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お知らせ(第67回 土方さん、死出の道連れのような散歩でもしましょうよ)

                                                              第67回 2015年10月
                                        
                                        
       

 
 

土方さん、死出の道連れのような散歩でもしましょうよ


                                                                       

 

鈴木創士



 

河村 悟『舞踏、まさにそれゆえに——土方巽 曝かれる裏身体

 

 

 私は江戸時代など嫌いだが、幻想の辰巳の里はもうない。土方巽は書いている、
 「春先の泥に転んだ時の芯からの情けなさが忘れられない。喋ろうとしているのに喋られたような、泥に浸されて下腹あたりにひっ付いた木の瘤が叫びを上げているような、自分という獲物がそこに現れているのだった。癇癪(かんしゃく)玉も、破片のように考えられるものも、泥で湿ってしまっていた。転んでいるからだは確かに餌食のようでもあったし、飛びかかってやりたいようなものでもあった。しかしそれもまた心の中の出来事がかたちをおびて見えてきているのではなく、ただ泥にまぶされた切ない気分となってそこに現れているのであった」(『病める舞姫』)。

 

 俺は三歳だった。サロペットというのか、新調した半ズボンを着せてもらって、喜びいさんで遊びに行った。背丈くらいにぼうぼうに草の生い茂る近所の野原でかくれんぼをやった。俺は地べたを匍匐前進していた。空が晴れ渡っていたことは言うまでもない。蒼天。雲ひとつない。記憶もない。俺はずるずる地面を這っていた。一緒に遊んでいたのが誰なのか、気のきかない幽霊なのかもう覚えてはいないが、みんなが、突然、わーと叫んだ。立ち上がってふと春うららの自分の姿を見ると、我ながら、俺はうんこまみれになっていた。まっさらのズボンがうんこの虜になっていた。恋をしていたわけではない。べとべとだった。犬の糞ではない。人糞を踏んづけて、その上をずるずる匍匐前進していたのだった。戦いはすでに終わっていた。空は翳った。臭気は宇宙の果てに行き着いたみたいだった。臭いなんてもんじゃない。口先三寸、目を閉じさえすればいい、するとうんこはもう目の前だ。卑怯にも大人のくせに、こっそり誰かが野ざらしのババをしたのだった。

 

 野ざらしや髑髏の眼窩にクソ蠅死に

 

 春先の情けなさが忘れられない。殺されかけのスパイになったみたいだった。喋ろうとしても喋れず、喋らされもしなかった。別の誰かが喋り、耳元でわめいていた。うんこに浸されて下腹あたりにひっついた人間(じんかん)の業と宿痾が瘤の叫びを上げていた。瘤はぐちゅぐちゅにつぶれてペースト状になっていた。自分という獲物がそこで、三歳だというのに、バターがわりにレバーペーストを塗られたパンのように、無惨に食いちぎられていた。人間を憎しみで歓待してやりたかったが、歓待など子供の俺は知ったことではなかった。俺は泣きべそをかいていたかもしれない。覚えていない。忘却もまた俺を食い尽くす。転んだからだはたしかに獲物の涎のようでもあったし、飛びかかって、めちゃくちゃに殴りつけ、自分を噛んでは血の唾を飛ばし、さっさと自殺させてやりたいようなものだった。心のなかで出来事がかたちを崩して、目の前どころか瞳孔が、網膜が、真っ暗になった。うんこにまぶされた気分は何十年後の最悪の気分となってそこに現れているのであった。あっという間に友だちはほとんど消えていた。いまからやろうという鬼を、かくれんぼうの真の鬼を、うんこまみれの鬼をひとり残して。鳥丸君がひとりだけとぼとぼ家までついて来てくれた。
 俺は三歳だった。それが人生で最も美しい年齢だなどとは誰にも言わせまい。

 

 普段の生活をしていると肉体が絶えず「死」のようなものに見入られていることを忘れてしまっている。肉体は呑気に動き回っている。それが生のかそけき条件だということもつねにないがしろにされる。散歩できなくなったり、病気になったりもするが、あるいはけっしてそんなことはないと心のなかで言い張る人たちもいるが、これは死に魅入られるというのとは少し違う。人はそれを通過儀礼だなどと能天気に言うが、実際に人は何度も死んでいる。
 死にそうな経験をしたということではない。うんこのせいではなく、私はすでに死んでいてもおかしくなかったことが何度かあったが、そういうことが言いたいのではない。そうではなくて、ふと気がつくと、生きるために死ぬのか、死ぬために生きるのか、それともそのどちらでもないのかがわからなくなっている自分に気づくことがある。死は不死によってしか思考できないからだ。

 

