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お知らせ(第62回 笠井叡の何もないテーブル)

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                                                            第62回 2015年5月






笠井叡の何もないテーブル




                                                                        鈴木創士




V・ニジンスキー『ニジンスキーの手記』、ロモラ・ニジンスキー『その後のニジンスキー』、G・ウイットウォース『ニジンスキーの芸術
笠井叡『銀河革命』『天使論』『聖霊舞踏



 「私は生き抜いてきたことを書くのであって、何も想像していない。何もないテーブルに腰を掛けている」。
 これは『ニジンスキーの手記』の「死」と題された章からの言葉である。ニジンスキーは、「死は不意にやって来た。私は死にやって来て欲しかったのだ。生きたくないと自分にいいきかせた。私は長生きしなかった」と書いているが、この文章を記したとき、無論、ニジンスキーは生きていたし、恐らくは狂気と正気の狭間で普段の生活を送っていた。彼はバレーをとっくにやめて、というか踊ることを放棄し、狂気の淵に沈み、絵や文章を書く以外、30年以上にわたって何もしていなかった。
 だが動きをやめない肉体にとって、つねにテーブルの上には何もないのである。
 ニジンスキーは一九五〇年四月八日(この四月八日という日付は私にとって重要である。ダンテが地獄に旅立った日であり、釈迦の誕生日であり、ちなみに、ほんとにどうでもいいことではあるが、私が何十年か前に生まれた日でもある)に病院でほんとうに死ぬことになったが、病床で意識を失ったまま、かの有名なバレー「薔薇の精」の手の仕草を繰り返していた。だが栄光も挫折も過ぎ去りなどしない。かつての舞踏の仕草はいま現在の仕草であり、肉体は、それが自分であっても、何かを模倣したりはしない。肉体の肉体が滅びることはないからである。敗北するのはわれわれであって、肉体ではない。
 ニジンスキーの時代はたぶん彼の舞踏をまったく理解できなかった。共産主義ロシアとナチス・ドイツがあった。いたるところで精神病院の患者たちはほとんど根絶の憂き目にあっていた。彼が精神病院に出入りしていた時期とアルトーが精神病院に監禁されていたのはほぼ同じ頃である。ディアギレフがいようとストラヴィンスキーがいようとココ・シャネルがいようと、どうすることもできなかった。クレペリンもフロイトもユングもニジンスキーを診察したが、彼は病院を盥回しにされた。

 ああ、なんという優雅、なんという神経症的優雅、優美な遅延、遅れてきた、あるいは早すぎた跳躍だったろう。これはほとんど物質の恩寵と呼んでもかまわない何かであった。肉体が微動だにしなかったのであれば、すべてがスローモーションのように過ぎたというのか。第二次世界大戦はニジンスキーにとっても「第二幕の始まり」にすぎなかった。ニジンスキーは建物に入ってきた兵士たちに向かって「静かにしろ」と叫んだ。そして死の床のニジンスキーは、頭の上で何度となく両腕を交差させたのである。眠ったままで……。
 私はこのエピソードに思いを馳せる度に、大野一雄の最期の舞踏を思い出す。アルツハイマーを患っていたからなのか、もうちゃんと一人では立つこともできず、腰を支えられ、ほとんど鬼籍に足を踏み入れかけた百歳の舞踏家は、それでも手をひらひらさせていた。手のひらはこっちを向いたり、かろうじて天井のほうへ、天空のほうへ向けられ、しんとして、手は手から放たれることもなく手を離脱していた。鳥は殺されはしなかった。今度は鳥の言葉を聴き取る番である。

 
 つい先日、京都芸術劇場・春秋座に笠井叡の舞踏公演を見に行った。題して『今晩は荒れ模様』。笠井氏がいまでも怖れを抱いているらしい(失礼!)白石かずこの詩集から借りたタイトルである。笠井叡のファンキーさは、60年代のフーテン族などに特有のものであるが、白石かずこのファンキーさもそれほど絶大なものだったのか、と言えば非礼にあたるだろうか。

