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お知らせ(第23回 文学の泥棒について)

第23回 2012年2月

文学の泥棒について

鈴木創士

                                       
ジャン=リュック・エニグ『剽窃の弁明』

 「いわゆる剽窃」という文章のなかで、林達夫は、輝かしき理論家だった三木清をこともあろうに人の著作を盗んだ破廉恥きわまる「剽窃家」として弾劾した仮借ない批評家、眉目秀麗(かどうかは私は知らないが)にして頭脳明晰な(この場合は、自分が間抜けであることを知らない単なる形式主義者という意味だ)女性警世家をたしなめたことがあった。つまり剽窃的行為を文化的観点からそれなりに擁護することで林達夫はその文章をやんわりと始めているのだが、その一方で、学問の共有と私有という観点からすれば、学説や思想も資本主義社会においては商品となったのだから、剽窃は一種の財産的犯罪であり、この文化的共有と所有権は資本主義社会においては矛盾し続ける事柄となってしまうと言うのである。つまり氏は、剽窃は多くの場合正当な、あるいは伝統的な行為には違いないが、自分もまた職業的作家(つまりそれで生計を立てている人)であり、著作権所有者であるという矛盾に引き裂かれているわけである。
 だが、林達夫ほどの批評家であれば、物書きとしての自分の首を絞めかねないこれらの危険な両領域に知識人としてきわめて良心的に目配せを怠らないのは当然の話かもしれない。

 だが、そうはいってもだよ、諸君! かいつまんで言えば、剽窃的行為に目くじらを立てるのであれば、そもそも「文化」や「学問」など存在できなくなる、それにそれらがいったい何ほどのものなのか、物を知らないにもほどがある、と氏は感じていたに違いないし、実際それを随所に感じさせる文章の仕儀となっているのだけれど、まあ、そういうところが第一級の知識人だった林達夫らしいと私は思うのである。知的な面では言うまでもなく、多くの点で洒脱な林達夫のことだし、このエッセイのそもそもの動機は、明らかに、衆人環視のなかで囚人を監視するようなことは、いくら篤志な批評家であれ実際は軽蔑に値するのだということをあえてそれとなく言うことにあったと私はあえて誤読しようと思っている。誤読? あ、あ、あ、正直に言えば、私はそんな風にはまったく思ってはいないし、誤読もまた一種の剽窃と言えないこともないのだから、それが味噌であることは読者である皆さんをさておいて私自身が先刻ご承知なのである。ちなみに、漱石もどこかで剽窃について擁護していたが、こちらのほうは、私の記憶が定かであれば、杓子定規で、生ぬるいものだった。

 だが林達夫が言外に臭わせているとおり、「剽窃」はじつに奥深いものであるし、この点では、申し訳ないのだが、私はこのエッセイの林達夫を剽窃しようとは思わない。私が剽窃したいのはジャーナリスト出身である現代フランスの博雅の作家ジャン=リュック・エニグのこの上なく確信犯的な『剽窃の弁明』である(もうかなわないことではあるし、言わなくても不可能であることはわかってはいるが、林氏には、もう一歩すすんで、つまり遥かに確信犯的に、ぜひともこの本の書評でもやっていただき、それをゆっくりと読んでみたかったものである)。

 剽窃とは一種のポエティックである。人にもよるが、人の文章、それも「ぶよぶよの大頭ども」(イジール・デュカス)が結局は絶対に書けないような形で誰かの文章をかっぱらってくることは、ひとつの詩の技法である。あたりまえの話だが、不良は不良行為に習熟しているものである。もちろん剽窃の対象としてはぶよぶよの大頭の書いた文章を盗んでもいっこうにかまわないし、剽窃の相手は人間が書いたものである必要すらないのだが…。

