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お知らせ(第78回 記号の山のアントナン・アルトー)

第78回 2016年9月

 


記号の山のアントナン・アルトー

 


鈴木創士

 


アントナン・アルトー『神経の秤・冥府の臍
鈴木創士『アントナン・アルトーの帰還』『サブ・ローザ

 

 


 アントナン・アルトーには、精神と肉体が奇跡的な一致を遂げる瞬間がたしかにあったように思われる。この一致にあっては、精神はもはや精神ではなく、それどころか精神はもはやほとんど意味をもたないばかりか 、無に等しく、健康、病気であることを問わず、肉体は明らかに通常の状態を脱してしまっている。
 これは何らかの統合の結果や、その反対に分離ではなく、アルトー自身の言葉によれば、「諸事物の深い統一の感覚」であり、それこそがアナーキーな状態なのだ。それ以外のものはすべてカオスのなかにあり、だからこそこの統一を得るためには、「諸事物の多様性」、その「塵の感覚」をもたねばならなかったのである。大方の予想に反して、したがってアルトーの言うアナーキーの感覚はカオスの対極にあったと思われる。
 このアナーキーは別の側面から見れば「歴史」的思考から、歴史の原理から抽出された観念であったが、『ヘリオガバルスあるいは戴冠せるアナーキスト』を書くことによって獲得されたこの思考は、さらに何度となく責苦のような思考の分裂を経めぐり、長い経験の果てに、やがて晩年に至って「器官なき身体」と言い換えられることになったのだと私は思っている。

 
 世界は複雑だ。このカオスを注視しなければならない。われわれの肉体の外、同時にそれはとりもなおさず肉体のなかにある外部だった。カオスは肉体を食べるが、われわれはそれに抵抗することができるのだ。ただし通常とはまったく別の手段、手段ならざる手段によって。


 一九三六年、アルトーはメキシコの高地のタラウマラ族のもとを訪れる。『ヘリオガバルス』を書いてから二年が経っていた。メキシコでペヨトル(ペヨーテ)の儀式に参加するためである。ペヨトルはメスカリンなどのアルカロイドを含む幻覚作用のあるサボテンだが、これが「本物の」威力を発揮するためには、メキシコの大地、太陽、雨、そして何よりもタラウマラの秘儀的知識が必要だった。夜店で売っていたような日本産のウバタマからは大した効果が得られないのはそのためである。

 
 タラウマラの国は、記号と形態と自然の姿に満ちているが、これらはまったく偶然から生まれたものではないように思われる。ここでいたるところに感じられる神々は、あたかもこれらの数奇な署名を通じて、彼らの権能を示したかったかのようだ。この署名においてあらゆる面で追跡されているのは人間の形象なのである。

  (「タラウマラの国への旅について」、『アルトー後期集成』Ⅰ所収、以下同様)

 
 この文章は「記号の山」と題されているが、これをよく言われるような単なる心理的錯覚などと思わないでいただきたい。ただし心理的錯覚といえども、そもそもわれわれが信じて疑わない「現実的知覚」なるものと何ら質的な違いはないのだから、それにわれわれ一人ひとりの「現実的知覚」には言うところの科学的で確固たる「共通性」があるとは何ら証明できないのだから、自信たっぷりに現実の知覚とやらについて大見得を切ることはやめておいたほうがいい。

 私と君たちは現実のなかにいるのだろうか。なるほど日々の食べ物や電車の時刻表、あれこれの仕事、金銭、その他山積された現実的主題についてはそんな感じがすることもある。しかし現実はそんなものだけで構成されているわけではない。例えば、君の運命は現実なのか。現実のなかにあるのか。君の感情は現実的障壁にぶちあたってどうなってしまったのか。「現実」にはさまざまな次元があり、未知の様態があり、「塵の感覚」があり、それらはさっきのいわゆる現実的主題とは別のものである。
 知覚の領域ではとりわけまったく様相を異とする。例えば、絵画も現実である。そうでなければ、アルトー自身も言っているように、どうしてピエロ・デラ・フランチェスカやフラ・アンジェリコやマンテーニャの絵画を他のルネッサンスの「人文主義的」思想と区別することができるだろう。
 アルトーはさっきの文章に続けてこう言っている。

