お知らせ(『紅蓮の街』)
『紅蓮の街』-本当に当時の状況を表現して居り感動しました。 - 2015.10.04
本当に当時の状況を表現して居り感動しました。戦後生まれの著者がこれ程迄調査している事は貴重です。今後のご活躍を期待して居ります。
因みに私は1930年7月生まれです。池袋本町の出生です。小学校2年の秋に戸塚町1丁目(現新宿区西早稲田)に引越ししました。人生の一番の経験をしました。5月25日の空襲で家は丸焼となりそれからの苦労は大変なものでした。正さに此の書そのままです。 渡辺平八郎(松戸市)
『紅蓮の街』-思いと意思が「言葉」によって託される - 2015.04.07
「悲惨極まりない事実」というものが現にあり、それを死ぬまで記憶として持ち続けるしかない運命の人と、直接には知らず、人伝てに、または様々な文字形態(今なら映像)によって知ることになる者と、これはどう抗っても厳然と分れてしまう。そして一方は、どれほど言葉を尽してもこの体験(衝撃)は決して伝わらないと(なんとかして伝えたいのだがとも)、片や、どう想像力働かせても(特にこちらのようにそのことにさして努力を傾けない手合いには)その傷と痛みを分有するのは難しいと、ともに諦めが先立ちそうになる。とはいえ、これをぬけぬけと葬り去ろうとする流れが波状的に起こるのが人間社会の常で、同時に「決して忘れない」と本書のように全精力を注いで真相に迫ろうと企図とする個人(一団)も反作用のように(あるいはこっちが先で)現れる、そのことの心強さと、それを媒介に経験者の空恐ろしい思いと繰り返してはならないという意思が後の(国外にも)者に「言葉」によって託される、これはいい実例でしょう。
岩崎保則(61歳)
『紅蓮の街』-焼殺されたパイロットと焼殺されたラッカ市民と - 2015.02.13
焼殺されたパイロットと焼殺されたラッカ市民と
かつては保守政治家の中にもいた 「戦争を知る世代」が引退して、戦争ゴッコに夢を馳せるような幼稚な連中への歯止めがなくなってしまった。「戦争」とは実際どのようなことなのか歴史を学ぶ必要がある。そう思って私は東京大空襲を描いた本書を手にした。でもこの書の最大の意義は米国人のフィスクさんが著すことで、空襲の狂気を「下」からと「上」からの二つの眼でとらえていることにあるでしょう。時あたかもイラク・レヴァント地帯を中心に各地で回教徒の 「ジハード」とキリスト教「十字軍」とが「非対称的」に殺戮をくりひろげています。しかし、高邁な理念と残虐非道な実践とが相補的であることは双方全く相同的ではないでしょうか。そう知ることができました。良い本を有難うございました。
後藤清孝(神奈川67歳)