
お知らせ(コラム)
第23回 文学の泥棒について - 2012.02.01
第23回 2012年2月
文学の泥棒について
鈴木創士
ジャン=リュック・エニグ『剽窃の弁明』
「いわゆる剽窃」という文章のなかで、林達夫は、輝かしき理論家だった三木清をこともあろうに人の著作を盗んだ破廉恥きわまる「剽窃家」として弾劾した仮借ない批評家、眉目秀麗(かどうかは私は知らないが)にして頭脳明晰な(この場合は、自分が間抜けであることを知らない単なる形式主義者という意味だ)女性警世家をたしなめたことがあった。つまり剽窃的行為を文化的観点からそれなりに擁護することで林達夫はその文章をやんわりと始めているのだが、その一方で、学問の共有と私有という観点からすれば、学説や思想も資本主義社会においては商品となったのだから、剽窃は一種の財産的犯罪であり、この文化的共有と所有権は資本主義社会においては矛盾し続ける事柄となってしまうと言うのである。つまり氏は、剽窃は多くの場合正当な、あるいは伝統的な行為には違いないが、自分もまた職業的作家(つまりそれで生計を立てている人)であり、著作権所有者であるという矛盾に引き裂かれているわけである。
だが、林達夫ほどの批評家であれば、物書きとしての自分の首を絞めかねないこれらの危険な両領域に知識人としてきわめて良心的に目配せを怠らないのは当然の話かもしれない。
だが、そうはいってもだよ、諸君! かいつまんで言えば、剽窃的行為に目くじらを立てるのであれば、そもそも「文化」や「学問」など存在できなくなる、それにそれらがいったい何ほどのものなのか、物を知らないにもほどがある、と氏は感じていたに違いないし、実際それを随所に感じさせる文章の仕儀となっているのだけれど、まあ、そういうところが第一級の知識人だった林達夫らしいと私は思うのである。知的な面では言うまでもなく、多くの点で洒脱な林達夫のことだし、このエッセイのそもそもの動機は、明らかに、衆人環視のなかで囚人を監視するようなことは、いくら篤志な批評家であれ実際は軽蔑に値するのだということをあえてそれとなく言うことにあったと私はあえて誤読しようと思っている。誤読? あ、あ、あ、正直に言えば、私はそんな風にはまったく思ってはいないし、誤読もまた一種の剽窃と言えないこともないのだから、それが味噌であることは読者である皆さんをさておいて私自身が先刻ご承知なのである。ちなみに、漱石もどこかで剽窃について擁護していたが、こちらのほうは、私の記憶が定かであれば、杓子定規で、生ぬるいものだった。
だが林達夫が言外に臭わせているとおり、「剽窃」はじつに奥深いものであるし、この点では、申し訳ないのだが、私はこのエッセイの林達夫を剽窃しようとは思わない。私が剽窃したいのはジャーナリスト出身である現代フランスの博雅の作家ジャン=リュック・エニグのこの上なく確信犯的な『剽窃の弁明』である(もうかなわないことではあるし、言わなくても不可能であることはわかってはいるが、林氏には、もう一歩すすんで、つまり遥かに確信犯的に、ぜひともこの本の書評でもやっていただき、それをゆっくりと読んでみたかったものである)。
剽窃とは一種のポエティックである。人にもよるが、人の文章、それも「ぶよぶよの大頭ども」(イジール・デュカス)が結局は絶対に書けないような形で誰かの文章をかっぱらってくることは、ひとつの詩の技法である。あたりまえの話だが、不良は不良行為に習熟しているものである。もちろん剽窃の対象としてはぶよぶよの大頭の書いた文章を盗んでもいっこうにかまわないし、剽窃の相手は人間が書いたものである必要すらないのだが…。
剽窃の弁明! これこそソクラテスの弁明に匹敵するものではないのか。私はこのエニグの本がとても好きである。思い出したらぱらぱら読むことにしているが、読むたびに新たな発見と、たまには言い知れない悦びをもたらしてくれる。勿論、解説や要約は阿呆のすることだから、私はここでこの本の要約をやるつもりは毛頭ない。第一、私にはその能力がないし、あらゆる「変則的書物」はまずは要約を峻拒する態のものであるからだ! 実際、本書には、随所にじつに味わい深くて、閃光のようにすばやい考察と、そして言うまでもなく目の覚めるような剽窃と引用がちりばめられている。文章に限らない。文章家は縫い子でもある。モードは儚ければ儚いほど完璧なのだから、ココ・シャネルは自分のデザインを盗まれても一切動じることがなかった。言葉、色、光、音、石も木も青銅も生きている芸術家のものだ、ルーヴルを略奪せよ、くたばれ、オリジナリティー!(バロウズ)、というわけだ。だがココ・シャネルもエニグの本も含めて、これほどのオリジナリティーにはめったにお目にかかれるものではないではないか。違うだろうか?
