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お知らせ(第25回 地獄の形而上学)

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第25回 2012年4月

地獄の形而上学

鈴木創士

笠原伸夫編『地獄のメルヘン
アンドレ・ベルノルド『ベケットの友情1979-1989
ギー・ドゥボール『映画に反対して 上』『映画に反対して 下
鈴木創士『サブ・ローザ 書物不良談義

 

 地獄の沙汰には事欠かない。恐らくは、この世でもあの世でも。
 この場合の沙汰はどちらかと言えば便りという意味にとったほうがいいのかもしれない。地獄からの知らせ。バロック時代の思想家であったと言ってもかまわないイエズス会修道士バルタザール・グラシアンは、そんな地獄からの手紙を書いたためにイエズス会から破門されかかるという羽目に陥ったはずだ。当時のイエズス会にはアタナシウス・キルヒャーなどという、バロキスムの(私としてはあえてマニエリスムの思想家とは呼ばないでおく)すこぶる変り種の御仁がいたわけだが、彼らが大真面目だったどころか、たとえ博物学者といえども、いや、そうであるからこそ、彼らが徹底的な形而上学派(ゆるい意味で言ってるんだと思っているでしょ?)だったことを忘れてはなるまい。彼らのバロック的綺想(コンセプション)
をそれこそ単に奇想天外にすぎないなどと言ったら、失礼に当たるのである。

 それはそうと、残念ながら私はグラシアンのその手紙の内容がどんなものだったのか知らないが、時は過ぎゆき、グラシアンの19世紀の読者のひとりであったフリードリッヒ・ニーチェは、湖の畔の岩の上で永劫回帰のヴィジョンを得たのだった。それでニーチェは地獄から抜け出せたのかどうか。永劫回帰を果たしたのもつかの間、『ツァラトゥストラ』の作者は今度はトリノの路上で発作を起こし、何十年も狂気の淵に沈むこととなった。他方、その後、つまりたぶん地獄から現世へ戻って、さすがに狷介なイエズス会士だけあって、神経の発作を起こしたりはしなかったグラシアンは、モラリスト(道徳家という意味ではない)の先駆者としてニーチェに先立つこと二百年前にぶつぶつ文句を言うことになったのである…。20世紀に入ると、グラシアンは今度はドゥボールの愛読書となった。

 私も胸に手を当てて考えてみる。そう、地獄の沙汰について。これほど表象とイメージが呆れるほど凡庸に、あるいはいってみれば奇跡的に一致したように思えたためしはないではないか、などという囁きが重たい煙とともに静かに地獄の底から立ち昇り漏れ聞こえてくる気がする。私だけの話じゃない。思いつく限りの地獄の(絵画的)イメージを総動員しても、(私の)想像力が飛躍的に豊かになることはないだろう、ということを私は完璧にわかっているのである。想像的なものは象徴的なものを骨抜きにし、象徴的なものは現実的なものをがんじからめにし、現実的なものは想像的なものを食い尽くしてしまうだろう。そうでなくてもイメージはその場で固着を起こす一方である。つまり陽の下に新しいものはないのである。

 あらゆる破局と殺戮のイメージは、数あるわれらが地獄絵に描かれているとおり、結局のところ肉体をめぐる思想だったと言えるのではないか。おお、苦痛! ただ苦痛、苦痛、苦痛…――フェティシズムの話なんかしても仕方がない、どうせ先が知れている――。天国の薔薇にまで昇ったダンテですら、そのことは誰からもおくびにも出されず、永遠に地獄の(イメージの)まっただなかにいまだに留め置かれているかのようなのだ。だから地獄はげっぷに満ちている。血が流れ、飛び散り、焼かれ、舌を抜かれ、首は切られ、胴体は切り刻まれ…。聖人だって何人となく首を刎ねられたのだし、われわれ全員が罪びとであることは明白なのだから、原罪などという言い方ではとうてい言い足りないし、それこそ先の見えない欲求不満に陥ることは間違いない。あ、あ、イメージの総体が、だよ、欲求不満にさいなまれているのは。ちょっとハイデガー風に言ってみるなら、それは「死」ではなく、「存在」をめぐる思想だからである。