 今回は錚々たる女性ダンサー六人を従えていたので、ニジンスキーよりもイサドラ・ダンカンを援用しなければならないのだろうが、イサドラ・ダンカンのことはよく知らないし、勿論見たこともないので、いまは余計なことを言わないでおく。ただこれらの素晴らしい女性ダンサーたちとの、笠井叡の言う「振付け関係」は、一見して、肉体の関係とはまた別に、非常に独特な色合いを作品に与えたのだと思う。それは無論エロチックで闘争的な関係にとどまらないはずである。

 

 それはそうと、私が生で(なま!)笠井叡さん自身の舞踏を見るのは実に七十年代の終り、私の記憶違いでなければ、なんと有楽町の古いホールで行われた『ソドムの百二十日』以来のことである。『ソドムの百二十日』はそれまでの笠井叡の舞踏と比べてもじつに印象的な舞台だった。思い出す限りでは、何もない舞台、舞踏家が一人、椅子が一脚、舞踏家の衣装はGパンとTシャツだけ。バックの音はなぜか俳優ミシェル・シモンによるセリーヌの『夜の果ての旅』の朗読。音楽評論家の間章がひそかに百部だけ限定販売していた海賊版レコードが、当時はそれしかなかったのだから、音源だったはずである。この頃は、誰が何を持っているかまで、なぜか手に取るようにわかったものだ。客席には澁澤龍彦がいた。舞台の上の笠井さんは、私だけの感想だろうか、激怒しているように見えた。

 
 今回は京都である。白いスーツの笠井が客席から舞台に上がる。笠井さんはこんなにも小柄な巨人だったのかと思う。私は怒ったような彼の表情が好きだ。この表情には、とても古い、どこか古代的なものがある。「頭上の太陽は燃え尽きて…」。足が床をこすり、腕が空気を切る音がする。「地面が割れて、黒い太陽が出現する」。言葉が肉体であり、肉体が言葉であることを証明しなければならない。何もないテーブルに黒い太陽が昇る。テーブルの上には黒い太陽が置かれている。リュートがそれを宿すより先に、言葉をこの太陽で焦がさねばならない。この太陽とはひとつの此性でありこの世である。

 テーブルはない。何もないテーブルすらない。だがやはりテーブルの上には何もない。黒い太陽が出現する。舞踏家は仕事中である。


 笠井が叫ぶ。女性ダンサーの最初は黒の衣装の黒田育世。黒いチュチュ、ブラックバード。鳥が殺しにやってきたのだろうか。鳥の言葉をしゃべる聖フランチェスコはまだここにはいない。いや、そもそも男などお呼びではなかった。操り人形のように、糸に引かれるように舞台の奥から登場したこの女性は、次第に大地母神の使いか、デルポイの狂った巫女のように見えてくる。根太い怒りの予言が唱えられる。ぶつぶつ呟かれる。言葉はなしで。口にされた言葉は消える。この大地が強力なものであることにかわりはない。空間は鷲掴みにされる。黒鳥、猛禽類、黒焦げの大地。われわれが最近経験した太陽の怒り。ラフマニノフの音楽が始まる…。



 黒田と入れ替わるのは寺田みさこである。衣装は裸体を思わせる。骨格と化した機械仕掛けのディアーナ。最初は、昆虫の手足、それが突然優美な手足となる。完璧な佇まい。踊り子とは、ドガの絵から飛び出したり、ルノアール描くところの、女の子のように振り返ったあの裸の背中を見せた男の子のように見えるものなのだろうか。水浴びしていたディアーナは優雅な裸体を見られてしまったのである。黒田のソロダンスの後、もう一度水色のドレスを纏った寺田が登場する。空気の精のような、あるいは軽い水のような動き。オフェリア。水には陽が上から差し込み、水泡ははじけ、水底はゆらゆらと揺らめいている。

