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お知らせ(第34回 エル・グレコを讃える)

第34回 2013年1月

                          エル・グレコを讃える
                      (お正月ヴァージョン)

                                                                        鈴木創士


 

ジャ・ルイ・シェフェール『エル・グレコのまどろみ

 

 大阪のエル・グレコ展に行った。素晴らしいタブロー群!
 最初から話を混ぜっ返すようだが、『エル・グレコのまどろみ』の著者ジャン・ルイ・シェフェールとは違って、私は美術館が好きではない。ずいぶん長い間、美術館に行く気がしなかった時期がある。行くことが出来なかったのだ。だがなんとシェフェールは絵を見に来たミニスカートの女の子たちとグレコの絵を調和のなかで眺めることが出来るようである。それは視線の背馳と背中合わせになっているが、エル・グレコの場合は特にうまくいくらしい。あまり物を見ていない身体や魂(美術館はそういう場所だ)は逆にこちらが物を見るときの助けになり、それやこれは「人生の妙味そのもの」のなかにあって、そのせいで美術館が好きなのだと彼は言う。絵の方が、逆に人の顔、立ち居振舞いを際立たせ、そのスタイルや姿勢をわれわれの目にはっきりと映し出させることができるからだ。これがシェフェールという人の独特なところである。彼の言う「類似」の観念もその発端においてこのことと無関係ではない。絵を見る、つまり要するに「覗き」をしているのだ、とシェフェールは言っている。
 絵の見方ということで言えば、私はレオス・カラックスの映画『ポン・ヌフの恋人』のなかのあるシーンが理想的な絵の見方だと思ってきた。ほとんど目の見えなくなりかけているジュリエット・ビノシュ扮する元画学生が、夜のルーヴル美術館に忍び込み、乞食の老人に肩車をしてもらい、蝋燭で間近からレンブラントの自画像を食い入るように見つめるシーンである。極めて美しいシーンだ。冬の夜、人気のない凍てついた建物、静まり返った部屋、音楽はない、ワーグナーも、見つかって捕まるかもしれないという不安、高鳴る心臓の鼓動、蝋燭のたよりなげな微光、レンブラント自身のこちらの行動を見透かしたような、射るような眼差。だが会話はない。霊的会話を別にすれば。ナルシシックな芸術のコミュニケーションは途切れ、完全に断絶のなかにある。音もなく、ナイフで切れるくらいのますます分厚くなるような暗闇のなかで、ひっそりと口を閉ざした、暗く貧しくそれでいて豪奢な絵。眼差だけの絵。絵との対話はこんな風に行われなければならないのだと私は思っていた。とりわけバロック絵画は。

 

 

 

 「あちら[トレド]では、塔、山、橋といった外側の事物は、すでにそれ自身のうちに、内的な等価性の、前代未聞の、乗り越え難い強度を内包していたのですが、その等価性を通してこそ事物を描きたかったのです。出現としての幻とヴィジョンは客体において言ってみればいたるところで一致していて、ひとつの内的世界が、まるごと塔、山、橋それぞれのうちにさらされていました、あたかも空間を包含する天使は盲目であり、自分自身のうちを見ていたとでもいうように…」(ライナー・マリア・リルケ)。
 ああ、素晴らしいリルケ! ハイデガーが惚れ込んだのも無理からぬことだ。ともあれ、そんな風にリルケは手紙に書いているが、これこそグレコの「トレドの眺め」という奇妙な風景画を的確に評した言葉と言えるものだった。当時、こんな風景画はどこにもなかったし、グレコ以外の誰も描いてはいなかった。
 鳥の囀りがリルケに対して完璧な空間を、扇を開くように開いてみせたが、最初は内でも外でもなかったこのトレドの風景は、同時にそれ自身のうちに完全な外部空間を、あるいは内側から、「墓の反対側から」見られたような世界は、それ自体において完璧な外部空間を有していたということになる。そしてかつてそうであったものは、今そうであるところのものとなった。リルケはそれを薔薇の内部とも呼んでいた。
 鳥は落ち、町は息づき、滅びる。というか滅びる前の姿を光のなかでわれわれに示していた。すべての文明は滅びる運命にあるが、最期の姿はそのつど目の覚めるような新鮮さのうちにある。ジュネは物を見るたびにそれが最後のイマージュだと言っていたが、これこそ最後の風景である。鳥の歌。鳥の歌が聞こえ始め、鳥が空から落ちてくれば、空間はそこに完成するだろう。「内的な等価性」とは、空間の縁が内側に曲がり込み、溶け出し、われわれと同じように不分明になり、揺らいでいることの逆説的な証明である。
 天使。なぜ天使なのか。もはや「人間」から世界が見られてはいないからである。「天使は、グレコにおいて、もはや人の姿をしてはいない…その本質は流動的である、それは二つの王国を通り抜ける流体なのだ…」(リルケ)。天使は空間を包含した存在者としてあるのだから、天使が横切ることによって、空間自体もまた溶けて、流れ出すに決まっている…。だからこそ天使が通ると座がしらけることになる。
 われわれの場所? 内と外? ここでは、対象を見つめることは、的を外すようにして的を射ることである。絵を前にして、私は途方に暮れ、「トリスタンとイゾルデ」の序曲の始まりのように静かに、緊張して、だらしなく身構えざるを得ない。私はつねに外在化し、同時に内であり外であり、内の外、外の内と等価なものとなり、だからこそ誰でもない人である。グレコの空は聖人を描いているときでさえいつも嵐の直前の空のようだった。恐ろしい、それでいていたずらで「快活な」裂け目、雲でないような雲。ヴァン・ゴッホの空とはまた別の予兆。すでに終わってしまった、終わりかけている、終わり続けている何かの予兆。スペイン語で「ロコ」(気違い)と呼ばれていたグレコの暮らしたトレドの美しい町並み。生者と死者と天使たちに対して同時に厳として現前する町。丘。十六世紀、天正少年遣欧使節団の少年たちが訪れたこともあるトレドに、古い剣とステッキを買いに行こう。人が住んでいるはずなのに、人間の住めないような不思議な古い建物。草。生い茂る草。木は少ししか見えない。山。禿げ山。こいつはほとんど麻薬だった。私は十代の頃から訳もなくエル・グレコが好きだった。このギリシア人が。彼にとって、ヴェネツィアはただの通過点、色彩のための、赤と緑のための仮の宿、恐らく青春の暗い一ページにすぎなかった。
 今回の展覧会ではじめて見ることのできた「シナイ山の眺め」もとても不思議な、いい絵だが、恐らくローマやヴェネツィア絵画の影響の跡をまだ残していて、同じ風景画の範疇にあると言っていい「トレドの眺め」と比べてみれば、「トレドの眺め」がいかにその独自性において奇妙な絵であるかということがよく解る。私はずいぶん前からほとんどこの「トレド」に取り憑かれていると言っていい。あれらのどこか幽霊じみた建物が私のなかに入り込んで、すみついている。ある意味で存在しない建物のなかに私は入ってみようとする。憑依の波長がどれほどのものか測って確かめてみなければならない…。

