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お知らせ(第27回 EP-4 日蝕顛末記)

第27回 2012年6月

 

EP-4 日蝕顛末記

鈴木創士

 

シュトックハウゼン『シュトックハウゼン音楽論集
アンドレ・ベルノルド『ベケットの友情

 

 5・21。曇り時々晴れ。代官山。Unit。
 金環日蝕だったその日はEP-4にとってほぼ30年ぶりのライブの日だった。

 黒い太陽を見るには、原理的に、べつに目が見える必要などないだろう。問題は太陽が黒いということだけである。特殊なサングラスもいらないじゃないか。何も見てはいないのだから。金の指輪のような薄い輪っかがあるので、なんとなくそんな感じがするだけだ、とあえて言っておこう。書けば書くほど見えてくる、つまり尊いくらいに虚しくなるわけだ。日蝕ってやつはそもそも不吉なものなんだぜ…。実際に「ぼんやりと見えているもの」など否定してしまえばいい! スピノザの言葉を敷衍すれば、否定は去勢である。私は否定する、故にそれは存在していたかもしれない。なぜならそういったすべてはかつて存在し、いまは存在しないからである! 天体ショーは三段論法にはそぐわない。暗闇なのか。いや、そうでもない。しかるに、ふとそちらのほうへ顔を向けると、向こう岸にいまにも大きな太陽が沈もうとしているのが見えただけであった…。

 出来事の外縁というものを把握することはできないが、そのいくつもの中心は闇雲に、完全に偶然によっては、つまりでたらめに形成されるわけではないことをわれわれは薄々勘づいていた。原子核はつねに崩壊の憂き目にあっている。出来事を準備するものは、下意識の嫌々ながらの任務ではなく、要するに土下座の「芸術」や「仕事」ではなく、クォークの「弱い力」のように、結局は、一見したところ時間の流れを茫洋として曖昧なものにしてしまう何かのパルス、どう低く見積もっても特殊な幽霊のような謎のパルスである。それには明らかにリズムがある。

 素晴らしいライブだった。満員電車のようにすし詰め状態だったのはある人たちにとってはいただけなかったが、内輪で誉め合っているなどとは思わないでもらいたい。私はそんなことはやらない。伊東篤宏のオプトロン、自作の蛍光灯音楽(?)の、いつもながらかっこいい演奏が終るのが開始の合図なのだ。言っとくが、彼は美術家である。
 私の出番は後半のほうだったので、ステージへの通路のそばで演奏の開始のスパークを見届けることができた。隣に一緒にいた、普段はほとんどクラッシックとジャズしか聴かないHの目がキラっと光り、ニコっとしたのがわかった。それがめったにない興奮の所作なのはわかっている。オーケーというサインはいたるところにあった。いつもながら矛盾したことを言うようだが、俺は自分の目の端に見えているものは何ひとつ見逃さない(ディアーナの裸体を覗き見したアクタイオンは、自分で自分の落とし前をつけねばならない運命にあるのだ。そうなっているのだからそうなることになっている。つまり自分の猟犬に食われてしまうというわけ)。

 佐藤薫が後ろを向いて、彼のシルエット、じつは高熱にじりじりと焼かれていたはずの彼のからだが、ほんの少しだけゆらゆらと左右に揺れるのが見えたとき、私は今夜のライブはもう成功したも同然だと思った。嘘じゃない。ほんとうにそう思ったのだから仕方がない。
 後は、裸眼で見る太陽のように、網膜に焼きついた個々のスナップショットの像らしからぬ像をぼんやりと見てしまえばそれでよかった。幻覚は私の得意とするところだが、佐藤の動きは幻覚ではなかった。というかそれ以外の余裕があるはずのないはずの私は、演奏者としては完全に寛いだ状態、イリュージョンによってさえ弛緩も緊張も区別する必要のないあの状態のなかに幸せなことにどっぷりと浸かっていた。自分の部屋で寝そべっているみたいだった。またしても矛盾したことを言ってるだって? おまけに一緒にステージに上がったタバタミツルは昔のバタヤン少年の三倍に増幅していた。彼の像が三重に見えたということではないが、これが私に限りない安堵感を与えたといえば嘘になるだろうか。たしかにそれは少しばかり嘘になるけど…。30年前? だが私は一切のノスタルジーを排した。というかそんなものは最初から微塵も感じなかった。これこそがその夜の成功の第一条件だった。