 河村悟の新著、『舞踏、まさにそれゆえに——土方巽 曝かれる裏身体』と題された瞠目すべき土方論を読みながら、舞踏のからだは、何故に「ことばの外部にあるものが、「私」のことばのうちに「私」の同一化を拒むものとしてありつづける」ということを白日のもとに暴き出したのかをあらためて考えさせられた。
 「私」と「私」の類似は、この同一化のことではない。この類似のどまんなかに、肉体は知らん顔を決め込んで居座っている。そいつは最初からはぐれて、ぐれてしまったのに、舞踏などというものを、たぶん舞踏病よりもっと古いものをつくり出してしまった。肉体が勝手に動いているぶんには問題はない。あるいは肉体は勝手に動くのではない。あらゆる自動症は、脳ではなく、結局は肉体自体のささやかで、いたずらな欲求であり、ある種の自己統御である。ただ肉体が最初に脳に命じ、ついで脳が肉体に命じたにすぎない。危機はもっと後になって訪れる。
 だが「肉体」はいずれ復活するのか。いや、そうでもないだろう。肉体は負の様相を帯びれば帯びるほど、己れを主張しはじめる。痛み、痛み、痛み。欠損、最初からの欠如、脱落、堕落、腐敗、崩壊。しかし肉体にはほんとうは部分がないからこそ、フェティシズムが存在し得るのではないか。それはすべてを消し去る衝動を抑えとどめる技術なのかもしれない。だがこんなことは余談にすぎない。

 

 足は曲がり、手はねじれる。腰は壊れる。肩は鉄の鎧と化し、首が回転し、とれる。すべての動きと均衡は歴史を背負ったさまざまな瑕疵にしか見えない。ギリシア彫刻のあの理想的なからだはナチスの専有物などではなかったが、いったいどこへ行ってしまったのか。それはそもそもどこにあったのか。
 「なるほど、「私の身体」は「私の脚」「私の手」「私の肩」というように「私」固有の皮膚と筋肉と各器官の有機的な構成で成りたっていることはたしかであろう。しかしそうした「私の」肢体や「私の」器官の裏に、それぞれ影の肢体や影の器官が「私」をとりのぞいた影の身体として蔵されている。つまり、「私の足」なら「私の足」の裏に「私」固有のものの轍(わだち)からはずれた、非-人称の、だれのものでもない影の足があるということである。それは「私の手」においても同様である。ただし、それは幻影肢のたぐいではない」(河村悟、同上)。



 舞踏が身体を裏返すところを何度か見たことがある。私はそれを見たと思った。そこにあったのは裏の手や裏の足だったのだろうか。アルトーは裏返しのダンスと言っていた。それなら裏の首、裏の目、裏の耳もあったはずである。とりわけ裏の舌も。この裏の手や足が誰のものでもないとすれば、それは突然「私」になる可能性があったということである。例えば踊っている土方巽の「私」ではなく、私の「私」に。
 手は手から出てくるのではない。足は足から出ない。首は首から出ない。われわれは誰もが目玉の劇場にいると思っているが、目玉も裏返っているのだから、そこはただの舞台裏であった。この薄暗い舞台裏に「肉体」はじっとして潜んでいたはずである。それをつまんだり、つねったり、引っ張ったりすることはできるが、それをうまく言うことはできない。舌も裏返ってしまっているからである。

 

 「暗い空を背景にして、光を受けた雪の上に取り残されたように坐っている私の尻のあたりから、からだの電気がすっかり放電され尽くしていた。そのうえ額に氷嚢をのっけたようなだるいからだになっていた。のほほんとした鴉が私のそばで餌をつっついており、私の坐っている雪の下からは幽かな声が聞こえていた。ぴったりと雪に耳をつけて、虫のしゃべってるようなその声を私は聴き取ろうとしていた。そこらあたりの雪は光線をすっかり吸収した残り滓のように散乱していた。そのとき、立ちあがった私の頭のてっぺんで、コンパスのようなものが輪を描きながらくるくるとそのまま輪を縮めていった。わけのわからない合図が私を襲った。あやふやな雪道をただぼんやりと歩いている私に、眼には見えぬ芒のような弱い光が届いていた」(土方巽、同書)。

 