 剽窃の弁明! これこそソクラテスの弁明に匹敵するものではないのか。私はこのエニグの本がとても好きである。思い出したらぱらぱら読むことにしているが、読むたびに新たな発見と、たまには言い知れない悦びをもたらしてくれる。勿論、解説や要約は阿呆のすることだから、私はここでこの本の要約をやるつもりは毛頭ない。第一、私にはその能力がないし、あらゆる「変則的書物」はまずは要約を峻拒する態のものであるからだ! 実際、本書には、随所にじつに味わい深くて、閃光のようにすばやい考察と、そして言うまでもなく目の覚めるような剽窃と引用がちりばめられている。文章に限らない。文章家は縫い子でもある。モードは儚ければ儚いほど完璧なのだから、ココ・シャネルは自分のデザインを盗まれても一切動じることがなかった。言葉、色、光、音、石も木も青銅も生きている芸術家のものだ、ルーヴルを略奪せよ、くたばれ、オリジナリティー!(バロウズ)、というわけだ。だがココ・シャネルもエニグの本も含めて、これほどのオリジナリティーにはめったにお目にかかれるものではないではないか。違うだろうか?

 というわけで、細部に立ち入ることはこの本の妙味を損なう裏切り行為なのだから、著者の冒頭の決意表明だけを次に引用することに――あまり秘密をばらさないために、あえて著者の言い草としてはかなり平凡な箇所を引用することにする。その前にあえて言い添えておくなら、誰が書いたかということをここでみんなにばらしているわけだから、これは引用には違いないのだが、広く平たく言えば、まったく別の文脈とリズム的錯乱のほうへ人の文章をかっ攫ってしまおうというのだから、そして著者の涙ぐましい思考の筋道、その緊張の糸を無残にも断ち切って、オデュッセイアの魔女の煮こごりみたいにいかがわしい別の釜に入れてゆでて冷まして人の文章をゼラチンみたいに固めてしまおうというのだから、引用もまたひとつの立派な剽窃なのである。もちろん皆さんがよく目にする立派な著者の立派な「学問的引用」には、自分の貧しい文章を権威づけるためであることが見え見えの場合があり、これほど恰好の悪いことはない。

  という次第で私はここに、現代のぶよぶよの大頭ども(ロートレアモンの言葉)に向けて手短な美学を、つまり剽窃のエロティシズムを素描したいと思う。というのも、私はこれまで剽窃し、また剽窃されてきたが、この〈オカマホリ〉! とか、よくも魂を奪ったな! とか、俺の実体を盗みやがって! とか、そんなくだらないことを叫んだためしはないからである。私は他人の傘下で、他人の傾きに沿って、他人の仕立てで(縫い子が言うような意味において)それぞれの本を書いてきた。しかしそこにはまた手当たり次第、気の向くままに耽った周辺的な読書の記憶が加わっている。そうした読書のなかで私は文の断片を、ときには語を掠め取ってきたが、こんどはその掠め取った文や語のほうが、知らぬがままに行きたがっている場所へと私を引っ張っていってくれた。こうして、すでに書かれた文が、私の未来のエクリチュールになっていったのである。というのも、文章はつねにそれ固有の意味以外にも無数のことを語っていて、剽窃とはアナモルフォーズ〔意図的に歪めて描いた絵画〕の技法以外のなにものでもないのだから。(『剽窃の弁明』、尾河直哉訳)
   

 ところで、実際には剽窃と引用はどこが違うのか。
 あるいは、もっと先にまで行くなら、剽窃の機微のなかを深く潜行するならこういうことになる。剽窃とはあえて偽装された引用、あるいは不当きわまりない引用に他ならない。それは名乗らない引用なのだから、「第二の手」、それ以前の手によって残された痕跡を消す「第二の手」である。手淫をやるかどうかはまた別の問題である。普通の引用とは違って、ここでは著者の名前は隠蔽されたり、騙し取られたりして、どこかへ消滅してしまう。残るのはただ、砂に埋もれたように行方不明になったテクストの記憶だけ。したがって実のところわれわれの眼前にあるのは、作者のないテクストか、テクストのない作者なのである。
 例えば、ボルヘスのように、嘘の作者、間違った自分からの引用、存在しない書物からの引用だってあるじゃないか。剽窃者はまるで略奪者であると同時にその獲物のようなものであり、女神の裸を見てしまったがために自分の猟犬に噛み殺されるアクタイオンであり、自分を消して文によりよく同化するためにのみ文を横領しているみたいである。いい眺めである。何故に自分を消したいなどと思うのか?
 結局のところ、西洋の最近の有名人に限っても、モリエールやサド、モンテーニュやスタンダール、ネルヴァル、ミュッセ、ボードレール、ロートレアモンから、コンラッド、サンドラール、バロウズ、ソレルス、ブレヒトにいたるまで、他人から盗もうとしているのはじつは自分なのだ。たしかにそうである。作品の背後に姿を消すことと、自分の思考を追いかけることはここではまったく矛盾しない。
 ちなみに、ソレルスの訳者としてソレルスの勇気を讃えてぜひとも言っておきたいのだが、句読点のまったくないソレルスの『H』という小説には、ヘルダーリンについてのピエール・ジャン・ジューヴの文章が、引用符も著者名もなく句読点を抜き取っただけで、そのまま何十行か盗用されていたはずである。

