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お知らせ(第54回 今月のだくだく日記またはオドラデコの災い)

                                                            第54回 2014年9月



                    今月のだくだく日記またはオドラデコの災い
                                        

                                        
                                                                       

鈴木創士


 



ゲルツェン『向う岸から
E・H・カー『バクーニン 上
マルキ・ド・サド『悪徳の栄え 正』『悲惨物語
シモーヌ・ド・ボーヴォワール『サドは有罪か
現代思潮社編集部『サド裁判 上
浜田泰三編『笑い




 汗だくだくであるし、日々、唯々諾々(いいだくだく)である。何について唯々諾々であるのか、それは言わないでおくのが「鼻」というものだろう。汗は冷や汗のこともある。今月はゲルツェンの『向う岸から』か、バクーニンについて書こうと思っていたが、書けないので航海日誌を公開することにする。
 

  先月の神戸新聞のコラム「もぐら草子」のテーマは、私としては珍しい部類に属するが、あろうことか男性女性についてであり、取り上げた作家は稲垣足穂、マルグリット・デュラス、フランソワーズ・サガンであった。ジェンダーの話をしたわけではない。何しろ新聞の月一回の最終日曜版のコラムであるし、手持ちの枚数が少ないので、しっかり言いたいことは言えず、おっといけねえ、そんなことはないし、新聞にしては大概毎月言いたいことを言っているのであるが、先月は急いでいたこともあり、言いたいことがあまりなかったのでヘンテコなものになってしまったのである。文句も言わず、淡々と毎月原稿を受け取ってくださる編集部のHさんには感謝してもし足りないほどであります。
 今月はピカソの絵について、というか絵の主題とはほぼ無関係に目の端に見えてしまうものについて、それから新約聖書の福音記者マルコ、ホメロスの『オデュッセイア』に登場する犬アルゴスのことを書いた。アルゴスはシラミだらけになって糞まみれの汚穢の上に寝そべり、乞食に身をやつしたユリシーズの帰還を待ちわびていたが、主人が帰ってくると力なく尻尾を振るだけで、こと切れてしまった。この犬だけが、みすぼらしい乞食がユリシーズであることを一瞬で見抜いていた。なんとも忘れ難い犬なのである。ボルヘスの素晴らしい短篇「不死の人」にもこの犬が登場している。私の「もぐら草子」に最もふさわしい登場人物動物であるのかもしれない。先日、関西フラメンコの重鎮であるHさんが、君のコラムのひねくれた文章好きだよ、と言ってくださったので、大変励みになっておるのであります。
 

  七月にはライブが二つあった。ひとつはこじんまりした京都のヴィヴァ・ラ・ムジカというところだった。宣伝をまったくと言っていいほどやらなかったからなのか、はたまたわれわれに人気がないからなのか、雨が降っていたからなのか、客の入りが唖然とするほど極端に少なかったが、演奏は自画自賛できる程度の、それなりにいいものであったらしい。らしいと言っても、誰もそんなことを言ってくれる人はいなかったと言えば謙遜になるし(いつもは辛辣なHがそう言っていた)、勝手に喋ってろという感じではありますが、メンバーの一人が言うには、ブダペストの外れかどこか、東欧の小さな街の、場末の入り組んだ路地の、またその奥の薄汚いバーかキャバレーで、精神病院から脱走したキ印のオッサンたちがやっている楽団みたいであったらしい。これは私の意見ではないし、東欧の誰も知らないような場末の町には行ったことがないのでわからない。以上念のため。
  ときに、キーボードの私は即興と即興の間でバッハの無伴奏チェロ組曲もどきを弾いたのだが、誰もわからなかったに違いない。それはそれでうまくいったということなのである。編成はキーボード、ギター、パーカッション。成田から、ハワイから帰ったその足で、映像を生業としているS君が来てくれたが、せっかく遠路はるばる来てすぐ翌日に東京にとんぼ返りしたのだから、あまりの客の少なさに少し申し訳ない気がしないでもなかった。実を言うと、私は客の入りなどあまり気にしていなかったが、一緒にやった他の二人は、客の入りを見て落ち込み、明らかに不機嫌であった。即興的演奏が始まって少しすると、さすがミュージシャンらしくすっかり機嫌を直してはいたが…。S君、わざわざありがとうございました。もうひとりNさんというイベントをプロデュースしている女性が見えていて、その後、元ヘンリー・カウのジェフ・リーと一緒に11月に京都でEP-4 unitPとしてライブをすることになったので、うれしい出会いであった。