 重い音のマッス、大音量の、揺れ動き微動するマッスは、突然のごとく、ほとんどフラ・アンジェリコ(天使のような修道士!)の絵画の背景のようになんとなく薄明のような薄く青い静寂に包まれていたのだから、そして音にはそもそも根拠などないのだし、そのあいだ音のほうは途切れることなく、曲が終わろうが終るまいが耳の中でずっと続いていたのだから、視覚的イメージは、それに聴覚的イメージも、もはや離散的に、つまりマルコフ連鎖のように過去のデータとはまったく無関係に、時間の先端に向かって飛び散るほかはなかった。時間が連続していたとしても、確率計算をやっている暇などなかった。
 佐久間はふざけたくらいに沈着冷静、ユンは最初から楽しそうに飛ばしているのがわかった。バナナは珍しいことにスーフィの独楽(こま)のようにくるくる回っていた。待ち望まれた時間、一切余計なものの存在しない空っぽの時間というものは、こんな風に体験できるのだということを銘記しておこう。私はEP-4のメンバーのはずなのに、EP-4の古いファンとしてEP-4を見ていた瞬間があったのかもしれない。

 クォーク内の相互作用は起こったのか? もちろんだとも。とびきり個性的なギタリストたち、高井康生、ジム・オルーク、恒松正敏、タバタミツル。それから正確でパンキッシュなドラマーたち、千住宗巨、中村達也。彼らには、なぜかは知らないが、それぞれが独自のリズムをテクニックの外で醸し出す貫禄というものがあった。これもまた作法ではなく所作のなせる業だった。伊達にミュージシャンをやってるわけじゃない! だがマルコフ連鎖とは違って、これら最良のミュージシャンたちによる未来の新しい形は、とうてい現在のデータによっては導き出すことができない。これはリハーサルではない。彼らが引掻き、刻み、叩き出し、すべり、すっ飛ばし、丸め込み、つまり奏でている音は、いままで聞いたことのない、しかし紛れもなく私の知るEP-4の音だった。亡くなったメンバー、好機タツオと三条通がひそかに手を貸していたのだろうか。四の五の言う必要などない。聞いた人にはわかっていただけるだろう。マッス。塊り。重くて、ずしっとしていて、だがファンクなのだから、あちこち穴があいたみたいに重くはない。音はマッスの中をあらゆる方向にパルスのように飛び交っている。信号はもちろん一定ではない。

 会場に張り巡らされたチベットのルンタ(小旗)は長い道のりを示していた。オム・マニ・ペメ……フム。だがフムは分離できない。完璧な統一。アルトーは「アナーキーな統一」と言っていたのだから、はじけ飛んでは、また逆回しのフィルムのように、何事もなかったかのように収束する統一。これはどんな「全体」も形づくることはないだろう。それだけは言っておかなくちゃならない。高速回転のフィルムは動いていない静止画像と同じ細部にすぎない。

 音の、ありえないマッス。この経験の対極にあったものは何だったのだろう。対極? さあ、そいつはどうかな…
 初期のEP-4で私がエレピを弾いていたよりもっと前のことだ。場所はパリ。正確な場所は忘れた。ある日私はシュトックハウゼンのコンサートに出かけて行った。近場だったのに、私はかなり遅刻していたと思う。建物の中に入ったときすでに人の気配を感じた覚えがない。入ったのはがらんとした、だだっ広い部屋だった。真ん中にぽつんとグランドピアノが置かれていた。人っ子ひとりいない。誰もいない部屋にぽつんと置かれた美しいグランドピアノ。印象的だったのはそれだけだ。コンサートはすでに終っていたのだろうか? いや、部屋の隅に鍋が置いてあり、湯が沸いていた。そこには電線が仕込まれていて、かすかに、どこかにあるはずのスピーカーから情けなくなるようなノイズが聞こえていた。これがコンサートなのか。そこには何の能動性も批評性もなかった。聴くに耐えないとき人は聴かないのだし、耳を傾けることは紛れもなくひとつの行為であり、音楽会というものは聴くことを前提にしているのだと、そんな風に当のシュトックハウゼンを筆頭に現代音楽家たちはおしなべて言うけれど、私はこの音楽会で何に対しても耳を傾けてはいなかった。音は私に何かを強要するが、私の外では何も起こってはおらず、私は何も聴いてはいなかった。静けさだけがあったのだから、一般的な意味では、ほんとうに何も! この場合、ノイズは聞こえてくるのであって、「私」が聴いているのではない。だが同時に私は別の仕方でたしかに耳を澄ませていた。それが音楽の体験なのだといったらあまりにダサイだろうか。私はフルクサスではない。自然の音がそのまま音楽だとは思わない。何も演奏されていないコンサート。とにかくそれは私にとって絶対に忘れることのできない素晴らしいコンサートだった!