 さる高名な文芸評論家が言っていた、「すでに地獄の形而上学は崩壊していた」、と。おい、おい、ちょっと待ってくれ。そんな馬鹿な、ほんとかよ。みんなが大好きな、事物への偏愛だって必ずしも形而上学を排除しないじゃないか。それどころじゃない。子供たちは地獄絵を見せられて、怖がっているのではないかな、それで十分だろう、と言いたい気持ちは私にはまったく理解できない。怖がらない子がいるにしても、ともかく目をパチクリさせてじっとそいつに見入っていることだけは確かだ。こちらが暗闇を見る。暗闇から何かが、いや、暗闇がこちらを見ている。それは自分の分身だったりすることもある。これが形而上学でなくて何だろう。チベットの『死者の書』は、地獄のイメージは己れの心が生み出す幻影であると言っていた。だからこそ、イメージがべとべとになって、あちこちに貼りつき、溶けて流れて筋肉溶融を起こしていようとも、形而上学のほうは実際にはびくともしていないのではないのか。

 だが私には「地獄の形而上学」が厳密に何であるのかいまだにいっこうにわからない。はい、はい、私はそれが何であるのか知りたいと思う。ほんとうにそう思っているのだから仕方がない。地獄巡り? 誰もがそうであるように、俺だって俺なりにやったし、考えたさ。巡航速度を守らなかったので、死にかけたことすらある。だが個人の経験というものには明らかに外延があって、つまりはちっぽけなものなのだ。この手、この足、この目、この頭、このちっぽけな惑星と同じように。
 だからといって、地獄の形而上学がすでに崩壊しているということにはならないのである。われわれは相変わらずプルトニウムの地獄に刻々と近づきつつあるというのに、あれらの馬鹿どもと犯罪者たちは金儲けの話ばかりして知らん振りを決め込んでいるじゃないか。自分が不死身だと思うことくらい愚かなことはないのがわかっていても、自分だけは絶体絶命の危機とは何ら論理的つながりをもたないのだといつも考えているような連中は、全員間違いなく地獄に堕ちるとだけ述べておこう。

 そうだからというわけでもないだろうが(つまりさっき言ったように、それが「存在」をめぐる思想であるし、そのためなのか何なのか、地獄の傍らでただぼんやりしているように見えるからなのだが)、地獄巡りをさぼり、デッキチェアーならぬ大きな岩にもたれ、日陰で日がな一日ぼんやりしているというのは、つまりどのような恩寵にもあずかることのない、死ぬほどの、だがけっしてそれで死ぬことのない倦怠というものは、門に座する天使がけっして彼の罪を赦すことはないとはいえ、地獄の沙汰ではなかったのである。だからダンテはものぐさベラックアを地獄ではなく煉獄の登場人物に仕立てたのだった。ダンテは自分の友人でもあったこのベケット風登場人物を、当時の俗語を駆使して――この点をあくまでもダンテ的に、より過激に、遠くまで推し進めたのはジェイムズ・ジョイスだった――、煉獄篇の冒頭近くに配置した。まるでこけしのように。

 それともあの無意味でユーモラスにさえ見える影みたいな登場人物は、一種の煉獄のオドラデク(カフカの短篇「父の気がかり」を参照されたい)だったのだろうか。煉獄のオドラデク――なかなか悪くない命名だ。ほとんど無意味かもしれないが。だけどオドラデクが「糸巻」に似ているからといって、プラハの付喪神(つくもがみ)、つまり百鬼夜行絵巻などに描かれていた、古道具などに取り憑く物の怪の眷属であったなどと考えてはならない。誰もが当世風にそう言っているように、オドラデクはフェティッシュなどではない。違うね。少なくともフェティッシュであれば、あまりにもありふれた物でしかないじゃないか。そんなことなら、実際、つまらない話である(それならカフカでなくとも、どんなへぼ作家にも考えつくことができたはずだ)。オドラデクはどこにでもいるが、いらないものをどんどん殺ぎ落としても、あるいは捨ててしまっても、最後に残ってしまう何かなのだから、いくら折口信夫風に物はたましいに近いと言っても、「物」ではない。むしろ心の中に棲みつくこの「黒い間借人」もまた、私にとっては、地獄の登場人物すれすれの、しかしながら煉獄的人物なのである――人物? 概念人物などと言う場合の人物であれば、そう言えなくもない――。(★注1)

