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お知らせ(第31回 映画、分身)

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  第31回 映画、分身 - 2012.10.05

第31回 2012年10月

映画、分身

鈴木創士 

ジャン・ルイ・シェフェール『映画を見に行く普通の男』
鈴木創士『魔法使いの弟子』
四方田犬彦『俺は死ぬまで映画を観るぞ』

 

 

 

 

 

映画、分身
 影が動き回る。

 だが光による情景、光だけが表面をつくりだす世界の中で、あるいは文字どおり光学的な出来事のまっただなかで、いつもハレーションを起こしていたものは何なのか? すべてが少しずつ白茶け、そして突然、真っ白になってしまう…。
 晩年のモネにとって睡蓮は睡蓮であると同時に、水に映った睡蓮の反映であり、「本物」の睡蓮と反映はまったく見分けがつかないばかりでなく、「同じもの」である。それは画布の表面で反射を繰り返している。別の言い方をすれば、光によって刻々とその表面を変化させる「ルーアンの大聖堂」はすべて別のものである。表面が形状となるのは印象派の発明だった。すべてがすべてに似ていると同時に、同じものは同じものとは似ても似つかぬものなのだ。同じものと異なるもの。どちらかを選ばねばならないのだろうか。いや、同じプラトー。同じ存立平面。うんざりするような、それともうっとりするような反復? 反復すればするほど反復の基盤は底抜けのものと化すのはわかっている。

 影?
 スクリーンの上に、中に、映写されたイマージュは、どんなサイレント映画も沈黙を拒み続けるように、そしてかすかなノイズが沈黙の中の思考の開始を徐々に不分明なものにしてゆくように、永遠の動作を繰り返している。それは繰り返されるのをやめることができない。映写機がカラカラと回っている。ビオイ・カサーレスの小説『モレルの発明』は、誰もいない世界、人がもはや住むことのない世界の中にしかないイマージュの円環する動きを、それにふさわしい筆致で描き出していたが、それが時間とともに死に絶えることはきっとないだろう。ワルツを踊るイマージュ。肉体はない。神の視線だけが見ているのだろうか? イマージュは自ずから動いている。それだけは確かだ。
 スクリーン。引掻き傷、雨、ノイズ。そこにいるのは分身なのか? いくつもの分身。分身の分身。分身の分身の分身。この連鎖が実無限的に続くのであれば、それは存在に限りなく近いものだということである。ゲーデルが言うように、存在は存在からなる世界の内部では自らを証明することはできないからだ。分身は存在を証明するのだろうか? 誰かが分身を見て、分身は私を見ている。ほとんど観察していると言ってもいい。あれこれぶつぶつ文句を言いながら。勿論、無言で。宇宙空間を永遠に旅するイマージュ。誰も何も見ていないのだから。
 (ジャン・ルイ・シェフェールは、まばたきを奪うイマージュたちの分列行進について語っていたが、彼はまず最初、球面をなしたその運動の中心にいてイマージュがただ通り過ぎて行くのを呆然と見ていたのだった。だがその中心は絶えず失われ続けるほかはない。)