 シュトックハウゼンはある文章の中にベケットのこんな言葉を引用している。
 「ひとたび耳を澄まさずにはいられなかった者は、つねに耳を澄ますことになるだろう。もはやけっして何も聞こえないだろうということを彼が知っていようといまいと……ひとたび破られた静寂はけっして元には戻らない」(『名づけえぬもの』)

 音のマッス。静寂はとっくに破られてしまっている。
 「バラバラのコンポジションが一つの音楽へ収斂する」(シュトックハウゼ
ン)。
 たしかにそうなのだ。だがいま聴いている最中の、聴く主体は誰でもよかったのではないのか。そこで聞きながら思考していたのが私であったのなら、それは「誰でもいい人」、誰でもよかったということである。私は私の外に出ていた。思考ととともに思考の外へ。聴いているとき、音に耳を傾け、音を耳から肉体の特権へと移行させようとしていたとき、それなら、私はただ自分の外に出て、何も思考していなかったということなのだろうか。だが、そんなことはない。昔、EP-4のライブでエレピを弾いていたときも、ライブの真っ最中に私はシュトックハウゼンのことをいつも思い浮かべていたのだから!(他にもいろいろね)
 耳から身体へ、思考から思考の中心の崩壊へ。思考の腐蝕はつねに耳の中で起こっていた! ウィーンの危機! 精神的危機。全般的な危機。ライブは瀬戸際の営為である。思考の別の地層を探査し、そこを目の見えないもぐらのように通り抜けねばならない。音は隧道(ずいどう)、つまり斜めに掘られた、あるいは垂直の、水平の(どちらでも同じことだ)トンネルであり、と同時に不思議なことに空間の拡大である。ここから何が帰結されるのか。何が耳から出てくるのか。水なのか。思考なのか。身体なのか。出てくるのはライブの空間である。

 それにしても、どうして現代音楽の作曲家たちはダンスのことを考えないのだろう。作品の時間などもはやどうでもいい。客が、いや、聴衆が退屈することをみんなそんなに恐れているのだろうか。たしかにこちらとしてはもう退屈させられるのはごめんだ。音楽のモメントは作品の長さや短さなどには関係しないし、これらのモメントが解消しようとする中心はむしろ中心の過剰しか示してはいない。中心の過剰はリズムを、つまりダンスを生み出す。それはわかっているだろ?
 EP-4はダンスミュージックである。ランボーが「ある地獄の季節」(『ランボー全詩集』河出文庫)の中に「ダンス、ダンス、ダンス、ダンス」と書きしるしたのは、ちょうど西洋音楽の調性が崩壊しはじめたとき、ワーグナーからシェーンベルクへとオーケストラの弦が崩れるように軋み始めたときとほぼ同じ時期なのだから、このランボーの言葉はほんとうにとても時宜を得たものだった。耳の中でダンス、ダンス、ダンス、ダンス。ああ、惚れ惚れするぜ、さすがだ、アルチュール・ランボーという男は! もう朝まで踊る気のない、昔のようにそのつもりもない、たぶんいまのところは踊ることができなくなった私が言うのだから(ステッキをついているんだよ…)、請け合ってもいい! EP-4 5・21

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