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お知らせ(第82回 くぼみ)

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  第82回 くぼみ - 2017.01.04

第82回 2017年1月

 


くぼみ

 


鈴木創士



渋谷哲也・平沢剛編『ファスビンダー』エートル叢書16
ロラン・バルト『神話作用』 
ロラン・バルト『零度の文学
鈴木創士著『サブ・ローザ 書物不良談義』 
ジャン・ルイ・シェフェール著『エル・グレコのまどろみ』エートル叢書19

 「紙でできた雌鶏や、船や、矢や、飛行機、小学生たちが学校の机でつくるそんな折紙をそっと広げると、新聞のページか白い紙に再び戻る。私はずっと前から漠然とした気まずさに悩まされていたのだが、そんなとき私の人生――つまりしっかりひろげられ、目の前に平たく置かれた私の人生の波乱の数々――が一枚の白い紙にすぎず、それを必死に折って新たな事物に変形できていたつもりが、山や、断崖絶壁や、犯罪や、死亡事故という外観をもつ三次元のものとしてそれを見ていたのはどうやら私ひとりだったことに思いいたったとき、私の茫然自失は極めて大きなものとなった」。
 パレスチナ革命の地にフェダイーン(パレスチナゲリラ戦士)たちとともにいた経験をもとにした本のなかで、ジャン・ジュネはひとり人知れず唖然とした後にこう続けている。
 「こんな風に私の人生は、大胆な行為のうちに微妙にふくれ上がった取るに足りない仕草からなっていたのだ。ところが、このことを、私の人生が窪みのうちに書き込まれていたことを理解したとき、この窪みは深淵に劣らず恐るべきものとなった。象嵌術と言われる仕事はハガネの板に酸で凹状に図柄を穿つことだが、そこには金の糸を嵌め込まねばならない。私にはこの金糸が欠けていた。私が孤児院に遺棄されたことは、たしかに他の人々の出生とは異なる出生だったが、より恐ろしいものだったわけではない。牛飼いをしていた農夫の家での幼年時代はどんな幼年時代とも好対照をなすわけではなかったし、泥棒と売春をやった青春時代も、実際にあるいは夢で盗みを働き売春をやる他の青春と似たり寄ったりだった。目に見える私の人生は巧みに仮面をかぶった見せかけにすぎなかったのだ。監獄は私にはむしろ母のようなものだったし、アムステルダム、パリ、ベルリン、バルセロナの騒然とした街路以上にそうだった。そこでは殺されたり餓死したりする危険はなかったし、監獄の廊下は私の知る限り最もエロチックだが最も心休まる場所だった。合衆国でブラックパンサーと過ごした数ヶ月もまた、彼らと私の間に彼ら自身が気づかなかった共犯性がなかったのであれば、というのも彼らの運動はラディカルな変革の意志という以上に詩的な演じられた反乱であり、白人たちの活動の上に漂うひとつの夢だったからだが、パンサーたちが私を反逆者として見ていたとすれば、私の人生と私の本についての誤った解釈の証拠となるだろう」。



 ジャン・ジュネはもちろんここで自分を貶めているのではない。実際、彼自身は自分の人生を三次元として体験していたことに変わりはない。登攀が不可能に思えた山岳地帯、人を自殺に誘い、あるいは思わず足を滑らせてしまいかねない断崖、深い渓谷、殺人以外のすべての犯罪(ジュネは殺人を犯していない)、自発的であって同時に受動的だった悪事、泥棒、脱走、逃亡、物乞い、多くの死体…。だが彼は自分の人生が、ブラックパンサーのもとにあっても、パレスチナゲリラのキャンプにあっても、ひとつの窪み、ひとつの空洞であり、突如としていままでは想像もできなかったひとつの陰気な窪みに、浅いだけが取り柄の空洞に変化してしまうことを感じ取っていた。救いはない。ジュネのような生き方の例は滅多にないどころか、まったくの例外だったのだとまさに言うことができるにしても、ジュネにしてからがそうなのだ。つまりこの一枚の白紙、この窪み、この空洞は、われわれにとって普遍的なのである。



