お知らせ(第49回 パゾリーニ、ゴルゴタの丘)
第49回 パゾリーニ、ゴルゴタの丘 - 2014.04.05
第49回 2014年4月
パゾリーニ、ゴルゴタの丘
鈴木創士
四方田犬彦『俺は死ぬまで映画を観るぞ』『蒐集行為としての芸術』
ジャン・ルイ・シェフェール『映画を見に行く普通の男』『エル・グレコのまどろみ』
春だからといって、うかれてばかりはいられない。パゾリーニとキリストのことをパゾリーニにならって「無防備に」書いてみようと思う。
四方田犬彦が言うように、ピエル・パオロ・パゾリーニが映画をつくり、文章を書き、あるいは論争するときも、けっして手を抜かなかったのは本当だろうが、だからこそ彼は疲れていたのだと思う。彼の映像や写真を見て、私はいつも理由もなくそんな風に思った。そして彼は詩人でもあった。
パゾリーニは丘の眺めを、草も生えていないような丘陵を好んでいたように思う。パゾリーニの映画のなかの丘の描写は素晴らしい。『豚小屋』の火山の丘が好きだ。カメラ・ショットであることを、カメラがそこにあることを、露骨に感じさせるパン・ショット。カメラがまっすぐ据えられていたとしても、すべては斜めに見える。斜線が引かれる。世界は傾いていなければならない。火山の丘はどちらかといえば、なだらかなように見える。なだらかさ。逆光。強い風。岩もしくは砂。神話のなかですでに不和が始まっていたかのように、向こうに火山の噴煙が上がる。それとも砂塵なのか。どっちだっていい。ロクス・ソルス。それは孤独の場所ではあるけれど、唯一の場所ではない。ここにも、そこにも、それっきりの場所しかない。唯一の場所などどこにもないのだから。こうして私は矛盾のまっただなかにいることになる。
パゾリーニが殺されたイタリアの浜辺。彼の惨殺死体はひどいものだった。浜辺。キリストの一番弟子であるペテロも漁師の出身だった。ペテロもまた逆さまの十字架にかけられて殉教した。それにしてもファシストの犯罪はいつも惨たらしい。
巡礼などしたこともないのに、私もまた髑髏の握りの付いたステッキをついて、あの群衆、野次馬たちに混じって、キリストの姿などもうどこにも見当たらないゴルゴタの丘に立っているつもりでいなければならないのだろう。処刑は終わった後だ。群衆は引き潮に攫われたようにまばらになっている。民衆の阿片はどこにあるのか。キリストを殺っちまえと激昂した馬鹿どもの憎悪、そして依存者たちの集会。悲しみはすぐに癒える。すでに人はまばらだ。私はそこに立ってみる。それが正確に言ってどこなのかも露知らずに。不穏な空とごつごつした岩、わずかな草。時おり雨混じりの風が吹き止まない。歴史の証言は虚しいものである。誰が見ていたのか。誰が殺されたのか。誰が書いたのか。
この日、十字架にかけられ処刑されたのはキリストと二人の犯罪者である。私は四つの福音書のなかで「ルカによる福音書」だけに詳しく記されたこの一節が気に入っている。十字架にかけられたひとりの罪人が十字架の上から隣りの十字架上のイエスを罵る。
「おまえがメシアなら、いますぐに自分を救ってみろ」
もうひとりの罪人が彼をたしなめる。おまえは自分で罪を犯したのだから、報いを受けるのは当然だ。だがこの人は何もやっていないじゃないか。イエスよ、もしあなたが王権をもって帰って来られるときには、どうか私のことを思い出してください。
即座にイエスは答える、
「あなたに言っておく。今日、あなたは私とともに天国にいるだろう」
ゴルゴタ、ラテン語で言えばカルヴァリオの丘、アラム語でシャレコウベ、つまり髑髏を意味する。髑髏。君たちと僕のことだ。死後の栄光。つまり死が勝利することはあっても、誰にとってであれ、死後の栄光など存在しないということである。それはわかりきったことだ。イエスに関して言えば、イエスはそこ、ゴルゴタで処刑された。死後の栄光は約束されていなかったどころの話ではない。栄光の誉れを授かったのは「身体」であって、死後の栄光ではない。たとえ栄光の「身体」が後に顕現したとしても、ユダヤ人たちによって、それともすべての人間たちによって惨殺された、生きていたイエスの身体はどうなったのか。