 黒田と寺田の戦い。バレー・リュジール。バレーが遠くで轟く。対照的な二人はほんとうに素晴らしい。クラシカルに互いが互いを否定し、それから肯定する。ブラックバードと水の精。振付け師とダンサーたち、笠井叡の「振付け関係」はこの時点ですでに感動的な成功をおさめたのだということがわかる。


 上村なおかと森下真樹のデュオ。南米のサボテン。音楽はアルフレット・シュニトケ。南米は、突如、ワイマール共和国のユダヤ人共同体となるのだろうか。カフカの家のように、小さな家々。空間が区分けされる。踊りながら、動きながら、言葉が発せられる。「・・・サボテン・・・」。熱帯の亀。黒髪と金髪。ダンスは、突然、物語の切れ端を見せ始める。だが物語は始まることも終わることもない。「物語はもうなしだ」。ポップな反古典主義。



 白河直子。長く細い手足が不思議な直線と大きな飛び散る曲線を描く。長い裾のドレス。現代絵画のような肉体の大きな動き。額縁がいたるところに落ちている。われわれは絵を見たことがあっただろうか。予測不能な動きのなかで、空間は回転し、見えない汗が飛び散り、何かが放出される。逆光の中に浮かび上がるのはルシファーでもリリトでもない。深さのある、そのことを知らせにやって来る空間は、おおきく息をせざるを得ない。



 山田せつ子。白い衣装の人形が歩いてくる。歩くことはダンスであり…。子供が歩くのは…。遊んでいるのは…。プラハのユダヤ人共同体の外縁はどこで消えるのか。子供が応答する。今度は、ほぼドイツ表現主義の映画だ。カリガリ博士はいくつもの分身を必要としていたではないか。再び笠井叡が登場する。表現主義的デュオが演じられる。空間は縮み、積み木のようなものとなり、幾筋かのライトに照らされる。荒い粒子は縞模様を作り出すかもしれない。歩行はこれまた目には見えない荒い粒子を舞い上げる。



 暗転。六人の女性ダンサーたちが再び登場し、踊り、跳躍し、倒れ伏す。

 舞踏会はこれで終しまい、と思いきや、突然赤い垂れ幕が落ちて来る。ドラッグクィーンの笠井叡! 悪い冗談のように、君たちの物語をぶち壊すように、彼はやって来る。彼はやって来る。トランス系の音楽に身をよじって。失礼ながら、私は笑ってしまった。笠井さんの茶目っ気はいまなお健在である。
 「すべての被造物を通して、自己愛の無知の眠りに、深く沈んでいる神よ、願わくば、読者がこの錯乱と矛盾と悪意とに充ちた、「地球」という名の「獄舎」に幽閉されている一徒刑囚の哀歌に惑わされぬよう、彼等をして、聖霊によりて正しき道につかせ、やがて来るべき、あなたのその傲慢な眠りの覚める、薄明の光の淵まで導き、至福に充ちたその光の中へ彼等を解き放ち給わんことを」、と、そんな風に若き笠井叡はロートレアモンのように大著『天使論』を始めたのだった。


 舞踏会が終わった後、なんとなく京都が落ち着かず、夜も更けて、神戸の友人のバーに戻った。少し飲んでから、一緒に公演を見に行ったHも疲れて帰った。彼らと彼女たちも帰った。バーにはその主人と客ひとりになった。テーブルには何もなかった。夜の二時半をまわった。行こうか? すぐ近くの地下に若者の(?)クラブがある。彼と一緒に、ステッキをついて、踊りに行った(ほんとうはわれわれの音楽ユニットのライブのためにひそかに箱の下見を兼ねてのことでもあったのだが…)。

 踊りになんて行くのはほんとに久しぶり。テーブルにはやはり何もない。笠井さんに当てられた。舞踏会は素晴らしかった。今宵は荒れ模様。音楽はラフマニノフではないが、まあ、DJのクラブ・ミュージックもいいさ。


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