 フランスにいた頃、モンパルナスのカフェでコクトーの友人だったとかいう老人と知り合いになったことがあった。名前も忘れてしまったが、少しでっぷりしていたように思うその老人は見るからに男色家という風貌だった。家に遊びに来ないか、コクトーたちが来ていたサロンに案内するよ、と言うのでちょっとした好奇心にかられてついて行った。私はそれほどコクトーが好きなわけではなかったが、ファスビンダーの映画を知ったばかりだった。居間にはすでに何人かのゲイとおぼしき若い人たちがいた。彼らはお喋りで、落ち着きなくうろうろ歩き回っていた。あの落ち着きのなさはどこから来るのだろう。裏面だけでできているような、やけくそだが、あのほとんどぺらぺらの信仰に似たものは? 音楽がかかっていたように思うが、私の趣味ではなかったはずだ。夢想家はいないし、大胆な行為もない。虚構のなかで枕を高くして眠っていたのは誰だったのか。私だけが場違いだった。その場に自分をそぐわせるすべはまったくなかった。案外安っぽい感じのするサロンには見るべきものなど何もない。不潔な感じすらしたように思う。「ジュネも来ていたのよ」、誰かがそんなことを喋っていた。ジュネはこんなところにも出入りしていたのだ。朝吹登水子と石井好子がパリでずいぶんおとなしそうに見えるジュネに出会ったときのエピソードを思い出した。気詰まりで窒息しかけの私は早々に引き上げたのだった。



 雲が西から東に吹き飛ばされてゆく。電線から滴っていた雨垂れはもう跡形もない。さっきからものすごい風が吹いていた。雲のなかにはマンテーニャもジョットもピエロもグレコもいなかった。不穏な空。不毛なだけの、「自発的偽装者」の夜。だが不毛なのは夜でも空でもなくむしろ私自身のほうだった。ジュネはパレスチナ人が彼を受け入れたとき、パレスチナ人たちは彼のなかにこの「自発的偽装者」の姿を認めたのだろうかと自問している。
 この私にしてからが、自分の人生が裏返しになるような場面に何度か出会ったことがあった。そこには「自発的偽装者」がいたのか。だが白紙は何度も裏返されたのだから、どれが表なのかわからないし、そのような場面をここでデッサンでもするように素早く描くことはできないのだから、裏返しになったものは結局のところ何も描かれていないただの一枚の白い紙にすぎなかったのだ。カラヴォンの谷間はあまりに遠い。鳥の囀りは聞こえない。だがその谷間に行ったことはないし、それがどこにあるのかも私は知らない。白紙は白いまま、どんな複雑な記号によっても優雅なデッサンによっても埋まることはないだろう。どうやら白紙をこじ開けることはできないらしい。虚構に内部はあるのだろうか。だがこの紙を破ってしまうことはできるのか。



 人生は一枚の白い紙であるか、はたまたひとつの窪み、ひとつの空洞である。何をどう取り違えることができるだろう。だから私はこの観念に固執する。



 この窪み、この空洞には時間が流れ、あるいは流れ込んだまま淀んでしまったのだろうか。昨日、たまたまバルテュスの画集を見ていたのだが、ある絵に目が止まった。いままで私はバルテュスの絵画は人が言うほどエロチックではないと思っていたし、エロティシズムと言うよりはそこに描かれている「時間」にむしろ惹きつけられていた。私にはバルテュスの絵に物語を感じ取ることができなかった、たとえリルケが相手でも、それが『嵐が丘』の挿絵であっても……。物語はもうなしだ。物語ではなく、時間。停止してしまったと錯覚しかねない永遠の現在。それが粒子状にぼやけ始めることもある。何かがかすかに動き始めることもある。色彩やその他の面で、明らかにバルテュスはピエロ・デラ・フランチェスカに影響を受けているが、ピエロの絵の「時間」とはまた別物である。
 その絵を見ていて、私ははっとした。思いがけず、絵に描かれていた少女の胸の膨らみが妙にエロチックなものであることに気づいたのだ。乳房はむき出しではなく、下着の下にあって見えないが、普通、画家たちは、ルーベンスであれ、アングルであれ、誰であれ、こんな風に女性の胸を描いたりはしない。他の事物、部屋や少女のからだの他の部分やそれ以外のものの描き方はまったく違う感触で、そんな風には描かれていない。こうしてバルテュスの絵のなかの時間は停止した。時間は消えていた。ロラン・バルトの言う「プンクトゥム」は、絵画にもプンクトゥムがあるとして、この場合、それがただの錯覚にすぎなかったとしても、胸の膨らみなのか、それともカーテン越しの日差しだったり、謎めいた人物の後ろ姿がそこにあったりするかつて私を凝視させていたかすかに黄色か緑色がかった「時間」だったのだろうか。エロチックなもの……。それがこの世に存在することはわかっている。私は画集を閉じる。だがこの胸の膨らみといえども、ひとつの空洞のなかにしかないのかもしれない。