イエスの死体はたしかにそこにあったはずなのに、墓は空っぽだった。いまでもその歴史的事実は変わらない。これは正確に言って何を意味しているのだろう。かつて蘇りと昇天がおおっぴらに焦点になったことはなかったように思われる。公教要理や宗教論争の話をしようとしているのではない。私は「事実」の話をしているのだ。
恥知らずにも、アウシュヴィッツは存在しなかった、などと真顔で嘯いていた歴史修正主義者と言われる馬鹿かキチガイ、ならびにその他の有象無象(うぞうむぞう)がいたが、ゴルゴタが存在しなかったなどということもまたあり得ないことである。エルサレムの聖墳墓教会? だがゴルゴタがほんとうはどこにあったのか、正確にはいまでは風さえも知らないのだ。ここ、ロクス・ソルスは、ここ以外のあらゆる場所である。ここ以外のあらゆる場所を含んでいる。
パゾリーニの『奇跡の丘』(1964年)をずいぶん久しぶりに見た。最初に見たときの印象はまったく思い出せない。原題は「マタイによる福音書」。この福音書のきわめて忠実ともいえる映画化である。忠実でないのはバックに流れる音楽による効果だけだと言っていい。バッハの「マタイ受難曲」は別にして、ヴェーベルン、モーツァルト、黒人霊歌のマザーレス・チャイルド、ソヴィエトの革命歌、ブラジル音楽…。
『奇跡の丘』はプロレタリアート映画である。そこに描かれているのは、革命家(つまりキリストのことだ)と群衆の関係、いかにして権力(ユダヤ王国、ユダヤ教、ローマ帝国)は、その策謀を通じて、いかに勝利しようとも、そのことによってつねに敗北するかということである。パゾリーニによる革命家もしくは共産主義者としてのイエス像は、ほぼ「マタイによる福音書」の言葉だけから取られたと思われる科白によって(私のささやかな記憶によるもので、調べたわけではないので自信はないが、そのように思われる)、余計に強調されることになる。説教、つまり演説の科白がこれでもかこれでもかと頻繁に出てくるのはそのためである。無駄口をきくわけには、俳優に無駄口をたたかせるわけにはいかなかったのだ。
何と素晴らしい冒頭のシーン。
若いマリアの顔が大写しになる。次のショットは婚約者である大工のヨセフの怒ったような顔。カメラがマリアの顔から下方へ向かい、全身を映し出す。大きなお腹。完璧なイタリア絵画だ。石の家。入口から、たぶんマリアの母であるアンナたちだろうか、二人の人影が覗いている。婚前のことであるし、ヨセフはまったく身に覚えがないのだから、すでに妊娠して大きくなったこのマリアの腹に困惑している。マリアもヨセフも一言も喋らない。この無言はパゾリーニ映画特有のものであるようにも、またこの場合は、いつもとは違ってそうではないようにも思う。怒ったヨセフはそこを立ち去る。荒野の茨の小道を歩いていくヨセフの後ろ姿。絶望的に明るいパレスチナの地。続いて丘にへばりつくように石で築かれたベツレヘムの家並みのショット。ジォットの絵画「ヨアキムの夢」に描かれたような姿勢で、岩にすがって眼を閉じるヨセフ。すると天使が現れる。
「ダビデの子孫ヨセフよ、妻マリアを家に迎え入れることを恐れるな。胎内に身ごもっているのは、聖霊によるのである。マリアは男の子を産むだろう。おまえはその子をイエスと名づけよ。その子は自分の民を罪から救うからである」。
それを聞いて安堵した(ほんとうなのか?)ようにヨセフはマリアのもとへと帰ってくる。微笑むヨセフ。マリアも笑みを浮かべる。何も語ることはないのだし、したがって科白はない。二人の俳優の素敵な微笑み。パゾリーニも微笑んでいるに違いない。