というわけで、細部に立ち入ることはこの本の妙味を損なう裏切り行為なのだから、著者の冒頭の決意表明だけを次に引用することに――あまり秘密をばらさないために、あえて著者の言い草としてはかなり平凡な箇所を引用することにする。その前にあえて言い添えておくなら、誰が書いたかということをここでみんなにばらしているわけだから、これは引用には違いないのだが、広く平たく言えば、まったく別の文脈とリズム的錯乱のほうへ人の文章をかっ攫ってしまおうというのだから、そして著者の涙ぐましい思考の筋道、その緊張の糸を無残にも断ち切って、オデュッセイアの魔女の煮こごりみたいにいかがわしい別の釜に入れてゆでて冷まして人の文章をゼラチンみたいに固めてしまおうというのだから、引用もまたひとつの立派な剽窃なのである。もちろん皆さんがよく目にする立派な著者の立派な「学問的引用」には、自分の貧しい文章を権威づけるためであることが見え見えの場合があり、これほど恰好の悪いことはない。
という次第で私はここに、現代のぶよぶよの大頭ども(ロートレアモンの言葉)に向けて手短な美学を、つまり剽窃のエロティシズムを素描したいと思う。というのも、私はこれまで剽窃し、また剽窃されてきたが、この〈オカマホリ〉! とか、よくも魂を奪ったな! とか、俺の実体を盗みやがって! とか、そんなくだらないことを叫んだためしはないからである。私は他人の傘下で、他人の傾きに沿って、他人の仕立てで(縫い子が言うような意味において)それぞれの本を書いてきた。しかしそこにはまた手当たり次第、気の向くままに耽った周辺的な読書の記憶が加わっている。そうした読書のなかで私は文の断片を、ときには語を掠め取ってきたが、こんどはその掠め取った文や語のほうが、知らぬがままに行きたがっている場所へと私を引っ張っていってくれた。こうして、すでに書かれた文が、私の未来のエクリチュールになっていったのである。というのも、文章はつねにそれ固有の意味以外にも無数のことを語っていて、剽窃とはアナモルフォーズ〔意図的に歪めて描いた絵画〕の技法以外のなにものでもないのだから。(『剽窃の弁明』、尾河直哉訳)
ところで、実際には剽窃と引用はどこが違うのか。
あるいは、もっと先にまで行くなら、剽窃の機微のなかを深く潜行するならこういうことになる。剽窃とはあえて偽装された引用、あるいは不当きわまりない引用に他ならない。それは名乗らない引用なのだから、「第二の手」、それ以前の手によって残された痕跡を消す「第二の手」である。手淫をやるかどうかはまた別の問題である。普通の引用とは違って、ここでは著者の名前は隠蔽されたり、騙し取られたりして、どこかへ消滅してしまう。残るのはただ、砂に埋もれたように行方不明になったテクストの記憶だけ。したがって実のところわれわれの眼前にあるのは、作者のないテクストか、テクストのない作者なのである。
例えば、ボルヘスのように、嘘の作者、間違った自分からの引用、存在しない書物からの引用だってあるじゃないか。剽窃者はまるで略奪者であると同時にその獲物のようなものであり、女神の裸を見てしまったがために自分の猟犬に噛み殺されるアクタイオンであり、自分を消して文によりよく同化するためにのみ文を横領しているみたいである。いい眺めである。何故に自分を消したいなどと思うのか?
