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お知らせ(読者の声)

私、疎開先の島根県で国民学校2年生の夏休み、戦争が終わったと大人の人から聞きました。父から「日本は敗けた」と言われ、敗戦の日が8月15日と思っていましたが、いつの間にか終戦という言葉にすり変わっていました。このすごい本を読み、誰が敗戦を終戦に変えたのか、きっと、又いつか日本は勝つという思いのDNAを持つ人が居て、自民党という妖怪の中でアベという化物が姿を現してきた。そんな感情を持たせてくれた本でした。

              中尾嘉文(大阪市、79歳) 

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速報性のインターネット、ヴィジュアルのTV、政府の広報紙になり平板でステレオタイプな紙面の全国紙。今頑張っているのは記事に金・時間・エネルギーをかけている地方紙・地域紙です。私は40年来朝日新聞を購読していますが、「時代の正体」のような記事は以前朝日にもありました。しかし昨今はほとんどありません。政府のPR紙になり下がっているようです。私自身、情報は時間・お金・エネルギーをかけてはじめて得られると思っています。記事の送り手も同じではないでしょうか。この本は以前のように背中がぞくぞくした感じで読む事ができました。260ページの本なのに読み応えがあり、読み終えるのにとても時間がかかりました。vol.2も購入しようと思います。今後も期待しています。よく書いて呉れました。

                   加藤國男(愛知県、69歳)

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新聞は切り抜いていますが、やはり本になっている方が読みやすく、第2巻が出ないかと思っていたら書店で見つけました。
神奈川新聞はいろいろな妨害や批判もあると思いますが、この時代にジャーナリズムの原点である権力を監視しその暴走を国民に伝えると云う事をがんばっていると思います。権力とお友達の大新聞に負けずがんばってこの姿勢を続けてくださいますようにお願い致します。こちら何も出来ないおばさんですが――。
                                                              K・K、鎌倉68歳

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 どの章も大変読み応えがあり、こんな良い記事が載る神奈川新聞て凄いな、と本書で初めて知りました。各インタビューも素晴らしかったです。

 米軍基地に、日本会議に、知らないことばかりで。大手メディアが取り上げない、重要なことばかりでした。ヘイトスピーチで在日の人が「殺されるかも」という恐怖を感じていることに、愕然としました。迫力のある良い記事でした。安保、SEALDsの章に、表紙の写真も、良いですね。
 
 これからも権力の監視となる記事を期待・応援します。

K・N(神奈川県、34歳)

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 いつの間にか何故こんなに居心地の悪い時代になったのでしょうか。あの戦争がいろいろな事を見せ付けて、教えてくれたのに。
 年を取っても、何時でも何処でも何事でも自分で事を見据えること、目を外さないこと、又人と違うことを恐れないでと思っています。
 それにしても国会議員も粗悪な大臣ばかり、悪目立ちして、うんざりです。心ある方もいらっしゃるでしょうに。とにかくあの人の息子・娘(孫も)だけで選ぶのは、本人を勘違いさせるだけと思います。

                          A・M (東京都 78歳)

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 神奈川新聞の論説・特報を読むのが毎日の楽しみになっています。時代の正体が書籍化されているのを知り、時代の転換点となっている現在の日本の状態を記憶しておくためにも手元に欲しいと思い、購入しました。
 記者の方々の本気が伝わってくる内容に、私自身も怒ったり、自分を恥じたり、心を動かされました。
 権力は放置すれば暴走し、民主主義や自由も放置すればなくなってしまう。私たちは自由であるために、自らの考えを持ちそれを自らの言葉や態度で表現していかねばならない、戦わなければならないと強く思いました。
                                                   土井久瑠美 横浜21歳

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たいへんおもしろく、刺激的な一冊でした。また、読みやすくて、あっという間に読んでしまいました。たぶんそれは、筆者である神奈川新聞の記者の方たちが、自分の言葉で、誠実に、記事を届けようとしていたからではないかと思います。それぞれの記者の方のナマ身の思いが(様々な揺れも含めて)伴っていることが伝わる、読みごたえのあるものでした。これが「ジャーナリズム」だと思います。これからもこのような良書を届けてください。そして自分も、それをしっかり受けとめられる読者でありたいと思っています。ありがとうございました。
                                                            F・A(東京、44歳)

