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お知らせ(第26回 夭折?――富永太郎のこと、など)

第26回 2012年5月

夭折?――富永太郎のこと、など

鈴木創士

小説集『夭折』、大久保典夫編
ミシェル・レリス『成熟の年齢
ロートレアモン『マルドロールの歌

 

 はじめに断っておくなら、夭折(ようせつ)は個々のケースにおける単なるひとつの事実であり、私に対してひとつの思考のイメージを提供するものではない。思考のイメージはたいていの場合きわめて凡庸で、実際にはほとんど意味を欠いたままだが、この場合もご多分にはもれない。というか、もはや自分にとってはすでに思考のイメージを提供しうるものではあり得なくなったと言ったほうがいいのだろうか。あたり前だ。夭折は若死にする当の本人にとってだけ、ただ彼ひとりのために、ある諦念全体の基盤をなす「成熟の年齢」を完膚なきまでに打ちのめし嘲笑するひそやかな死後の生の権利を与えるのだから、そんな権利をもたない、そうは問屋がおろさなかった人間がとやかく言うことではないのである。
 書かれるべきものなどあるのだろうか。人はいつもそんな風に問いを立ててきた。生きながらえたものは必ずしも薄汚いとは限らないと嘯(うそぶ)いてはみたものの、そしてたとえそれがほんとうだったとしても、だからといってそれは死後‐以前の、ふっと消え去るだけの何らかの愛嬌とは無関係であるし、おっと、それに勿論、残念ながら、ここであらためてロマン的魂の話を始めようというのでもない。夭折にしろ、夭折でないにしろ、そんなことはどうでもいいことだと言っても、24歳で死んだロートレアモンのように、作品の謎はいつまでたっても解き明かされないままなのは事実だし(彼は二つの作品しか残さなかったし、おまけに一見したところ、これらの作品は相矛盾するものだった)、あれほど見事に作品の背後に姿を消すなんて、それこそ唖然とするほかないような眺めではないか。こんなことは誰にでもできる芸当ではなかった。
 それとも、大風呂敷を広げて、メメント・モリなどと教訓めいたことを垂れたとしても、当のシャレコウベは野ざらしのままで、青空の下の物言わぬ石ころと何ら大差はないのだ。いつ死のうと同じこと。挫折だと言うのなら、われわれのうちのいったい誰が挫折しなかったというのか。シャトーブリアンが書いていたとおり、ノルウェーのとある小島で突如として発掘される古代の骨壷の中に残された遺骨のように、それはすがすがしいまでに何も語らない。
 吉田松陰は、「十歳にして死する者は、十歳中自づから四時あり。二十は自づから二十の四時あり。三十は自づから三十の四時あり。五十、百の四時あり」と述べているが、ここで問題となっているのが寿命のことであればたしかにそのとおりである。何歳で死のうが人の勝手であり、と同時に人の勝手によっては勝手とならないところが難しい。いくつになっても難しいお年頃なのである。それを生の機微などと言うつもりは私にはさらさらないけれど。

 時間の奸計というものがあり、私にとっても、ある種の悲しみなしにはほとんどあれやこれを思い起こすことができない。手遅れさ。われわれ全員が罠にはまったのだ。時間にはそのつどあるトーンがある。当事者には、その真っ最中にはわかりようのないトーン。息、瞬間、茫然自失。個々の肉体のリズムが時間を小刻みに生み出しているからだ。私は時間を早めようとする。フィルムを巻き戻すようにはいかない。私は若死にした友人たちのことをいつも考えているわけではない。だが、ことさらに「時間はなんと早く過ぎ去ることか」と嘆いてみても、時間自体がそれを知るはずもない。光陰は百代の過客にして…。時の奸計とはそういうものである。こいつをどうすればいいのか。どうにもならないことはわかっている。
 電離層から何かのパルスのようなもの、灰色の信号が放射され続けていた。それには一定の幅があるのだが、急激なパルスの変調がいたるところで起こっていたのをわれわれは肉体の内と外で知らなかったとでもいうのだろうか。いま窓から隣の神社の森が見える。空中に浮かぶ謎のアルシーヴ、時の情報収蔵体はなんと森に似ていることか。それは多面体なのか、白っぽい球体なのか。いや、それには最初のうちは形も色もない。木の芽があちこちで芽吹いている。山肌は異様なまでにもこもこしている。枯れ枝に青葉が少しずつ重なり、薄い緑、濃い緑、風に揺れればある形をかたちづくろうとしてかなわず、何事も起ころうとはしなかったかのように、空気はあくまでも透明なままだ。出現と消滅がほとんど同時に起こるあの縁(へり)にあっては、待ち望まれ、期待された時間というものはない。忘却された時間すらないのだ。縁はいつもぎざぎざの形をしている。現われ出るもの、消え去るもの。近さと遠さがあるのに、透視図法は遠くに霞む靄のようなものでしかない。とうていそれを手でつかむことはできない。鳥の俯瞰によっては、つまり遥か上方から眺めれば、森は一本の巨大な古木にすぎなかったようにも思える。古木はあまりに気高く、堂々としているだけなのだ。