結局のところ、西洋の最近の有名人に限っても、モリエールやサド、モンテーニュやスタンダール、ネルヴァル、ミュッセ、ボードレール、ロートレアモンから、コンラッド、サンドラール、バロウズ、ソレルス、ブレヒトにいたるまで、他人から盗もうとしているのはじつは自分なのだ。たしかにそうである。作品の背後に姿を消すことと、自分の思考を追いかけることはここではまったく矛盾しない。
ちなみに、ソレルスの訳者としてソレルスの勇気を讃えてぜひとも言っておきたいのだが、句読点のまったくないソレルスの『H』という小説には、ヘルダーリンについてのピエール・ジャン・ジューヴの文章が、引用符も著者名もなく句読点を抜き取っただけで、そのまま何十行か盗用されていたはずである。
自己に対する、自己についての、闇雲の、あるいは殺気立った、親密なるアポカリプス的啓示(暴露という意味で)は、その度ごとに、自己喪失という形で成就されざるを得ないわけである。まるで剽窃者は自己のなかにもともと己れそのものの消失を準備しているみたいではないか。またまたいい眺めではある。すべてが逃亡の一事をひたすら夢見ているかのように。だが人は何から逃亡するのだろう。そこまで行くと、こういったことはどれも、もともと書くということの出発にあったもの(それがほんとうに欲望なのかどうかは私は知らないけれど)と見分けがつかないようにも思えるのである。
一方、引用符のなかに入れることによって、引用は借用してきた恩義を打ち明ける。これはある観点からすれば時間的にも金銭的にもかなりの恩義、また別の見方をすれば安上がりの恩義だが、それによって思考による不法侵入をいわば保障しようというのである。だが、そうは言っても、引用による「容喙」は一種の妖怪を生み出すこともたまにはあるのだし、引用によって聞かれもしないのに横から唖然とするような差し出口を挟むことは、こちらが辛抱さえすれば、話を終らせないで、別の話にすり替えてもらうことでもある。それはそれで結構なことである。
大急ぎで断っておくが、例えば、学生や助手の書いたものやデータをそのまま自分の所有物のように論文に盗用したり、したり顔で自分の考えたことですという振りをしているつもりの卑屈な学者先生や大学教授はこの限りではない。私が彼らを軽蔑していることは言うまでもない。この手の人たちは自分のけちくさい「業績」と、言うも恥ずかしいことだが、どう見ても哀れにしか見えないしょぼい「出世」のためにそれを行うからである。これは第一、子供でもわかるほどみっともないことだし、学者であれば、少しは誇りくらいもってもらいたいものだ。
あるいはこういう人たちもいる。こちらは職業作家たちである。いつ頃だったか、エッセイストなるものが巷に流行したとき、名前も忘れてしまったが、ある女流エッセイストが、私は他人の本は読まないと嘯いて、それを自慢にしているのを読んだことがある。あ、あ、あ、それはないだろ! そんなことをわざわざ断ってもらわなくても、読めばわかるんだよ。もともとヘボ作家なんだから! これは自分が文盲ですと言うに等しく、これでは職業的作家としては読者の水準に立つことはできず、そんな体たらくで売文をやるなんてことはただの詐欺行為でしかない。不良がけっして不良品を売ってはならないことは鉄則である。このような発言を新聞に堂々と載せるわれわれの文化とはいったい何ほどのものなのか! これは読者に土下座をすることでもある。例えば、新聞記者による事実をめぐる新聞記事の盗作はあまりいただけない行為だと目くじらを立てる人もいるが(微妙な点を言えば、実際にはほとんど誰もがやっていることだ。