ホーム > お知らせ(第42回 ブニュエル雑感)

お知らせ(第42回 ブニュエル雑感)

1~1件 (全1件) | 1 |

                                                        第42回 2013年9月

                           

ブニュエル雑感

 

                                                                    鈴木創士

 

四方田犬彦『蒐集行為としての芸術』『俺は死ぬまで映画を観るぞ

 


 「わたしたちがその間で自らを形成したイマージュが色褪せていくのを見るのはわたしたちの運命である。わたしたちの短い人生のあいだに、世界はわたしたちに対して不実である手段を見出すのだ」(ピエール・ガスカール『前兆』)。

 最近いろんな場面を眺めていてとみに思ったことがある。プロフェッショナルはどこにいるのか?!

 

 ルイス・ブニュエル

 


 今年の六月に刊行された四方田犬彦の渾身の大著『ルイス・ブニュエル』。彼が大昔にそう望んでいたとおりの電話帳のような本だ。ページ数だけではない。ブニュエルのひとつひとつの映画についての、詳細に分析された、彼にしか書けないくらいの情報量のとんでもない多さだけではない。それだけなら世の中には勉強家がいくらでもいるのだから珍しいことではない。だが、天からプレゼントでも降ってきたように、稀に、著者と彼が書こうとしている対象が一致するように思えることがある。いや、四方田氏とルイス・ブニュエルという人物がこの本のそこここで天災のように不慮の同期を遂げているということだけを私は言いたいのではない。無論、経歴のことなど関係ない。だが、この本が書かれるべくして書かれたように思えるというのは、そうである。対象を愛しているだけではなかなかそういうことは起こらない。それは神秘家たちが言うような神秘的合一なのか。だが、この合一は唯物的過程をともなっていて、当の合一の主体、そいつの鼻面は泥沼のような現実のなかを引きずり回されるのだ。わかるだろ? 四方田氏はこの本を書こうとして長い間書くことができなかった。彼は何度も逡巡し、のたうち回り、邪魔に合い、不運に見舞われ、大病を患い……、そして、ここが肝心な点だが、はじめからそれがそこにあったかのように、本は出来上がった。四方田氏はとんでもない量の本を上梓してきたが、われわれは彼の主著の一冊と言ってもいい大変好ましい映画研究書を手に入れたのである。

 四方田氏の本を読みながら思ったことがある。ブニュエルの親友だったガルシア・ロルカの私の好きな詩を引用しよう。若かりし頃のブニュエル、ロルカ、ダリ。変なトリオだ。彼らは結局死と仲違いによって散り散りになった。

  コルドバ。
  遠く、寂しい。
  黒い馬、大きな月。
  そして俺の革袋のなかにはオリーヴの実。
  道はよく知っているのに、
  けっして俺がコルドバに辿り着くことはないだろう。
  平野を通り、風に吹かれて、
  黒い馬、赤い月、
  死がそこで俺を見ている
  コルドバの塔の高みから。
                              (「騎士の歌」)

 コルドバの町は「ここ」ではない。勿論、ここはここである。だがここから遠ざかるにつれてここは向こうに似てき始めるらしい。われわれはそれをずっと見てきたし、いまも見ている。ときには忘れてしまうこともある。旅人にとっては、それ以外のものとのいかなる関係も奪われているというのに。望むだけ近づくがいい。向こうからここへ通じているものはもはや何もない。近づくことはできても、「それ」がここになることはけっしてないし、まったく同じように、やはりここがここになることは絶対にないだろう。本を書くこともそのようなことなのかもしれない。死はそれを知っていて、われわれを窺い、われわれをつけ狙っている。そしてわれわれはそんなことなどどこ吹く風、知らんぷりを決め込んでいる。旅人なのだからそうせざるを得ないのかもしれない。いったい誰のことを言っているのだ?