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  本当に当時の状況を表現して居り感動しました。戦後生まれの著者がこれ程迄調査している事は貴重です。今後のご活躍を期待して居ります。
  因みに私は1930年7月生まれです。池袋本町の出生です。小学校2年の秋に戸塚町1丁目(現新宿区西早稲田)に引越ししました。人生の一番の経験をしました。5月25日の空襲で家は丸焼となりそれからの苦労は大変なものでした。正さに此の書そのままです。                                                                   渡辺平八郎(松戸市)

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 「目の前で起きていることは何を意味し」 … 「見据え」 … 「自由であるためには孤立しなくちゃいけない」 こう語る神奈川新聞の心意気に感じ、この書を手にしました。一人ででも異を唱えるエートスこそが 「低温やけど」 を手遅れにしないために問われることだと勇気づけられました。ここで立たないと悔いを残す! ちなみに8月30日、ひとり手製のプラカードを手に70 年安保以来40 余年ぶりに私も国会デモに参加して、SEALDsの若い方たちのラップ調コールが最前線をけん引するのに驚いたのでした。手放しで賛美する気にはなれないとはいえ、でもそれは私も含めた大人たちのだらしなさの他面。これがもう一つの 「時代の正体」 と直視するべきかも知れませんね。そんなことを考えました。良書を有難うございました。

望月和義(三島市68歳)

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没後10年を経てその思想をちゃんと知りたく思い主著とされている本書を買った。現前の形而上学の克服としてのロゴスサントラリズムの批判を痕跡、問化といった東洋思想と比較したくなる要素で行っているのが興味深かった。「声と現象」ではフッサールに厳しかったデリダだが、本書の後半ではルソーが、表現しようとしてしなかったものとして言語の根源における代補をとりだしておりルソーに好意的だと思った。カミュを思わせる乾いたざらざらする文体とあわせアルジェリア出身のユダヤ人という出自を思った。
                                                             楫野 徹( 岡山市)

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「悲惨極まりない事実」というものが現にあり、それを死ぬまで記憶として持ち続けるしかない運命の人と、直接には知らず、人伝てに、または様々な文字形態(今なら映像)によって知ることになる者と、これはどう抗っても厳然と分れてしまう。そして一方は、どれほど言葉を尽してもこの体験(衝撃)は決して伝わらないと(なんとかして伝えたいのだがとも)、片や、どう想像力働かせても(特にこちらのようにそのことにさして努力を傾けない手合いには)その傷と痛みを分有するのは難しいと、ともに諦めが先立ちそうになる。とはいえ、これをぬけぬけと葬り去ろうとする流れが波状的に起こるのが人間社会の常で、同時に「決して忘れない」と本書のように全精力を注いで真相に迫ろうと企図とする個人(一団)も反作用のように(あるいはこっちが先で)現れる、そのことの心強さと、それを媒介に経験者の空恐ろしい思いと繰り返してはならないという意思が後の(国外にも)者に「言葉」によって託される、これはいい実例でしょう。

岩崎保則(61歳)

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 焼殺されたパイロットと焼殺されたラッカ市民と

 

 かつては保守政治家の中にもいた 「戦争を知る世代」が引退して、戦争ゴッコに夢を馳せるような幼稚な連中への歯止めがなくなってしまった。「戦争」とは実際どのようなことなのか歴史を学ぶ必要がある。そう思って私は東京大空襲を描いた本書を手にした。でもこの書の最大の意義は米国人のフィスクさんが著すことで、空襲の狂気を「下」からと「上」からの二つの眼でとらえていることにあるでしょう。時あたかもイラク・レヴァント地帯を中心に各地で回教徒の 「ジハード」とキリスト教「十字軍」とが「非対称的」に殺戮をくりひろげています。しかし、高邁な理念と残虐非道な実践とが相補的であることは双方全く相同的ではないでしょうか。そう知ることができました。良い本を有難うございました。 

後藤清孝(神奈川67歳)

