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お知らせ(第33回 ギー・ドゥボールの映画の余白に)

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第33回 2012年12月

ギー・ドゥボールの映画の余白に

 鈴木創士

ニコル・ブルネーズ『映画の前衛とは何か
ギー・ドゥボール『映画に反対して』上・下
カール・クラウス『黒魔術としての世界の没落

         

   映画と小説

  画家であり、「バレエ・メカニック」という映画を制作したこともあったフェルナン・レジェは、「小説を映画化するのは根本的に間違いである」と言っているらしいが、この原則はどうやら深くは考えられることがなかったようである。ほとんどの映画がこの原則を守らなかったことは見てのとおりである。いちいち名前をあげつらうには及ばない。口が腐ってしまうかもしれない。だがよけいな思い上がりは慎んでおこう。とはいえ、そのリストは無駄に膨大なものになり、ほとんど意味をなさないくらいである。へっ!
  これはどういうことなのか。映画であれ、何であれ、われわれの生にまつわる記述自体が、「小説」とは何かという問いを最初から含んでいるからであり、この「記述」とやらが、いかに虚勢を張ろうとも、才能の欠如が如何ともしがたい場合であれ、またその反対であれ、幾つかの例外を除けば、われわれ全員があらゆる位相におけるチンケな「家族小説」を免れてはいなかったという赤裸の事実にすべてが端を発しているからだ。ロマン(小説)という言葉にロマンチックの恥ずかしげな意味を読み取る必要はないにしても、このことはうんざりするくらい退屈で、「小説」の側に立ったとしても、想像力を枯渇させ、作家の意気を萎えさせる元凶となっている。物語、ロマン、ナレーション…。
  映画のイマージュ自体はこのような問題設定からまったく別のところにあるのだといくら言い張っても(たしかにそれはそうなのだが)、それでもこの悪癖というか、どうしようもないわれらが芸術家たちの性癖は文明の病と言ってもいいくらいである。だからこそ逆に小説は、ほとんど近代人の「脳」の機能のようなものであり、それ故に微妙に壊れたすべての頭は、それなりにそれぞれが面白い小説の構造を、そこにはまったく違うジャンルがあるのだという信仰告白を、そしてドゥルーズが言っていたように、シナプスの接続自体がまったく異なる芸術と科学のカテゴリーをそれとなく示唆していて、そのことによってなぜかカオスの光明がひとつの僥倖として突然われわれにもたらされるごとく、(ほとんど)すべてをわれわれ自身に語りかけているかのようなのである。脳と小説と映画。自分で言い出したことだけれど、大変なことになってしまったものだ…。

   小説? ああ、そうなんだ! こいつは揚げたてのコロッケのようにはいかない。だけど、その前に、映画に影響された小説というものだってあるのだし、これこそ20世紀の発明目録のなかに入れることができるのだとあえて主張していいかもしれない。『映画の前衛とは何か』の著者は、映画の影響がはっきりとしるされた20世紀の小説家の名前を挙げている。ギョーム・アポリネール、エズラ・パウンド、ブレーズ・サンドラールである。私もサンドラールはとりわけそうだと思う。サンドラールの『世界の果てに連れてって』は、壊れたトーキーというか、ぶち壊すことがジャンルの境界とか周縁という概念そのものすらも消滅させてしまうように、あるいは誰もが言うように、読むたびにジャズの黄金の黎明期にあたかも自分がいたみたいに、どこかしら、だが決定的な形で古き良き映画を、ただし前衛的な映画をわれわれに思い起こさせるのである。
  もっとも、さらに私がいま思いついただけでも、この目録にでたらめに幾人かの20世紀の作家たちを付け加えることができる。本人たちのまったく与り知らぬこととはいえ、つまり当の作家たちにとっては迷惑な話であるだろうが、それぞれ形は違えども、マルカム・ラウリー、セリーヌ、ベケット、バロウズ、フォークナー、フィッツジェラルド、ナボコフ、レーモン・クノー、ルネ・ドーマル、ケルアック、コクトー、ビオイ・カサーレス、ショロデンコ、等々を、最近読んだなかでは、ゼーバルトやヘルマン・ユンガーやウジェーヌ・サヴィツカヤもこれに加えることができると思うが、このリストは、人の助けを借りれば、マイナーな作家も含めてさらにもっと増やすことが可能だろう(このリストに私の好きなジョイスや、また最近ではサーシャ・ソコロフを加えることができるのかどうか、この点についてはいまのところ保留にしておこう)。

