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お知らせ(第71回 旅の記憶)

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  第71回 旅の記憶 - 2016.02.03

                                                            第71回 2016年2月




                                 
旅の記憶




                                                                        鈴木創士




四方田犬彦『蒐集行為としての芸術』『俺は死ぬまで映画を観るぞ



 モーリス・ロッシュという作家がいた。もう持っていないので確かめようがないが、たしか80年代初頭に『流行通信』に載った、すでに老齢に差しかかった彼の写真をよく覚えている。撮ったのは写真家田原桂一だったと思う。モーリス・ロッシュは痩せていて、何も見ていないようなうつろな目で少し怒ったように上を向いていた。とてもいい写真だった。インタヴュアーによると、モーリス・ロッシュは若者が着るような太いストライプのシャツを着て、ウォークマンをしたまま、会うたびに、からだのどこが悪い、ここが悪い、といつも文句ばっかり言っていたらしい。
 最初、彼はジャーナリストで作曲家でもあった。音楽評論を書いたし、舞台音楽も作曲した。新聞のコラムか何かでフランスの作曲家プーランクのことを悪しざまに言ったので、プーランクの友人だった文壇の大御所アラゴンの逆鱗にふれて、仕事がなくなった。モーリス・ロッシュの最初の本はイタリア・バロックの作曲家モンテヴェルディについての素晴らしいモノグラフィーである。ジャン・パリが言うように、モーリス・ロッシュは「モンテヴェルディ、それは私だ」と言いたかったのか。



 彼は前衛的な文学雑誌『エレマン』や、ジャン=ピエール・ファイとともに『シャンジュ』を創設し、『テル・ケル』などにも寄稿していた。小説ともエッセイとも詩ともつかない奇妙で滑稽な本を書いた。自分で描いた幾つもの骸骨のデッサンのおまけ付きで。彼はつねに死に取り憑かれ、そのことばかり語っているのに、モンテヴェルディのマドリガーレのように軽妙なところがある。絶望とあらゆる次元の困窮は、ヴェネツィアの石畳の上か、どこかの墓石の前でまるで延期されているかのようだ。久しぶりに彼の本を探し出して、頁をめくってみた。降って湧いたようにたまたまこんな一文に行き当たった。
 「おまえは視覚を失うにつれて眠りを失うだろう。(…)うつろだ、おまえの眼差しは。今では言い表すことのできない、ある過去のすべてがある。おまえは待つだろう、大きく見開いた、からっぽの目を、この不在に注いで…」。

 
 何を待つというのか。おまけにこの「待つ」の時制は未来形だ。それなのに眠りは失われることなく、眠りは眠りを紡ぎ続けている。われわれは暗くて陰気な巨大な霊廟のなかを歩いていたのではなかった。ギュヨタの回想録めいた本に『昏睡』というのがあるが、記憶のなかに潜ったままでいることは昏睡状態に似ている。真っ白の昏睡状態。そこから覚める時がやって来る。死も同じである。死は何かから目覚めることかもしれないのだから。

 ある過去が頭をもたげる。ひとつの過去のすべてが。そっくりそのままで。だが言葉は口に端に出かかっているのに、いまここでそれを言うことがどうしてもできない。いや、言葉が出かかっているなどというのは嘘である。言葉は自らを吞み込み、自分を食い尽くすだろう。後に残るのは真っ白な昏睡というぼんやりとした記憶だけ。ある記憶が復讐しにやって来るのか。旅の記憶が? 私ではなく、記憶のほうが何かを待っているのか。不在であるのはどちらのほうなのか。復讐? 幸福な記憶が? そんなことはあり得ない…。

 
 四方田犬彦の新著『土地の精霊』が面白くて一気に読んだ。この本は旅行記で、ソウルからタンジェ、クラクフからカルナック、ハバナからパラオ、ウルルからタナ・トラジャ、ラサからルルド、奥出雲からノーンカーイまで、三十三の町をめぐる旅の記録である。著者には、ダンテの「煉獄」篇と同じように三十三の詩からなる『わが煉獄』という詩集があるが、その意味ではこの旅随筆も煉獄の記録なのだろうか。「私はこよなく聖なる浪から出てきた、新しい葉をつけ、すっかり衣がえした新身を浄め、いざ登るべく、かの星々へ」(寿岳文章訳)、煉獄の旅の最後に、ダンテはそう書きつけていた。