                                           EP-4 unitP

 もうひとつは京都アバンギルドであったRoarology 02というライブである。私はEP-4  unitPと鈴木創士グループという二つのバンドで出演した。体力がないので、はっきり言って疲れました。EP-4 unitPは新生ユニットで、私とEP-4のパーカッションであるユン・ツボタジが中心になっているが、今回はメンバーにオプトロン、簡単に言えば、蛍光灯でノイズを出す自作楽器を演奏する伊東篤宏を迎えた。ユン・ツボタジが旋盤のようなものを持参していて、旋盤で鉄を削り、音だけでなく火花も散らしていた。蛍光灯の光および鉄の火花が良かった。さしずめインダストリアル地獄の遊園地ノイズ工場バンドといったところであろうか。今回はクルト・ヴァイルの曲を中に混ぜてやったが、バッハを挿入することは断念することにした。
 鈴木創士グループは、人はどう思っているかは知らないが、まあ、今回はまあまあ良い出来だったのではないかと愚考している。今回の編成は、ギター、べース、ドラム、キーボード、パーカッション、エレキ・アコーディオンであった。それプラス、極彩色墨流しのようなサイケデリックなタイム・ペインティングの映像(仙石彬人による)もあり、メンバーは名うてのミュージシャンばかりで豪華(?)なノイズ音圧、幻覚的な音の厚みだったのではないでしょうか。音が大きすぎて、カオス状態が耐えられない向きが客席にいることはわかっているが、私としてはこんなものではまだやり足りないくらいである。寄る年波のせいか、つねにさらにもっと爆音を、と言いたい今日この頃ではある。このバンドはアガルタ・ポスト・ファンク・パンク風に出発しようとしたが、どうなるか今後のことは自分でもわからない。