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 石井恭二氏の『花には香り 本には毒を』が出てからもうエトがひと廻りしてしまったのですね。三島自決の年に大学に入りました。澁澤は、入学後すぐに、メシを抜いた金で桃源社版の「集成」を揃えました。
 「古典文庫回想」の章、裏バナシが可笑しい。懐かしいです。いま、ざっと見廻したら現代思潮社の本は80冊ほど。蔵書の1%ほどですが、お世話になった「重さ」は圧倒的です。意外に「古典文庫」が少ない。貸したまま返らなかった。借い戻し、読み直したい気もします。

菊池修

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 誰もが(平等志向の)同じような問題で立ち迷ってるんですね。誰も(同一方向を見ている)微妙な差を持ち出して互いを区別したっていい結果は得られないと察しているんですがね。
 しかしその後、散々弄ばれた中南米の意識は変り(日本より、アメリカより遙かに)、異教対立宗派対立の大波に揉まれながら、イスラーム地域もまた変じつつある。やがて、矛盾混沌の地、容赦ない資本主義、植民地主義、帝国主義の草刈り場で人類発祥の地であるアフリカも、何周遅れであろうが必ず自分達の足で立ち上がる日がくる。その時彼女ら彼らの足下に額づくのは誰誰か。「市場なき社会主義」とは「世界くまなき平等」のことか。

岩崎保則

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 ここでの「閃光」とは、この出版社に「たまたま」顔を揃えた者達が持ち寄った考え(全員が似た傾向の、と同時に微妙に、または明らかに違ったものとを合わせ持つ)の集積としての各種出版物が、著者や読者、なにより時の空気(厚みのある層)と摩擦を起こして発した特異な熱と光だったと解すれば分かり易い。それは今も同様にと言えば賛否様々声は上がるだろうけど、年々歳々なので、人は変っても花は匂いを発して咲く。見かけはともかく、所詮言葉でできたものならば、いずれは誰かを捉えて共震よろしく衝き動かすに違いない。あとは、どれを、誰が、というところでしょうか。

岩崎保則

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ローザ・ルクセンブルク選集 2

 左翼の結束はなぜ乱れるのか。左ばかりで固まってては決して勢力は拡大しないとして、たとえば佐高さんなんか右にも声を掛けようとする。右も左も頑なで、あれじゃ「普通の」人間は厭がる、という人もいる。もっともなこともあるけど、でも違うんじゃないかと。
 今回ローザ・ルクセンブルクが盛んに注意を喚起してたのは、自派の日和見主義の駄目さ加減でした(ブルジョワ民主主義勢力はとっくに見限ってる)。そしてそれはマルクスもエンゲルスも指摘してたようですが、それでもうまくまとまらない。なまじ結束が成功すると、「一党独裁」の原理が勝って「人」が消えてしまう。この憾みは今だに解決の糸口が見えない。(いよいよ最後の場面が刻々近付いてくる。)

 

 

ローザ・ルクセンブルク選集 3

 いよいよ風雲急を告げ、で欧州から世界全体を巻き込む戦争へと。何かの映画で見かけた、世界地図が裏側から炙られて一部色が変り、と思ったらそこが炎で破られ一気に燃え上がる、一目でそれと分る仕掛けを思わせますが、ルクセンブルクもその渦中にいて、文章になった論稿なり発言ではあっても、当事者として他人(権力を操る者)の都合に否応なくこの身心を動かされてしまう悔しさと憤りとが、ドイツ社民党(当時)のあまりな体たらく(こちら「連合」の)とともに、百年の時間、地球半周分の距離が紙上で繋がって、ひしひしと伝わってきますね。

 

ローザ・ルクセンブルク選集 4

 同志リープクネヒトの不当逮捕(いつでも、どの国でも反動勢力は平然と)に対する激越な抗議の言葉、戦争終結(単に各国反動勢力のお家の事情に過ぎないとルクセンブルクは見切ってる)のあとのドイツ社民党の目に余る退廃堕落ぶりを、目から血の涙を流さんばかりに強く叱責する言葉、そして私達は予め知っている終息の時、ブレスラウ監獄でロシア文学論(なんだか愉しげ)と革命論(レーニン、トロツキーへの異議と信頼)を集中力を途切れさせることなく伝える言葉。一人の人間を潜り抜けてきた(精選された)言葉がこちらを暫し揺さぶってまた次へ。言葉こそ人間、とも。(5/25)
                                               岩崎保則(60歳)