 記録などというと味も素っ気もない感じがするが、そうではない。戒厳令下のソウルや、きつい忘却にさらされたチェジュドや、ベイルートや、西エルサレムや、ユダヤ人の強制収容所のあったテレジンと、それらに比して、例えば廃アパートを乗っ取り勝手に住みついたパンクたちのたむろするロンドンのカメドンの家(私もよく聴いていたバンド、フライング・リザーズのメンバーの恋人の留守部屋でなんと四方田犬彦は寝泊まりしていたらしい!)、ハバナからのおかしな逃避行、インディオの町クスコのコカの葉譚では、その書きっぷりに違いがあることはもちろんであるし、旅がいつも同じトーンで彩られているはずはない。だが幸福な思い出はいつも苦い味がするし、太陽と月が苦いように、同じことである。
 著者の人格は時間と場所を引きずって旅そのものに憑依される。いずれもう誰のものかもわからなくなるはずの記憶のなかには、通りすがりに、日も照るし、雨も降るのだから、旅の随筆集というのはこうでなくちゃならないのである。主観的なノスタルジーのことを言っているのではない。その点ではこの本の文章はどこか緊迫していて、切り詰められている。この本には悲痛さの木陰にあっても真率さと爽やかさの大気が満ちている。ある種の口惜しさを伴いはしても、日本からやって来たこの「人生の乞食」も、まるで自然にそうなったかのように旅人であることを受け入れたように見えたこともあったに違いない。この本の四方田犬彦は何よりもまず土地を、場所を、人々を、世界を愛してしまったのだろう。われわれが生きているのはこの世界なのである。
 旅は「知識」を授けてくれるのだろうか。ニーチェを引用しなくても、たぶんこれらの喜ばしき知識は貴重なものとなるに違いない。ともあれ著者の記憶の鮮明さには驚くべきものがある。例はいくつもあるが、例えばイタリアの町レッチェについてのくだり。
 「レッチェの魅力は、長い午後がようやく終わり、いつしか忍び寄った夕暮れが夜へと転調していく短い時間の間に、いや増していった。昼間は老人の黄ばんだ歯のようにしか見えなかった建物の色調が、ひとたび夜間の照明を投じられると、深遠なる静謐さ湛え始める。静謐さは怜悧にして柔和であり、複雑な装飾を携えていながらも、手を触れれば溶融してしまうかのように流麗でもあった。建物のある部分は凍てついた花火のようであったが、その隣は溶けだしたままふたたび凝固した、黄金のクリームのようだ。
 不思議なことに、夜ともなれば広場でも大聖堂の前でも、人を見かけることがほとんどなかった。迷路を廻り無人の広場に躍り出たわたしは、そこが昼間訪れたのと同じ場所だと気付くのに時間がかかった。別の道を辿り、別の証明に導かれて到達した場所は、まったく異なった相貌をわたしに示した。わたしは自分が長らく育ててきた孤独が、この町に入り込んだ瞬間からより純粋に、より深く研ぎ澄まされたような印象をもった。とはいえ、邸宅の壁面や円柱に刻み込まれ、純白に輝く彫刻たちは、わたしにむかって永遠の喜びを説いてやまなかった。
(…)
 あるパラッツォのメンソーラ、つまりバルコニーの下の持ち送りの部分には、上部の突出を支えるため四体の女性の立像が設けられていた。彼女たちは目を見開き、腕にかかる台座の重量をものともせず、永遠の任務に就いていた。左側の台座の下にある二体の像は、美しい顔と肢体、そして細やかな襞をもった衣装を保っていた。だが右の二体はといえば、不幸な偶然から長年にわたって雨風に浸食され、ひどく傷んでいた。一体は鼻梁が半ば剥離し、片腕が惨たらしく欠落している。そのために優雅であった衣装は削ぎ落とされ、やせ細った肉体に浮かび上がる肋骨のような姿を見せている。だがもう一体はさらに悲惨なありさまであった。顔は損なわれてこそいなかったが、全面にわたって鱗ともケロイドともつかない泡粒に覆われ、それが首筋を伝わり、掲げられた両の腕から胸元の衣装にまで及んでいる。その奇怪な姿は、あたかもこの地を襲った悪疫が、任務遂行のためにこの場所を離れることを許されなかった彼女を、唯一の犠牲者として選び出したかのように思われた」。

 
 私はこの場にいながらにして、同じように鮮明な旅をすることができるだろうか。たぶん無理だろう。私は著者の旅のこの鮮明さに感嘆の念を覚える。旅人もまた風景のなかにいるように見えることがあるだろうが、旅人にとって自分は風景のなかにはいないのだ。

 だがここで私が私を思い出し、覚えているということは、私がそこにある風景のなかを通り過ぎたということとどう違うのだろう。私が風景のなかを通り過ぎるには、私は私を忘れていなければならない。私はどこにいたのだろう。どこにいるのだろう。どこにいることができるのか。だが厳密に言って、私が私を思い出すことなどほんとうにあるのだろうか。どの「私」なのか。

 
 記憶の鮮明さはどこへ向かうのだろう。それは発作のように突発的なものなのか。発作はずっと続いているようにも見受けられる。この場合の鮮明さは必ずしも固有名や実在論的な歴史=物語についてのそれではない。少なくともそれだけではない。そして無数の唯名論的な歴史は大文字の「主体」、歴史的主体と呼ばれるものを欠いてしまうのだろう。

 だがわれわれ全員が健忘症にかかっているのだ。それはプラトニズムの病いの結果なのかもしれない。「そのとき」というものはもうないのだから、瞬間が物語を開始し、物語が瞬間を動かしたというのは確かなことではない。むしろそんなことは「悪い」小説かもしれない。ぶよぶよの大頭の書いた小説。われわれが気に入っているのは、何の役にも立たない事物であり、ゴヤの描いた幽霊やゴヤの見た幽霊のほうである。三途の川を渡る六文銭はもっていないし、好きなのは三文オペラや三文小説のほうである。

 
 旅人はユリシーズのように帰還するだろう。待っているのは、ノミだらけになって死にかけている愛犬アルゴスだ。四方田犬彦は別の本『蒐集行為としての芸術』のなかにこう書いていた。

 「最後に真白い忘却が到来する。事物は来歴からも、寓意からも解放されて、どこまでも横滑りを続ける瞑想の対象となる。それは記憶をめぐる擽(くすぐ)りであり、永遠に辿り着けない想起の行為となる」(「洪水の忘却」)。

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