 自己に対する、自己についての、闇雲の、あるいは殺気立った、親密なるアポカリプス的啓示(暴露という意味で)は、その度ごとに、自己喪失という形で成就されざるを得ないわけである。まるで剽窃者は自己のなかにもともと己れそのものの消失を準備しているみたいではないか。またまたいい眺めではある。すべてが逃亡の一事をひたすら夢見ているかのように。だが人は何から逃亡するのだろう。そこまで行くと、こういったことはどれも、もともと書くということの出発にあったもの(それがほんとうに欲望なのかどうかは私は知らないけれど)と見分けがつかないようにも思えるのである。
 一方、引用符のなかに入れることによって、引用は借用してきた恩義を打ち明ける。これはある観点からすれば時間的にも金銭的にもかなりの恩義、また別の見方をすれば安上がりの恩義だが、それによって思考による不法侵入をいわば保障しようというのである。だが、そうは言っても、引用による「容喙」は一種の妖怪を生み出すこともたまにはあるのだし、引用によって聞かれもしないのに横から唖然とするような差し出口を挟むことは、こちらが辛抱さえすれば、話を終らせないで、別の話にすり替えてもらうことでもある。それはそれで結構なことである。

 大急ぎで断っておくが、例えば、学生や助手の書いたものやデータをそのまま自分の所有物のように論文に盗用したり、したり顔で自分の考えたことですという振りをしているつもりの卑屈な学者先生や大学教授はこの限りではない。私が彼らを軽蔑していることは言うまでもない。この手の人たちは自分のけちくさい「業績」と、言うも恥ずかしいことだが、どう見ても哀れにしか見えないしょぼい「出世」のためにそれを行うからである。これは第一、子供でもわかるほどみっともないことだし、学者であれば、少しは誇りくらいもってもらいたいものだ。

 あるいはこういう人たちもいる。こちらは職業作家たちである。いつ頃だったか、エッセイストなるものが巷に流行したとき、名前も忘れてしまったが、ある女流エッセイストが、私は他人の本は読まないと嘯いて、それを自慢にしているのを読んだことがある。あ、あ、あ、それはないだろ! そんなことをわざわざ断ってもらわなくても、読めばわかるんだよ。もともとヘボ作家なんだから! これは自分が文盲ですと言うに等しく、これでは職業的作家としては読者の水準に立つことはできず、そんな体たらくで売文をやるなんてことはただの詐欺行為でしかない。不良がけっして不良品を売ってはならないことは鉄則である。このような発言を新聞に堂々と載せるわれわれの文化とはいったい何ほどのものなのか! これは読者に土下座をすることでもある。例えば、新聞記者による事実をめぐる新聞記事の盗作はあまりいただけない行為だと目くじらを立てる人もいるが(微妙な点を言えば、実際にはほとんど誰もがやっていることだ。事実は共有できると誰もが信じたがっているのであれば、歴史的事実などというものもそんなものではないか。だからこそ物語と歴史は同じものだと言い出す人たちも出てくることになるし、私は彼らに反論するつもりにはなれないのである)、こんな作家たちに比べれば、盗作のほうがまだ愛嬌がある。あまりにも児戯に等しい、こんなくだらない文化的戯言に付き合わされたり、してほしくもないのに「土下座」されることなど、読者としては御免こうむりたいものです。閑話休題。