  それにもかかわらず、舌の根も乾かないうちに、次のように言わねばならないのは、いったいどうしたことだろう。「小説」が何であるのか、少なくとも私にはよくわからないし、というかむしろわかるものとして小説はかつて存在したためしがないのだから、どう考えても、それでもさっき言ったのとはまったく別の意味で、つまりいまだまったく解明されてはいないという意味で、「小説的な」映画というものがあるのだ。私はあえてここでそう言っておくことにする。それは物語を語るための新たな叙述形式が問題になっているからなのかと問題を元に戻すようなことを言いたくもなるが、予想を裏切るようだが、必ずしもそうではない。「小説」自体はもともと、厳密に言えばダンテの『神曲』以降、新しい叙述形式の発明とは不可分のものだったが、翻って、物語自体はそのようなものとしては「小説」を形式的に成立させるものではなかったのではないか。われわれにはいつも小説と物語を混同するきらいがある。みんないい加減なことを言っている。いまだに記号論などと言ってみても、まったく無駄な余興にすぎない。おまえの言ってることは矛盾してるって? むしろこう言わねばならない。私ではなく、ここで言う小説的思考の自家撞着は、映画においては、イマージュのもつ素晴らしい戦闘的特質によって置き換えられるものでしかないのだから、ともあれ向こう側に映画のイマージュ群が控えている以上、話はどんどん複雑になる一方なのだ、と。

  フィリップ・ガレルはどうだろう。最近、観る機会のあったガレルの『愛の残像』は、そのままで古典的意味における十九世紀の古典小説だった。勿論、私はそのことを揶揄しているのではない。それどころか、その反対である。この映画には、「小説の破綻」において生ずる完璧に近い古典的美しさがあったし、言うところの古典劇が、きわめて現代的な反主題(主題ではない)によって、というかそれに見合ったショットによって、あるいはガレル風の映画技芸によって(これは明らかにレトリックではなく、より根本的で本質的なものである)、あっけなく断ち切られる清々しさがあった。とはいえそもそも古典美なるものが、そっけなくて、唐突で、きわめて簡潔な体裁を持たざるを得ないのは人も知るところである。
  それなら、ストローブ‐ユイレは? ストローブ‐ユイレをあまり観ていないので必要以上に口幅ったいことは言えないが、ここで私は、なにもストローブ‐ユイレが非常に「高級な」文学的主題を自家薬籠中のものにしているなどと言いたいわけではない。それどころか、批判的に言えば、その見かけにもかかわらず、どちらかといえばそうであるとは思えない。ヘルダーリンのシナリオのことはいざ知らず、その映像に、ストローブ‐ユイレ自身がそう望んだように、例えば、現代芸術において最も審美的にもアクチュアルであるとも言えるギリシア悲劇との近親性があるとは私にはまったく感じられないのだ。だけど映像はさておき、いや、むしろあまりにも現代風に斬新であることをわざわざ避けるような映像とともに、ストローブ‐ユイレのシナリオ自体ですら、文学的であるというよりは、むしろいかにその形式が戯曲に則ったものであろうと、それこそ散文的な意味で小説的であり、悪い意味において現代「小説」そのものではないかと感じてしまうのも確かである。さっき言ったのとは反対の意味で、映画自体があまりにも退屈であるにしろ、そうでないにしろ、映像の破綻は現代小説の可能性に他ならないとも言えるのだから…。
  さらに観点をすっかり変えてしまってもいい。スコセッシはどうなのか。ロッセリーニは? あるいは、前衛がいかに——確かに別の仕方で——古典を踏襲するというかその内側を踏破し、それ自体が古典となり、それとまったく同じ次元に前衛として自ら身を置こうとしていた点で(私はここで少しだけロートレアモンの『ポエジー』のことを考えている)、パゾリーニはどうなのか? それに、言うまでもなく、フェリーニは? 最も嫌味な意味で、ロメールは?……
  映画は小説に似ていることがあるのだし、その反対に、小説は、あらゆる表現の形式に通暁し、それを駆使するためには、そして喫緊の課題としてイマージュの振舞いが何であるかを少しでも知るためには、今度こそ、それこそ映画に似ていなければならないのである…。