パゾリーニの登場人物たちの唐突な笑いはいつも素晴らしい。とりわけ子供たちの笑いが断然いい。この映画のなかでも気難しく神経質なイエスがたった一度だけ微笑む場面がある。ユダヤの神殿のなかで生贄売りや両替商など、商売をしているものたちに対して、いったい神殿のなかでこんなことをやるとは何事かと激怒したイエスは、店を壊し、人々を蹴散らし、乱暴狼藉を働く。これは明らかな暴力であるが、イエスはユダヤ教の神殿を成り立たせている経済自体を批判したのである。それを見て歓声をあげながら子供たちがイエスのもとへ駆け寄ってくる。するとイエスは子供たちににっこり微笑むのである。蛇足ながら「マタイによる福音書」にはこの微笑みの記述はない。
マリアと並んで、この天使も俳優の顔が素敵だと思う。天使は若い。ゴダールの映画『マリア』の天使は与太者のようだったが、この天使の眼差にもほんの少しだけそのような眼光を感じ取ることができるかもしれない。もう20世紀後半にもなると、リルケがいみじくも述べていたような「恐ろしい天使」は描けなかったのかもしれない。
パゾリーニ映画のなかで、まだあどけないこのマリア(マルゲリータ・カルーソ)と『王女メディア』のマリア・カラスのどちらを取るか、それが(原則的)問題である。私は聖母マリアに一票を入れたいと思う。ここには同性愛者あるいは異性愛者としてのパゾリーニの「傾向」を見出すことができるだろうが、いまは関係ないのでその話はしないでおく。ちなみに、年老いたマリアを演じているのはパゾリーニ自身の母である。それ以外には、最後の晩餐を直前にひかえたある日、イエスの髪に香油を塗るベタニアのマリア役を作家のナタリア・ギンズブルグが、キリストの十二使徒のひとりであるピリポ役を若き日の哲学者ジョルジョ・アガンベンが演じている。これが特筆すべきことであるかどうかは別にして。
メル・ギブソンが監督したキリスト映画『パッション』(2004年)。ゲッセマネの園でのイエスの絶望のシーンから映画は始まるのだから、「マタイによる福音書」をなぞるようなパゾリーニの映画とは違って、この映画の全体はその題名が示すとおり「受難」に焦点が当てられることになる。イエス・キリストに対する残虐行為の描写という点では、この映画は「今風に」抜きん出ている(ユダヤ人その他による残虐性の描写は反ユダヤ主義者の映画とも受け取られかねないほど激しいものだし、実際、ユダヤ団体からメル・ギブソンは抗議を受けた)。
そうだからだろうか、この映画が最も「新約聖書」に忠実であり、史実に近いと言えるだろう、とヴァチカン自らがわざわざ述べたとか述べなかったとか。史実……。たぶんそうなのだろう。だが、そうはいっても、なぜそのことをヴァチカンは知っているというのだろう。ヨハネ・パウロ二世の幻視的ヴィジョンのなせる業だったのか。とはいえ私の貧弱な直観からしても、聖書の史実はいざ知らず、暴力の質という点では、同じ結論にならざるを得ない。そう思わず言ってしまいたくなる。やれやれ、これでは問いは一巡してしまう。
そもそもキリストの「リアリティ」とは何なのか。いったいそれは何のことなのか。史実? いや、たぶんそういうことではないし、それに明確な解答を与えることは永久にできないだろう、とあまりにも小心にまたは周到に言うことはないまでも、信仰の部外者としては、事実と記憶あるいは書かれたものを区別できない以上、ここでは何も確実なことを言うことができない。歴史の実在論と唯名論の話を蒸し返して、話をややこしくするつもりはないのでやめておくが、一言だけ映画に即して言うなら、これは単に「イマージュ」自体のもつ赤裸々さにすぎないのではないか。むき出しのイマージュはイマージュの特性でもあるのだ。それは誰もが知っている、映画が仕掛けるいつもながらの罠である。
ここには二重の問いがある。「事実」のリアリティと「イマージュ」のリアリティである。映画は、この場合は様々な意味で、それらを混同する格好の装置である。この混同は瞬時になされ、映画が時間の芸術であることをほとんど否定してしまうほどである。そしてこの混同があたかも再び「事実」のリアリティのように感覚されてしまうのは、「現実」のリアリティに対してもわれわれは宿命的に同じような混同を行っているからだ。勿論私自身を含めて、われわれは生活の次元においてすらすでに「映画的効果」のなかにどっぷりと浸かっているのだ。