 アバンギルドのライブの二日前に大阪の文楽劇場に近松の「女殺油地獄」を見に行って、翌日それについて「文楽かんげき日誌」のための原稿をデスマス調で書いた。近松門左衛門は悪意に満ちた複雑な心性を持つ作家であったのではないかと薄々思っていたのだが、「おんなごろしあぶらのじごく」のこの度し難いリアリズムは悪意そのものであるような気がする。
 ライブの後、河出書房新社の仕事で、マルグリット・デュラス論を書いた。担当の河出の編集者Tさんとは初めての仕事であるが、EP-4のライブにも来てくれたことがある。タイトルは「デュラス 意志と表象としての愛人」である。柄にもなくデュラスの愛について若干書いたつもりであるが、最近の体調の変化といおうか、細胞組織のそれとない変化がたぶん如実に反映されているかもしれない。良い意味でである。デュラスはかなり長いこと読んでいなかったので、書くことよりも、時間がないのでいろいろと読むのが楽しくも大変だった。デュラスの本はフランス語の原書を含めて神戸の地震で大方失くしてしまっていたらしく、ほんの数冊しか見つからなかったので、急遽、近所に住んでいる友人の会社社長、O君に貸してもらった。彼はインテリで、所望すれば大抵の本を持っているからありがたい。
 その後、この現代思潮新社コラムの先月分「残酷劇」を書いた。これは「天文残酷劇」というタイトルにすべきであった。いずれ治して、いや、直しておこう。険しき快癒である。これはたしか堀口大学の翻訳日本語だったと思うのだが、最近、妙にこの妙な日本語が気に入っている。険しき快癒。なんでやねん。このコラムの文章にも体調の変化というか身体の変化が反映されていたはずである。体調がよくなって、健康な文章が出来上がるというわけでは決してないが、体調が悪くなっているということではないので、とても喜ばしいことである。諸器官は幾つかまだそれほど良い状態というわけではないのだろうが、それにもかかわらず私もまた、恥ずかしながら、屋根の上で「すべて上々!」と叫びたい年頃に至ったようである…。マルクスは、文は人なりと言ったが、文はからだの変調ではなく、身体の細胞レヴェルの、根源的な変性状態ときわめて密接で繊細な関わりを持っているのである。言葉は細胞のなかにまで忍び込んでいるのだ。わかるだろ?
 その後、神戸の詩人、季村敏夫さんの新しい詩集『膝で歩く』のための新聞書評を書いた。私はこの人の重く爽やかで独創的な言葉が好きだし、季村さんという詩人にお目にかかったことはないが、畏敬の念を抱いている。彼が以前神戸モダニズム事件について書いた本も労作だったし、教えられるところが多かった。
 次はサド論である。『ユリイカ』という雑誌に書いた。これはすでに刊行されたので、ご存知の方もいるかもしれないが、タイトルは「マゾヒスト侯爵サド」である。何もかも読むことができるわけではない。これまた地震のせいで、歯抜け状態になってしまった古い方の桃源社の澁澤訳サド選集はまあ良いとしても、ほんとうのことを言えば、フランス語の豪華なサド全集も一冊だけ(!)しか残っていない。新しいプレイヤード版もあるし、他の古い版もあることはあるし、ポケット・ブックの文庫本もあるので構わないのだが、そもそもべつに何もかも読まなくていいのである。深く入り込みさえすればいいのだ。そう言えば、ずいぶん前のことだが、私はさる有名な気鋭の学者評論家に言われたことがある。君はなにかにつけて深く入り込みすぎなんだ。悪い癖だよ。そんなにジョイスが好きなら、「ちょろっとだけ」ジョイスを出せばいいんだ! そんな芸当は私には出来なかったので、この人の忠告を受け入れなかったが、気をつけなければいけないのでしょうね。へっ。
 文学研究者といえども研究対象を愛しすぎて客観性を失ってはならない、というような、利いた風な、じつに思慮のない馬鹿げたことをわざわざ言う人がいるが、大学の文学研究室は「理研」になったのだろうか。どんな立派な文学研究も文学の一部にすぎない。そもそも文学には「学問的倫理」など存在しないし、断じて片時もそんなものが介在してはならないのである。それに愛にもいろいろあって、愛憎相半ばどころか、それが錯綜して別の時空に飛んでしまい、何がなんだかわからなくなっていることもあるではないか。黙ってりゃいいのに、こんなことをわざわざ言う人は、卑怯なのか姑息なのか、あまりにも自信がないのか、それが人にはわからないと高をくくるほど自分が偉いと思っている馬鹿であるのか、どれかである。そんな言い訳じみたことを言った途端、当の立派な研究が瞬時に色褪せ、ただのゴミになってしまうだろう、という自負も潔さもないのだろうか。書く、というのはそういうことでもあるし、書けば書くほど、策を弄してごまかすことなどできないと私は思っているのである。



 美術家のジャコメッティは、ある画家が好きになると、その人の絵しか見ることができなかった。毎回、ある絵を好きになる度に、そういうことが起こった。例えば、ヴェネツィアの画家ティントレットの絵画に心酔してしまうと、それ以前に好きだった、あれほど愛したマザッチオやジォットの絵を見る気すら起こらない。対象を見ることに対する彼の愛はすべてティントレットに注がれることになる。そこには偏愛という言葉で普通言い表される以上のものがある。彼はつねにそのようにして自分の作品以外の絵画に接してきたのだが、対象を、そして芸術作品をほんとうに見るとはそういうことかもしれない。これは天才ジャコメッティにだけあり得た極端な例かもしれないが、そのときジャコメッティは第一級の批評家なのである。

