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お知らせ(第74回 悲劇・・・)

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  第74回 悲劇・・・ - 2016.05.04

                                                            第74回 2016年5月




         悲劇…



                                                                        鈴木創士




ヘーゲル『キリスト教の精神とその運命
アントナン・アルトー『神経の秤・冥府の臍
鈴木創士『アントナン・アルトーの帰還
シェストフ『悲劇の哲学
バタイユ『ニーチェについて

 



 「ヘーゲルはどこかでこんな指摘をしている、すべての歴史的大事件と人物は言ってみれば二度繰り返される、と。彼はこうつけ加えるのを忘れたのだ、一度目は悲劇として、二度目は茶番として」。マルクスはこの有名な言葉で『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』をはじめているが、歴史のなかから死者たちを呼び出してみると、際立った違いがあることに気づくとも言っていた。カール・マルクスが? 際立った違い? それはそうだろう。
 この場合、反復は微妙な差異によって台無しにされた戯画となる。そしてこの戯画のオリジナル・デッサンは、えも言われぬ動揺、微妙な風合いとともに、のちの反復をそのつど「別の装いのもとに」反復させる。歴史はただ繰り返されただけなのか。だけど人間たちは自分たちの歴史を知ってか知らずか自らつくり出すことができる、というのはほんとうなのか。死に絶えた世代のあらゆる伝承の伝承は生きている者の頭脳に重くのしかかっているとしても、反復された頭脳のほうはそれでも破裂しないのだろうか。誰もがその反復のなれの果てをただ個人の歴史においておや経験しながら、それでも過去のあからさまな亡霊を知らぬまに呼び出し、あげくのはてにそれに愛想を尽かしているのはわかっている。
 悲劇はたしかに二度目以降は茶番であるかもしれない。だが結局のところすべての茶番は悲劇ではないのか。

 
 柄にもなく、とってつけたように悲劇などと口にしたのは、最近、ソポクレスの『オイディプス王』を再読する機会があり、またアントナン・アルトーの中期の作品『ヘリオガバルスあるいは戴冠せるアナーキスト』の新訳に取り組んでいるからなのだが、それにしても悲劇の残酷さ、残虐さにもいろいろあって、つくづくこの飽きずに反復しつづける人間というものが嫌になってしまう、と言えば大袈裟にすぎるだろうか。われわれは何をここで反復しているのか正確に知るべきだろう。

 あんな機会、こんな機会は、極限においてなされる置換のようにわれわれに何かを強制するとしても、歴史が書かれたものである限り、歴史は「私の歴史」を書くほかはなく、それは無数の「私の歴史」でしかない。私の勘違いでなければ、そんな風に言ったのはフランスの歴史家ジョルジュ・デュビィだったと思うが、「私の歴史」とは唯名論的な歴史、無数に増殖するそのなかのひとつのことなのだろう。



 だが、実在したのか、しなかったのかと、歴史の前でわれわれが戸惑っていようがいまいが、天罰に対して何度か態度を変えようとしたとも受け取れるオイディプスにあっては、悲劇が天から降って湧いたように、明らかに天上的なものの象徴的秩序が下界にむけて折り畳まれていて、それこそがそもそものオイディプスの怒りの原因であり、悲劇である。だが『コロノスのオイディプス』を読むかぎり、彼はヘルメスに手を引かれて冥府に連れてゆかれるのだから、彼の怒りもまた曖昧なまま終わってしまうようである。反復は断ち切られない。ソポクレス自身はこの戯曲を生涯の最後に書いたのだから、ソポクレスはいったい天上の何と和解しようとしたのか。

 
 画家のフランシス・ベイコンはソポクレスよりもアイスキュロスのほうを好むらしく、インタビューでもさかんにアイスキュロスの残酷さと現代社会の残酷さを比べたりしていたが、残酷さはさておき、たしかに悲劇作家としてはアイスキュロスのほうが、ソポクレスよりもタガが外れていて、実験的で、しかも難解だが格調高くポエティックで、面白いのかもしれない。ホモセクシャルでもあったベイコンの深刻きわまりない、つまり時にはかなり悲しげに見える豪放磊落さには、なるほどアイスキュロスがぴったりだと思う。