 

 

 

 グレコの人物は長く伸びている。人物のプロポーションはどう見てもおかしい。というのも人体自体が、他の物体と同じように、妄想にとらわれているかのようである。
 眼差は…誰かの眼差がつねに上を向いている。私の好きなフランスの批評家で英文学者のジャン・パリは、『空間と視線』(1965年、スイユ刊)という本のなかで、グレコの空間を「上昇する空間」と呼んでいた。視線は空間との関係、ひとつの内包関係において、瞬時における反作用、拒絶において、当然のことながら空間の質的変化を引き起こす。
 だがその前に「オルガス伯の埋葬」という絵を見てもらいたい。上部と下部は完全に分かたれている。というか分離が、なんというか離脱し始めるのを余儀なくされている。上で起きていること、下での出来事。天は錯乱している。天は地上の場所を反射し、映し出していることに限られているわけではない。真の反射はそれ自身のうちにあり、自ら発光しなければならず(光源はどこにあるのだろう?)、限定されることがない。だが上と下を同じ次元で描くには嘘をつく必要がある。そうであれば、どうすればいいのか。上部は下部の夢想、もしくは信仰ではけっしてない。というかそんな風にグレコの絵を夢想することは私には出来ない。上と下の出来事はここでも同時に起きていなければならないからである。急げ、たとえ冒涜であろうと、神のドラマはルネッサンス以来この地上で起きているのだから。
 重力は敵だった、ニーチェが言ったように。例えば、ベルニーニのバロック彫刻ははっきりとそのことを示していて、空中浮遊を開始したばかりの石の恍惚のうちにあった。だがグレコが、ギリシア風、ヴェネツィア風、ローマ風をやめたグレコが、グレコになるためには、空間自体が引き延ばされていなければならなかった。その内部にある人体や事物もろとも。そしてジャン・パリが述べていたように、空間自体が上昇を開始するには、人物の足は地獄または煉獄あるいは地上に向かって降りていかねばならない。十字架上のキリストの足は変な方向に微妙に折れ曲がっている。グレコにとって天国・煉獄・地獄はまったく階層をなしてはいないが、われわれの足下は限りなく下に向かって延び、直ちにそこで停止していなければならないのだ。
 だが頭は? 上の方は? この両方に引き延ばされた様態はグレコの空間表現にとってだけ典型的なことだったのだろうか。だが「重さがない」ことは、もちろんグレコにだけ特徴的なことではない。バロックの(そして恐らくマニエリスムの)空間は四方八方に膨張しようとする(グレコの場合は上と下である)。当時の宇宙論に照らしてみれば、なぜかはすぐに理解できるというものだ。ケプラーの宇宙。木星の衛星の楕円軌道。ビッグ・バン。ジョルダーノ・ブルーノが言ったような多世界。幾つもの太陽。多元宇宙。ギリシア的な、理想的で、神的な「円」はすでに歪んでへしゃげている。その原基はすでに破壊されねばならなかったのだ。

 

 

 