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 ずっと捜してました。Pメール非ネット派、要するに手元不如意につき、その手の便利な検索手段は埒外。
 書簡集のみ文庫で読み、苛烈な半生を簡単な解説文で知りはしても、世界をどう捉え、それをどう文章にしてたのか、原文は無理でも、実際の彼女の主要な著作が見てみたかった。

 「資本論」も割と最近読んだクチです。本書も、理解度が低いのは承知の上で、どれほど受け止め受け入れられるか半信半疑で読み始めましたが、付箋をかなり挟みましたね。百年の隔たりを感じさせないのは見事。ただそれが幸なのか不幸なことか。常々不満に感じていた現在ただ今の世界の実体の分析が、むしろこちらのほうで腑に落ちてしまうとは。引き続き「2」へ。

岩崎保則(60歳)

 

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 「3.11」地震と津波の言語を絶する衝撃と災禍に打ちひしがれながら、でもその底から「一条の光」を求めて再起しようとする三陸の漁師さんたちの姿は感動的であり、私たちにも勇気を与えてくれます。
 この作品を書くことができる村上さんに感銘を覚えないではおられません。村上さんはみずからを「異邦人」と言いながら、しかしパリからの支援を現地に届けることを「使命」として引き受ける中から、漁師さんたちの苦悩の内側に立ちこのように生き生きとその模索を活写しています。私などは「流れ者」人生の中で何事も傍観者的にしか見られなくなってしまつている自分に気づかされてしまいます。良書をありがとうございます。
                                                         岡本礼子(滋賀県40歳)

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 体験からしか書けないだろう意表を突く言葉が素敵。
 所謂知的・論理的に懇切な記述よりも、一見支離滅裂でいて、言わば巫女風な語り方の方が、実は体験あるいは恍愡を直に暗示していて、理論的にきっちり説明してもらいたい読者には辛いかもしれないが、自分なりの体験と言葉の閃きを模索する主体的な読者にとっては非常に汲むところのある、夢のある本だと思う。
 バタイユがB・ロバーツの本に出合っていたら、多分感じるところがあっただろうと思うのですが、亡くなった後のものなのでそれも叶いませんが、彼女の特に『自己喪失の体験』(紀伊國屋書店)は、自己・神・世界・命などといったあらゆる理念的なものの喪失あるいは死を生き抜いた手記になっていて、『無神学大全』が好きな人にはおすすめです。著者はキリスト教の観想家です。
                                  (T・K 48歳)

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  地元の神戸で5年まえから、地元の生んだ偉人高田屋嘉兵衛とその周辺をしらべている(グループ研究)。そうした中、今年の春、読売の書評でこの本を知った。
 これまでの調べで、日本史やロシア史の専門家がまともに日本の江戸期の外交史を扱えていないことが明白となった。
 又、レザノフ、フヴォストフ、ゴロヴニン、リコルドらのことが旧ソ連で今日でも十分に扱われていないことも本書で知った。
 イデオロギーや特殊な歴史観のフィルターがかかったまま、日露交渉史が闇におかれたままであることは互いに幸せなことではないなあ、と痛感する。
 貴社の今後の活発な出版活動に期待する。
                                                                  出田真人(神戸市)

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小林惠子著『白村江の戦と壬申の乱』(現代思潮新社)を読んで