 ところで、悲劇とは人間性と因果律の歪曲である。悲劇は何かを偽造しようとする。アイスキュロスは、鷲が空から思わず落とした亀の甲羅が頭にあたって死んだらしいが、それもまた悲劇だったのだろうか。大空にはわれわれのことなどつゆ知らない鷲が旋回していたのだ。
 ギリシア悲劇。アルトーが最晩年を過ごした部屋の写真をよく見てみると、もうひとりの悲劇作家エウリピデスの本が置いてあるのがわかる。アルトーは死の直前までギリシア悲劇を読んでいたらしい。なんということだろう。阿片チンキを飲みながらひとり部屋でギリシア悲劇をしずかに読んでいる、内側から焼き尽くされたような最期のアルトー! 反乱開始は昔のことではなく、そのつど幾度となく繰り返されたようにスリッパを片手に死の直前に開始されたのだろうか。焼けただれ、石灰と化した旗印! いつの世も若者たちはそれを自分のものとして認めるだろう、と実際にはペシミストだったブルトンは言っていた。



 アルトーの血のなかには母方のギリシアの血が流れている。だからというわけでもないだろうが、アルトーの演劇論の細かな部分ですら、随所に古代ギリシア演劇の、影響ではなく、激しい余波を、あの残忍で、神的で、狂っていて、それでいてどこか静謐なたたずまいを思わせる長い波長を感じることができると私は思っている。私はそのことに少しは感動する。電波はどこからでもどんな方向からも飛んでくるのだ。

 
 人間の残酷さはとどまるところを知らないように見える。だがこの残酷さは歴史のちんけな原動力であったと誰もが考える。性の歴史や資本主義の歴史がそうだったように。だがこんな不埒な原動力などかつて存在できたためしはないのだ。死は死であり、殺害は殺害であり、大量虐殺は大量虐殺なのだが、それでも残酷さにもいろいろあって、われわれは何ひとつ学ぶことができなかったのかもしれない。われわれは悲惨なただの阿呆である。人がひとり死ぬたびに、世界が死ぬ、と言っていたのはジャン・ジュネだが、悲劇はいったい誰を、どんないたいけな子供たちを巻き込んだのか。巻き込んだなどという言い方はよしておこう。悲劇は誰の食べ物なのか。そのことは誰もがわかっていたはずなのに、ローマ帝国は滅んだ。すべての帝国は滅ぶ、そして未来永劫かならずや帝国は滅ぶだろう。万歳! 三唱! おごれる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。

 アルトーの『ヘリオガバルスあるいは戴冠せるアナーキスト』はこんな風に始まっている。

 
 「墓場なき死者、しかも己れの宮殿の便所のなかで護衛の兵士に喉をかき切られて殺されたヘリオガバルスの死骸(むくろ)のまわりに、血と糞便の激しい循環があるならば、彼の揺り籠のまわりには精液の激しい循環がある。ヘリオガバルスは誰もが誰とでも寝ていた時代に生まれた。しかも彼の母親がどこで誰によって実際に身ごもったのかはけっしてわからないだろう。彼のようなシリアの王子にとって、血統は母たちによってつくられるのだ——それに母たちに関していえば、生まれたばかりのこの御者の息子のまわりには、ユリウス一族の綺羅星のごとき女たちがいる——そして彼女たちが王権に影響を及ぼすにしろそうでないにしろ、これらのユリアたちはみんな高級淫売なのである。

 この淫蕩と汚辱の大河の母方の源泉、彼ら全員の父は、祭司になる前は辻馬車の御者であったに違いなかった、そうでなければ、ひとたび玉座に就いたヘリオガバルスが御者たちに自分のおかまを掘らせたあの執拗さが理解できないからである。
 ともあれヘリオガバルスの母方の起源にまで歴史を遡ると、間違いなくあの老いぼれのはげ頭とあの辻馬車とあのあご髭に行き当たるのだが、それこそがわれわれの見聞録のなかに示される老バッシアヌスの姿である。
 このミイラがひとつの宗教に仕えているとしても、その宗教を断罪することにはならないが、しかしユリアたちやバッシアヌスと同じ時代の愚かで気のぬけた祭儀は、そしてヘリオガバルスの誕生した頃のシリアは、この宗教をついにだめにしてしまっていたのだ。
 だがこの死せる宗教、バッシアヌスが身を任せた、儀式的仕草の形骸になり果てていた宗教、それが、エメサの神殿の階段に幼いヘリオガバルスが姿を現わすやいなや、信仰と新たな装いのもとに、いかにして凝縮した黄金の、鳴り響く小さな光の活力を取り戻し、奇跡的に影響力をもつようになるのかを見なければならないだろう」。