 これらのタブローに塗られた灰色、緑、赤。独特の反射あるいは発光現象。これらの光、これらの微かな、別の世から射してくるような光。さっきも言ったが、光源はいったいどこにあるのだろう。内側から発光しているような赤ちゃんキリスト。……
 「光は観察されたひとつの光になっている。(…)光は、自然における諸変化のもたらす結果のカタストロフ的度合い、宿命的ないし悲劇的度合いを測っており、自然が人間に課す形相的・質料的な可変状態を表している。その自然というのはエル・グレコの画中、人物たちの背後に立ち、または下に潜み、彼らの代わりに、いかなる神の助けもなしに、いっさいの寓話のアリバイを借りずに、変化を遂げ、独りで語っている自然なのである。光は、厳密に観察されたひとつの光であり、夢想の光である。ころげる灰色のなかには、夢の素材そのものと物質のうちの何かがそこに濃縮されている」(ジャ・ルイ・シェフェール)。
 「独りで語る自然」は空間の内側と外側を手品のように裏返すのではない。光を観察し、光を浴び、そこにあって、われわれの目とともに、世界自体が物理的に変質するグラデーションの微妙さを再び確認しようではないか。グレコの色彩は物質というよりも空間の変化の度合い、シェフェールの言うように、自然の悲劇的度合いであるが、だからといってこの光が「ひとつの人間性」であるとは私には思えなかった。世界と自然が移入し合うある種の「感情」…。

 

 

 

 「福音記者、聖ヨハネ」を眺めてみよう。彼は使徒ヨハネなのだろうか。そうであって、そうでない。彼が天使でないことは確かである。彼は毒杯をあおっても死なない、最初のジャーナリストのひとり、だがそれでも彼は人間なのか。キリストは? カトリックの教義の話をしようというのではない。神人同型説を問題にしようというのではない。グレコのキリストもまたどう見ても奇妙である。彼は何を描きたかったのか。タブローのなかで、彼は、彼らは生きているのか。それともグレコのこれらの登場人物たちは死者の振舞いを知らない死者なのだろうか。死人?
 スピノザ『エチカ』より、「…人間の身体がその本性とはまったく異なる他の本性に変化し得ることが不可能ではないと私は信じている。人間の身体は死骸に変化する場合にだけ死んだのだと認めねばならないいかなる理由もないからである」。
 他の本性。空間のなかで、別の光のもとで変質する身体‐物体とは何なのか。死者、生者、天使の本性をもつもの…。あるいは第四のカテゴリーがあるのだろうか。しかしスピノザがたぶん言いたかったようには、絵のなかで子供の身体は大人の身体へと変化したりはしない。グレコの描く人物はこれらの範疇にはまったく属さない。はたして死骸は死者なのだろうか。だが、死者は必ずしも死骸ではなかったのだ! 死者の全歴史において、少なくとも死骸だけであるとは限らない。死者は歩いているではないか。死の本性? 生の本性? だから他の本性をもつものを探しに行ってもたぶん無駄だろう。とはいえ、人であること、おまけにそれがそこで生きているのは、それほど確実なことだったのだろうか。

 もうひとつ別のことがある。この聖ヨハネの絵でも特徴的なことなのだが、その衣の異様さである。今回の展覧会を見て、私にはそれがとても印象的だった。これらの衣には、ジュネが「レンブラントの秘密」のなかで語っていたような、レンブラント描くあれらオリエントの人々の纏う異様な服飾のような華美さはない。幾つかある聖ヨハネの絵を比べてみればいい(今回の展覧会に展示されたヨハネは私がはじめて見るヴァージョンだった)。微妙な変化が衣の大きな襞の具合にあることが、つまりグレコにとっていかに衣の状態が重要だったのかが見て取れる。近くで見ると荒く塗られた衣の筆触は、同じスペインのベラスケスの絵がそうだったように、遠くから見るとリアルに光り始める。だが明らかにベラスケスの服とは違う。ベラスケスにとって、例えばマルガリータ王女の服装はひとつの全体を形づくるものだが、グレコの衣はそうではない。それは細部ですらなく、絵自体が幾つかの一種の「瑣末さ」を要求しているかのようなのだ。
 そして視線という視線はやがて衣に収斂していくかのようだ。誰の視線なのか。勿論、画家グレコ本人の視線である。彼は明らかに自分の描くタブローにおいてヨハネの衣を注視せざるを得なくなっている。横目で。だから明らかに視線の移動がある。絵を「はずしている」のだ。グレコにとってヨハネの聖なる物語などどうでもよく、ほんとうはこの衣を描きたかったのではないかとさえ私には次第に思えてくる。彼は教会と何度か悶着を起こしたようだが、これは彼独特のユーモアだったのではないか。グレコは教会に復讐していたのか。ギリシア時代の絵を見ると彼が画家として凄腕だったことが一目瞭然なのだが、彼の「へたうま風絵画」、誰もが知る後半生のグレコ風は、衣を筆頭に、壮大なユーモアをその裏地としていたのではないか。彼が気違いだったとすれば、彼の「狂気」は、何度も言うがあの「空間」を別にすれば、このユーモアと手を取り合っていたとしか思えないのだ。私はいまではそう考えている。

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