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お知らせ(第60回 沈黙の破裂)

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  第60回 沈黙の破裂 - 2015.03.04

    第60回 2015年3月




                                沈黙の破裂



                                                                      
  鈴木創士




ギー・ドゥボール『スペクタクル社会についての注解』『映画に反対して 上
フィリップ・ソレルス『セリーヌ






 フランスの詩人ジャック・レダはいまでは散歩詩人などと呼ばれているが、私には、いまやガリマール社の重鎮もかくやと思わせるような、もっといかつくて過激なイメージがある。とはいえ、いいかげんなもので、かつて『アーメン』という初期の本も持っていたはずだが、きれいさっぱり、内容についてはまったく思い出せない。だが私であれ誰であれ、人が勝手に抱いているだけのことなのだから、詩人のイメージなどどうでもいい。思考のイメージがどうでもいいかと言えば、こちらのほうはなるほど複雑な思考の往来を含んでいて、『差異と反復』のドゥルーズの議論でも事がすっきり済むというわけではなく、一筋縄ではいかない。
 ところで、ジャック・レダが徒歩で、はたまたソレックス(フランスの原付、日本の原付よりもっと自転車に近い)に乗って、パリ市内や郊外をあちこち歩き回ったり走り回ったりしているのはたしからしいし、ジャズ評論を書いているのもほんとうである。だが誰が発したにしろ、これらの言葉には、そもそも詩人の言葉も足取りもそう軽いものであるはずはないのではないかと思わせるものがある、と言えばいいのだろうか。誰かも言っているように、と人ごとみたいに言ってはおくが、何と言えばいいのか、そう、そう、その軽さには軽さはないらしいというのが、その重さと深遠さにおいてほんとうのところなのだろう。
 もう大昔のことだが、フランスの友人がサン・ジェルマン・デ・プレのドゥー・マゴーとカフェ・フロールの間にあったラ・ユンヌという本屋に勤めていたことがあった。今年中にそのラ・ユンヌのサン・ジェルマン・デ・プレ店がなくなってしまうらしいので、彼に三行くらいのそっけないメールを書いた。妙な紫色の煙が漂うなか、君が美術書コーナーの机にふんぞり返っていたのを思い出すよ、などとわざわざ事務的な伝言をしたら、そんなパリのどうしようもない移り変わりや引っ越し事情についての三面記事などどうでもいいから、ジャック・ルーボーやジャック・レダやアラゴンやレオン・ポール・ファルグがパリについて書いた本があるのでそれを読めという主旨の返事が来た。ずっと会っていないとはいえ、私は彼のことをフランスの唯一の親友だと思っているが、彼がいま何をやっているのか、あるいは何もしていないのか、何も言わないので詳しくは知らない。このフランス人は当時、つまり若い頃から驚くほど知的な男で、ユーモアに溢れ、彼のくれる手紙やメールの文章はいまでもあまりに名文で格調高く読むのにかなり難渋する。つまり返事を書くにはいつもはるかにもっと難渋をきわめることになるわけである。それで思い立ってジャック・レダの『パリの廃墟』という散文詩集をぱらぱら読み返していたのだが、この本には堀江敏幸氏による日本語訳があるのだけれど、柄にもなく、冒頭の一節を自分でも翻訳してみたくなったのだ。無謀にもそのように思わせる本なのである。