事実は共有できると誰もが信じたがっているのであれば、歴史的事実などというものもそんなものではないか。だからこそ物語と歴史は同じものだと言い出す人たちも出てくることになるし、私は彼らに反論するつもりにはなれないのである)、こんな作家たちに比べれば、盗作のほうがまだ愛嬌がある。あまりにも児戯に等しい、こんなくだらない文化的戯言に付き合わされたり、してほしくもないのに「土下座」されることなど、読者としては御免こうむりたいものです。閑話休題。
ここまで書いて、われわれの和歌の世界にも本歌取りという素晴らしい伝統があることを思い出した。古歌の一句か二句をかっぱらってきて自分の歌をつくるわけである。古今集や新古今に見られるきわめて上品な「伝統」であるが、これは立派な剽窃的行為である。だがその後で定家のやった小細工がよくない。定家は、先人から借り受ける句は二つまでとするなどとした本歌取りの規則とやらをつくったのである。あの定家にしてからが臆病風を吹かせているとしか言いようがないではないか。これでは剽窃が台無しである。
最近知ったことだが、寺山修司の盗作話が笑える。詳細は高取英の『寺山修司』(平凡社新書)を読んでいただくとして、寺山氏は「自作の」俳句から数句を取って「自作の」短歌にアレンジしたといって非難されたということがあったらしい。あほらしいのでノーコメント! とはいえ、一言。楠本憲吉の言がふるっている。「同一の素材の俳句から短歌ができるなどということは、ジャンル固有の性格を崩しているものであり、それぞれが散文化の危機に…」。ジャンルは壊すためにあるのだよ、おっさん! これがひとつ。
もうひとつは寺山修司が中村草田男や西東三鬼から盗用したというもの。これは明らかに本歌取りであり、寺山氏の「読み」であり、ほんとにぱくって知らん顔をするなら、こんな誰もがわかる有名人からは拝借したりはしないだろう。雑誌『短歌』の当時の匿名時評が面白い。言いえて妙とはこのことだ。「老生の訓戒をバカにして、対象を変えて模倣巡礼を続けるなら、君は文字通り〈自己なき男〉(これは君の好きな語句らしい)のレッテルを貼られてしまうだろう」。……。
寺山修司のほうがまっとうだったと考える後世の若輩者としては、これを、この匿名時評家が自己のすべてを賭けて主張したこととは逆しまに、つまりまったく反対の含意として受け取るしかないのだから、この匿名時評家もまた「自己」を喪失し、自己なき男になってしまったのである。自己喪失は単なる物好きの事故ではなかったのである。
最後に、エニグの本にも取り上げられていなかったので、ジャン・ニコラ・アルチュール・ランボーのじつに惚れ惚れするようなフランソワ・ヴィヨンをめぐる剽窃「シャルル・ドルレアン公のルイ十一世への手紙」を挙げておこう。これは中学校(コレージュ)の修辞学級の課題のために書いた作文なのだが、ランボーの作文が一等賞だったことは想像に難くない。
「陛下、時は雨の外套を脱ぎ捨てました。夏の前触れが到来したのです。憂い顔には出て行ってもらいましょうぞ! 詩歌とバラード万歳! 教訓劇と笑劇万歳! 願わくば法律屋の書生どもが気違いじみた阿呆劇をどうかわれわれに見せてくれんことを。(…)折り返しのある襟飾りをつけ、装飾品と刺繍をまとったご婦人方に栄光あれ! 陛下、空が青い衣を身に纏い、太陽が明るく輝くとき、木陰で、甘いロンドーを口ずさみ、高らかに明るくバラードを歌うのはまことに心地よいことではありますまいか? わが愛の鉢植えの木ありて、あるいは、せめてひとたび我に許しの言葉を、わが奥方よ、あるいは、富める恋人はつねに勝者となりて、などと… しかしいまこうして私は楽しんでおります、陛下、私と同じように陛下にもまた楽しんでいただきたいものです。善良なるお調子者、これらの詩のすべてを書きなぐった優しき嘲弄家、フランソワ・ヴィヨン先生は、手錠をかけられ、丸パンと水を与えられ、シャトレ監獄の奥で涙を流して、わが身を嘆いているのです! ……」(『ランボー全詩集』、河出文庫より)。