 この本のなかから私の好きな章のひとつ、その一節を。コルドバではなく、トレドについて書かれた章からである。四方田氏はそのためにトレドを訪れた。かつてイスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒が共存することのできたこのスペインの自由の町をブニュエルは偏愛していた。マドリードの学生だった頃、悪ふざけでブニュエルがドンチャン騒ぎのためにトレドで組織した「トレド団」。馬鹿騒ぎ、古き良きスペイン。この徒党にはロルカの兄弟も入団していたらしい。そして『ビリディアナ』をめぐる騒動のためにフランコ政権の怒りを買ったブニュエルは、再び故国スペインに戻る。トレドで『トリスターナ』を撮るためである。
 「もっともトレドの曲がりくねった坂道を、いくたびも迷いながら散策した者としてわたしが思うのは、この邑(まち)だからこそ片足を喪失したトリスターナの物語が、他のどの都にもまして悲惨な色調を強くし、不吉な輝きを放つのではないかということである。石畳の上をコツコツと松葉杖の音が響く。不自由な躯を引き摺ったトリスターナが、憎悪だけを生きがいとして歩いていく。これがマドリードであれば、松葉杖の音など周囲の車の騒音に掻き消されてしまうだろうし、色彩があまりに過剰であるために、世俗のメロドラマとしての側面が強調されることはあっても、背徳と悔恨の、凍てつくような運命劇という性格は及ぶべくもないことだろう。中世の雰囲気を今なお強く留め、さまざまな階梯をもった白と茶と灰色以外の色彩をもたないトレドであるからこそ、『トリスターナ』は可能となったのだ。雑音の不在ということでいうと、この邑ほどスペインの数ある邑のなかで、鐘の音が透明感をもって鳴り響くところもないような気がする。『トリスターナ』で冒頭から鐘楼の鐘が鳴り響き、その後も鐘のモチーフがいくたびともなく反復されているのは、やはりそこがトレドであるからではないだろうか」。
 昔、スペインに少しいたのにトレドには行く手だてがなかった。だから私にとってトレドは、いまもエル・グレコの「トレドの眺め」の丘の上の町であり、ブニュエルの『哀しみのトリスターナ』(邦題)の灰色と薄茶色の町であり、最初にヨーロッパに行った日本人として天正遣欧少年使節団の少年たちが恐らく意気揚々とポルトガルから入った中世のままの町である(最後にローマに辿り着き、この苦難の旅から日本に戻った後の彼らの過酷な運命と、故国が彼らに行った仕打ちは人も知るとおりである)。幻想の中世、幻想の町。おまけに私が最初にこのグレコの絵を見たのは、バルセロナで買った、とても印刷の悪い、安物の画集だったのだが、それでも「トレドの眺め」のセピア色の(なぜかこのページはカラー印刷ではなかった)拡大された部分絵のなかに描かれたこの城塞都市が、死者の住む町か、時間の外では誰も住んでいない町だということは手に取るようわかったし、素晴らしい幻覚的効果をずっと私に及ぼし続けたのである。私の内部で内と外にわかたれた幻の町。私自身がそれによって分裂することになるのは言うまでもない。内と外……。外で鳥が落ちると、内でも鳥が落ちる。そしてカトリーヌ・ドヌーヴ扮する喪服のトリスターナ、エロティックで、ふしだらでもある聖女にふさわしい町。トリスターナの義足が何よりも似合う町。トレドにはステッキを扱う素敵な古い店があると聞いたことがある。トレドの剣、杖。
 そして突然すべてが「省略」される。勿論、私自身の記憶のなかでも、どこででも。ブニュエルの強引さ。『トリスターナ』に限らず、彼の編集のカットがもたらす笑いに私はじゅうぶん敏感だった。ブニュエルの怒りはくすぶり続けていたのだと思う。フランコのスペイン。フランス。ハリウッド。メキシコ。

 最初に見たブニュエルの映画は何だったのだろう。『昼顔』だったのか、それとも『アンダルシアの犬』だったのか思い出せない。『アンダルシアの犬』は、ケネス・アンガーと同じ頃に京大西部講堂で見たような気もするが、どうだったのだろう。私の記憶の話はどうでもいいのだが、私にとってブニュエルの映画の全体的な特徴は、記憶の細部のイマージュが再びわれわれに語りかけようとする瞬間に、またはそれがわれわれの言葉の領域に再び侵入してくる瞬間によく似た、独特の「曖昧さ」にあるといっていい。私はブニュエルの曖昧さを大抵の場合心地よく感じてきた。それこそが映画なのだと思ってきた。このことが「私の曖昧な欲望の対象」によるものであるのか、「私の欲望の曖昧な対象」によるものであるのかよくわからない。それとも「欲望の対象」は曖昧さのなかでしかシネマトグラフ自体の対象にはならないのかどうかも私にはわからない。しかしとにかくブニュエルの映画の曖昧さは、その(素晴らしい)「暴力性」とも滑稽さともまったく背馳しないのだ。彼の頑固一徹(彼はシュルレアリストとして出発したのだった)とある種過激な職人芸は、この曖昧さを増幅させるものであって、ここには何の矛盾もありはしない。