 あ、ところで、煉獄じゃなくて、そう、地獄の話だったのね。だが『神曲』の煉獄篇にはまだまだ地獄のイメージが満ち満ちているということをぜひとも言っておかねばならない。『サブ・ローザ』という本に少し書いたのでやめておくが、地獄界それ自体もまた風船を膨らますように呼吸しているのだから、ここにはイメージの戦争と言えるものがあったのである。ダンテにとっても、地獄から抜け出すためには、つまり煉獄の創造はそれなりに大変だったのだ。ダンテはきっと多大な犠牲を払ったに違いない。なにせ最愛の女性ベアトリーチェを失ったばかりか(彼女こそが「天国」への導きであり、先達となる)、当時、トスカーナの詩人は死刑判決を受けて、故郷には戻れない流謫の身をかこっていたのだから。
 「煉獄としてのこの地上にあっては、悪徳と美徳が交互に反逆の精神にまで浄化されなければならない。そのときにはじめて、悪徳あるいは美徳の支配的外殻が定まり、抵抗がもたらされ、爆発がしかるべく起こり、機械が発動するのである」、ベケットは「ダンテ・・・ブルーノ・ヴィーコ・・ジョイス」と題されたエッセイのなかでそんな風に言っていた。

 さっさと地獄の話に戻ろう。
 平安初期の歌人であり、遣唐副使でありながら朝廷といざこざを起こして、ついには嵯峨上皇の怒りを買って隠岐に島流しにあった小野篁(おののたかむら)が夜毎入ったと伝えられる地獄の井戸が京都の六道の辻近くにある。
 友人宅の目と鼻の先にあるのに、どうしてもそこへ行くことができなかった。だがその日は違った。狐の嫁入りではないのに狐の嫁入りの反対みたいな、音もなく雨の降る妙な日だった。はじめてお寺の門をくぐると、普通お寺ではありえないようなお出迎え、その他諸々が降って涌いたように私と友人の身に降りかかったのだが、まあ、その話はよしておこう。友人にしてみれば、私と彼女ではなく、私の身に降りかかったと言いたいだろうが、まあ、その話もいいだろう。
 篁の井戸は普段は近くから見ることはできないのだが、なぜかうまい具合にその日は「ご開帳」の日だった。いったい何をご開帳するというのか。表向きには、ひとつには篁の彫ったと言われる閻魔像であり、大男だった篁自身の像なのだが、もちろんそれ以外のご開帳という意味にとらざるを得ない雰囲気がすでにあったし、ささやかながら、事実、いろんなことがわれわれの身に起こっていた。井戸をかなり近くから見て、住職から禁じられていた写真を縁側から隠し撮りした私は確信した。何を? さあね。ともあれ、この井戸はなぜか私に「好意的」だった。雨が降っているのにそこだけ晴れているような井戸だったと言えばいいのか。そのとき亡者がすでに飛び出してきていたかどうかはしかとは知らないが、とにかく篁は閻魔の補佐をするために地獄へ行こうとしてこの井戸から入ったのであり、地獄に堕とされたのではなかった。つまり、あたかもそれを証明するかのように、井戸自体も含めて、ここでは、喜ばしいことに、私には地獄のイメージを感じ取ることはできなかったのである。