ここに最後まで書き写すのはいかにも大変なことなので、もし暇でもあれば、ぜひ全文を読んでいただきたい。
鈴木創士の部屋 - 2012.01.01
毎月、現代思潮新社の本から気になる本をピックアップします。
第1回「石井恭二という人」から第21回「最後のエドモン・ジャベス」は、鈴木創士著『サブ・ローザ』(2012年1月発刊)に収録いたしました。本書をご覧ください。
第1回 2010年4月 石井恭二という人
石井恭二著 『正法眼蔵覚え書』 『花には香り 本には毒を』 『心のアラベスク』
第2回 2010年5月 幻の『アントナン・アルトー全集』
アントナン・アルトー著 『アントナン・アルトー全集』第1巻、 『神経の秤・冥府の臍』
第3回 2010年6月 ブルトンとユダども
アンドレ・ブルトン著 『シュールレアリスム宣言集』、『ナジャ』、『シュルレアリスム簡約事典』
第4回 2010年7月 私はボルヘスであった、私はボルヘスになるだろう
ホルヘ・ルイス・ボルヘス著 『アトラス-迷宮のボルヘス』
第5回 2010年8月 重力をさまよわせること、など (一)大野一雄・土方巽・笠井叡
笠井叡『銀河革命』
『ニジンスキーの手記』『その後のニジンスキー』『ニジンスキーの芸術』
第6回 2010年9月 重力をさまよわせること、など (二)大野一雄・土方巽・笠井叡
笠井叡『銀河革命』
『ニジンスキーの手記』『その後のニジンスキー』『ニジンスキーの芸術』
第7回 2010年10月 メキシコのアルトー
アントナン・アルトー『神経の秤・冥府の臍』
鈴木創士『アントナン・鈴木創士アルトーの帰還』、『魔法使いの弟子』
ミシェル・レリス『成熟ミシェル・レリスの年齢』、『闘牛鑑』
ギー・ドゥボール『映画に反対してギー・ドゥボール 上・下』、『スペクタクルの社会についての注解』
第8回 2010年11月 ジャコメッティ覚書 (一)
ジャック・デュパン『ジャコメッティ、あるアプローチのために』、吉田加南子訳
ジャン・ルイ・シェフェール『エル・グレコのまどろみ』、與謝野文子訳
イヴ・ボヌフォワ『ありそうもないこと』、阿部良雄監訳
第10回 2011年1月 ローリング・ストーンズ
フランソワ・ボン『ローリング・ストーンズ ある伝記』、國分俊宏・中島万紀子訳
第11回 2011年2月 髑髏のこと、など
古典文庫『撰集抄』
石井恭二『心のアラベスク』
第12回 2011年3月 ロートレアモンの失踪(一)
ロートレアモン『マルドロールの歌』
ドゥボール『スペクタクルの社会についての注解』
ブルトン『シュールレアリスム宣言集』『ナジャ』『シュルレアリスム簡約辞典』
第13回 2011年4月 ロートレアモンの失踪(二)
ロートレアモン『マルドロールの歌』
鈴木創士『アントナン・アルトーの帰還』
第14回 2011年5月サブ・ローザ――陰謀について
ギー・ドゥボール『映画に反対して』上・下、『スペクタクルの社会についての注解』
ブランキ『革命論集』(絶版)
大杉栄『青年に訴う』
ジョージ・オウエル『カタロニア讃歌』
第15回 2011年6月『ナジャ』のように?