 掛け値なしにいい文章である。私は北国の出身ではないから、雪の反映に包まれ、そこに取り残されたからだというものをよくは知らない。だが、からだから何かが放電されるその刹那、からだが身震いするような、あるいは、どう言えばいいのか、身震いとは反対の、意志をもたないかすかな仕草ともいえない仕草を示すことは知っている。示す、というのは少し違うかもしれない。それは何も示さない。からだがその示すという行為をすかさず飲み込んでしまうからだ。
 私の場合は、思い出せるかぎり、京都建仁寺のなんの変哲もない、さして美しくもない境内でぼんやりしている時にそれが起こった。放電と同時に私のなかで何かが溶解するのがわかった。静けさのなかで遠くに幼稚園児たちの歓声が聞こえていた。他にも何度か謎の放電があった。
 雪の下からはかすかな声が聞こえたが、土方自身によれば、彼は蝦蟇の匂いを嗅ぎ、蝦蟇の合唱を聞こうとしていたらしい。だがもしかしたらそれは土方の思い違いかもしれない。土方はからだを動かしていたからだ。脳の襞がさわさわしていたからだ。だからそれは彼の体内にいる鴉や蝦蟇の声かもしれなかった。鴉はそばにいて見えない餌をのほほんとついばみ、かつ鴉は彼の体内にいるのである。リルケがどこかで言っていたように、内部の空間にも同時に鳥は落ちるのである。
 この刹那が信じられないくらい「親密な」瞬間であることは間違いない。親密さはひそやかな幸福の証であり、ここにいるのは私だけであり、他の誰でもなく私だけであり、かつ「私」はほとんど意味を欠いているだけでなく、とっくに意味の器であることを自らに許さなかった。過去も未来もそれらの瞬間は髪の毛一本先にあり、同時に同じようにあたりに溶けてしまっている。つまり私が、私の「私」が溶けたのである。
 芒。すすき。のぎ。イネ科植物の実の外殻に生える針のように細い毛。ぼう。芒にはもともと弱い光線という意味もある。すすきはこの過去か未来へ分裂し溶けてゆく毛一本の弱々しい光を透かしてしか風にそよいでいることはできないかのようだ。これはれっきとした「風景」である。肉体の風景である。肉体は「宇宙の一番遠いもの」である。どこにでも目には見えないすすきがそよいでいる。空は暮れなずんでいる。声はこの益体もない喜劇を全滅させる一本の弱々しい光線だったのか。
 コンパスのようなものは魔術の道具を指すのではなく、たぶん尖ったものが二重になってそう見えたのだろう。私の溶解には必ずや尖ったもの、人を刺すものがともなうのである。それは輪を描き、輪を縮め、最後には頭の上で消えてしまう。コンパスは鴉の不吉な残像であり、二匹の鴉であったかもしれない。この鴉は魔術の道具より恐ろしい。いや、そうではない、という声がする。わけのわからない合図が土方巽を襲ったからである。頭上を旋回して土方をつけ狙っていたのは、踊り出しては消えてしまう物語ではない。物語は最初から隠されていたではないか。肉体の物語は語るに落ちるというものだ。だがそんなものはどこにでもある。幼年期や舞踏家だけが持っているものではない。それは物語ではなく、物語がそのつど終わったという合図なのだ。わけがわからないのは、そいつがいきなりやって来るからである。

 

  「二本脚で立っているので、右にしようか左にしようか迷ってしまう。迷いだけが争って、野ざらしになるのはわたくしのからだなのだ。もともと脚は一本なので、こうして脚の上に乗っている骨盤も一つ。ぐるりと身体をそり曲げれば、身体の極限の口腔の中で舌を転ばしているだけの舌の由来、脚の上に脚を重ねてみれば脚の由来が知れよう。うらめしそうに運動を眺めている姿勢を支えるのがやっとだ。この文章が終わるのはこれが寝床の中で書かれているからだ」(土方巽「犬の静脈に嫉妬することから」『美貌の空』)。

 

 二本の脚は日本の脚ではなかった。土方が田んぼで鴉についばまれる案山子(カカシ)をやっていたとしてもである。田んぼのそばに置かれた、赤ん坊を入れておく「飯詰(いづめ)」のなかにたとえねじ込まれていたとしても、籠のなかで手はねじれ、足は曲がっていたとしても、そこは東北ではなく、東北のあの世だったからである。野ざらしになるのは土方のからだであって、日本の身体などではないからである。肉体の由来は死にあるのか、生にあるのか。二本足があるのに、一本脚の土方巽。なかなか壮観な眺めだ。すべては異郷に変ずる。ただちに、いまここで。足は大地についてはいない。足の裏は風の便りであり、未来の風聞であり、異郷の消息どころか、それを越えて異郷そのものだったことはわれわれだって知っているではないか。



 肉体は迷っている。どちらに行こうか。それは病気になろうとしているのか。これではまだ観念だ。肉体はうらめしそうに勝手に動くものを眺めて暮らしている。何かがうごめく。肉体は普通は蟹のように進み自分の横を向いている。兵隊の真似をしてはならない。匍匐前進してはならない。横に進むものはたまにクソまみれになるのだ。一本脚の日本の舞踏家はだから肉体のなかの井戸を下に降りていったのである。

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