 大正14年に肺病のために喀血した富永太郎は、まるで寝床の王のように、自らの手で酸素吸入のためのゴム管を外した。ゴム管が不潔だったからである。享年24歳であった。友人だった小林秀雄の言うように、富永がたとえボードレールの仮面をかぶっていたとしても、所詮それは仮面にすぎなかった。富永に限らず、そんな例はいくらでも見つけ出すことができる。われわれはそのくらいのことなら、どんな時にもどんな相手にもどんな風にも指摘することができる。だったらそれがいったいどうしたというのか。富永がボードレールの『人工天国』を毎日一ページだけ訳していたとすれば、それは彼の生活(私はあえてここで小林秀雄風の用語を使っている)のリズムを、生活とは呼べない生活を生活とするために、絶対に欠くことのできない踏み外しっぱなしの生活のリズムを生み出すためだった。とにかく若かった富永太郎はまずそう考えたに違いない。少なくとも私には富永の詩がボードレール的に見えたことはなかった。
 「私は夢の中で或る失格をした」。
 失格を宣告され、情熱が急激に失われたのだとしても、それは富永の若さのせいではなかった。詩人は裏切り者なのだから、つねに失格し続けるものである。世界がわれわれに強いるあらゆる至上命令の裏をかかねばならない。詩人の裏切りは、栄光の身体のように、壁を崩す途切れることのない何かの遠い振動のように、きゃしゃな、それともごつごつした指先によって大理石に加えられるあるかなきかの圧力のように、輝かしい。

  厭わしい、涯の無い灰色の舗石の上に並んで叫ぶかたいの群が、眼を持たぬ蠕虫の黒い眠りのように、無限の羨望を以って私を牽いた。しかし、私の眼は、欠け朽ちた小児の二の腕に、陽の光る新鮮な産毛(うぶげ)を発見するに終った。投げ出された膝がしらの切り口は、ヴィオレット色の花傘を開いて私の上昇を祝福した。――船具を忘れ、海鳥を忘れ、純白のハンケチの雲を忘れ、私は黒い空気の中で、不潔な老婆らと睫毛の周囲を舞踏した。私は笑い声のように帰り道を見失った。太陽はいつものように苦(にが)くあった……                                

(「断片」)

 

 詩は、そのつど、瞬間ごとに、完成されたものでなければならない。それがあくまで外側から見て、何かの実験のように見えるとすれば、詩の言葉のまだ形をなさぬ不在が、言語の外縁を、内幕を、こじあけようとするからなのだ。その点で、ある時期親密だった富永太郎と中原中也はあまりにも異なる資質から出発していた。資質? 資質というものは運命と同じように、後になってからしかその結末すらわからない、要するに後の祭りである。私は彼らの仲を少しだけ想像してみる。たいそう面白い、ちぐはぐな日々だったに相違ない。いろんなことがあったに違いない。友人関係とはそういうものであり、人が外部からとやかく論評できるようなものではない。富永は中也が最期の病室に入ることを拒んだ。中也はそのことで傷つくことになった。そんな風に伝えられている。「戦慄は去った」、と富永は書いた。戦慄はつねに過ぎ去るものだったのだ。だが、その後は?

