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お知らせ(第56回 心臓抜き)

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  第56回 心臓抜き - 2014.11.04

                                                          第56回 2014年11月




心臓抜き



                                             「雨が降るときには何もすることがない」。
                                                  ボリス・ヴィアン『心臓抜き』




                                                                        鈴木創士




ロートレアモン『マルドロールの歌
ギー・ドゥボール『スペクタクル社会についての注解』『映画に反対して 上
石井恭二『心のアラベスク』『花には香り 本には毒を』『正法眼蔵 覚え書




 窓を開けると、小鳥がさかんに鳴いている。いまだ鳥たちの命は取られていない。まだ山の上は鼠色の雲がぼんやり垂れ込めているが、半分空は青色をのぞかせ、雨は上がっていた。
 昨夜は突然のものすごい豪雨だった。鶏頭が倒され、芭蕉を破った。だが見たわけではない。鶏頭も芭蕉も萩も近くにはないし、植物の乱れた姿を見るのは決まって朝である。秋の夜の激しい驟雨は、場末の誰もいない古びた映画館で、一人っきりで恐怖映画を見ているように不気味だった。深夜を過ぎた頃、カーテン越しに稲妻が走り、雷鳴が轟いた。珍しくすぐに眠ってしまったので、それがどのくらい続いていたのかはわからない。昼の間じゅう沼のなかにいるように心臓の調子が悪かったが、それで泥のような眠りにつくことができたのかもしれない。鯉は泥を吐き出したのだ。すごい雷鳴だった。近くに雷が落ちたのだろうか。

嵐の国のことだった。それはまず音もなく忍び寄るのだった。嵐の到来は、草のなかをざわざわと伝っていく一陣の風、あるいはひとしきり水平線が急に明るく照らされることによって告げられた。つづいてそれは雷鳴と稲妻を猛り狂わせたが、雷はこうして長い間、そして包囲された砦にいるかのように、われわれを四方八方から砲撃するのだった。ただ一度だけ、夜、外で、雷が私のそばに落ちるのを見たことがある。それがどこを直撃したのかわかりさえしない。思いがけない一瞬の間、風景がひとしなみに照らし出される。芸術のなかには、この永遠の炸裂の印象を与えるように見えたものは何ひとつない。


 こんな風に語るのは19世紀のロマン派ではない。20世紀の革命的思想家であり映画監督のギー・ドゥボールである。ドゥボールのきわめて格調高い回想録『頌辞』からの引用である。「全生涯を通じて、私が見たのは、混乱した時代、社会における極限の分裂、とてつもない破壊だけであった。私はこれらの騒乱に加わったのだ」という文章から始まるこの傲岸不遜な回想録は、私の知る限り、いままで書かれた最も美しい回想録のひとつであると思う。ところで、ここからは、私もまたこれらの騒乱に加わったのだ、という誰のものともいえない別の声が聞こえてくるのだろうか…。そうではあるのだが、そうであるはずなのだが、これらの文章の冷淡さは同時にそれを拒否するかのようでもある。ドゥボールは「スペクタクルの社会」に反対したが、それは厳密に言って、日常的次元も含めてすべてを拒否することだった。だがあえて言わせてもらおう。私もまたこれらの騒乱に加わったのだ。
 アルコールによる神経の病を患っていたドゥボールは、その後ピストル自殺を遂げた。病が脳にまで達することが(そうなる運命だった)思想家として許されなかったからなのだろう。この『頌辞』という本はなにも回想録とは銘打たれてはいなかったが、その筆致からして、回想録のように受け取らないでいることはしたがって難しかった。だがどうして革命家がお天気に敏感でいけないわけがあろう。
 永遠の炸裂の印象。なぜ永遠なのか。私には半分しかわからない。ドゥボールはひとつだけ例外があると言っていた。ロートレアモンが『ポエジー』のなかで用いたプログラム的陳述の散文がそれである。いまにいたるまで、この『ポエジー』の、作者自身にとっても矛盾に満ちたプログラムの射程を正確に測った者は誰もいないのだから、そう言えないこともない。ドゥボールはマラルメの白い頁もマレーヴィチの白い四角形もそんな炸裂の印象を与えるものではなかったとつけ加えている。これは当然のことだとうなずけるが、どうしてドゥボールがこんな例を挙げたのか真意のほどはわからない。彼のそばにたまたまマラルメの詩集とマレーヴィチの画集があったのだろうか。