 
  幾つかの原稿が済み一段落して、京都の古レコードと古書の店兼カフェ(?)、エンゲルス・ガールの小さな会で飲んだり食べたりしながら話をした。店主は下司さん。ゲスではなくゲシと発音する。ゲシさんとは、Hと一緒にお邪魔した細川周平邸のジャズ・ホームパーティか、友人がやっている神戸のバーで出会ったのが最初の縁だったろうか。昔も今もみんな行くところが少なくて困っているのである。エンゲルスとはマルクス・エンゲルスのエンゲルスで、エンジェル・ガールズなどと聞き間違えてキャバクラかガールズバーだと思っている人がいるかもしれないが、そうではない。建て替えられたきれいな京風町家が立ち並ぶひっそりとした映画のワン・シーンのような不思議な一角にある。五条通りからすぐ上(かみ)で、新撰組の墓がある壬生寺からもそう遠くない。直角の曲がり角に祠があったが、怖いので、見て見ぬ振りをして通り過ぎた。小さな会はごく少人数の集まりだったが、自分で言うのもなんだがまあ良い会だったと思う。神戸のエレクトロニックミュージシャンのY君の言い草を借りれば、親戚の集まりのような感じであった。

 いままで書いてきたように七月後半から八月にかけてとても忙しかったので、原稿がひとつ終わる度に、そのつどそれぞれの主題を頭から全部追い出して日々を過ごしていたので、一段落したことでもあるし、この会のときには頭が完全に空っぽ状態だった。だから何を話したのか、断片的にしか覚えていない。わざわざこんないい加減な話を聞きに男女別々に東京から二人来られていたので、これまた恐悦至極だった。このお二人、某出版社(?)の女性と若い小説家の卵(失礼、卵じゃないのかな?)、そして彼ら以外にも来て頂いたみなさん、断続的な雨の中をありがとうございました。出版社嬢がいま住んでいるという東京の町には昔私も少しいたことがあって懐かしく、若き小説家には新著『御山のきつね』という本を頂戴した。ここでは全員について書けないが、少人数の集まりだったので、私にとっては来て頂いたみなさん一人一人が逆に印象深かったのである。トークショーをやっていたのは、ほんとうは私ではなく、みなさんの方だった。


 そういうわけであれこれあって、集中豪雨のような雨の合間にほっとしたのも束の間、気がつくと、大きな仕事が残ってしまっているのであります。戯曲である。江戸糸あやつり人形座のために急いで台本を仕上げなければならない。ロベルト・ウィーネ監督の1919年のドイツ表現主義映画『カリガリ博士』を元にして何か芝居をでっち上げようというのである。内容の詳細についてはここでは触れることは出来ないが、人形と生身の俳優を使うので、私にとっていま言えることは、これが分身残酷劇になるだろうということだけである。残酷劇というのは勿論アルトー的な意味においてであり、舞台で血が流れたり、ちょん切られた首が舞台の隅の方まで飛んで行ったりする類いのものではない。私の台本はいまだ仕上がっていない。
 ちょうど昨日、月蝕歌劇団をやっている劇作家の高取英さんからメールが着て、彼らもカリガリ博士をやるという。タイトルは「ナチスと地球空洞説/カリガリ博士—葛飾北斎とその娘・お栄篇」というらしい。カリガリ博士も忙しいのだ。やっこさん、ドイツでお茶を濁しているだけでは済まされず、地球空洞説なんて、えらい所に拉致されてしまったらしい。大変なことになったものである。精神科医や人殺しの算段をやっている暇はない。こちらの原稿締め切りの期日からすると、高取さんの芝居を参考にできないので、私の戯曲に地球空洞説と北斎は反映できそうにない模様である。残念である。私の戯曲は今のところもっとささやかで陰険なものになる予定である。見ていないのに言うのもナンだが、月蝕歌劇団との違いは、糸で操られた「振りをしている」人形が出演することである。おまけにこれらの人形は古典的所作を知らぬ間にひとりでに身につけている。いったい誰が操っているのか。黒衣(くろご)を操っているのは誰なのか。そのことにはここでは触れないが、とにかく人形は怖いのである。