アンドレ・ブルトン『ナジャ』、『シュールレアリスム宣言集』
アントナン・アルトー『神経の秤・冥府の臍』
鈴木創士『アントナン・アルトーの帰還』
ロートレアモン『マルドロールの歌』
W・メニングハウス『敷居学』
ジャン・ルイ・シェフェール『エル・グレコのまどろみ』
第16回 2011年7月ルネッサンスをめぐる若干の覚書(一)
イヴ・ボヌフォワ『ありそうもないこと-存在の詩学-』
鈴木創士『アントナン・アルトーの帰還』
アントナン・アルトー『神経の秤・冥府の臍』
第17回 2011年8月ルネッサンスをめぐる若干の覚書(二)
イヴ・ボヌフォワ 『ありそうもないこと』 阿部良雄監訳
第18回 2011年9月ルイ・フェルディナン・セリーヌ
フィリップ・ソレルス『セリーヌ』
第19回 2011年10月バルセロナ
ジョージ・オーウェル『カタロニア讃歌』
第20回 2011年11月カタロニア讃歌からエル・スールへ
ジョージ・オーウェル『カタロニア讃歌』
第21回 2011年12月最後のエドモン・ジャベス
エドモン・ジャベス『歓待の書』
ベルナール・ラマルシュ‐ヴァデル『すべては壊れる』(近刊)
ミシェル・レリス『成熟の年齢』『闘牛鑑』
第22回 2012年1月ベケットは美しい人だった
アンドレ・ベルノルド『ベケットの友情』
第22回 ベケットは美しい人だった - 2012.01.01
第22回 2012年1月
ベケットは美しい人だった
鈴木創士
アンドレ・ベルノルド『ベケットの友情』
奇妙なことが起こる。ブリジット・フォンテーヌはまだ若かった頃にそう歌っていたのだが、奇妙なことが起こるのはまさに人生のさなかのことであるとはいえ、それは場所ではないのだから、自分がそこにいたのかどうかさえ結局はわからなくなる。だが、人生にはそれしかできないから、それが取り柄だから、それがいいから、そのことだけが、私をあの気違いじみた倦怠と泥沼と延々と続く偽善と嘘から救い出してくれるのだから、と言いたくなるのは私だけだろうか。
男と男が出会う。老人と若者。ありふれた通りで。申し合わせたように。蒼白い閃光のような、見たのか見なかったのかわからないくらいの稲光のような合図。誰も何も見てはいない。ほんの少しの身振り。手が動き、首を傾げ、膝が揺れて、腕が不意に下ろされる。彼らはまるで「静止したフーガ」のように視線を交わす。奇跡が起こったのだ。私はこの美しい本の上に身をかがめてみる。本に接吻しようとやってみる。耳をすます。静寂の中にはあの騒擾の予兆がある。何も聞こえない。何も感じない。いや、実際、そんなことはない。すべてが震え始めるように、ここにはすべての優しさ、夜、困惑、時間がもたらす機微、躊躇、苛立ち、沈黙がある。
友情とは、それがありそうにないもの、歴史をもたないものであるとき、なんと神秘的であることか。その場所はかすかな光に包まれている。かすかな光、どこに光源があるのかわからない光に包まれている。友であった二人そのものが光源であると見紛うほど、光は遠くからやってくる。(『ベケットの友情』、安川慶治・高橋美帆訳)
彼らの年齢差はほぼ半世紀もあった。ひとりは田舎から出てきた学生、もうひとりは大作家サミュエル・ベケット。ベケットの顔の深く刻まれた皺は多くのことを物語っているだけではない。この美しい証言は、著者とそのあまりにも著名で年老いた友人がどんな風に時を過ごしてきたかをひそかに物語っている。ここではなく、他処で。お互いを知らなかったときも含めて! 薔薇の下で行われる陰謀の慎ましさのように。アンコニト。そっと。それだけでいい。それだけあればもう十分だ。ベケットは鳥に似ている。(フォークナー風に言えば――…ジキタリスの匂い、死棺の匂い、だが雀たちがバタバタといっせいに飛び立つ。あとにはざわめきの、ある高貴さの、悲しみの、埃のような静寂が…)