 

 

ニコラ・プッサン「大洪水」

 


 ギー・ドゥボール異聞

 もしここでドゥボールの映画を何らかの文学、しかも「小説」的営みなどと比較するようなことがあれば、私はただちにドゥボールの信奉者と親シチュアシオニストたちに激しく非難されるだろう。かつての自分を思い起こせば、そのことは手に取るようにわかるというものだ! 言うまでもなく、かつてもいまも私は親シチュアシオニストであるし、それを公言しても一向に憚るところはないけれど、彼らを猛り狂わせる方法もいくらかは心得ているつもりである…。かつてテル・ケル派はシュルレアリストたちを「内部の敵」と呼んだが、私が言っていることはそんな大げさな話ではない。そう、そう、だったらこんな風に言えばいいのだろうか。勿論、彼らの怒りをいくら買おうとも、何人かの未知の友人を失うことになろうとも、私がそれについてとやかく言うようなことではないのだ、と。

 
 で、ドゥボールと「小説」である。
  
いきなりで申し訳ないが、ドゥボールの最後の映画、In girum imus nocte et
consumimur igni(「われわれは夜を巡回する、そして火によって焼き尽くされる」といったほどの意味だ) は、タイトルが前から読んでも後ろから読んでも同じ文句である回文になっていて、この事自体がすでに小説的含みをもっているけれど、私が言いたいのはそんなつまらない、些細なことだけではない。他の映画と同じく、この映画のナレーションもまた全編を通じてドゥボール自身による本一冊分(短い本だが、本一冊分には変わりない)の朗読からなっているのだし、こんなことはどんな他の映画にもなかったことなのだが、それよりも私にとって、何といっても、この映画全体から最初に受けた印象が、まさにシャトーブリアンの『ランセの生涯』とあの気の遠くなるような『墓の彼方の回想』のしかじかの頁のそれに近かったことが驚きだったのである。ドゥボールには申し訳ないが、あっ、これはシャトーブリアンじゃないか、と思ってしまったほどである。
 私は『ランセ』がとても好きだし、いずれ翻訳するつもりでもいるのだが、「この映画のなかで私は観客にいかなる譲歩もしないだろう」というナレーションから始まる、ドゥボールの一種の回想ともとれなくもないこの映画を観て、これほどまでに映画作家と思想家が、二つのものがひとつのアマルガムになるのではなく、まさしく映像的現実のなかである種の深い統一を示していることに、そして白日のもとに剽窃されたイマージュ、時代に先んじて、それをこじ開け、暴き、投げ出し、分析し、解体するようにして編集された映像が、何かを回想するという点で、さらにドゥボール好みの人たちの名前を挙げるなら、まさにレスの枢機卿やサン・シモン公爵やバルタザール・グラシアンやボシュエの最良の頁を前にしているような、つまりこれほどまでに革命的であると同時に格調高く「文学的」であることに軽いショックを覚えたのである。そしていま挙げた作家・思想家たちのなかでも、最良の、最も現代的な速度と展開を感じさせる文章がロマン派の作家シャトーブリアンのそれだったのである。
 この18世紀から19世紀にかけてのフランスの作家の最後の作品の特徴はまずはショットの切り返しのような文章にあり、著者名なしで絶えず引用が繰り返される様はいまにして思えば前衛性を感じさせるものでもあるし、文脈にほぼ無関係に、思い立ったように挿入される唐突な一文は、一種、俳句的といっても構わない、まったく別のポエジーの系列に人をループさせるような、はっとするくらい現代的な美しさを放っている。言ってみれば、まさにこの小説は「モンタージュの極致」(ソレルス)なのである。映画監督エイゼンシュタインよりずっと前に、作家シャトーブリアンはそれをやってのけていたのだ! そしてドゥボールの映画が全編モンタージュと映画イマージュのむきだしの剽窃・盗用からなっていることは周知のとおりなのだから、なおさらである。

