルト的専制にはっきりとした意識をもって身を賭して戦いを挑んだ唯一の思想家である。たしかに若い頃は逡巡していた節がある。彼の『存在の新たなる啓示』という本を見れば、アルトーがどんな風に占星術や魔術などの世界にどっぷり浸かろうとしていたかが手に取るように分かるし、精神病院への監禁当時のアルトーの宗教的錯乱は凄まじいものだった。だが、その後彼はじょじょにそれから抜け出す。彼は癒えるのだ。精神病院での経験はわれわれの想像以上に彼に別の意味で決定的なものをもたらしたが、精神医学が彼の治療に役立ったのではない。その反対だ。失われた膨大な時間。だがそのことによってアルトーは、いかに当時彼によって書かれたものが複雑怪奇であれ、不思議なことに、やがて驚くほどきわめて単純にして超明晰な境地に辿り着くのである。なぜなのかは正確にはわからない(精神医学は大きな間違いを犯したし、アルトーに関しては今でもまったくの無能である)。それを「向こう岸」と呼ぼうが呼ぶまいが同じことである。
 世界は黒魔術の城塞であるとアルトーは言っていたし、どこにいようとも、それをいたるところで日々感じ取っていた。そのために一度は気が狂いかけたのである。ドイツ・ロマン派の詩人ノヴァーリスは「世界と身体」は世界と身体そのものによって互いを互いに変化させるというようなことを言っていたが、アルトーは誰よりもそのことを知っていた。何度か別のところで引いたことがあるので少しばかり気が引けるが、最晩年のアルトーの言葉をここでも引用しよう。
 「悪魔の世界は不在である。それはけっして確実性に到達しないであろう。悪魔の世界から癒え、それを破壊する最良の手段は、現実の構築をやり遂げることである。なぜなら現実は完成してはおらず、それはまだ構築されてはいないからだ」(「残酷の演劇」)。
 政治の世界と歴史、それとも卑近なところではインターネットの世界を瞥見すれば、一目瞭然だろ! そういうわけである。

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