余談になるが、そうはいってもこの『パッション』という映画には利点もある。科白がすべて当時のアラム語、ヘブライ語、ラテン語によるものだったことである。たしかにそれは「事実」に近い。それにイエスの母マリア役のマヤ・モルゲンステルンとマグダラのマリア役のモニカ・ベルッチがとても良かった。これが「事実」に近いかどうかは、あるいはパゾリーニ映画のマリア役であるパゾリーニの実母のほうが「事実」に即しているかどうかは、私は寡聞にして知らない。
『パッション』と比較して、パゾリーニ映画が一見ドキュメンタリー・タッチに見えるのは、さきほどの「事実」と「イマージュ」をめぐる問いが解決でもされない限り、単に「マタイによる福音書」に忠実である結果にすぎないからだと言うしかないではないか。すべての映画はある意味でドキュメンタリーであり、すべての映画の細部はドキュメンタリーであることを裏切っている。
福音とは単に「良き知らせ」ということである。そもそも福音記者たちは最初の超越論的「ジャーナリスト」であり、近代的な意味での最初の「作家」であったのだと私はずっと前から思っていた。旧約聖書と比較してみれば、新約聖書におけるこれら福音書の筆致がきわめて現代的なものであることが一目瞭然であるのはそのためである。福音書は、作家の存在論が成立し得えたそれこそ奇跡的な最初のルポルタージュなのである。
これらの記者たちは「出来事」を書くためにだけ、ほぼそのためにだけ存在したと言ってもいい。他の福音記者たち、マタイ、ルカ、ヨハネたちがそれぞれの福音書を書くための原本とした、最も古いと言われる「マルコによる福音書」が、パゾリーニが無味乾燥だと考えたように、ほぼ客観的な記述に終始しているのはそのためである。
だが、私の気に入っている一節がある。面白いというか微笑ましいことに、マルコは一カ所だけ卒然とたぶんマルコ自身のことだと思わせる若者のことをそっと自分の福音書に挿入しているのだ。すべてのジャーナリストは作家であることを免れることはできない。ちなみに他の福音書にこのくだりは存在しない。マタイ、ルカ、ヨハネは、意地悪なことにこの部分を削除したことになる。
「ある若者が素肌に亜麻布だけを纏って、イエスの後についていたが、人々が彼を逮捕しようとすると、この若者は亜麻布を脱ぎ捨てて裸のまま逃げ去った」。
事実のおかしさと事実の重み……。
事実? だがパゾリーニが殺されたのも、キリストの処刑と同じように事実であることに違いはない。パゾリーニはなぜ殺されなければならなかったのか。『サロまたはソドムの120日(ソドムの市)』を撮ったからなのか。コミュニストだったからなのか。それが男色の痴情のもつれによるものなどではなく、政治的背景があったことは否定しようもないだろうが、実際にそこで何が起きていたのかははっきりとは誰にもわからないままである。
だが、エルサレムの紛争は言うに及ばず、キリストの死がそれをわれわれにずっと強要しているように、パゾリーニの死に対してもまた何らかの答えを与えなければならないのかもしれない。パゾリーニ詩集の訳者でもある四方田犬彦の最新詩集『わが煉獄』から、パゾリーニまつわる詩「壕」の断片を引用しよう。
ああ
ピエル・パオロ、
きみは今 どこにいるのか
壕の間近なのか
そこから炎はいくつ見えるのか
水はあるのか
焦げたタイヤの臭いに包まれているのか
きみは地獄だけを
血と糞尿だけを見つめて 眼差しを閉じた
轢き潰された顔の 首筋の黒い血の凝り
生きることは過ちを犯すことだと、きみは語った
過ちは美しかった
誰もがきみのなかの預言者を怖れた
一番きみの預言を怖れていたのは
きみ自身だというのに