 「冬の六時頃、ともすれば私は大通りの左手を下って、公園を通るのだが、椅子や小さな茂みにぶつかるのは、愛のように理解し難い空が近づいてきて、私の目をすっかり吸い込んでしまうからだ。ほとんど消えかかっているその色を説明することはできない。たぶんひどく暗いトルコ石だろうか、目に見えるものから逃れ去り、自らが覆いつくす魂を焼けるように熱く氷のように冷たいものに変えてしまう光をぎゅっと凝縮している。湖の上を物音ひとつたてずに雲の隊列が流れてゆく、物音ひとつたてずに。稲妻でさえ、もはや終りのないこの静寂の爆発ほどには人を驚かさないだろう。しかも嵐の照り返しがお菓子でできた家々を揺さぶり、もっと遠くで、舞台はいまにも吹っ飛びそうな火薬庫のように一点に集中する。いたるところに愛がある、その繊細さとその猛火の揺れのなかに。いたるところに枝々がある、耳には聞こえないこの夜の火をことほぐために。つぶさに見れば、それは鬱蒼たる樹々の塊から身をほどく薄暗がりであり、その暗がりは歌い、そこで消え入ろうとしているのだが、一番細い先端でつまずいて、高音のなかで壊れてしまう。私には頭のなかに同じ声があり、同じ単調な厚みがあるのだ」(「異端者の忍び足」)。



 この同じ高音、急に途切れて次第に忘れてしまう他はないこの単調な通奏低音のことは私にも覚えがある。耳鳴りが止まず、ある不在の厚みが広がっている。あるいはそこで突然、凝縮されたようにそれはひと塊となる。風が何かを、錆びついた何かの鉄を軋ませているのではない。あるかなきかの期待と忘却が、水に濡れた光り輝く緑にあふれた、あるいは灰色の、肝心の絵が消えてしまって額縁だけになった四つ辻で立ち止まり、そこにいつまでもわだかまっていただけではない。それはこちら側とあちら側で同時に起きている。いや、熱や汗や震えや肉体をもったこちら側と、肉体を離脱しそこから何事もなかったかのように立ち去ろうとしているあちら側だけがあるのではない。暗い穴。ひとつの暗い穴であるこちら側と、こちら側がもうないという証にすぎない、雲にぽっかりとあいた穴のまた穴のようなあちら側で、どう言えばいいのだろう、それは起こってさえいないのだ。

 静寂の、沈黙の爆発。
 そこでは雲の隊列が薔薇色や橙色の光を照り返しながら少しずつ形を変えて流れ去っただけではない。ついさっき明るい光が雲間から斜めに射したばかりだった。何も照らすことなく。雲の理論は理論にはならない。ドゥボールの回想録の嵐の記述やソレルスの五月革命の描写を思い出す。あの大騒乱のさなかのあの静寂。前日の夜には敷石を剥がされて、車も燃えていた、早朝の、ひとっ子一人いない、がらんとした通り。静寂だって? 矛盾しているじゃないか? でも、それはほんとうだったのだと著者たちは言っていた。だが煮え切らない夜の光だけがあるのではない。誰もいない。そして同じことを考えている人がいるかもしれないとしても、けっして同じことではないその事柄を忘れてはならない。言葉と行いの両方を穢してはならない。いまやすっかり陽は落ちている。


 別の日がある。坂を上りつめたところにもう人の住んでいない家屋があった。窓は全部壊れてなくなり、雨と風が容赦なく吹き込んだからだろうか、家はひどく傷んでしまっていた。かろうじて家とわかるくらいと言えば少し大げさになるが、中には知られざる目には見えない行きずりの住人がいるようで、家自体がそれでも生暖かい息をしているようだし、とても中に入る気にはなれなかった。
 その奥には林があった。樹々の影がぼんやりと明るいぎざぎざの円を描いていた。すぐ向こうは山の斜面というか、(たぶん)切り立った崖になっている。絶え間のない風のざわめき。鳥の鋭い声がする。私は影でてきたこの円のなかには入らない。私の連れていた黒犬がいつもとは違う様子で林の奥に向かってひどく吠え始めたからだ。吠え声はいきなり唸り声に変わる。紅い舌が見え、牙を出すかのように、唇はめくれ上がっている。犬に引き摺られるようにして、腐りかけの湿った落ち葉を踏みしめる。濡れ落ち葉はぐしゅっという鈍い音を立てている。
 やがて私の黒犬の鳴き声は悲痛な高音になった。犬を抱き寄せ、叱ってみてもどうにもならない。私もすぐに気配を察した。こんな場合は誰も画家にはなれないかもしれない。顔を上げてみると、向こうに半分白骨化した犬が立ち上がった姿勢でいるのが見えた。私の黒犬はこの死んだ野犬に向かって吠え続けている。きっとこの辺の林や森に出没する、痩せて人相の悪い鳥捕り爺さんが仕掛けた罠にかかってしまったのだ。首には針金の輪っかがくい込んで、きっと苦しかったのだろう、その野犬はもがくような姿勢で半分立ち上がったまま絶命していた。折れ曲がった前脚が見えた。嘘みたいに平穏を取り戻したかのように、何の臭いもしてはいなかった。抜けてしまった毛があたりに散乱して、胸と腹のあたりから灰色の骨が剥き出しになって見えている。皮膚の下で犬のからだの形態はゆるやかに崩れていた。ここは避難場所ではない。私の黒犬は無邪気にも仲間を弔うように悲しげな声で鳴き続けていた。黒犬のそんな声を聞いたのははじめてのことだった。