 何十年も前の話だが、パリのモンパルナス界隈に住んでいた頃、幾度か俳優のジャン‐ピエール・レオとピエール・クレマンティを見かけたことがあった (いまからパゾリーニの『豚小屋』の話をしようというのではない。二人ともかなり不遇な時代だったとは思うが、クレマンティのほうは、当時、たしか麻薬の問題で映画界から完全に干されていたはずだ )。
 ジャン‐ピエール・レオ。彼がカフェにいても、誰もサインを求めたり、話しかけたりはしなかった。私にとってパリはずっと映画の町だったし(ほんとかな?)、そのときパリはいい町だと思った。カフェでベケットを煩わせて、無償であることしかできないその作家の瞑想の時間の邪魔をしようとするぶしつけな客に対して、カフェの給仕が腹を立てたように、この町ではどんな有名人もそっとしておいてもらえるのだ、と。
 だが、たぶん半分はそうではなかった。ジャン‐ピエール・レオは絶対に人を寄せつけないオーラを発していた。彼はモンパルナス大通りを通り過ぎる幾人かの魅力的な無名の人物たちとまったく同じように、ただのオーラの塊だった。オーラと肉体をどのように区別すればいいのだろう。彼はひとつのイマージュだった、と言えばいいのか。彼は気違いじみていたのか? 恐らくは! 彼はしかめっ面をして、口を真一文字に結び、いつも歯を食いしばっているように見えた。目は何も見ていないようで、それでいていつもかっと見開いていたように思う。狂人が、というよりはむしろ「狂気」がそこにいた。ああ、それは狂気だった。どんな映画の中のジャン‐ピエール・レオよりもそのときの彼が私の目に焼きついている。トリュフォーやゴダールの映画の中にいる彼と同じだったのか? どちらかといえばゴダールの映画の? 俳優? 彼は何かをほんとうに演じていたのか。映画の中で? 現実の中にいるときよりもっと? スクリーンの中で動き回る彼と現実世界の中でカフェのテーブルを前にした彼は確かに同じような人(そうとしか言えないじゃないか!)だったが、でもこの言い方は正確ではない。
 古代ギリシアのストア派の哲人たちがそう考えたように、スクリーンから剥がれ落ちたイマージュが街路にそっと落ちていた。だけどイマージュを拾うことはできない。イマージュはただ街路に降りる。イマージュがそこにいる。このイマージュは分身の所作をもっていたし、誰の目にも分身が分身であることを実際にはわからなくさせていた。普通の意味で映画が「現実」との何らかの関わりを持っているのであれば、スクリーンと「現実」は同じ平面になければならない。彼はそっと髪を書き上げ、新聞を広げた。私はそのときたまたまトイレに行くために席を立ち、ジャン‐ピエール・レオの傍らを通り過ぎた。彼が新聞に落としていた視線の強さを思い出す。私は思い出す(べルナール・ノエル)。月が出ていた。いや、月は出ていない。それがどうした? トイレからの帰り際、もう一度彼を見た。ライターのカチッという音がどこからともなく聞こえた。ぞろぞろとみんなが映画館の外に出てきたときのように。暗がりから暗がりへ。だが真昼間なのだ、今は! 見ると、彼が読んでいた新聞は逆さまになっていた。彼は新聞を読んではいなかったのだ。
 ジャン‐ピエール・レオは現実世界の中でも、つまりスクリーンの外でも、退屈しのぎに演技していたというのだろうか? 勿論、演劇の演技と映画の演技は行為と映像の結果としてみれば何ら似たところがないのだし、演劇の仕種は行為であり、映画の仕種はイマージュである。映画の中ではある意味で演技は自立することができないのだが、私はジャン‐ピエール・レオの新聞をそんな風には思わなかったし、それが何であれ、そんなことはどうでもよかった。端正な佇まい。奇妙な二枚目である彼は気違いじみていた。狂人のいる風景。それだけで十分だった。彼が幽霊だったとしても同じことだし、イマージュの威力(この場合はそう言っていいだろう)はそれだけでもたいしたものだった。だからいつも分身は分身以上のものであるし、そうなることを運命づけられている。それは魔術的だが、魔術以上のものなのだ。 

 映画俳優でもあり、シナリオも書いていたアルトーは、サイレント映画の時代に商業映画の世界に絶望し(今も昔も変らない)、映画にかかわることをやめてしまうのだが、ポール・テヴナンが言っていたように、今にして考えれば映画の可能性自体を否定したのではなかったように思う。アルトーは映画に興味を懐いていた若い頃すでに、映画の形而上学を(別にいいだろ!)、俳優として、理論家として思考しようとしていた。アルトーは映画史的には映画の黎明期、揺籃期にいたことになるのだが、映画はすでに、もう一度言うなら、形而上学的にすでにそれ自体として完成した、というか思考の見地からすればすでに進歩した段階にあるのだと考えていた。カラー映画や立体映画もいずれつくられるだろうが、それはあくまで付随的な手段であって、映画が音楽や絵画や詩と同等のひとつの言語であるならば、そんなあれこれはたいした問題ではないのだと言っていた。アルトーは、映画は思考に属する事柄、なぜか意識の内部を表現するのにとりわけ適した方法だと考えていたのだ。思考に属する事柄。なぜなのか? そもそも思考は物質を反映し物質を思考物質とする反物質であり、映画のイマージュは光と同じように物質に近い、物質から遠ざかると同時にそれにぴったりとくっついた、つまり物質の観念を壊乱することのできる非物体的特徴をはじめから備えたものであるからだ。
 「私がいつも注目してきたのは、映画には、秘かな動きとイマージュの素材とに固有の力があるということである。映画には、確かに他の芸術には見られない、思いがけず不可思議な部分がある。明らかに、どんなイマージュであろうと、きわめてそっけない、きわめて平凡なイマージュですらスクリーンの上に移しかえることができる。ごく取るに足りない細部、ごく無意味な対象も、それらに固有の意味と生命を獲得する。しかもイマージュそれ自体の意味作用による効果、イマージュが翻訳する思考、イマージュが形成する象徴とは無関係に、である」(「魔術と映画」)
 映画のイマージュは戯れたりしない、それは予測不能のものである、とアルトーは言う。イマージュは何も翻訳しないし、何かの象徴となることもない。あらゆるルプレザンタシオン、あらゆる再現代理を不可能にし、笑いものにするのである。思考に属する事柄は物質的な、物質になろうとする何かであり、何らかの表象とはまったく別のものである。だから魔術を探さなければならないのだし、同時に魔術につけ入るすきを与えてはならないのだ。