 朝鮮半島に百済の権益を奪還すべく、倭国九州王朝は唐・新羅の連合軍に戦いを挑んだが、壊滅的な敗北を被り実質的に崩壊した。その結果北部九州は一時期唐の軍隊に占領され大宰府に「都督府」がおかれた。残存勢力となる中大兄皇子(天智天皇)や大海人皇子(天武天皇)たちは、九州に新しい政権を樹立することは出来ず、近畿▶近江、大和に撤退し、ここを拠点に新たな政権・大和朝廷を立ち上げた。というのが本書の背後の大まかな歴史背景となる。
 その後、大和朝廷藤原政権独裁下において国家体制を内外に明らかに宜言すべく編纂されたのが『古事記』や『日本書紀』であるが、そこには日本列島に先行する王朝は消され、その事績は近畿天皇家の歴史として書き換えられ、古い時代の出雲王朝や九州王朝の事跡はほぼそのまま神話時代に押し込め、自らの祖先の物語としている。これが所謂近畿天皇家の正当性を主張するために作られた我が国の『正史』とされる『記・紀』の実像であろう。作業にあたった心ある人たちによってここには多くのダビンチコードがしくまれている。
 当時の上層部の人々は誰もがそれを知っていたが口には出せなかったその中でただ一人、《史書は嘘ばかり、真実は物語にしかない》と言ってのけたのは『源氏物語』を書いた紫式部だったといわれる。彼女がいう物語とは何を指すのかはわからないが、おそらくは『竹取物語』もその一つではないかと想像される。竹取りとは筑紫盗り。かぐや姫は九州王朝最後の血を引く姫君、三種の神器とともに輿入れしようとして結納の神器だけ奪われて血筋は絶える。倭国九州王朝はここで終焉し、新たに日本国近畿大和朝廷が「大宝」の年号をもってはじまる。これ以前の年号は全て《九州年号》。・・・と、大体こういったことあたりまでは在野の研究者によって明らかにされている。在野に限らず、聖徳太子は実在しない架空の入物であった事等は、今や研究者間ではほぼ常識となっているようである。ゆかりの法隆寺も、実は九州王朝大宰府の観世音寺にあった建造物その他を、そっくりそのまま斑鳩に移設しリホームした形跡が検証されている。

 さて、筆者小林惠子・在野にあって孤軍奮闘するその姿は、さしずめ「現代のかぐや姫ないしは紫式部」と私には映る。内外の多岐にわたる史料批判も徹底し緻密精力的で素晴らしい。『記・紀』だけを金科玉条とする「一元史観」つまり万世一系皇国史観というカルトの呪縛から抜け出すに相応しい一書だと思う。
 この「一元史観」に最初に疑問を持ち、徹底した史料批判をもとに、歴史を科学する「多元史観」に道を開いた先駆者は、やはり在野の研究者・古田武彦(古田史学の会主宰)だった。その彼さえ当時は記・紀に引きずられ、例えば「神武東征」を九州から近畿へと読み違えていた。今は、筑紫に降臨した天孫族が、同系列・先住する天神族・豊国(遠賀川流域圏)への侵攻であったことがほぼ明らかにされつつある。そのようなことで本著者自身も完全に記・紀から解脱しているとは言い切れない部分もあるように思う。しかし今の原子力村・歴史学会というマスコミも含めた巨大な利権集団を、崩壊へと導く強力な戦力になっていることに間違いはない。どうかその大事なお宝を、かぐや姫のように騙し取られることがないようにと祈るばかりである。
 そうはいっても教科書で洗脳されている一般国民は「一元皇国史観」の呪縛からまだ解き放たれてはいない。一日でも早くそこから脱け出して、「多元的な史観」に拠って我が国の歴史とその真実の姿を知り、そして、現憲法の理念をよりどころとして成り立つ現在の天皇制を、国民皆が素直に、かけがえのないものとして受け止めることができる日の来ることを期待したい。
 実は、このことを最も強く思い希求する第一人者、それは畏れ多くもわたしは今上天皇陛下ではないかと思っている。あえてマスコミは取り上げようとはしないが、陛下の言行の数々から、ご自身の後姿をもって国民にそのメッセージを発信されているように思える。私達はそれを見過ごし聞き過ごしにしてはならないように思う。
 書評を述べるつもりで、話がとんでもないところまで飛躍してしまって大変申し訳ないが、一介の読者に過ぎない私を触発して、以上のようなことまで書かせてしまうだけのインパクトとスピリッツを秘めていたのが本書の内容であった事だけは、最後にきちんと述べて、この感想文を閉じたい。
                                                      吉田耕一・熊本県