 その特徴が回想であるということは、独特の死の臭いをそこかしこに発散させているということでもあるのだが、この死は、生きていたものが死ぬということではなく、つまり生の死ではなく、生によってこそ裏づけることのできる死の前触れのなかにあるということである。この前触れ、いや、この死とは、かつて極限にまで加速された生、「絶対的自由」の証なのだ。シャトーブリアンのこの最後の小説からまったく同様の大気の香しさがするのは、事の本質において偶然ではないのである。
 最後の日々を迎えたシャトーブリアンの友人であったと錯覚してしまうような画家、ニコラ・プッサンの最晩年の大作についての文章、この小説のなかで最も有名なくだりを引用しておこう、「ポール・ロワイヤルの世代に属し、その後トラピスト修道会に加盟したアントワーヌ・アルノー神父もまた『大洪水』のタブローの作者[ニコラ・プッサン]のもとに足繁く通ったものであった。このタブローにはどこか見捨てられた老年と老人の手を思い起こさせるところがある。素晴らしい時の震えよ! しばしば天才たちは自身の終焉を傑作によって予告した。飛び立つのは彼らの魂なのだ」(『ランセの生涯』)。
  ところで、回想とは、大胆にも、そしてどうしようもなく、時間とはまったく無関係な場所で語られるしかないことがある。要するに回想する人物の年齢はどうでもいいのである。ドゥボールは若い頃に映画のなかでこんな風に語っていた…。「われわれの人生は——冬のなかの、そして夜のなかの——旅である。われわれの通れる道を探そう……打ち捨てられた文学が、それでもなおいくつかの情動の形成のレヴェルで時代遅れの行動を行っている。あれほど歩き回った迷宮のなかには、朝の疲れと寒さがあった。わたしたちが解かねばならない謎のように。それはだまし絵(トロンプルイユ)の現実であった」。あるいは、「時間と老化を拒否することによって、この偶然で閉ざされた地帯での出会いはあらかじめ孤立させられていた。そこでは、しくじったものは取り返しのつかないものと感じられていた。労働せずに生きる方法についての極端な不確かさが、常軌を逸した行動を必要とし、絶交を不可欠なものにしていたあの性急さの根本にあったのだ。生存を組織するものに本当に異議を申し立てるには、必ずやその組織に属するあらゆる形式の言語に異議を申し立てねばならない。自由は、閉ざされた回路のなかで行使されると、夢に堕し、自由自体の単なる表象と化してしまう」(「かなり短い時間単位内での何人かの人物の通過について」)。……

 
 ジョルジョ・アガンベンは、この世紀の「ヴァルプルギスの夜」を前にして、ドゥボールが自分と比較されることを受け入れる思想家がいるとしたら、それはカール・クラウスである、と言っていたがたぶんそうなのだろう。だが、そもそも「ヴァルプルギスの夜」が「死者たちを囲い込む」ものであるとするならば、カール・クラウスの「ヴァルプルギスの夜」は、言うまでもなくジャーナリストたちとの戦いにとどまるものではないはずである。われわれの死者たちはほんとうはどこにいるのか? それを教えてもらいたい! カール・クラウスは、「悪魔は人々をさらに悪意ある者にすることができると信じているならば、ひとりのオプティミストである」、というようなことを言っていたが、悪魔が存在するのもまた確かなのだ。ドゥボールの「スペクタクル社会」に対する長い行軍、きわめて戦闘的な姿勢には、魔女たちの宴を見てしまった者の不気味さとメランコリーがない交ぜになっていて、織り合わされた色の違う幾本かの糸がとても微妙で奇妙な色合いを醸し出すものであることを、その術を、彼の「文学的技芸」(!)において知り尽くしていたのである。

  「世界から身を引くという最も謙虚な振舞いは、この世界で誇大妄想の謗りを受ける」(カール・クラウス『黒魔術による世界の没落』)。

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