 私はいまのところ今をときめく犯罪者でもアイドルでもないのだから、たぶん読者の方々にしてみれば、人の日記など面白いはずはなく、そんなものは読みたくもないだろうから、嫌がらせみたいにここまで書いてきた。だがタイトルのオドラデコって何だ? カフカの小説に登場する糸巻きみたいなヘンテコな形をした得体の知れない登場人物(人物ではないと思う)にオドラデクというのがいる。このヒトが何年も何年も笑うセールスマンか(?)(漫画はほとんど読まないので読んだことはないが、見かけたことはある)、謎のストーカーのようにずっと私につきまとっているのだが、笑いの系譜を辿っているようでそうでもない、不思議なアンソロジーである『笑い』という小説集をぱらぱらめくっていると、この本とは無関係に、またぞろどこかからこのオドラデクが出てきやがった。だがオドラデクの存在は真の笑いと無関係ではないはずだ。こいつは変なやつで、どこにも、どこの神棚にも本棚にも鎮座ましましてはおらず、つねに誰とも何とも無縁であり、住所不定、神出鬼没だが、正真正銘オドラデクという名前なのである。でも、何度も忘れた頃に出てきやがるので、くやしいし、意地悪をしてオドラデコと呼ぶことにしたのである。作者のカフカ自身を含めて私にも誰にもオドラデクがどんなものなのかはっきりと言うことすらできないし、鮮明な映像として思い描くこともままならないのに、オドラデクが三度の飯より好きだとは思われたくないので、オドラデコにしたといってもいい。


 書くことは希望のなかにいることであることがある。そして希望とは一種の災いみたいなものである。先にも言及した詩人の季村さんが、息災、つまり災いを除いて、何事もなく達者であることとは、息を吸うことであると言っていたが、あらためてほんとうにそうだと思う。災いのなかでも息をしなければならないのだ。そして息を吸っているのが聞こえるのである。こちらはずいぶん不真面目な話のようではあるが、つまりオドラデコの災いとは私がひそやかに息をする条件でもあるのである。
 私は物書きの端くれであるので、さも仕事をしています風に(?)最近書いたもの、書かねばならなかったことについて、ここでつらつらとどうでもいい余計な事をいままで喋ってきたが、そんなことよりもっと肝心なのは、これらの書き物と書き物の間から強靭なゴキブリか正体のない幽霊のように意味もなく這い出してくる何かの方である。喜ばしいことに日々われわれの鼻面を引きずり回してくれているのは、要するに最も喫緊で無視できないものは、見えないくらい小さいか薄すぎて透き通っているかのような妖怪のようでもありまたそうでもない観念、概念人物、付喪神(つくもがみ)もびっくりといった得体の知れない、あるいはもしかしたら突然変異のように現れるありふれた事物などなどの方ではないかと思ってしまったのである。だがこれは衆目にさらす日記を書いたことに対する弁明程度に受け取って頂ければよろしいです。


 エラッそうなことをいくら言っても、なんとかなるものではない。集中していないときは、当たり前だが、完全な腑抜けである。もう使われていない、稲も生えない田んぼのカカシである。カカシの肩に鴉がフンをしに来るだけで、びゅーびゅー風でも吹けば、炎天下で干からびて聞こえないくらいの音でカサカサ音を立てている。だからこの空白状態と空白状態を生み出しているものの両方がなければ、私は故人というか元生きていた人になっていたかもしれないし、オドラデコもあっけなく逃げてしまい、どこかに隠れて出て来ないだろう。昨日死んでいたとしても、十年後に死んだとしても、十八歳で死んだのだろう、とデュラスは書いていたが、いま死んだとしたら、明日死んだとしても、いま死んだのだと私は言えるだろうか。
 大袈裟な話をしているのではない。逃亡は希望ではないし、書いたものは書いたものであるが、私の知ったことではない。はい、はい、そうではありません、知ったことです、ということは半分は承知しておりますが、自己責任などとスピーカーでがなり立てられても、自己って何のことかわからないし、そもそも天文的規模で考えれば、権力者を除いて誰にも何の責任もないのだし、しかし、そいつが、オドラデクの親戚であるオドラデコが、またぞろ意味もなく出て来てくれないと、次が、明日がないのである。合掌!(今年もまた京都松原のお盆の六道まいりに行けなかった。小野篁さん、ごめんなさい。できれば、諸君、ともに外道ではなく、六道にとどまろうではないか)。

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