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 小林古代史が完結したことは非常に喜ばしく、小林氏は一つの山を登破したと言える。これからは、その登山道を整備すべく、次世代の歴史学者に対して、小林氏が用いた様々な史料の解題であるとか読み解くコツ・ノウハウをまとめた著書を刊行するとか、一般の読者層にも広く訴えるような読物による“伝道”や“啓蒙”にも力を入れるべきであろう。また、『記紀史学への挑戦』で言及された“赤と白の攻防”という視点も非常に面白い。その視点から見つめた日本通史であるとか、小林古代史を1冊に平易にまとめたダイジェスト版などが、今後刊行されていくことを期待したい。
 このような事を強調する理由として、ご存知かもしれないが、中丸薫著『古代天皇家と日本正史』(徳間書店、2004年)の問題がある。非公式な小林古代史のダイジェスト版であり、はっきり言って盗作である。しかし、私はこの本に感謝もしている。この本がなければ、私が小林古代史を知ることは一生無かっただろうと断言できる。体裁や筆致は読みやすいように工夫されており、ダイジェスト版としての出来はかなり良いのである。今後も学究活動が重要であることは勿論だが、小林古代史が一応の完結を見た今、本格的に“反転攻勢”に打って出ても良いのではないか。小林氏の年齢を考えれば、残り時間が潤沢にあるとは言えないだろう。どんな知見でも、最終的には人に読まれてナンボです。 小林氏自身の学者としての立場や性格的な部分で気が進まないのであれば、小林氏監修のもと、誰か文筆家の人にダイジェスト版や小説版を著してもらうことを考えても良いのではないか。いづれにせよ、小林古代史はもはやそういう段階に入っていると私には見える。

 古今東(西)の史料を渉猟玩味して緻密に構築された小林史観は、非常にユニークで、かつ面白い。しかし、学術書の体裁で書かれているので、読みにくいことは否めない。また、古代史シリーズとして刊行しているにもかかわらず、現代思潮社でのシリーズでは結局小林古代史が完結しない、というのも、読者としてはいささかの不満は残るであろう。個人的印象では、祥伝社における小林古代史は、当シリーズよりもかみ砕いた説明であるとか、図や写真の充実、レイアウトの工夫などもあってか、相当読みやすく感じる。当シリーズと祥伝社の2冊(+3冊)とは、それぞれ小林古代史の一部であるが、その体裁と筆致は別物である。できれば、内容の重複は怖れずに、当シリーズでの体裁と筆致を踏襲して、小林古代史の完結(応天門の変のあたり?)まで刊行していただきたいと思う。それが小林古代史の“スタンダード”となるであろう。祥伝社からは、“スタンダード”を基にして、かみ砕いた説明や図・写真などで読みやすくしたものを刊行し、小林古代史の周知を促進するという風に、役割分担すれば良いのではないかと思われる。いずれにせよ、“スタンダード”は“スタンダード”として完結させて欲しい。そして、小林古代史が一応の完結を見た今こそ精確さに配慮しつつ一般読者層に広く訴える読物による“伝道”を本格化すべきである。
                                                              N.T.(25歳・学生)

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10数年前に出会った「解読 謎の四世紀」を読んだ衝撃は今も続いています。氏の著作は既存の歴史解釈に一石(多石?)を投ずるもので特に古代中国、古代朝鮮、シルク・ロード、オアシス国家群との関連を通しての考察は私には自然に受け入れる事が出来ました。(40数年前東洋史中央アジア文物研究を志……挫折した自分にとって)氏の著書1冊、1冊は必然性を持って時空間的に連鎖し日本古代史を照射して止みません。2011年大震災の現在、東北古代史を新めて見なおす展望の視座さえも氏の著書は語りかけてくる様です。健康と健筆を願ってやみません。  草々
                                                                         堀野 茂

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鈴木創士「サブ・ローザ」読了__すばらしい!           2012年 01月 21日

 

 鈴木創士氏には縦書きハードカヴァがよく似合う。

 webで読んでる第一部がメインなんだろうと油断しているあなた、本の形で再読してごらんなさい。書き手の思考の速度に引きずられて、読み手もスピードアップする気持良さは、開きのいい単行本の形であるからこそ得られる。横組のwebでも内容理解はできるが、身体的読書の快楽は、単行本ならではのものである。書かれた言葉が読者の身体へと浸透する。

 音を聴いているときの状態にも似た読書体験だ。彼は日本文学史上初めての、音楽の感じられる作家ではないかしら。クラシック・ファンの小説家は多いだろうが、作家の身体にしみ込んだ音楽性という面では、誰も鈴木創士氏には敵わない。近代文学に疎い奴の言うことだが、直感的真実って存在するの!