                                               ウィリアム・ターナー『嵐』


 先日、台風が迫っていた日、私は病院で長い時間を過ごしていた。心臓の手術に立会ったのである。付き添い人である私もまた人並みにからだの具合が悪いので、お天気にはいささか敏感である。空調は息苦しい。そこは海沿いだったので、水面に浮かぶように新鮮な空気を求めて外に出てみると、さらに風が強くなっていた。時おりばらばらと横殴りの雨が窓を打ちつけている。埋立ての造成地に申し訳みたいに植えられた木が大きく揺れている。外は嵐の気配でも、待合室はひっそりと静まり返っていた。外と内は隔絶されていた。死があたりをうろついていた。
 その前日のことだが、ある集まりで著名な作家画家姉妹の興ざめするような家族小説に接して、別段、特別に人に期待などしないのだが、それでもあまりの思いがけない期待外れに少し愕然として、翌日は早くから病院に行かねばならないし、あまり眠っていなかった。そしてそれは私にとってどうでもいいようなことなのだが、あっさりとどうでもいいとも言えないような嫌な気分のするひとつの回答でもあったので、遅い時間からウイスキー壜を半分空にしたし、朝も早かったので、頭がぼけて、目の前は大きなガラス窓だったし、空っぽの水槽のなかにいるみたいだった。


 「手術台の上でのミシンと蝙蝠傘の不意の出会いのように美しい」。このロートレアモンのイメージは超現実的なものではなく、文字通りに受け取ったほうがいいと思っている。ところで、手術に立会ったといっても、手術室のなかにいたわけではないし、手術台の上で胸を切開されて、ミシンと蝙蝠傘に出会っていたのは、ともかく私ではない。本日の、と但し書きがついた日替わりメニューのような不意の出会い、空中を飛び交うミシンと蝙蝠傘の幻影の最たるものは、その日は、病院のなか、とりわけ手術室のなかにこそそのままの形であったはずである。もちろんミシンと蝙蝠傘の不意の出会いの化身であるナジャのような面会人がお見舞いにやって来るということではない。
 待合室には冷たい手術室の荘厳さはない。待合室ではミサは聞こえない。あたりに死がうろついてはいるのだけれど、私がその日やったことといえば、日曜日だったので誰もいない待合室で、自分の所在のなさと時計の針が進むのを無意味に見つめていただけだった。私は座ったり寝転んだりしていた。私は何もしていなかった。次から次へと無為の空気の精が漂ってきて、そのあと無為の精は次から次へと消えていった。無為は死さえをも受け付けない。八時間に及ぶ大手術だった。地球は勝手に自転していた。


 心臓が外に取り出され、心臓は停止させられる。なんという手品だろう。心臓は電気エネルギーで動いているのだから、これはやはり近代的な手品なのだろう。それとも心臓抜きはババ抜きの一種なのだろうか。人工心肺につながれた身体は、昏睡の向こう岸で、どんな生命の夢を、はたまた死の勇み足を目撃しているのだろう。眠りのなかで死との邂逅は起きるのだろうか。きっと起きるはずである。だが生物学的生命は、果たしてほんとうに人の死と何らかの関係を持っているのか。生命の持続、生命の終り、死の到来、等々は、われわれがそう信じているように、ほんとうにひとつの出来事のなかにあるのだろうか。生と死は同じものの別の様態である、などということがあり得るのだろうか。別の系列、あるいは別々の諸系列があるのではないのか。
 死は到来するのか。蘇生は始まるのか。その兆候を即座に知らせてくれる者はいない。ドゥルーズの言い方を借りれば、この場合、シーニュは、シーニュを捕まえる、つまり自分を捕まえるただの蜘蛛みたいなものである。蜘蛛は銀色の糸の上でじっとしたまま動かない。だが肉体のへりにまで、この蜘蛛によって、目には見えない、耳には聞こえない知らせがなぜか伝えられる。一か八か。裏か表か。蜘蛛の巣に引っかかった獲物のぴくっとした動きを察知しないのか、したのか。それは、シーニュの神秘的な一種の条件反射、あるいは時間に向かって、それに逆らって吠え立てるパブロフの分身犬である。だがそれがどんな風に伝えられたのかはやはり誰にもわからない。
 この知らせがもたらす事の顛末は、肉体のへりにまで届けられた一種の謎の手紙の存在を示してもいる。だがほんとうに手紙自体が存在したのか。何かが書かれていたのか。それは投函されたのか。蜘蛛が兆候を察知し、兆候そのものになろうとも、やはりどう考えても郵便配達夫の蜘蛛はいないし、手紙の文面は真っ白で、宛名はたぶん鉛筆で書かれている。すぐに消しゴムで消すことができるように。