 

 「アンダルシアの犬」
                                                              
 


 だが映画の種類やその発言、経歴その他においては微笑ましいまでに矛盾だらけであるにもかかわらず、このスペイン人監督の映画を見るたびに、私はとりわけその居心地の悪さを好ましいものに感じていた。あの居心地の悪さ! どこにいようとわれわれ自身が違和感の塊なのだから、それだけでもたいしたものである。映画が何なのか私にはけっしてわからないにしても、映画のなかにあって、映画のなかで掬い上げられる「現実的なもの」は、けっして「表象」ではなく、再び再現されるものの外にしかないのではないかと私はずっと思ってきたのだ。映画が否応なく持っているドキュメンタリー性とはそういうことであるし、暴力と曖昧さはここに起因し、ここからしか来ないのだ、と。たとえ映画が最小限の「現実性」との関係しか保持していないとしても、そうである。ここで語られているものの素材、これらはイマージュであり、勿論、実在のレベルの話ではない。この点では過剰な表現性の潜勢力や可能性は、あるときは映画の想像力を枯渇させるものでしかない。
 映画は現実性から最も現実的でない様相だけを喚起することしかできないなどと言いたいのではない。なぜすぐれた映画はそういうことにならないのか。イマージュの単独性は実在する個体のもつ最終的な単独性、究極の特異性によってしか現実化されない瞬間があるからである。どこで現実化されるのか? つまり奇跡的な場合、スクリーンの「なかで」、つまりイマージュの特殊な現実性と物質性のなかでだ。だからこそ現実のなかで映画は映画の様態にしか関係づけられず、映画のなかでイマージュはイマージュの単独性にしか送り返されない。映画はアルトーがそう望んだように最もファンタスティクな手法でありながらも、われわれがよく知るように、多くの場合、映画のなかの幽霊もゾンビも火星人も奇跡もまったくファンタスティックな存在に見えないのはそのためである。また逆に、観客がすぐれた映画を見て気分を害するのは、あれこれのイマージュがそこにあるもののままそこに厳としてとどまっているからであり、またあるとき映画は「現実が不正に得たものを吐き出させ現実に返す」ものであるからだ。……。

 少しばかり脱線が過ぎたようである。ブニュエルに話を戻そう。シュルレアリストたちのゴシック・ロマン好きはよく知られていることだが、ブニュエルもまた18 世紀のイギリスの小説家マシュー・グレゴリー・ルイスの『マンク』の映画化を試みたことがあった。映画化は果たされなかったが、脚本が残されている。ちなみにアルトーもこの作品が好きだったようで、翻案を1931年に刊行していたし(『アントナン・アルトーによって語られた、ルイスの修道士』)、映画化も考えていたらしい。私がこのブニュエルの脚本を知ったのは、『修道士』というタイトルで、ブニュエルとジャン・クロード・カリエール名義で、末期のシュルレアリストの監修する叢書から刊行されたフランス語版だったが、話の結末は原作のルイスのものよりずっと興味深かった。主人公の修道士アンブロジオは破戒と殺人の廉で異端審問にかけられるのだが、悪魔に魂を売ったアンブロジオは悪魔の化身であるマチルドとともに牢獄を抜け出す。ところが最後にアンブロジオが姿を現したのは、真っ昼間の現代のサン・ピエトロ広場であり、スーツを着てミニスカートを履いた熱狂する群衆に歓呼の声で迎えられる法王としてだったのである。ヴィーヴァ、イ、パーパ! ヴィーヴァ、イ、パーパ! まことにブニュエルらしいエピローグではないか。

 模像がスクリーンから剥離し、空中を飛び交っている。神への否認はいたるところに見出されるのだし、分身は不条理なものではない。登場人物たちもまた耳を傾けてじっと聞いている。彼らの夢の外側から聞こえてくる超越的な声は結局は「私」の声だったりする。だがすべてを持つことはできない。30代で死のうが、40代で死のうが、50代、60代、70代で死のうが、どのみち彼は長生きしたのであり、それどころかブニュエルは80代まで生きたのだから長生きしたのである。ずっと私は映画は寿命を縮めるものだと思っていた。だが長寿の映画監督のなんと多いことか! とはいえ映画は栄光と何の関わりもない。ブニュエルの『黄金時代』に霊感を与えたと言われるスペイン・バロックの画家ファン・デ・バルデス・レアルの「この世の栄光の終わり」が目に浮かぶ。無意味な絵なんかじゃない。そして目玉のこと、歯の抜けた老人、エナメルのサン・ローランのブーツを脱ぎ捨てると大きな穴のあいていた靴下、等々……、ブニュエルの映画の細部の秀逸さ、ブニュエルの映画がわれわれにもたらした諸々の知的あるいは情動的細部についてはたぶん言うべきことが山ほどあるだろうが、これについては詳細な四方田氏の本に譲ろう。