私は、額の皺や鼻の小皺の上を、血に足をとられて這いまわる一匹の蠅であった。(何と充分に、君たちの顔は腐っていたことか!)――ああ、さまざまの日に、指先によって加えられた柔(やさ)しさよ! 火よ! 失われた畜群の夢よ!

        (「断片」)

キオスクにランボオ
手にはマニラ
空は美しい
えヽ 血はみなパンだ           

                                             (「ランボオへ」)

 

 誰も書かなかった言葉の律動をとらえなければならない。それはつねに断層であり、生の律動がこの断層からなっているのだとすれば、それは無彩色か灰色に侵されることになる断面図によってしかここでは見ることができない。失われた畜群の夢。色つきの夢ですら失われることは必定だ。錆色、または緑青色の夢。聞こえるのは畜群の咆哮であり、とらえそこなった端から言葉はぼろぼろと零れ落ち、歯抜け鬼婆の死後の生は障子の向こうでかすかに聞こえる絶えだえの吐息のように不愉快きわまりない。包丁を研ぐ音を誰かが聞いていたというのか。雑踏で? 音、律動、不協和音。通奏雑音。パルスの断続性が旋律の戦慄をつくりだす。そいつが内側をこじあけ、空間をひび割れさせる。Hysterica passio ヒステリーの病! だったらそれをシェイクスピアのように「ノイズ、音、甘い歌曲」と言い換えるべきなのか。そうではない。詩があの漸次的変化の微妙な揺れのなかにあるとすれば、逆立ちもできない世界の中では、すべてが逆しまにしか生起しないからである。

 富永太郎に関して、ここでぜひともある参照文献を紹介しておこう。別の時間の悪だくみ。文献ではない。レコードである(現在、ディスクユニオンからCDとして再発されている)。タイトルは、Chiko Hige×Kaoru Sato。EP-4の佐藤薫とフリクションのヒゲが1985年に共同でつくりあげた。全編、富永太郎の詩が使われている。「恥の歌」、「断片」の断片、「影絵」、そしてその他の断片。レコーディング・メンバーには、二人の他に、EP-4の川島バナナ(Banana-ug)とフリー・ジャズのエリオット・シャープ等が加わっている。
 佐藤薫が富永の詩を朗読する。それは歌われているのだから、勿論、普通の意味での朗読ではない。だが詩は、われわれの知る詩は、こんな風に朗読されるべきなのだろう。気息が、気息のはざまのリズムが、旋律を要求する。それもほんの少しだけ。音楽はここにあって、ここにはない。声、声の縁、遠くから皮膜を破りにやってくる、すでにそれ自体内側から破られた声。声からあの栄光の身体が、病んでもなお生き急いでいた身体が出て来るのだ。幻を見ることができるのなら、まずはそいつを見るべきだった。「半缺けの日本の月の下を、一寸法師の夫婦が急ぐ」。突然、場面が変る。君たちがずっと前に期待していたとおりに。夫婦は死せるキリストとその半身にすり替わっていても一向にかまわない。
 ゴム管。声。詩。死。こんな風に歌われるなら、富永の詩は即座に別の断層、別の律動の断層をあらわにし始めるだろう。別の断層は、ほとんど垣間見ることしかできない瞬間の生は、われわれの内臓的な叫びには似ても似つかぬものだった。恥を知れ! 恥(honte)は、発せられたオントという音そのものによって、別の意味を帯び始めるだろう。恥はかき捨てだ。旅の途上なのだから。そしていまにも別の律動を持ち始めるだろう。なぜなら大脳はいつもいつも薄暗かったからである。

Honte! honte!
眼玉の 蜻蛉(とんぼ)
わが身を 攫(さら)へ
わが身を 啖(くら)へ

Honte! honte!
燃え立つ 焜爐(こんろ)
わが身を 焦がせ
わが身を 鎔かせ

Honte! honte!
干割れた 咽喉(のんど)
わが身を 涸らせ
わが身を 曝らせ

Honte! honte!
 おまへは
    泥だ

                                                                                                                                        (「恥の歌」)

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