 映画と神秘主義
 1985年に行われた四方田犬彦との対談の中で、ビクトル・エリセ監督は、二つの映画『ミツバチのささやき』と『エル・スール』の父性について自ら語っているのだが、それが思いがけず印象的だった。

 ビクトル・エリセの『エル・スール』の父親は、水脈を発見するためにペンデュラム(ダウンジングのための振り子)を手に、娘と一緒に野原を彷徨うのだが、この非キリスト教的な神秘の中には何かしらきな臭いところがあるように思われる。それはこの映画がスペインの内乱を背景にしているからだけではない。これらの話が語られるのが少女の口を通してであることによって、よくあるようにひとつの物語のナレーションを促すある時間の終焉、幼年期の終わり、あるいは革命の終焉が、それとなくここで物語が始まり、ということはそれがまた映画のあからさまな欲望であるとでもいうように、再びそれが繰り返されるのだということを暗にほのめかしているのではないのだ。少なくともそれだけではない。それを語るのがひとりの少女、父の娘であることによって、この映画を独特の複雑さ、迷路、言い難い奥行きにまで導くひとつの契機となることは言うまでもないのだが、少女の悲しみが不思議なことに映画の悲しみにまで達しているのは、たぶんそれ故なのだ。父は自殺する前にこのペンデュラムを娘の枕の下にそっと置いて家を出て行き、映画は終るのである。
 父から娘へと受け継がれる神秘。それはどんな形であれ、再び終焉が襲来として繰り返される予感とともに、死がいつもあたりを徘徊していることを、不意打ちにしろそうでないにしろ、死がこの「父の名」の循環の中をうろついていることを、そして幻を見るのがいつも少女であることを暗にわれわれに示していたのだろうか。なぜ少女なのか? ここでそれにあからさまに答えを与えるのは野暮というものだろう。初潮などという話をする前に、父と娘ということに関しては、余談ながら、まずは逆立ちの姿勢でサド侯爵の本を読むのがいいのではないかと私は思っている。父と娘。母と娘。三角形は成立しない。息子は外に出されているのだ! 父性はつねに、勿論、この映画においてもそうなのだが、災いの元であり、災厄の予兆であり、不幸の原因でもあるのだが、なんと同時に、監督自身の言に寄れば、父性のもつ創造性の隠喩はひとつの神秘と不可分のものであるらしいのだ。これは目の醒めるような見解であり、否応なく私にもいろいろなことを考えさせるのだが、まず言えるのは、父性の神秘は「不正の神秘」(聖パウロ)だということである。そしてよくよく考えれば、映画自体が不正の神秘だったのではないのだろうか。序・破・急だって? 映画にそんなものはほとんど必要ないし、イマージュは起承転結を不可能にする元凶なのである。

 映画の神秘主義についてぼんやり考えていたら、あまりにも唐突だが、タルコフスキーの『ノスタルジア』にはいくつもの穴があいていて、そこから絶えず水が流れ出していたことを急に思い出した。多孔性の空間はぼんやりと光っている。降り続き、篠突く雨、身を切るような清水の流れ、温泉の煙。見えない穴から、いたるところから、何かが流れ出している。暗い静脈の中を、地下水脈を、夜が流れてゆく。手、汗、ウォッカ、蝋燭。光と闇の堰門が開く。外は青く、白く霞んでいる。あらゆる事物の境界が薄暮の中で溶け始めている。黄昏と黄昏の間に雪が降る。外にも内にも雪が降っていた。イタリアの陽光の下では(たぶんボローニャ?)人と事物の境目があまりにくっきりとしているので、自分と外の境界は不分明にならざるを得ない。私は私と君たちのことを言っているのだ。だけどたぶん最初に溶け始めていたのは私だったのかもしれない。この映画のありとあらゆるイマージュは液体のように波打ち、心臓は静かな鼓動を打ち始める。マリア像、廃墟、犬、狂人‐預言者。映画の神秘主義ということで言えば、それはこの映画の中に確固たる終末論が巣くっているからではない。そうではないのだ。水によって洗われる何かが時間と淡い大気の中で息をしている。そっと。ほんの少しだけ。
 この映画が封切られた頃、あるジャンキーが私に言った、
 「ノスタルジアを見た? あれへロインだな」。
 私は即座に納得したのだった。

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