 
 確かに大地のいたるところに、自然はある種の巧妙な気まぐれに動かされて人間的形態を彫刻したのだ。しかしこの場合は違っている。というのも自然はここで、一つの種族の地理的な広がり全体について語ろうとしたからである。

 そして奇妙なことに、ここを通る人々はあたかも無意識の麻痺状態に襲われたかのように、あらゆるものに無知であろうとして彼らの感覚を閉じるのである。自然が突然、数奇な気まぐれによって岩石の上で責め苛まれる人間の身体を見せつけるということ、それは気まぐれでしかなく、この気まぐれは何も意味しない、とさしあたって考えてもよい。しかし来る日も来る日も馬で旅を続けるなかで、同じ巧妙な魅惑が繰り返されるとき、そして自然が頑固に同じ観念を表明するとき、同じ悲壮な形態が繰り返されるとき、すでに知られている神の頭部が岩の上に現れるとき、死の主題があらわになり、人間がひたすらその犠牲となるとき、——そして人間の引き裂かれた形態に、より明らかになり、石化する物質から出て、よりあらわになった神々の形態が応答するとき、——一つの国全体が石の上に人間の哲学に並行する一哲学を展開するとき、最初の人間たちは記号の言語を用いていたということをわれわれが知り、この言語が岩石の上に拡げられているのに目を見張るとき、確かに、これが単なる気まぐれであり、この気まぐれが何も意味していないとはもはや思えない。

 
 これらの記号群はアルトーを誘惑し、アルトーに襲いかかり、最初はアルトーを拒絶していたように思われる。アルトーがヨーロッパ人だったからだけではない。彼は馬に揺られて山岳地帯を登攀していたとき、最後のヘロインの一包みを急流に投げ捨てたと言っていた。これは生理的次元の問題でもあった。彼は「さら」の状態で事物との新たな接触を求めていたのだ。もちろん禁断症状がなかったわけではない。山岳地帯を馬に揺られながら、「五日目に私は地獄に足を踏み入れたと思った」とずっと後になって述懐しているほどである。このとき記号はこの「さら」の状態を埋め尽くしたに違いなかった。しかしこれはまた「呪いの網状組織」の別の側面を示すものだったのかもしれない。

 ともあれ、われわれの想像を絶する旅が続けられていたのだ。

 
 一歩進むということは、もはや私にとって一歩進むことではなく、どこに頭を運んでゆくかを感じることであった。誰かこれがわかる人がいるだろうか。次々服従し、次々前に運ばれる四肢、大地の上で保たなければならない垂直な静止。というのも頭の中は波動にあふれ、もはやその渦巻きを統御することはできず、頭を狂わせ、まっすぐ立つことを妨げる下方の大地のあらゆる渦巻きを、頭は感じるからだ。

 二十八日にわたるこの重々しい支配、この私という拙劣に組み立てられた器官の塊に立会っているという印象を私は持っていたが、それはいまや崩壊しかけている巨大な氷河の風景のようであった。

 
 そしてアルトーはシグリ(ペヨトルを吸飲し、踊りをともなうタラウマラ族による伝統的祭儀)の密儀に参加を許される。ここでアルトーが何を見たのかは、あまりに多くの濃密なことが含まれているので詳述できないが(ぜひ「タラウマラ族におけるペヨトルの儀式」と「タラウマラの国への旅について」を読んでいただきたい)、たぶんアルトーは超人的な努力によってその大地と自然と人間を含めたすべてを凝視し、「読み」尽くしたのだろう。