 心臓という臓器を抜き取られた身体は、あらゆる機器、チューブ、電極に連結されている。だが器官のない身体はそこで身動きしないまま動いている連結管だった。個体は機能しない。解剖学的身体はいつも仮死状態にあるか、あるいは死体であるかのどちらかである。ルネッサンス以来、死のイメージは解剖学的身体のなかにある。
 メスの先端が美しい直線を描きつつあった。平行線は瞬時に肉体のへりで交わるだろう。素晴らしい技芸。執刀医の交感神経の緊張はほとんど肉体の物理的限界を越えていたに違いないし、大勢の医師たち、看護師たちのシルエットは残酷人形劇のようにほとんど半透明と化していたはずだ。影絵芝居はスクリーンの反対側から見られ、ヴェーダ哲学で言うアートマン(真我と訳されることもある)は、肉も骨も切開されて表面だらけになった患者というオートマトン(自動人形)の目には見えない深さ、つまりあの「深淵」をただ示していただけなのかもしれない。
 それ自体が分身かもしれないアートマンによって、そしてアートマンが存在したかもしれないというまさにそのことによって、すべては幻影の系列に置かれたのである。そうでしかあり得ないのだ。そしてさらに別の幻影の系列が次々に生み出される。それには機械や器具が混じっている。ミシンと蝙蝠傘もである。手術台の上の飛び道具だ。


 心臓が取り出された後、心はどこにあったのだろう。心という字は心臓の形を表しているし、心と心臓が同じ言葉であるのは、古今東西変わりはないようだが、ある著名な国語辞典には、心は臓器であると述べられているらしい。しかしこれは常識的に言っても完全に間違っている。心が臓器であると信じている人がいたらお目にかかりたい。心と心臓は同じでありながら、同じものと見なされながらも、同時に心は臓器ではない。心は器官ではない。では心は器官なき身体の一部あるいは全体なのだろうか。まるで見てきた嘘のように、真部分集合は全体の集合と相似形になったのだろうか。そのような身体を構想できたときにはじめて、心を投影しない心、心を生み出しはしない心が存在し始めるかもしれないと考えることも出来る。そうだとすれば、これは結局のところきわめて量子力学的な考え方であるのかもしれない。だがそうはいっても…。それでも私にはよくわからない、そうアートマンが呟いているような気もする。いや、そう呟いているのは、アートマンではなく私のほうである。


 釈迦はどう言っているのだろう。石井恭二によれば、「心はみな心ではない、それは心に作り出すのだ。作り出された心は刹那に変幻する。過去の心の流れはとらえようがなく、現在の心の流れはとらえようがなく、未来の心の流れはとらえようがない」。石井氏はまた『心のアラベスク』にこんな風にも書いている、


  しかしまた心は、ぎざぎざな裂け目や、何でも通り抜ける穴のあいた破れ袋である。(…)
 自己は知覚の総合であって、現在の心は過去に亘り未来に亘る。現在は刻々と過去になり、未来は刻々と現在となる。そうした「時」を我と言い今と言う。
 われわれは、愚図々々していても常に直下の今を生きている。先の念仏僧安楽は河原に斬られた。あの女性たちは山野に白骨を晒したかもしれないが、死生の狭間に連なる今を生きたのだろう。

 

 何でも通り抜ける穴のあいた肉の破れ袋は、からだに戻された。ぎざぎざの裂け目はこうして再び有機的統合の要となったと人は言うのだろうか。だがいずれにしても、ここからまたぞろ生きた幻影が日常のなかに繰り出すことは間違いないだろう。瀕死の患者は目覚め、オートマトンもやがて昏睡から覚めて、アートマンは何事もなかったかのようにどこかに雲隠れしてしまうだろう。いまはただそう願わずにはいられない。それがさしあたっての自動人形の流儀だからなのか、ただ時間を引き延ばす錯覚を抱くことにすぎないのかどうかは自分でもよくわからないのだが…。


 医師から手術は成功したと告げられた。ギリシア悲劇の詩人アイスキュロスは、鷲の落とした亀が頭に当たって即死した。人は簡単に死んでしまうし、簡単には死なない。手術を終えた医師は、蒼ざめたまま上気しているように見えたが、その説明は明晰で熱っぽかった。彼らは大変な仕事を終えてきたのだ。彼らもまた水面に顔を出し、息を吸い込んだ。医師は完全にハイの状態にあるように見えた。イヴニング・ハイ。モーニング・ハイ。人が陶酔するのは朝だけではなかった。
 「陶酔のささやかな不眠の夜よ、たとえおまえたちが俺たちに授けてくれた仮面のためにすぎなくても、おまえは神聖なのだ! 俺たちはおまえを肯定する、方法よ!」(「陶酔の朝」)、ランボーはそう言っている。

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