かれとともにしばらくくつろいでみればよい。一瞬(ひととき)の空虚、そしてまた活気、この後退する明暗が一つの同じ態度の二つのあらわれにすぎないことがよく感じられるはずだ。かれの不思議な美しさが、なによりもそれを証している。そう、不思議な美しさであった。ベケットの美しさは鳥の美しさ、鷲の美しさに似ているとよく言われたものだ。急に振り向いたり頭を下げるときの敏捷さ、ある状態から別の状態へといきなり移るそのしかたが、よく知られたあの顔立ちとあいまって、ベケット独特の佇まいを作っていた。
身振りはここにあって、ここにはない。すべての身振りは上の空だ。だけど、彼らの出会いはその都度繰り返される突然の出会いであり、そんなことはわれわれの眼前、結局は何も見てはいないわれわれの前では、そう頻繁に起こることではなかった。反復は別の反復を証言することしかできないなどと誰が言ったのか。さっきも言ったように、この退屈で悲惨な人生にはたしかに奇妙なことが起こるけれど、そうざらにあることではないのを誰もが知っている。わかりきったことだ。天を仰いで唾でも吐くように、しぶしぶそう認めざるを得ない。
わたしはよく街頭でばったりベケットと出くわした。事実、そうしてわたしたちは知り合ったのだ。しかし、先に着いたわたしが、かれがやってくるのを余裕をもって眺めているときでも、かれの現れはなにかしらわたしの先を越すところがあった。かれが扉を開くや、不思議な加速が生じる。戸口から挨拶するためにかれの手が高く上がるのが見える。そして次はいきなり、もう軽く抱擁を交わしている。あの朽ちることのない十年。わたしの感動はこの出会いと無関係ではない。しかし、その成りゆきは、まさしくベケットのテクストのなかの出来事のようだった。
「かれの現れはなにかしらわたしの先を越すところがあった」! 出現は何かを追い越すことである。消滅の手前で、ある現存がそれ自身の中に入り込む。つまらない、どうということもない仕種。と同時に、神学的な意味をすら持ち得るかもしれない挙措。というか神学的なものでしかありえない、生きているもののささいな動きの瞬間の記憶。そう言えば言いすぎだろうか。誇大妄想は私の得意とするところではない。だが結局は同じことなのだ。手が、舌のようなものが、火のようにちらちらと燃えていた…。ジョイスが自分の作品に『エピファニー』というタイトルをつけた理由がよくわかると言っておけばいいのだろうか。
ピアノを弾く手。ベケットは80歳近くになってまたピアノを弾き始める。だがハイドンのソナタのほうはあの手この手のことなど考えたりはしない。ソナタ。ソナタの弾き方。身振りが宙を舞う。宙を舞って、消滅する。ひらひらと落ちてくるひとひらの雪。食器や洗濯物を洗う手。性器をつかむ手。壁を殴りつける拳。ランボーは手の世紀を唾棄していた。ジュネは身振りについて書くとき自分のことをほとんど忘れているようだった。
ドアを開けるとき、ベケットは体全体が手になったようだった。身をかがめ、耳を突きだす。手のひらをドアに押し当てると、すかさず頭をあげ、抜き足から身を起こす。まるでドアがさしたる抵抗もなく開いたのに驚いたかのような趣だ。――遥かなるこれらの瞬間(とき)。遥かさとは、そのかなたに進むあらゆる可能性の消失に等しいなにものかが出現するところだ。これらの瞬間はすでに遠く己れ自身のなかへと後退し、あとに続く不在とさまざまな閾の無限の回帰を先取りしている。