 
 彼らは私を地面にじかに、あの大きな梁の下に横たわらせた。そこに三人の魔術師が次々踊る合間に坐るのだった。

 地面に横たわっていたのは、私の上に儀式が降りかかり、私の上で、炎、歌、叫び、ダンス、そして夜そのものが、生命を吹き込まれた人間的な穹窿のように生き生きと回転するためである。したがってそこには回転する穹窿、叫び、抑揚、足音、歌の具体的編成があった。しかし何よりもまず、すべての彼方で、巡ってくる印象があった。これらすべての背後に、これらすべて以上に、そして彼方に、まだ別のものが、原理的なものが隠れているという印象が。

 
 この原理的なものは、タラウマラ族が「原理の種族」であるということだけを意味するわけではなかった。この原理的なものの現れにともなう長い苦闘は、彼が『ヘリオガバルス』で綴った、古代の歴史のなかに現れた「諸原理の戦争」とまったく別のものではない。アルトーはメキシコの山岳地帯でペヨトルを吸飲したとき、「私の人生の中でもっとも幸福な三日間を過ごしていると思った。それ以前にもう、うんざりしながら、私が生きる理由を探しており、自らの身体をたずさえるという義務を停止していたのである」と書いていたが、この原理の観念を理解しなければならないために、それを生きんがために、古代ギリシア時代に少年皇帝ヘリオガバルスがそうだったように、アルトーの身体、アルトーの生体組織が飛び散るモナドのように破裂し、ひきずり回されたことに変わりはなかった。彼はメキシコの大地で「やすり」にかけられたのだ。

 そしてアルトーは「自分を洗い流すために」、「中に入るためではなく、外に出る」ためにペヨトルに向かったのだった。しかしペヨトルを通じても、アルトーのあらゆる意味における分裂、原理の分離の悲痛な体験はもちろん避けることはできなかったのだ。これには、後にアンリ・ミショーやル・クレジオ、あるいはまたヒッピーたちがやったようなメスカリンの使い方とは決定的に違うところがあるように思う。
 アルトーは、ペヨトルのダンスを経験したときにすでにこう言っていた。
 「肉体の支配は、そこで相変わらず続いていた。この私の肉体という災厄……二十八日待った後でも、まだ私は自分自身に復帰していなかった。——自分自身へと出てゆく、というべきか。私のなかへ、この脱臼した寄せ集めのなかへ、この損傷した地質学的断片へ」。

 
 「自分自身へと出てゆく」。すぐれた暗黒舞踏家であれば、肉体のエキスパートたちであれば、ただちにこの言葉を理解できるだろう。アルトーはアルトー自身のなかへ出て行った。「出て行かねばならない」というのは、アルトーの旅が黎明期における人類学的とも言える旅であったこと、いや、それ以上に、こちら側の人間による人類学の限界を遥かに超えるものとしてあったことも示しているのだろうが、このことはここではあえて強調するには及ばない。

 それはアルトーのまったく独自のものといっていい思考の出発(『ジャック=リヴィエールとの往復書簡』の頃だ)、あの最初にあった思考の崩壊、存在の基底に生起していたあの「殺害」とは無関係ではあり得なかった。「この世があの世の逆ではなく、ましてやその半身ではない以上」、アルトーの宇宙卵はつねに「反卵状態」になければならなかったのである。簡単に孵化できるものなど何もないのだ。

 
 原理は手つかずのままでは存続できなかった。分裂した原理はさらに分裂し、この世があの世の逆ではないように、最後に至った自身の記憶を含めて、この世を死の反対側から、「墓の反対側」から見なければならなかったのだから、それは当然のことであったし、この苛烈な旅程は、アルトーの偉大さと不幸な天才(ほんとうに不幸であったかどうかは誰にもわからない)の一端であったのだと私は思っている。

 ゲームの規則が例外を証明せざるを得なくなるのは必定である。アルトーはメキシコから帰ってアイルランドへの旅を決行し、フランスへ強制送還となって、精神病院に監禁され盥回しにされることになるが、監禁を解かれた死の前年にはこんな風に言っていた。

 
 私は野次馬としてペヨトルに向かったのではなかった、そうではなくて自分からさらに最後の希望の切れ端を取り除き、肉の霊的希望の最後の赤い小さな繊維を切り離そうとする絶望した者として向かったのだ。