 勇気などという言葉は、ニーチェのために取っておこう。だが元はと言えば、われわれはすでにすれっからしだからである。自殺未遂も谷底からの山の登攀も経験済みだ。水は生きていた。木も生きていた。だがあの松、あの柊、あの杉は、近くから見ても遠くから見ても死んでいる何かにつながってしまう。風景の細部が、それだけが目に焼きついているとしても、終わることのないものは細部に宿るはずがない。それは細部を抹消してしまう。神は細部に宿りはしない。神はどこにも宿ることはない。それなら風景は私を拒絶しているのか。憂鬱、軽い発作、理性の不埒な選択……、金輪際、それが終わることはないだろう。エロチックなものも窪みにしかない。誰がこの場所に来たのだろうか。君は死を前にしてあらゆることを反省しようとしたのか。それが何になったのか。怖くなったのか。それは恐怖とはまた別物である。断末魔、死、金銭、風景、政治、女……などなど、どれに執着しようが、この模像を前にしては、生命を伝えようとするものなどありはしない。あらゆるものは陥没し、水没する。生は窪みで水浸しになっているではないか。私の「中」から見れば、たちどころにその「中」は消えてしまい、私の「外」のものがあるように思えるにしても、それは窪みをだまし絵のように彩る擦り切れた装飾だったりする。それに一秒先にはもう存在しない生命などとは、そもそもわれわれは口にすることができないではないか。



 あの日、ものすごい地震があった刻限のこと、私はなぜか鬱屈した気分のまま眠ることもできずにベッドに横たわっていた。横になったのはもうずいぶん遅い時刻で、午前四時くらいだったと思う。ものすごい揺れで家が完全に崩壊したとき、ああ、これはもう駄目だと思ったことをちゃんと覚えている。目は見開いていた。見えたのは真っ蒼な青空だった。外は真っ暗だったのに、稲妻が走り抜けたのだ。パドヴァの青。十四世紀初頭にジョットがスクロヴェーニ礼拝堂の壁に描いた空の青。私の目の前にあった壁が一気に崩れ落ちたのだった。まず本が蝶々のように飛んでいった。ついで本棚が水平にぶっ飛んだ。あれはたぶん安物の本棚だった。法外な力が破壊のさなかにあって破壊の瞬間を後退させたように思えた。破壊されつつ、速度を上げながら、破壊が遠のく、そんな不思議な経験だった。そしてそんな風に破壊はずっと続いた。たぶんほんの何十秒かのあいだだったのだろう、私はほぼスローモーションのなかにいた。時間は遅れに遅れていた。手探りでコートと眼鏡を探した。寒かった。人生の窪みはめちゃくちゃになっていたが、それもまた別の窪みでしかなかった。



 僕はいまは足が悪くて、あちこち徘徊することができなくなってしまいました。僕は禁断症状の麻薬中毒患者のように耳をすます。まったく飽き飽きすることですが、夢のなかにいるように音はまったくしないか、ごぼごぼ水が流れるか、ときには耳をつんざくような恐ろしい機械音がします。耳鳴りが星空のほのかな明かりのようにありそうにない不可視の窓から侵入してくる。窓は電気を帯びています。古い円卓の上には本があります。円卓には染みのついたレースの小さなクロスがかかっている。あのダンテル! 血のダンテル! 切り落とされた首から数珠つなぎの花の首飾りのように血が流れたのだ。いま星空がかき消えたので、僕は目を開くことができる。
 最近は、生まれたときからみたいに歩くことを知らないので、いつもは平気です。僕は窪みのなかで大げさなことを言っています。でもたまに外でかけっこをしたり、神社で鬼ごっこをしたりしたくなります。みんなが走り回っているのを見ると、たまにいいなあと思うときがあります。
 鬼ごっこの鬼にもなってみたいなあ。ほんの愛嬌で、暗くなってみんながおうちに帰っても、神社の大木にもたれて、ずっとおじいさんの鬼をやっているんだ。木をさすったり、爪で木に小さな傷をつけたりしながら。おじいさんは死んだし、いまでは絵のなかにいるみたいな死者です。頭のなかで誰かが喋っている。あのマルカム・ラウリーの大傑作小説『火山の下で』のアル中の主人公の頭のなかにいるように、いかに人がそれを幻覚だと呼ぼうと呼ぶまいと、頭のなかにあるものが一目惚れのように現実と遭遇してしまい、帳尻を合わせるようにそれらが収束して、ただひとつの決定的な現実となる。ふと気がつくと、われわれはそこに投げ込まれている。我が身を見ないまでも、そういう風になると相場は決まっています。鬼ごっこはなかなか終わろうとはしません。赤鬼、青鬼。安吾の女の鬼だったりして。殺されるのか、殺すのを諦めるのか、それはわからない。いきなり見てしまったものがあります。それに星空を後ろに、コツコツ木を叩く音がする。もういいかい。まあだだよ。暗くなると、きっとこわくなるね。でも窪みのなかに隠れているからへっちゃらです。

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