 そして、ビート。彼の文体を特徴づけるものである。
 ジグザグにヨタりながら(?)、読者を阿呆船に乗り込ませる魔術的レトリックの乱打__快楽には素直に負けましょうね。

 「ルネッサンスについての若干の覚書」二篇が、今回、面白かった。
エートル叢書14巻/イヴ・ボヌフォワ「ありそうもないこと」が読んでみたくなった。

     (現代思潮新社 2011初 帯 J)

詳しくはこちらhttp://byogakudo.exblog.jp/17250626/

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   素晴らしい作品である。こゝ数年、読んだ小説の中で、最も感銘を受けたものの一つである。最初は単なる興味(新聞コラムで、アメリカ人が独学で日本語を習得し、その日本語で小説を書いた、という)から読み始めたが、忽ち作品世界へ引きつけられ、一気に読んでしまった。
  とても外国人がかいた日本語とは思われなかった。実に自然な、こなれた日本語であって、これほどの文を書ける作家は、日本の小説家の中にもそう多くは居ないであろう。文と共に、その物語り性も充実していた。作者は登場人物から、絶えず一定の距離を置き、過剰な感情移入を行わず、物語りを完結させている。
  私見で、最も成功したと思われるのは、ラミールという人物の描写である。日本とフィリピンの両方にまたがりながら、決してどちらかに傾かない、ごく平凡な人物像が実に生き生きと描かれている。この人物像が物語全体の骨格をなし、国家と個人という不可思議な関係に、ある暗示を与えている。
  次作も期待しているが、著者に是非、日本語習得について書いてもらいたい。どのようにして、これほど達意の日本語が書けるようになったか、知りたいものである。

 

フィスクさんへ
  前の読後感の続きです。日本語の巧みさも、さることながら、プロット設定の上手さも見逃せない。
  前半の主人公森武義の生長過程は、過去と現在(小説舞台での現在)の並列として描かれ、それが少しも無理がなく読む者の頭に入るのは、驚くべき作者の技法である。
森をめぐる人物も、皆、生き生きと描かれている。作者はどんな人物も粗末にせず、血の交った人間として丁ねいに描いている。
  軍隊内のシーンも、不自然なものはなく、納得できるものであった。古兵(古参兵)による新兵へのいじめも、淡々と描かれ、さもあらんと思わせる。作者は、いたずらに感情移入することは避け、客観的ともいえる態度で、それぞれのシーンを描いているが、このことが、読む方に考えるヒントを与えている。もし、いじめ抜かれた新兵が、対象の古参兵を、巧みに報復したとすれば、読むものに痛快感は与えるが、ただそれだけとなってしまう恐れもある。戦場という極限状態に置かれた無数の人間像を、作者は丁ねいに、誰に肩入れするというわけでなく、物語として縦横に動かしている。
  日本も戦後、戦記文学というようなものが流行し、野間宏や大岡昇平など優れたものは沢山あるが、いずれも、自己の体験に基いていた。そして戦後に生まれた者には、戦争の場面は描けない、などの俗論が罷り通っていた時期もあったが、それは誤りだったことはいくつかの作品で明らかになった。
  例えば、奥泉光の「石の来歴」の中の兵隊の描写は、優れたものだが、奥泉は戦後生まれである。体験した者でも書けない人は居り、体験しなくても書ける人も居る。畢竟、知的好奇心と想像力の差かもしれない。
  それは、太平洋戦争は、昭和二十年に終わったが、すぐ朝鮮戦争、ベトナム戦争、など起り、戦場という極限状態は絶えず人々に提示されたという歴史があったからかもしれない。
  それにしても、著者の探究心は驚くべきものがある。戦争中に大衆を締めつけていた皇国史観(というか、神がかりのイデオロギー)もよく調べている。どうしてあんなオカルトじみた風潮に皆、乗ったのか、今だに分からないが、日本独特とも言えるし、人間皆そうなり易いとも言える。
  次作は、どのような展開になるのか、楽しみである。発刊されたら、すぐ購入して読みたいと、わくわくして待っている。
  五月十一日                            梁瀬浩三

 