 

 
ファン・デ・バルデス・レアル「この世の栄光の終わり」

 

 

  


 その代わりというわけでもないが、恐らくブニュエルもまたきっと若かりし頃熱狂して読んだに違いない、16世紀から17世紀にかけての難解なスペイン・バロックの詩人、ゴンゴラの詩の一節を。

  勇敢な若者の飛翔の残骸のあいだに
  彼の骨のかわりに遺灰が
  そしてあちこちに跡をとどめる彼の過ちが焼けつくような炎となって
  落ちてゆくのをおまえたちは空のなかに見たのだから…
                               (『ソネット集』)

 最後に、もうそろそろ忘れてもいい70年代のエピソードをひとつ。ヴァカンス時期だというのになすすべもなくパリの街中にとどまっていた私は、その日、サン・ジェルマン・デ・プレの裏通りのカフェテラスでぼんやりしていた。客はそういう時期らしくまばらで、テラスには夏だというのに革ジャンを着た男が向こうに一人居るくらいだった。カラヴォンの谷間は遠く、鳥の囀りも聞こえなかった。数人の男たちが何の前触れもなく近づいてきた。
 「君、ブニュエルの映画に出てみないか?」
 彼らはブニュエルのスタッフだった。エキストラではなく、ちゃんとした役だと彼らは無礼にも(たぶん無礼ではなかったのだろう)笑いながら強調していた。まだ生意気盛りだった私は、別の意味でたぶん舞い上がってしまい、即座に返答してしまっていた。攻撃は最低の防御である。
 「ブニュエル? ノン、いやだよ」
 その後どんな話をしたのか詳しくは思い出せないが(彼らは「中国人の役だよ」と言っていたような気がする)、彼らはしばらくするとたぶんつまらなそうな顔をして帰っていったはずだ。いまから考えると、もしこの映画が実際に撮られたのだとしたら、何の映画でどんな役だったのかは彼らの話し振りを思い出せる限りだいたいの見当はつくが、映画に出なかったのだからそんなことはどうでもいい。他に探せば私にも自慢できることも少しはあるだろうから、これを自慢話だとは思わないでいただきたい。
 その後どのくらいしてからか、相も変わらずろくなことをしていなかった私は日本に帰ったのだが、日本に帰ってなすすべのない日々を送っていた私は、何を隠そう「しまった!」と思ったのだった。記憶のなかでは、すべては遅きに失し、すべては終わっている。別にブニュエルが嫌いなわけではなかったし、それどころか『昼顔』のクレマンティーは私の変わらぬアンチ・アイドルだったのに、とにかく何かにつけて拒否することに慣れてしまっていたあまり、またまたそこでも拒否してしまったのだ。おまけにブニュエルの新作映画だったのだから! この話は嘘ではない、後日譚があるのだから、私はこの場合あらゆる義務を免除されるようにすべての妄想を免れている。
 そのためなのかなんなのか、日本に帰って、よせばいいのにほんとうに余計なことを思いついてしまったからだ。自分を持て余していたので、魔が差したということもある。ちょうどさる高名な日本の監督が近々オーディションをやるということをどこからか聞きつけた私は、このオーディションに応募するなどという馬鹿なことを衝動的にやってしまったのだった。いまから思うと俳優になりたいとも俳優ができるとも考えてはいなかっただろうし、私はシネフィルではないし、系統的に映画を見たこともないし、とりたてて映画に特殊な情熱を感じていたわけでもない。結果は一次審査で落選。まあ、どうでもいいことだけれど、ほんとによせばよかったといまでも少しだけ後悔している。カラヴォンの谷間は相変わらず遠く、鳥の囀りもやはり聞こえてはいなかった。

関連書籍はこちら

このページのトップへ

1~1件 (全1件) | 1 |