 ここまで書いて、われわれの和歌の世界にも本歌取りという素晴らしい伝統があることを思い出した。古歌の一句か二句をかっぱらってきて自分の歌をつくるわけである。古今集や新古今に見られるきわめて上品な「伝統」であるが、これは立派な剽窃的行為である。だがその後で定家のやった小細工がよくない。定家は、先人から借り受ける句は二つまでとするなどとした本歌取りの規則とやらをつくったのである。あの定家にしてからが臆病風を吹かせているとしか言いようがないではないか。これでは剽窃が台無しである。
 最近知ったことだが、寺山修司の盗作話が笑える。詳細は高取英の『寺山修司』(平凡社新書)を読んでいただくとして、寺山氏は「自作の」俳句から数句を取って「自作の」短歌にアレンジしたといって非難されたということがあったらしい。あほらしいのでノーコメント! とはいえ、一言。楠本憲吉の言がふるっている。「同一の素材の俳句から短歌ができるなどということは、ジャンル固有の性格を崩しているものであり、それぞれが散文化の危機に…」。ジャンルは壊すためにあるのだよ、おっさん! これがひとつ。
 もうひとつは寺山修司が中村草田男や西東三鬼から盗用したというもの。これは明らかに本歌取りであり、寺山氏の「読み」であり、ほんとにぱくって知らん顔をするなら、こんな誰もがわかる有名人からは拝借したりはしないだろう。雑誌『短歌』の当時の匿名時評が面白い。言いえて妙とはこのことだ。「老生の訓戒をバカにして、対象を変えて模倣巡礼を続けるなら、君は文字通り〈自己なき男〉(これは君の好きな語句らしい)のレッテルを貼られてしまうだろう」。……。
 寺山修司のほうがまっとうだったと考える後世の若輩者としては、これを、この匿名時評家が自己のすべてを賭けて主張したこととは逆しまに、つまりまったく反対の含意として受け取るしかないのだから、この匿名時評家もまた「自己」を喪失し、自己なき男になってしまったのである。自己喪失は単なる物好きの事故ではなかったのである。

 最後に、エニグの本にも取り上げられていなかったので、ジャン・ニコラ・アルチュール・ランボーのじつに惚れ惚れするようなフランソワ・ヴィヨンをめぐる剽窃「シャルル・ドルレアン公のルイ十一世への手紙」を挙げておこう。これは中学校(コレージュ)の修辞学級の課題のために書いた作文なのだが、ランボーの作文が一等賞だったことは想像に難くない。
 「陛下、時は雨の外套を脱ぎ捨てました。夏の前触れが到来したのです。憂い顔には出て行ってもらいましょうぞ! 詩歌とバラード万歳! 教訓劇と笑劇万歳! 願わくば法律屋の書生どもが気違いじみた阿呆劇をどうかわれわれに見せてくれんことを。(…)折り返しのある襟飾りをつけ、装飾品と刺繍をまとったご婦人方に栄光あれ! 陛下、空が青い衣を身に纏い、太陽が明るく輝くとき、木陰で、甘いロンドーを口ずさみ、高らかに明るくバラードを歌うのはまことに心地よいことではありますまいか? わが愛の鉢植えの木ありて、あるいは、せめてひとたび我に許しの言葉を、わが奥方よ、あるいは、富める恋人はつねに勝者となりて、などと… しかしいまこうして私は楽しんでおります、陛下、私と同じように陛下にもまた楽しんでいただきたいものです。善良なるお調子者、これらの詩のすべてを書きなぐった優しき嘲弄家、フランソワ・ヴィヨン先生は、手錠をかけられ、丸パンと水を与えられ、シャトレ監獄の奥で涙を流して、わが身を嘆いているのです! ……」(『ランボー全詩集』、河出文庫より)。
 ここに最後まで書き写すのはいかにも大変なことなので、もし暇でもあれば、ぜひ全文を読んでいただきたい。

 

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