 ペヨトルとは、すでに言ったように、ひとつの卸し金、切り込みの入った、すべての除草、すべての記憶の小さな刻み目の入った木片であり、それはがちがちに凝り固まったその身体に穴を穿ったのだ。
 そこにひとつの観念を見つけようと欲する者は、精神の一肢よりさらに少し、生きている一個の骸骨よりもさらに少し失うことになるのだ。
      (「アルトー・モモのほんとうの話」、『アルトー後期集成』Ⅲ所収)

 
 失ったものは甚大である。ほんとうは誰が何を失ったのか。文明は失われたのではなかったか。アルトーには最後までユーモアがなかったわけではない。だがそれを感じたとしても、またそんな風に感じなかったとしても、われわれが笑えないことを必死になって主張すべきではない。笑えない奴はわれわれの敵であることがあるのは知っている。だがわれわれの意見などどうでもいい。問題は「笑い」などではないこともたしかである。こういったアルトー的「現実の」次元にあっては、備給される心理的エネルギーなどまったく問題にすらならないのだから。

 「ほんとうの話」は、どこで、いつ、どんな風に語られるのか。ギリシアがあった。バリ島があった。チベットがあった。メキシコがあった。マヤがあった。アステカがあった。アイルランドがあった。われわれは、これらのものすべてが無駄であり、徒労であったと考えているのではないし、それを蔑視しているわけではけっしてない。だが、それでどうなるのか?

 私はまるで十年前から記憶をとどめているかのように、遥かな昔の時代にいたるまで過去の自分の人生にかかわる思い出をつねに取り戻していたわけではなかった。
 そしてメキシコの高い山岳地帯において、一九三六年の八月か九月頃に、私は完全に自分を取り戻し始めたのだ。
 私はひとつの徴をもって、つまり三本の釣り針のついたトレドの一種の剣をもって、タラウマラ族のもとへ登っていったのだが、その短剣はハバナの黒人の呪術師によって教えられたものだった。
 そいつをもっていれば、と彼は私に言った、あなたは中に入ることができるだろう。
 だが、私は中に入りたいなどとは思っていなかったのだ。
  ところで、何かを見るためにどこかへ向かうとすれば、それは所与の、だがそのときまでは閉ざされていた、予想外の世界のなかに入るためである。
 これは私が事物について抱いている考えではない。
 私にとっては入ることではなく、事物の外に出ることが問題なのである、
 ところで、身をひきはがす者がいるとすれば、それは恐らく入ったり、
 出たりするためだが、しかし何かのなかで、ここを去って、別の場所に消えるためである、
 溶けて、他処から解放されること、
 溶けてしまわないこと、だが、どこでもない場所で解放されること、
 もはや知ることなく、
 実在してしまうことを断念すること、
 それならもはやけっして苦しむことはない、
 選択肢は無数にあって、もはやそうではない、
 それぞれの宗教と個人には自らの選択肢がある、
 ところで、そういったことすべては馬鹿げている。

           (アントナン・アルトー、同上)

 
 メキシコの高地には、われわれの知らない太陽がある。「そしてまさにここで、メキシコ人の老いた酋長は私の意識を新たに開こうとして私を打った。なぜなら私は生まれ損なったので、太陽を理解することができなかったからである」。

 アルトーはそれを全身に浴びて山を進んでいったはずである。ヘリオガバルスも太陽王だったが、しかしこのタラウマラ・インディオの地の太陽は、アルトーが生涯の最後に語ったヴァン・ゴッホの太陽とどんな違いがあるというのだろう。ヴァン・ゴッホのタブローのなかには亡霊はいない、ヴィジョンもなければ、幻覚もない、ただ午後二時の酷熱の太陽があるだけだと語ったあの太陽と。記号は経験のなかに消えてしまい、むろん象徴的なものも含めてその意味を変えてしまったが、これらの二つの太陽は結局のところ同じひとつの太陽だったのだ。

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