 別の日がある。冬枯れの林を後にして、広い坂道を降りて右手に入ると、もう家屋がどこにも見当たらない、かなり広大な敷地がある。雑草と大きな樹々が生い茂り、昭和13年の神戸の水害で流れ着いた巨大な岩がごろごろしているだけである。葉っぱを落とし、怒ったように大きく突っ立った木を見ていると、空が絶え間なく震え、空気が目のなかで振動しているように見える。見上げると空はだいぶ翳っている。空の地図は作成できないだろうし、空には背後があるかのようだ。表面のその裏側の表面があれば、背後があるのと同じことである。このあたりは案外古い土地らしく、近所には酒船岩らしき巨大な岩が地面から半分顔を出していた。一帯の山々には、文化財などには指定されない、縄文よりさらに古いに違いない巨石群が散り散りになって眠っているはずである。太古の酒船岩らしき岩に彫られた紛れもなく人工的な浅い穴には、時おり雨だれが溜まっていた。私はそれを急に思い出したように見に行ったが、ここの敷地の岩はどれも明らかに水害で流れてきた岩だった。岩は取り乱した時間など気にかけてはいなかった。




 この敷地の正面にはなぜか木の扉だけが残されている。扉には真鍮の把っ手がついていた。このドア・ノブをいくら回してみても、扉は容易には開かないが、扉以外に壁も何もないので、中(中?)に入ることはできる。この中という観念は面白かった。外なのだから。この世には何かしら目的というものがあったのだろうか、とふと思う。扉は歳月にさえ耐えているようで耐えてはいなかった。出たり入ったりするものはもうなかった。気のきいた物語はなかった。
 木の扉の周りには野薔薇やら蔓草やら雑草やらが生い茂り、扉にまで覆いかぶさっている。木の扉の中というか後ろには、錆びた鉄製の椅子が一脚打ち捨てられているだけで、岩以外にたぶん何もない。たぶん、と言うのは、あまりに雑草が生い茂り、野薔薇や木の枝がちくちく肌を刺すので、くまなく探索することなどとうてい無理だからだ。中があったとしても、虚ろな目で空を見上げる死者の目の残像以外にそこには何もないことはわかっていた。それに死者の見たものはとっくに風化して形骸すらとどめてはいない。雨が降っている日にはけっしてそこには行かないので、扉はいつもからからに乾いて乾燥していた。
 私はここにかつてどんな人が住んでいて、どんな生活をしていたかなどとは思い描かなかった。ここにはそんなに長い時間いることなどできない。舞台装置はない。早々に立ち去るべきだ。そこにほんとうに静けさがあったのかどうかは思い出せないが、ただ破裂寸前の沈黙の音がほんの少し聞こえただけである。抗うべきものなど何もなかった。
 

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