ブニュエルの映画『昼顔』のなかのピエール・クレマンティの歩き方をなぜか思い出す。なんという違いだろう。ベケットの歩き方。己れ自身のなかに退却したのは神である。というかかつて神であった。何か気詰まりなもの。行く手を阻み、理由もなくあらゆる悔恨の邪魔しようとする大気の精。われわれを見捨てる何かが宙ぶらりんの糸の上に引っかかっている。バランスを取りながら。だが糸もロープもない。ずっと昔に大変なことが起こったみたいに、そ知らぬ顔で。
デカルト以来、騒擾はさらに激しさを増している。だが、騒擾はそこから帰結する沈黙を覆いつくすことはできない。どの時代でも同じことだ。道はない、然り。測りしれないもののなかにいつ沈むとも知れぬ、つかの間の道程をのぞいては。ときおりベケットは逝った友人の運命を思い起こすことがあった。そんなとき、かれは決して亡き友の相貌を固定してしまうような観点をとらなかった。
道はない。いたるところが道だらけだった。サミュエル・ベケットはパリ六区を散歩する。友人の運命。知られざる運命。冬の吐息のように白っぽく、それから消えてしまう。この本の中にはデュシャンやジョイスも出てくるが、彼らもまたまるでわれわれの隣部屋で暮らす名もなき老人のようだ。いつ仕事しているのか。真夜中なのか。彼はまだそこにいるのか。
著者のアンドレ・ベルノルドは以前ドゥルーズをストア派になぞらえた素晴らしい追悼文を『哲学』(エディシオン・ド・ミニュイ)という雑誌に書いたことがあった。ベルノルドの恩師はドゥルーズとデリダだったらしい。そんなくだりを読むと、この本は中世ではなく、最近書かれたことがわかって、ベケットがよけいに身近に感じられるのかもしれない。だが、ほんとうはそんな感じ自体がじつは奇妙なことなのだ。
わたしはベケットに、とりわけドゥルーズとデリダに賛嘆の気持ちをいだいていることを話していた。ベケットはかれらの仕事について何度かわたしに尋ねていた。とりわけかれの関心を引いたのが、二人の講義のスタイル、かれらの声の質、それから、哲学を語る声を聴くことで人々がどのような利益を感じているのか、という点だ。(…)デリダにおいては、なによりあのたゆまぬ細心さ。そこでは、一歩一歩進められる長い分析を経て、突如としてまばゆいばかりの視界が開ける。そしてその光は、静かに退いていく波のように、探究されるテクストの相貌を顕かにする。いまや驚くほど異質になった相貌だ。一方、ドゥルーズは、ほとんど歌うように構築を進めていく。ゆっくりと用意された概念の各々から、王侯を思わせる落ちついた仕種で、そのもっとも美しい相貌、もっとも見事な意匠を選び出し、それを無垢の布面(クロス)のうえに配置していく。視界のかなたにまで広がる、このまばゆい布面(クロス)は、概念そのものの展開にほかならない。わたしはまた二人のこのうえない慇懃さについて話した。いささかのアイロニーというか、人目を避ける野性が一瞬顔を見せることもあるあの慇懃さ。そして、底知れぬ忍耐力、法外なまでの寛容さ。ベケットは深く満足した様子で大きく頷きながら、注意深く耳を傾けてくれた。あのときわたしは、文字通りこうした言葉で説明したわけではなかっただろう。はっきり覚えているのは、つまるところ二人の哲学者はどんな人物なのか、とベケットがわたしに尋ねたことだ。わたしの考えを要約する真実をここに繰り返しておこう。つまるところ、二人は気高い人物(edle Menschen)である。ベケットはこの答えに満足した。眩いばかりの才能、あるいは音楽的ともいうべき厳密な精神のさらに奥底に、人間の善良さを探り当てること。これはベケットがわたしに教えてくれたことだ。
蛇足ながら、ベルノルドのこれらの言葉は、現代の哲学者について書かれた最も美しい言葉のひとつであると思う。