 例えば、数多くの絵師たちが地獄絵を描くために必死でこれを熟読したに相違ない平安の理論書、「第一に、地獄にもまた分ちて八となす。一には等活(とうくわつ)、二には黒縄(こくじやう)、三には衆合(しゆがふ)、四には叫喚(きやうかん)、五には大叫喚、六には焦熱(せうねつ)、七には大焦熱、八には無間(むけん)なり。/初に等活地獄とは、この閻浮提(えんぶだい)の下、一千由旬(ゆじゆん)にあり。縦広(たてひろさ)一万由旬なり。/この中の罪人は、互に常に害心を懐けり。もしたまたま相見れば、猟者の鹿に逢へるが如し。おのおの鉄爪を以て互に爴(つか)み裂く。血肉すでに尽きて、ただ残骨のみあり…」から始まる天台僧源信の『往生要集』に見られる、これでもかこれでもかといった類いの、言ってみれば平板な地獄のイメージはこの井戸からは微塵も感ぜられなかったのだ。

 井戸はひとつの表象ではなく、イメージでもなく、実際、天空に向かって掘られていた。そこはあっという間に何かがスコンと抜けてしまうような、何かが通り過ぎてゆく場所であり、ランボーが「地獄の季節」ではなく「ある地獄の季節」と言ったように、それらは何らかの「通過」の過程にあって、まるでただ通り過ぎればよかったかのようなのだ。ランボーがただの通行人にすぎなかったとしても、彼はまぎれもなくあの「地獄」を通り過ぎたのだった。ただし篁もまた、まさにその場所を、その井戸、あそこではなくそこを、否が応でも通り過ぎねばならなかったのだ。入った井戸があれば、出て行く井戸もあるように(ただし篁が地獄から出たと言われる出口は嵯峨野にあるらしいという伝聞だけで、誰もその井戸から出たことはないのだから、だいたいの予想を勝手につけるだけで、本当の場所は知られていない)、詩も井戸も、それで、はい、終わりということはなかったのである。

 ★注1
 「ぼくは自分自身が怖くなったので帰国することにします。こうなったのももとはと言えばプラハのせいだという可能性が大きいのです。仲間のものたちに会ったら、よろしくお伝えください。そして、ぼくがニューヨークに戻らざるを得なくなったのは自分を超えた力のせいだとお伝えください。また、パーティではあの黒人がとんでもないことをやらかしたとき以外は大変楽しい思いをすることができましたが、そのこともお伝えください。さっきも言いましたが、ぼくは自分が怖くなったので帰国します。というのも、ぼくの心の中に、時にはその外に黒い糸をまいた糸巻が棲みついていて、自分が考えてもいないこと、決して考えたりしないようなことを言わせようとするのです。その糸巻は扁平な星形をしています。実のところ、その糸巻には種類も色もてんでばらばらの、古くてしかもこんがらがった糸が巻きつけてあります。
 けれどもそれは単なる糸巻ではなく、星の中心から小さな棒が垂直に突き出し、この棒にはもう一本の棒が直角に取りつけてあります。一方ではこの直角の棒を支えとし、他方では星の稜のひとつに支えられて、全体は二本の脚で立つことができます。ペンションのドアから外に出ると、しばしば彼が階段の下のところにもたれかかっているのですが、それを見るとつい声をかけたくなります。むろんむずかしいことを尋ねたりしないで、子供のようにあしらうことになります(あまりにも小さいせいで、そうなるのですが)。
 「名前は何て言うの?」
 「オドラデク」と彼が答えます。
 「うちはどこ?」
 「決まってない」そう言って彼は笑います。しかし、それは肺がなくても洩らすことのできるような笑いでしかありません。たとえば落葉がかさこそ鳴るような感じです……。ぼくは怖いんです。ヴィドルド。だから、この町を出ていきます。プラハから遠く離れたところへ行けば、たぶんぼくのオドラデクに会わずに済むはずです。」(エンリーケ・ビラ=マタス『ポータブル文学小史』、木村榮一訳、平凡社より)

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