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本読んだよ
すごいね
天才というか、人を越えているというか
あまりにリアルで、怖くて、通しては読めなかったよ
読んでいると、自分が森やラミールになってしまって、ドキドキして悲しくなって、悔しくなって、読み続けられなくなる
だけど、また、気になって本を開いてしまうよ
だから、飛び飛びに読んで、また前に戻って読んだり、一番後ろを読んだりしちゃっているんだけど、どこを読んでも、すぐ感情移入しちゃって、のめり込んじゃうね
なんか、興奮しちゃって、朝一番でメールしたくなっちゃったよ
日本人は何も知らないんだね
すごく悲しいし、残念な事だね
これからも、応援していますと、お伝えください
サインもらっておいて良かったよ
                                                                       Kさん

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ブレット・フィスク様
「潮汐の間」を読了しました。読み始める前に私は「日本に居る一人の米国人が日本語で書いた小説を、日本の出版社が出版を決意するからには、その作品が今まで如何なる日本人も書いたことの無いような極めて画期的な作品であるはずだ。そうでなければ出版社はそんなリスクは冒すはずがない」と考えました。そして結果は、正にその通りでした。
●「潮汐の間」は米国人が日本兵から見た「大東亜戦争におけるフィリピンでの陸上戦」がその内容ですが、とにかくストーリーの構成も内容も素晴らしいと思いました。フィリピンと日本の交互の書き方もとても印象的でした。「実戦の中の兵一人一人の意気込みや絶望や諦め」とか「日本の兵も一人一人はみな死にたくなかったのだ」ということが「潮汐の間」ほど、心に強く伝わってきた作品に出会ったのは初めてでした。
●全体に現在の日本人の文章より表現が正確で的確であり、そのためとても判りやすいと感じました。日本語を非常に大事に扱っていると感じました。たったの340頁内に大東亜戦争に関する重要事項が殆どもれなく盛り込まれていることも、これまで日本人の書いた作品に見られない重みのある内容だと感じました。野間宏の有名な日本陸軍を扱った「真空地帯」は「日本陸軍内の単なる内務班内」のお話に過ぎないのに対して、「潮汐の間」は「戦争の惨めさ、戦争の複雑さ」を重点においた非常に素晴らしい作品であると感じました。その根底にはキリスト教の精神が流れているのでしょうか。
●この作品が素晴らしいものになった理由はフィクスさんの能力が尋常でなかったからに他ならないと思います。フィスクさんが1991年に日本に来てから20年しか経っていないにもかかわらず日本語を「会話力」「文章解読力」「作文力」を完璧にマスターしただけでなく、「日本の歴史」、「社会習慣」、「日本人の特性」までも含めて幅広く、かつ、深く学習し習得したからに他ならないと感じました。そして私は何よりもフィスクさんのパワーと能力に驚きました。テレビに出てくる日本語の極めて上手なデーブ・スペクターさんでもフィクスさんの力にはとても及ばないのではないでしょうか。
●フィスクさんの文章で感心した具体的な例を挙げれば「日本陸軍内の内務班内の厳しい様子・使用用語」「新兵の教育」「軍人勅諭」「武士道」「宗教」「日本の教育制度(旧師範学校の先生は教授であったなど)」「太平洋戦争の戦況の流れの正確さ」「日本人の家庭内の作法」「闘鶏の様子」「貧しいフィリピンの現地人の家庭内の様子」です。「首都高速度交通営団」は戦時中の昭和16年7月4日にできた「帝都高速度交通営団」が母体であることには驚かされました。「本当の武士道は死ぬ覚悟でなく、何があっても必ず勝つという精神だ」までにも踏み込んで理解されておられるのにも驚きました。
●中でも特に感心した表現の一つはp183の「大人になっても三人は、同じ思いを抱いていた。家、人、匂い、味、細かいところまで全てを共に経験していた」でした。フィスクさんにすれば「何それ?」というかもしれませんが、現地に行っていないのに、どうしてこのようにリアルな表現ができるのか私には不思議に思いました。なかなかこういう表現はできないと思いました。
●“「国家にとっての戦争」ではなく「個人にとっての戦争」、「移り変わる歴史の背景」ではなく「人間一人ひりとりに及ぼされる影響。これらこそが重要な歴史課題であるようなきがしてならなかった。それであるなら、学問的な歴史書を志すよりは、「小説」という形で追求した方が適切であろう”とフィスクさんが最後に語っていることに感銘を受けました。
●フィスクさんは私が人生で巡り会った最大の天才ではないかと感じる次第です。
                                                                        丹 信義

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