 
 あまりにわかかり切った、凡庸なことを繰り返すようだが、この少年ローマ皇帝のアナーキズムはもちろん気のぬけたユートピア思想などではなく、ひとつの悲劇の誕生を画するものであったとあらためて私は考えている。数々の残忍な罪人を生み出したのは歴史のほうである。神の歴史のほうである。アルトーはそのことをよくわかった上で、話を始めたのである。彼はそれを「諸原理の戦争」と呼んだ。当時の歴史家ランプリディウスから18世紀の歴史家ギボンにいたるまで、たぶんアルトーが読んだ歴史家たちはヘリオガバルスの乱行を嘲笑し、断罪することはできても、それでローマ帝国が、そしてローマ帝国の威光がほんの少しでも救われたわけではない。どう転んでも、詩も、ましてや形而上学も解さない歴史家たちは…、などとアルトーは苦言を呈している。アルトーは激怒しているし、歴史家の言うことになど、究極的にはこれっぽちも信を置かない。話はつねに半分、だから半分しか耳を傾ける必要はないのだ。

 事実? 事実の歴史だって? ほんとうなのか。いや、いや、ただの教訓など何の教訓にもならないではないか。われわれはそれを毎日嫌というほど目にしている。われわれは歴史を生きているのだ。そのことはわかっている。オイディプスもまた見ることが嫌になったから、自分の目をくりぬいて、自ら盲目となったのだった。だが人間と世界は踵を接していないし、隣り合ってもいない、とニーチェは言っていた。ニーチェは爆笑していた。この爆笑という言葉は、バタイユに逆らうようだが、それなりに悲痛で、しょぼい。自ら盲目となるのは世界ではなく人間のほうなのである。

 
 ロシアの哲学者シェストフの『悲劇の哲学』のなかにこんな言葉を見つけた。「ソクラテス、プラトン、善、人道主義、理念等——穢れのない人間の魂を懐疑主義やペシミズムの凶暴な悪魔の攻撃から護ってくれたかつての天使や聖者の一隊はことごとく跡形もなく空中に消え失せ、身の毛もよだつ敵を眼前にして人は生まれて初めておそろしい孤独を感じるのだ。最も忠実な、愛する者でもそこから彼を脱出させることはできない。悲劇の哲学が始まるのは、まさにここにおいてである(…)おまえは地獄に堕ちた者たちを愛するのか、俺に言ってくれ、おまえは赦されない者を知っているのか」。

 レフ・シェストフはドストエフスキーとニーチェを最後の希望の哲学的人間、つまり哲学者として尊重しているのである。だがそれだけではもはや十分ではないだろう。それに哲学者のことなどどうでもいい。悪魔は歴史的に見ても凶暴ではあるが、懐疑主義やペシミズムはもちろん悪魔の攻撃などではない。
 シニシズムや懐疑主義もまた悲劇と同じくらい古いものなのだろう。犬儒派たち。キュニコスの里は地球のそこかしこのことかもしれない。大いなる地球。グローブ座。さらば、ちっぽけな惑星よ。たまには、おお、マクベスよ、そいつのことも思い出してやろうじゃないか。キュニコス派の哲人クラテスが最古の地球儀をつくったのだった。彼らは地球の上に寝そべっていた。それこそ日なたの犬のように。だがシニシズムや懐疑主義と悲劇は何の関係もない。そればかりか、アカデメイアは大学のことではなく、ゴミ屑が時おり舞い上がる、いにしえの浮浪者たちの広場である。
 マルクスは、古代ローマの階級闘争は奴隷たちによってではなく、特権的な少数者、貧しい自由人によってだけ行われたと言っていたが、犬儒主義もまたイタリアへと逃げのびたのだろうか。やがては芸術のほうへ。

 
 知らぬ間にピアッツァ・デル・エルベに冬の月が懸かっている。この広場はギリシアからはそう遠くなく、この月はギリシアと同じいつもの月である。赤茶けた下弦の月。夜もだいぶ更けてきた、微醺に顔を赤らめ、犬の遠吠えが聞こえる…


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